怒られたのは弟のせいなのだと腹を立てた僕は、しばらく弟のことを無視した。そしてまた母さんに物凄く怒られた。

 そうだ。小さい頃にそんな事があった。しかし、その時の結末はどうだったか全く覚えていない。もしかしたら、今のように弟は僕のために新しい風船を用意してくれていたのかもしれない。

 小さな弟の一生懸命な思いを目の当たりにした今、僕は当時のことを覚えていないことを少し残念に思う。そして、今度はこの思いを覚えていたいと思った。

 僕は膝を屈め小さな弟と視線を合わせる。

「そっか。にぃににあげるのか。えらいぞ」

 褒めながら弟の頭をワシャワシャと撫でると、弟はとても嬉しそうに笑った。

「あっそうだ。おにいちゃんには、コレあげるね」

 弟はズボンのポケットから何やら取り出すと、グーに握った手を突き出す。僕が手のひらを開いて差し出すと、そこに弟の手の中の物が転がり落ちてきた。

 それは、包装にりんごの絵が描かれたキャンディだった。

「いいの?」
「うん。あげる」
「ありがとう」
「じゃあね。バイバーイ」

 僕がお礼を言うと、弟はニコーっと笑ってから大きく手を振ってコンビニの中へと駆けて行った。僕は手の中の物を握りしめながら、弟の姿を視線だけで追いかける。その時、足元から小鬼の声がした。

「古森さん〜。お疲れ様でした〜」
「えっ?」
「やればできるじゃないですか〜。これにて、本日の研修は終わりになります〜」
「えっ? 終わったの?」
「はい~! あれ~? もしかして古森さんには研修内容をクリアした際の音、聞こえませんでしたか~?」
「音? もしかして、『テッテレー』ってやつ?」
「そうです~」

 僕の音真似に、小鬼は当たり前という顔で頷いている。しかし僕はそんな説明は全く受けていないのだ。知るはずがない。本当にこの小鬼は困ったやつだ。

 僕が呆れと脱力の入り混じった視線を向けているのに、小鬼は素知らぬ顔で話を進める。

「では、戻りましょうか~」
「戻るってどこに?」
「冥界区役所の宿泊所ですよ~」
「じゃあ一度、僕の部屋へ帰ればいいんだね」
「違います~。冥界区へ戻ります~」

 どうも会話が嚙み合わない。僕も小鬼もお互いに首をかしげる。

「ここへ来たとき……ええっと、転送だっけ? 僕の部屋だったじゃないか。だから、戻るならスタート地点へ戻るんじゃないの?」
「なるほど~。でも、古森さんのお部屋へ戻る必要はないのです~。というか、お部屋へ戻る時間はもうありません~」