「そうなの?」
「はい。でも、残念ながら気づくのが遅かったようで、心配してくれていた人を悲しませたままになってしまいました」
「それは?」
「母です。きっと、僕のことを心配していたと思います。でも、もう僕は母と話をする事が出来ません」
「それって……? そう、そうなのね」

 母は目を伏せる。何かを考えているようだった。

 その時、脱衣所の方から乾燥が終わったことを知らせる電子音が聞こえてきた。

「あら? 服が乾いたようね」

 母は席を立ち、脱衣所の方へと足早に向かった。

 僕は、母が好きだというオクスス茶をコクリと飲む。

 うまく話せただろうか。少しでも僕の気持ちは伝わっただろうか。

 ボンヤリと考えていると、乾燥したての僕の服を抱えて母がリビングへと戻ってきた。

 手渡された服はまだ暖かく、いつまでもこの暖かさに包まれていたいという思いが頭を過ぎる。

 温もりを感じていると、咳払いが一つ聞こえてきた。視線を向けると、事務官小野が無表情のまま腕時計を指でコツコツと叩いた。

 そろそろ本日の業務終了時間ということだろうか。

 僕は慌てて着替えを済ませると、母に声をかけた。

「服、ありがとうございました」

 借りていた服を母に手渡す。

「いいのよ。気にしないで」
「あの、僕はそろそろ……」
「ああ、そうね。私も夕飯の準備をしなくちゃ」

 母は、チラリと壁に掛かっている時計へと目をやる。つられて僕も室内へと視線を(めぐ)らした。

 もう僕がこの空間に足を踏み入れることはないだろう。

 母と連れ立ち玄関へと来ると、僕は心の中で我が家に別れを告げた。

「それじゃあ、僕はこれで……」
「……あなたと話せて良かったわ。ありがとう」

 テッテレ〜〜

 僕は笑顔で母に一礼すると、玄関のドアを押し開けた。

 雨は上がり、外はとうもろこし色をした光に包まれていた。

 自宅を出ると、事務官小野が相変わらずの事務的な声で研修の終わりを告げる。

「では、これにて本日分の研修を終了とする。まずは宿泊所へ戻る」

 そう言うと事務官は、こちらの気持ちの整理など全く考慮せず、両手を軽く上げるとそれぞれ左右の指を一度ずつパチンパチンと鳴らす。

 僕の周りの景色は瞬時に消え去り、白一色の世界へと様変わりした。

 自室として充てがわれている部屋の中央辺りで立ち尽くす僕の対面に立つ小鬼が、事務官の足元から声を掛けてきた。

「お疲れ様でした〜。古森さ〜ん」
「ああ。うん」

 少し惚けた返しをする僕を引き締めるように、事務官の声がする。