正門から校舎に続く道の両側に桜の木。風に乗って舞い散る桜は、一体何を想って空を舞う。私も桜の花びらみたいに美しく散れるかな、なんて物思いにふけながら校舎に向かう。
昇降口にはクラス分けの表が張り出されていた。私の名前は……1年A組の欄にある。今日から私は、高校生だ。
同じ中学校、スポーツクラブなど、何らかの顔見知り同士が固まっている初めましての教室。しかし私はそんな光景に目もくれず、自分の席に座り本を開く。騒がしい教室でも、本さえ開けば私の心はもう本の中。本さえあれば私はどこでだって生活していける。
一般的に『真面目』だと言われる部類の見た目をした私。それもあって、私に敢えて話し掛けてくる人もいない。というか、それが良いのだ。
高校入学時の抱負。私は、友達を作らない。友達を作っても、悲しくなるだけなんだから。そんなもの、最初から作らないに限る。
そんな強い意志を持って私は今日、ここの門をくぐったのだ。
意外と1人の生活は楽しかった。何の気兼ねも無く過ごす毎日。誰も私に関心を持たないし。それが凄く居心地良かった……。あの人物に出会うまでは。
私が1番嫌いな科目は体育だ。単に運動音痴なのか、“あれ”が原因なのか皆目見当もつかないが、とにかく私は昔から運動が苦手。走るのなんて以ての外で、競走系は常習的に最下位。
高校に入学して初めての体育。体育館でランニングをすると言い出したその人物に嫌悪感を抱きつつ、真面目にランニングに参加した。……までは良いのだが、やはり足が遅いのが目立ち始めるのだ。トップと6周も差が付き、最下位と名簿に刻まれる始末。結局1人だけ目標達成も出来なかった。
集団から少し離れて、荒く肩で呼吸をしている私の元に近寄ってくるあの人物。ニヤッと笑みを浮かべながら言葉を零す。
「……森野未来。奇跡の足だ」
「は? 喧嘩売ってるのですか」
「違うって、褒めてる」
「それも同じ。喧嘩売っていますね」
この状況、喧嘩を売っているのは私の方だ。食い掛かるようにその人物を睨み付けると、困ったように肩を竦めて小さく笑った。
「ランニングさせてごめんね」
「謝らないで下さいよ。私が惨めに思えるんですけど」
「ごめんって」
わざとらしく両手を重ねて舌を出すこの人物。体育教師の佐藤先生。
別に、もう慣れている。足が遅い私は散々笑い者にされてきた。正直なところ、今更何を言われてもダメージは無い。真顔のままそっぽを向き、開いている扉の方に目を向ける。葉桜に移り変わる途中の大きな木は、風に揺られてザワッと大きな音を立てていた。扉の隙間から入ってくる風がまだ肌寒くて、ジャージを着ているというのに鳥肌が立ってしまう。
少しだけ大きな青いジャージは簡単に指先まで覆い隠す。成長するかもしれないからとワンサイズ大きい物を用意してくれたのだが、その気遣いが今は防寒の役に立っている。お陰で指先まで温かい。
「最初だから、今からは筋トレをするんだけど。できる?」
「できません」
「やる前から諦めんなぁ!?」
「じゃあ“できる?”って聞かないで下さい」
ブフッと吹き出すように笑われ、手に持っていたボードで頭を軽く叩かれた。だけど全く痛みを生まないその無駄な行為に、思わず笑いが零れてしまう。
「筋トレ、後ろで無理せずやって。無理なら座ってて良いから」
「無理しそうなので最初から座っておきます」
「お前な~~~!!」
笑いながらまたボードで私の頭を叩いて「集合!」と言いながらステージの方に向かって歩いて行った。
まだ肌寒いのに、半袖Tシャツにハーフパンツの佐藤先生。見ているこっちが寒く感じる服装に何故か私の鳥肌が立つ。
スクワットから始まり、腹筋、背筋と続ける先生。それに付いていく同級生たちだが、案の定私は途中離脱。最初2回でもやっただけ上等でしょ。そう自己完結させ、集団の隅っこで体育座りをした。みんな悲鳴を上げながら回数を増やしていく。その様子を空気のように存在感を消して傍観していた。
授業が終わって解散になった時、先生は「森野!」と一言叫んで、私の行動を静止させた。その場で立ち止まると、走って来た先生に頭をポンッと1回叩かれる。
「頑張ったじゃん」
「……2回で、褒めてくれるんだ」
「2回でも良い。挑戦することに意味があるだろ」
かつてそんな言葉を掛けてくれた人が居ただろうか。ニヤッと微笑む先生に向かって私もそっと微笑む。何も聞かず私のことを理解してくれる優しい人。私のことなんて誰も気にせず、放ってくれていたら良いのに。そう思っていたのに、気に掛けてくれるこの人物の存在が妙に嬉しく感じた。
運動が苦手な私を褒めてくれた人なんて、これまでに1人もいなかった。だから余計に嬉しく感じるのだと思う。
先生と一緒に体育館の外に出た途端、校庭側から校舎に向かってビューッと強い風が吹いた。その強い風に乗って飛んでいく、数も少なくなった桜の花びらたち。ふわっと空高く舞い上がり、青空に浮かぶピンク色が映えて綺麗。
幻想的に感じる光景に目を奪われていると横で先生がフフッと小さく笑って、私と同じように青空を眺める。「日頃、空なんて見ること無いな」と小さく呟いた先生の言葉には何も返答せず、黙って空を眺め続けた。