文化祭が終わり、吹奏楽部は一気のコンクールモードに入った。
 しかしこの日の部活終わり、顧問が難しそうな表情をしていた。
「みんながコンクールモードに入って部活に熱心になっているのはよく分かる。ただ……もうすぐ期末テストがあるってことは分かるよな?」
 顧問の言葉に響は若干表情が引きつる。
(あ……)
 現実逃避をするかのように、目線を天井に向けた響。
 勉強はきちんとしていたので、中間テストの点数はそこそこ良かった響。しかし、期末テストの方が出題範囲は広い。よって中間テストと同じ感覚で挑んだら点数や順位落ちることは確実だ。
(勉強そろそろ始めないと)
 響は中学では当たり前のように学年五位以内に入っていた。しかし偏差値七十二の音宮高校では必死に頑張ってもせいぜい三百二十人の中で八十位から百位あたりをウロウロしている程度だ。上には上がいることを思い知った響である。
 諦めたように心の中でため息をつき、視線を顧問に戻した。
(蓮斗はよく学年一位キープ出来てるよな。風雅も何だかんだ学年五十位以内には入ってるし)
 響はチラリと後ろの方楽器を置いて座っている蓮斗と風雅に目を向けた。
 蓮斗は期末テストの話をされても涼しい表情だ。風雅はやや怠そうな表情ではあるが、きっと今回も上の方の成績を取るだろう。
「分かってるよな? 特にパーカッションの昼岡徹!」
 顧問は徹を名指しした。
「何で俺!?」
 嫌そうな表情の徹。
「お前は一年の時から成績が学年最下位だっただろうが!」
「先生、それ名誉毀損! この前の中間は三百二十人中三百十七位! 最下位じゃなくて下から三番目だし!」
 ドヤ顔の徹。しかし、威張って言うことではない。
「下から三番目とかダサ過ぎ」
 彩歌が馬鹿にしたように笑っている。
「おい天沢! あんまり俺を馬鹿にすんな!」
 彩歌の態度にドラムスティックを飛ばす勢いの徹である。
「昼岡、騒ぐな。とにかく、お前は去年夏休みの補習に引っかかっていたな。今年のコンクールは昼岡がドラムやるから補習とかで抜けられたら困るんだ。しっかりしてくれ」
 顧問はそう呆れたようにため息をついた。
「昼岡以外も、しっかり勉強して夏休みの補習には引っかからないように!」
 顧問は部員全体を見てそう言った。部員達は「はい!」と返事をしたところでこの日の部活は解散になる。
(徹とは一年の時同じクラスだったけど……確かにあいつの成績はヤバかった……。まあ俺も自分の成績気にしないといけないけれど。数学でつまずいた部分あるし)
 響は帰る準備をしながら思い出していた。
 その時、響と同じように丁度帰る準備をしていた蓮斗が目に入る。
(そうだ、蓮斗に聞いてみよう)
 響は荷物をまとめ、蓮斗の元へ向かった。
「蓮斗、今いい?」
「おお、響か。いいけど、どうした?」
 蓮斗は一旦手を止め、響に目を向けていた。
「いや、数学で分かんない部分あって、時間あればちょっと教えて欲しいんだけど」
 やや遠慮がちに頼む響である。
「ⅡかBどっちだ?」
「Bの方。ワークのこの問題で」
 響は数学Bのワークの問題を開く。
「おーい、蓮斗! 俺にも教えてくれ! 夏の補習回避の為に! 勉強せず楽に点数取れる方法ない?」
 そこへ徹もやって来た。勉強は嫌いだが、流石に補習になるのも嫌みたいだ。
「勉強せずに点数取れるかよ。お前はまずどこが分からないのかすら分かってないだろ。俺は今、響に教えてるからお前は後だ。その間にどこが分かってないのか確かめろ」
 蓮斗は呆れ気味にため息をついた。
「えー……。とにかく分からないから教えてくれ。頼むよ、蓮斗先生ー!」
 縋りついて騒ぐ徹である。実は一年生の時からこの調子なのだ。
 そこへ風雅が加わり助け舟を出す。
「それなら土曜日勉強会でもするか? 市内で一番でかい中央図書館とかで。俺、元々土曜は図書館で勉強する予定だったし」
「……まあ図書館なら息抜きに本も読めるし、良いかもな」
 蓮斗が少し考えた後、納得したように頷いた。
「響の数Bも、詳しい解き方とか考え方はそっちの方がゆっくりと教えられるけど」
「それなら土曜日でよろしく」
 響は蓮斗に対してそう頼んだ。
「なら俺分かんねえ科目全部持っていくわ」
 藁にもすがるような思いの徹である。
 こうして、響達男子四人は土曜日に市内で一番大きな中央図書館で勉強会をすることになった。

 そして土曜日になった。
 中央図書館前で響達四人は唖然としている。
 目の前には『本日臨時休館』の札。
 システムエラーか何かで突如休館せざるを得なくなったらしい。
「図書館の公式ホームページや公式SNSでの連絡も少し遅かったからな」
 風雅がスマートフォンを見て軽くため息をついた。
「マジか……」
 響は暑い中駅から歩いた疲労が一気に襲って来たような気分になった。
「涼しくて勉強スペースがある場所……この辺にはなさそうだな」
 蓮斗は四人で勉強出来そうな場所があるかをスマートフォンで調べていた。しかし、良さそうな場所はない。
「何か勉強する気失せた。四人で遊ばね?」
 一番勉強しなければならない徹がこれである。
「元はと言えばお前に勉強教える為だろうが」
 呆れながら徹を小突く蓮斗。
 その時、キーッと響達四人の背後で自転車のブレーキ音がした。
 四人は振り返る。すると、そこには意外な人物がいた。
「おお、律か」
 響はまさかここで律に会うとは思っておらず、意外そうに目を丸くしていた。
「こんにちは、先輩方。……もしかして図書館休館だったりします?」
 律は立ち尽くす響達を見て恐る恐るそう聞いてきた。
「残念ながらな。公式ホームページや公式SNSもちょっと連絡が遅かったみたいだ」
 風雅が苦笑しながらスマートフォンの図書館公式ホームページを律に見せる。
「想定外でしたね……。本を返すついでに勉強しに来たのですが……。家だと少し騒がしいですし」
 こうして律も勉強場所難民と化した。
(勉強場所……一番近い風雅の家は今日は無理らしいし、俺の家と蓮斗の家は少し距離がある。徹も家狭いとか言ってるしな)
 響は勉強場所を必死で考えた。その時、ある場所が思い浮かぶ。
(あの子の家なら広いしまだ近い。いや、でも迷惑かな……?)
 そう迷いつつも、響はスマートフォンを取り出しある人物に連絡をした。
 すると、意外にもあっさりOKの返事が来た。
「あのさ、勉強場所なんだけど……」
 響は新たな勉強場所としてとある人物の家を提示する。
 すると、皆意外そうな表情になった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 この日、奏は自宅の自室で少し悩んでいた。
(進路か……)
 奏は学校で配られた進路希望調査票を眺めてぼんやりとしている。
 頭の中に浮かぶのは、幼い頃に響と一緒に二重奏をした思い出や初めて出場したフルートのコンクールのこと。そして、中学一年生の時の挫折や再び響と二重奏をしたこと。フルートや音楽から離れていた時期もあるが、奏の人生は基本的に音楽とは切り離せないものだ。
(普通の大学か、音大か……)
 奏は軽くため息をつく。
 その時、スマートフォンに連絡が入った。
 彩歌からである。
 この日、奏の両親と祖父母は用事があり、帰って来るのは夜になる。だから奏は彩歌と一緒に家でテスト勉強をする約束をしていたのだ。
 彩歌からのメッセージは「着いた」と一言。奏は二階の自室から出て一階の玄関を開ける。そのまま広い庭を通り、門の前にいた彩歌を見つけると表情を綻ばせた。
「彩歌、いらっしゃい」
「お邪魔しまーす。五月の中間テスト振りの奏の家だね。あ、これお土産。うちのお母さんが買ったクッキー」
「ありがとう、彩歌。彩歌のお母さんってお土産選びのセンスが良いから少しワクワクしてる」
 奏は表情を輝かせながら彩歌からお土産の紙袋を受け取る。
 二人は広い庭を通り、ようやく玄関までたどり着いた。
「うちのお母さん、趣味のお菓子作りの為に色々なお店のお菓子食べて研究してるからね」
 ややドヤ顔の彩歌。しかし、玄関の様子を見て怪訝そうな表情になる。
「待って、何か男ものの靴多くない?」
「ああ、一応彩歌に連絡しようと思ったところだったけれど……」
 奏は少し申し訳なさそうに微笑み、どう説明しようか迷っている。
「実は響先輩から連絡があったの。響先輩達、中央図書館で勉強しようとしていたみたいなんだけど、今日図書館臨時休館になったみたいなの。それで、私の家で勉強して良いかって……」
 奏は困ったように苦笑し、上目遣いで彩歌を見る。
 図書館臨時休館で困った響が連絡したのは奏だったのだ。
 すると全てを察した彩歌は何も言わず、大股歩きで奏の家のリビングに突入する。
「今すぐ奏の家から出て行けクソ野郎共!」
 リビングに入り開口一番それである。
 響達は突然の言葉に驚き、肩をピクリと震わせ彩歌に目を向ける。隣の徹はあまりの驚き具合にすっ転んでいた。
「天沢さん……」
 目を吊り上げ仁王立ちの彩歌に、響は若干顔を引きつらせていた。

 結局、奏と彩歌の邪魔をしない条件で響達は奏の家での勉強を許してもらえることになった。もちろん、彩歌が出した条件ではあるが。
 こうして、奏の家で勉強会が始まる。
 奏、彩歌、律達一年生は自分のペースで問題なく勉強を進めていた。
 響達二年生は徹の面倒を見ながら自身の勉強を進めていた。
 響も数学Bの分からない部分を蓮斗に聞いてワークの問題を解いていた。
 奏にとっては見慣れたリビングでいつもの空間である。だから他の皆がいてもいつも通り集中出来た。一方、他のメンバーは最初この高級感あふれる空間に呑まれそうになっていた。しかし、次第に自分の勉強に集中出来るようになったようだ。

「あー、疲れたー」
 しばらくすると、徹がシャーペンを置き、座ったまま軽くストレッチをする。
「徹が一時間半も集中するなんてな。明日は大雪か?」
「おい風雅、どういうことだよ?」
 風雅にムッとする徹。
 風雅が言った通り、勉強開始してから一時間半が経過していた。
「まあ一時間半勉強したから、少し休憩するか」
 蓮斗も丁度問題を解き終えたようでシャーペンを置く。
「何かいつもより集中出来たかも」
 響はふうっと深呼吸をした。
「せっかくですし、紅茶出しますね」
 奏も数学Aの勉強を終え、ゆっくりと立ち上がりキッチンに向かう。
 すると、響もすぐに立ち上がった。
「かなちゃん、じゃあ俺手伝う」
「ありがとう、響くん。あ、ごめんなさい。敬語が抜けていました」
 自宅なのでリラックスしていた奏は、他の部活のメンバーがいるにも関わらず響のことを「響先輩」ではなく「響くん」と呼んでしまった。
「いや、今学校とか部活じゃないから、気にしないで。このコップで良いのかな?」
 響は優しく笑いながらコップを出そうとする。
「はい、それを七つお願いします。私、お湯を沸かしていますから」
 奏は電気ポットのスイッチを入れた。
「大月さん、俺も手伝えることある?」
 いつの間にか律もキッチンにやって来ていた。
「浜須賀くん……じゃあ、棚の上にある紅茶のパックを取ってもらえる?」
「これだね?」
「うん、ありがとう」
 比較的長身が高い律にとっては朝飯前の行動だ。奏は律から紅茶のパックを受け取る。
 奏はガラスのティーポットに紅茶のパックとお湯を入れ、一分間蒸らしていた。