「まだ、神無月に入ったばかりなのに、夜になると冷え込みますね......」


 秋の終わりを感じる風が渡殿を抜けていく。

 上は何枚か着物を着ているが下は袴だけでかなり寒い。

 文明発達したどこかにある床暖房なんて存在しないので板間の床が冷たい。

 まだ、冬でもないのにここまで寒く感じてしまうと本格的な冬が来たらどうなってしまうのか。

 内裏の冬を越えることに不安しかない。

 言ってしまえば、後宮で冬を過ごせない自信がある。


 「卯紗子、冬の間、ここから出れたりしない?」

 「来たばかりの女御が出たら、子が出来たと勘違いされますよ?杏子様、私が暖かく感じてもらえるように頑張ります!」

 「卯紗、今日からでもお願い」

 「まっかせてください!主である杏子様の期待に応えるのが私の仕事です。舎に付いたらすぐに火鉢の準備をしますね。あ、見て下さい。弘徽殿まで来ましたよ」

 「ここが?」


 飛香舎よりも一回り程大きい建物が右手側にあった。

 渡殿から見える庭には華やかを通り越して派手過ぎる花や植物が植えられていた。

 長押から垂れさがる布、壁代も下地が白だけど模様に明るい色が何色も使われているせいで、目が痛くなる。


 「あら、飛香舎様?何故そちらからきているのですか?あ、わたくしに会いに来てくださったとか。嬉しいです!そういえば、兄上が返事を持っていましたよ。もし良かったら書いて下さいな。もしかしてもっと兄上の返事がほしいですか?わたくしが頼んでみますね。それで」


 またあの文が届くのか。

 火鉢の燃料が増えると思って喜んでおこう。

 でも、今はそんなことよりも

 (寒い......)

 立ち止まったせいで体温が上がらず、体が冷えてきた。

 (後どれくらい続くんだろう?)

 寒い外の中が終わりが見えない話に付き合わされるこちらの身にもなってほしい。

 ただ立っているよりも、何かした方が寒さが和らぐかもしれない。

 周りを見ると、ちょうど良さそうな時間潰しにできる物があった。

 弘徽殿が着ている着物の柄を数えるのが簡単そうに見えて難しい。

 柄が重なっていると数えづらい。

 中々やり応えがあって楽しい。


 「ー。では、楽しみにしていますね」

 「は、はい......?」


 何を話したのか知らないが、これで拷問のような時間は終わった。

 早く家に帰ろう。

 弘徽殿が後ろを向いた時には、杏子と卯紗子は走っていないぎりぎりの速さで移動していた。





 飛香舎の庭に帰ると、


 「どこに行っていたんですか?女御様、卯紗子。舎にいなかったから、食事は後で持って行くそうだ。女御様が来たことだし運ぶように伝えてくわ」

 「ありがとうございます、柏陽兄さま!」


 弘徽殿とは違って話が短く、こちらが話す間を作ってくれる兄に感動する。


 「どうしたんだ?何かあったのか?」

 「話たいことは山々なんですけど、色々あって体を温めたいのでもう少ししたらで良いですか?」

 「ああ。もちろんだ」





 柏陽の許可を貰って中に入ると、


 「すぐに準備しますね」

 「お願い」


 卯紗子がすぐに準備するほど寒かった。

 ほぼ外のような渡殿と比べたらまだ暖かくは感じるし、床は畳なのでそれほど冷たくない。

 だが、風通しが良すぎて外からの冷風が中に入って来る。

 (もう我慢できない)


 「卯紗。わたくしもやる。一人で準備をするより二人でした方が早くできるもの。わたくしが炭を持って来るので、卯紗は寒い中悪いんだけど火を持って来てくれる?」

 「杏子様......!では、外に行って来ますね!」


 卯紗子がいなくなって、杏子は物置になっている隣の部屋から炭をいくつか持ってきた。

 火鉢の中に入っている灰を綺麗にならしてその上に五つの炭を中心におく。


 「杏子様、火、入れますね」


 小さな松明を持って帰って来た卯紗子が炭に火をつける。


 「これで火鉢が出来た!まだ冷たいけど、もう少ししたら暖かくなるよね」


 かじかんでいる手がじんわりと暖かくなっていく。

 部屋はまだ冷たいが、火鉢周辺はすでに暖かくなってきていた。


 「女御様、食事持ってきましたよ」

 「今行きますね、柏陽様」

 「卯紗。柏陽兄さまに上がるよう言っといてくれる?話たいことがあるから」

 「分かりました」


 しばらくするとお膳を持った卯紗子と柏陽が帰って来た。

 今日の食事は、いつも通りの少し固めなお米が主食。

 主菜は焼き魚に何かの肉。

 川で釣った魚を干物にして、狩りで取った物を出したのだろう。

 副菜に野菜のおひたしに漬物に他もろもろ。

 その奥にはもち米の粉を練って焼いた煎餅のようなものが置いてあった。


 「女御様ってこのような物を食べていたんですか」


 杏子や柏陽、卯紗子の家ではこんなに品数がある料理を目にしたことがなかった。

 基本的に一汁三菜。

 白い米ではなく、玄米に、その日取れた物を使って作る汁とおかずに長持ちする漬物。

 上流階級の貴族とは思えないほど質素な物を食べていた。


 「わたくしも最初出された時、驚きました。いつも一人で食べきれないので卯紗子と一緒に食べているんです。でも、わたくしは正直に申しますと家の方が美味しい」

 「こちらの食事は豪華ですけど冷たいんですよね」

 「......毒見をしているから、か」


 階級が上がるほど毒を盛られる可能性がある。

 何人かの人が確かめる分だけ時間がかかり、せっかくの暖かい食事が冷めてしまう。

 杏子の家では出来立ての食事が出されていたせいか、冷えた食事がどれほど味が落ちているのかを実感する。


 「毒見なんて必要ないんですけどね。だって、毒が入っているくらい自分で見抜けますもの」


 杏子の家でほかほかのご飯が出てきた理由。

 それは、毒見をしていなかったから。

 自分たちで毒入りなのか判断できるので必要がない。


 「一見普通に見えても、気で直ぐに分かる。だって、それは所有物なんだから」


 言葉に責任を持つという言葉がこの世の中に存在するが、それはあながち間違いではない。

 そして、言葉だけに留まる小さな話ではない。

 一度話してしまった言葉、一度触れてしまった物。何だったら自身の行動も入る。

 だって、それらは全て自身がしてしまったこと。

 物のように分かりやすくなければ、気づくこともできず、目に見ることもない。

 だが、それら全てには所有者がいる。

 この世に解き放してこの世界に生み出した者がいるから。

 所有者を気として見ることができるのが、杏子、柏陽の実家である九条家だった。

 初代帝の時代から今までずっと帝の傍に仕え続けていた家。

 でもそれは表の姿。

 裏では、全ての行動は自身の所有物という理に従って呪いをかける術師、呪師の家。

 呪いを含む黒魔術は帝によって禁止されているが、唯一許されている。

 帝を含む皇族に害意を生す邪魔者をいつでも排斥できるように。


 「柏陽兄様。実は調べて欲しいことがあるのです」


 誰が邪魔者になるのか分からないのと、相手を確実に失職させるためには、情報取集は必至。

 武官側では兄の柏陽が、文官側では父ともう一人の兄、右近が、貴族女性の方は母と祖母が、後宮に関しては杏子が、家族総出でやっている。


 「誰か呪いたいのか?」

 「まさか。ただ知りたいだけですよ?」

 「本当ですか、杏子様?」


 杏子は完全に呪いをすると思われているようだ。

 ただ単純に調べたいのにそこまで疑われるとは、一体何をしたんだろうか?


 「ほんとだよ!淑景舎様と弘徽殿様について調べたいんです。こちらからも調べるのですが、後宮は陰謀が巻き、自分にとって都合のいいような噂が流れるところ......。人の主観が入っていて事実かどうか照らし合わせないといけないんです」

 「......思った以上にやばい世界なんだな。分かった。今からでも調べよう。卯紗子、紙と筆、針を取ってくれ」

 「分かりました!すぐに持ってきますね」


 卯紗子が隣の部屋から上質な紙に筆、なんで妃の部屋にあるのか分からない鋭利な錐を持ってきた。


 「よくこんな錐、持って行けたな。東宮の反逆を疑われてもおかしくないぞ?」

 「東宮と帝にはすでに伝えていますし、ただの棒にしかみえないので大丈夫です」

 「蓋さえすれば、ですけど。あの柏陽様は何を書いているのですか?」


 柏陽は卯紗子が持ってきた紙に漢字とも仮名文字とも言えない文字を書いていた。

 これだけでも不快感が募ってくる。


 「卯紗、これは呪文を書いているの。柏陽兄さまの字が少し達筆で癖があるので読めなくても仕方ないです」

 「......字が汚いということか?」

 「そんなこと言っていませんよ」


 (ばれたか)

 にこにこ笑って杏子は誤魔化す。

 でも柏陽の字が乱雑なのは事実。

 慣れている杏子でも読みにくい。


 「あ、あの、柏陽様、この針は何に使うのですか?」


 火鉢のおかげで暖かくなってきた空気が極寒に変わる時、卯紗子が柏陽に質問をした。

 杏子と柏陽の喧嘩は冷たい。

 いつもは中間に右近がいて収めてくれるが、今日はいないのでかわりに卯紗子がすることになった。

 上流貴族の兄弟喧嘩の仲裁......。

 女房である卯紗子の命がいくつあっても足りないことにはたして当事者達は気づいているのだろうか?


 「ん?それは今から使うんだ。杏子、卯紗子の前でしたことないのか?」

 「わたくしが昔一人でやったら大変なことになったので、わたくしは父上か母上か伯母上の前でしか出来ないのですよ」

 「そういえばそうだったな」

 「私が杏子様に引き取られる前に何をしたんですか?」

 「それは」

 「柏陽兄さま!それ以上はだめです」


 (私の黒歴史が......)


 「別に良いだろう。あれは」

 「柏陽お兄様!義姉様を呼びますよ?」


 こうなったら最終手段。

 柏陽の幼馴染で未来の姉に手伝ってもらわねばならない。


 「おい⁉なぜそこにあいつが出てくるんだ⁈」

 「妹のお願いを聞いてもらえないのなら、姉に相談するしかないですね」


 柏陽の幼馴染は柏陽よりも年上で杏子の姉みたいな人。

 暴走しがちな柏陽と杏子の手綱を握っていられる肝っ玉で、まだ結婚はしていないが杏子の家ではすでに家族同然の扱いを受けている。


 「......分かった。卯紗子、話すのは今度で良いか?」

 「私はただの興味で聞いてしまっただけですので、構いませんが、大丈夫なんですか?」

 「......なんとかする。えっと、呪文を書くとこまでいったら、この針を指に刺す」


 柏陽は躊躇なく針を親指に刺した。

 すると、穴からは溢れんばかりの朱色をした液が出てきた。


 「この血は誰がやったかの証であり責任となるの。文字の傍に付けて折れば完成」

 「......見るからに痛そうですね」


 傷自体は小さいが液の通り道に刺したのかまだ流れている。

 乾ききっていない墨の上に押したのか、柏陽の指は黒く、まだらに朱が入っているので、慣れていない者は見るのを躊躇ってしまう。


 「柏陽兄さま、外で手を洗ってきてください。折るぐらいわたくしがしてもいいでしょう?」

 「そうだな。それぐらい大丈夫だろう。卯紗子、杏子がおかしなことをし始めたらすぐに止めろ」

 「かしこまりました」


 忘れずに注意勧告をして柏陽は部屋から去った。

 (そんなに言わなくても大丈夫なのに)

 杏子が幼少の頃にしたことの印象が強すぎて未だに一人で呪いをすることを止められている。


 「折るだけでもできるようになった、と前向きに考えましょう」


 杏子は慣れた手つきで紙を綺麗に折っていく。

 杏子の手から生み出されたのは


 「鶴、ですか」

 「鶴は空を飛べるし、人に見つかっても問題にならないの。鶴よ」


 杏子が折り鶴に声を掛けた瞬間、鶴が動き出した。


 「淑景舎にいる雪子を監視をしなさい」


 その命令に心得たと言うように、翼をはためかせて部屋から秋空へ飛んでいった。


 「さて、もう一つ作らないとね。まだまだ夜は長のよ、卯紗」

 「分かっていますよ、杏子様。杏子様がそのような顔をしている時はいつも徹夜ですから」

 「さすが、私の女房ね」


 そう言った杏子の顔は好奇心が抑えきれていなかった。