「いや、そういう訳ではないけど、もしもそういう仕事があるなら、小鬼にも現世の川や海を見る機会があるのかなぁと思ってさ」

 僕の言葉に、小鬼は目を丸くしてさらにキョトン顔を濃くする。しかしそれは一瞬のことで、すぐに満開の花が咲いたように笑顔になる。

「僕のことを考えてくださるなんて、お優しいんですね〜。古森さんは〜」
「別に、そんなんじゃないよ。ただ、気になっただけ」
「ありがとう〜ございます〜」

 小鬼は、フフっとはにかむように笑う。

「でも、残念ながら区役所にはそういったお仕事は無いんですよ〜。死神さんはいますけどね〜。また別の機関のお仕事なのです〜」
「そうなのか……」
「あ、でも、小野さまくらい上級の事務官になると、特別任務で現世へ行くことはありますよ〜。僕のような下っ端ではまだまだですが……」

 小鬼は照れたように片頬をポリポリと掻きながら、土手の上にいる事務官小野へと尊敬の籠もった眼差しを向ける。

 僕もつられて土手の方へと視線を向けた。

 事務官小野は相変わらず腕を組み、土手の上で仁王立ちになっている。

 そんな彼の目の前を、突然一人の女の人が横切り、慌てたように土手を駆け下り始めた。何やら必死に叫んでいるようだ。

 なんだろうと思い、その女の人を注視していると、買い物帰りなのかふっくらと膨らんだ薄手の袋を肘にかけ、土手の草や石に足を取られながら懸命にこちらへ駆けてくる。

 まだ距離があるというのに、僕はその人が誰であるかに気がついた。

「……母さん……」

 僕の呟きを拾い上げるように、足元で小鬼が立ち上がる気配を感じたが、僕はこちらへ向かってくる母親から目が離せないでいる。

 その場で立ち尽くす僕のもとへ、買い物袋をぶら下げた母が息を切らしながらやってきた。

 突然の出来事に何を言えば良いのか分からず、肩で大きく息をしている母親の姿を、僕はただ両目に映していた。

 そんな僕に見つめられながら、母は息を整えることもせず、突然怒鳴りつける。

「あなた、こんな所で何をしているのっ!」
「えっ?」

 いきなり目の前に現れた母親に、訳も分からず怒鳴りつけられた僕の思考は瞬時にショートした。

 しかし、そんな僕を引き戻すかのように、足元にいる小鬼が僕の右脹脛(ふくらはぎ)をチョンチョンと突く。

「古森さん〜。このご婦人は、お母上なのですか〜?」
「あ? ああ」
「そうですかぁ〜。しかしお母上は、何故こんなにも怒っているのでしょう〜?」
「さあ? なんでだろう?」