日が空の真上にある頃、
「眠い......」
昨日は太陽が昇るぎりぎりまで起きていたため、生活が乱れてしまった。
「飛香舎様、文が届いております」
「飛香舎様?」
「わたくしがここに住むことになったから、そう呼ばれるのね。卯紗、文を取ってきてくれる?」
親しい人以外、名前は教えない。
言葉には力があるそうで、名前を呼ばれると人格を支配される......らしい。
もちろん、杏子や卯紗子は全く信じていないので、卯紗子には名前で呼んでもらっている。
人格の支配、そんなことはまだ一度も起きていない。
そろそろ起きないかなと杏子はひっそり楽しみに思っていたりする。
「え⁉」
「どうしたの?卯紗」
文を取りに行った卯紗子の悲鳴のような声が外から聞こえる。
何かあったのでは⁈
不安と興味で混ざった感情を持ちながら、外に出ると見慣れた人物と卯紗子が見えた。
「卯紗子がいるってことは、ひょっとすると中にいるのって」
「柏陽兄様!」
「お、杏子。じゃなくて今は女御様か。たくさんの文が届いてますよ。今この場で焼きましょうか?」
にこやかな顔をしているが、目は笑っていない。
「待って下さい。中身を確認してから燃やします」
卯紗子から、紫の桔梗に結ばれた文を開くと、
(行きたくないんですけど)
東宮直筆の文字が羅列していた。
秋は月が綺麗とか書いてあったが、簡単にまとめると、今日の夜に東宮主催の遊びが開かれるらしい。
遊びとは詩歌に管弦、舞などをして楽しむこと。
東宮主催の遊びとなると、自分の特技をみせる発表会に近い。
どれも知識や技能が必要なので、妃の教養と賢さが試される。
そのため、格付けの基準となり、誰が中宮候補なのか大体決まってしまう。
一度決まると覆すのは困難。
きっと後宮の花々は死に物狂いでくるだろう。
(どうやって休もう?)
東宮主催の遊びとなると断りにくい。
ただの熱だったら這い上がっても行かないといけないほどなので、そんじょそこらの言い訳は効かない。
別に琴を弾くのは嫌いではないし、杏子の他にいる女御や更衣に会ってみたい。
だけど、あの重い服を着ていくとなると行きたい気持ちが消滅する。
「風邪ひきたい......。中止するほどのことが起きて欲しい......」
「何か良からぬことが書いてあったのですね。直ぐに燃やしましょう」
「......燃やしたら、いけないものです。差出人は東宮でした。今日の夜、東宮主催の遊びがあるそうです」
東宮の文を燃やしたら不味い。
それぐらいの常識は持っている。
「それって、あの正装を......?」
「たぶん」
目に見えて落ち込む杏子と卯紗子に、なんでそんなに元気がないのか男である柏陽は全く検討もつかない。
「えっと......ほら、女御様。こっちにも文はありますよ」
撫子に結ばれた文と紅葉の絵が描かれた文。
開けやすい紅葉の方から見ると、和歌が書いてあった。
それも上の句のみ。
この歌は世に知られていない知る人ぞ知る歌で、相手の教養が高い証拠である。
(これはお返しをした方が良いわね)
「柏陽兄様、一旦席を外しますね。残りの文も下さい。中で見たいので」
「おう、分かった」
「杏子様、紙と墨を磨ってきますね」
「ええ。ありがとう」
何も言わなくても主がしたいことを察する万能女房である。
「それでは、また夜お願いします」
「任せてください、女御様」
部屋に戻ると、既に準備は整っておりいつでもできる状態になっていた。
向こうが書いた和歌は、直訳すると秋の花の数を指折って数えています。
(確かこの下の句は七種類の花があるみたいな言葉が来るけど......)
そのまま書いても、工夫がない。
ここはもうひとひねりしたいところ。
「花......。うーん......」
(そういえば、前に読んだ物語で帝の妃が花に喩えられていたっけ......)
立場的に杏子が書くわけにもいかないので、質が悪い紙に返歌と一言書くと
「ねえ、卯紗。これを書いて、相手に渡してくれる?」
「これは......花は妻に喩えたのですか」
「ええ。だって卯紗。この人、女たらしで有名な人よ?前に柏陽兄様に教えてもらったの。教養は高いけど奥さんが大勢いるって」
「だから、この一言なんですか」
杏子の返歌にそっと置かれた一言は一見穏やかに伝えているが実際は違う。
「そうそう。たくさんの奥さんがいるけど、奥さんは愛想つかしてるよって書いた。まあ、伝わんなかったらでいそれでいいんだけどね。率直に意味を取ると、たくさんの花があります。でも一本の花は枯れてますよって感じかな」
「男性は女性の恋の辛さなんて全く知らないですからね。書き終わったので、柏陽様に送っときますね」
「お願いね」
今や男尊女卑の時代。
それは結婚にも表れる。
一夫多妻制の世の中、男は数多の妻がいて当たり前。
夫が来ない夜は自分ではない他の姫君のところに行っていると思うとそんな事実に耐えられなくて、相手に嫉妬してしまう。
全ての決定権がある男は分からない。
恋する乙女の辛さ、苦しみが。
理解することもできない。
「......恋の苦しみが分からないわたくしが他の方のところに夫が行って欲しいって願っていいのかしらね」
昼間だというのに光が入らない部屋で杏子の声は誰にも聞かれることがなかった。
「眠い......」
昨日は太陽が昇るぎりぎりまで起きていたため、生活が乱れてしまった。
「飛香舎様、文が届いております」
「飛香舎様?」
「わたくしがここに住むことになったから、そう呼ばれるのね。卯紗、文を取ってきてくれる?」
親しい人以外、名前は教えない。
言葉には力があるそうで、名前を呼ばれると人格を支配される......らしい。
もちろん、杏子や卯紗子は全く信じていないので、卯紗子には名前で呼んでもらっている。
人格の支配、そんなことはまだ一度も起きていない。
そろそろ起きないかなと杏子はひっそり楽しみに思っていたりする。
「え⁉」
「どうしたの?卯紗」
文を取りに行った卯紗子の悲鳴のような声が外から聞こえる。
何かあったのでは⁈
不安と興味で混ざった感情を持ちながら、外に出ると見慣れた人物と卯紗子が見えた。
「卯紗子がいるってことは、ひょっとすると中にいるのって」
「柏陽兄様!」
「お、杏子。じゃなくて今は女御様か。たくさんの文が届いてますよ。今この場で焼きましょうか?」
にこやかな顔をしているが、目は笑っていない。
「待って下さい。中身を確認してから燃やします」
卯紗子から、紫の桔梗に結ばれた文を開くと、
(行きたくないんですけど)
東宮直筆の文字が羅列していた。
秋は月が綺麗とか書いてあったが、簡単にまとめると、今日の夜に東宮主催の遊びが開かれるらしい。
遊びとは詩歌に管弦、舞などをして楽しむこと。
東宮主催の遊びとなると、自分の特技をみせる発表会に近い。
どれも知識や技能が必要なので、妃の教養と賢さが試される。
そのため、格付けの基準となり、誰が中宮候補なのか大体決まってしまう。
一度決まると覆すのは困難。
きっと後宮の花々は死に物狂いでくるだろう。
(どうやって休もう?)
東宮主催の遊びとなると断りにくい。
ただの熱だったら這い上がっても行かないといけないほどなので、そんじょそこらの言い訳は効かない。
別に琴を弾くのは嫌いではないし、杏子の他にいる女御や更衣に会ってみたい。
だけど、あの重い服を着ていくとなると行きたい気持ちが消滅する。
「風邪ひきたい......。中止するほどのことが起きて欲しい......」
「何か良からぬことが書いてあったのですね。直ぐに燃やしましょう」
「......燃やしたら、いけないものです。差出人は東宮でした。今日の夜、東宮主催の遊びがあるそうです」
東宮の文を燃やしたら不味い。
それぐらいの常識は持っている。
「それって、あの正装を......?」
「たぶん」
目に見えて落ち込む杏子と卯紗子に、なんでそんなに元気がないのか男である柏陽は全く検討もつかない。
「えっと......ほら、女御様。こっちにも文はありますよ」
撫子に結ばれた文と紅葉の絵が描かれた文。
開けやすい紅葉の方から見ると、和歌が書いてあった。
それも上の句のみ。
この歌は世に知られていない知る人ぞ知る歌で、相手の教養が高い証拠である。
(これはお返しをした方が良いわね)
「柏陽兄様、一旦席を外しますね。残りの文も下さい。中で見たいので」
「おう、分かった」
「杏子様、紙と墨を磨ってきますね」
「ええ。ありがとう」
何も言わなくても主がしたいことを察する万能女房である。
「それでは、また夜お願いします」
「任せてください、女御様」
部屋に戻ると、既に準備は整っておりいつでもできる状態になっていた。
向こうが書いた和歌は、直訳すると秋の花の数を指折って数えています。
(確かこの下の句は七種類の花があるみたいな言葉が来るけど......)
そのまま書いても、工夫がない。
ここはもうひとひねりしたいところ。
「花......。うーん......」
(そういえば、前に読んだ物語で帝の妃が花に喩えられていたっけ......)
立場的に杏子が書くわけにもいかないので、質が悪い紙に返歌と一言書くと
「ねえ、卯紗。これを書いて、相手に渡してくれる?」
「これは......花は妻に喩えたのですか」
「ええ。だって卯紗。この人、女たらしで有名な人よ?前に柏陽兄様に教えてもらったの。教養は高いけど奥さんが大勢いるって」
「だから、この一言なんですか」
杏子の返歌にそっと置かれた一言は一見穏やかに伝えているが実際は違う。
「そうそう。たくさんの奥さんがいるけど、奥さんは愛想つかしてるよって書いた。まあ、伝わんなかったらでいそれでいいんだけどね。率直に意味を取ると、たくさんの花があります。でも一本の花は枯れてますよって感じかな」
「男性は女性の恋の辛さなんて全く知らないですからね。書き終わったので、柏陽様に送っときますね」
「お願いね」
今や男尊女卑の時代。
それは結婚にも表れる。
一夫多妻制の世の中、男は数多の妻がいて当たり前。
夫が来ない夜は自分ではない他の姫君のところに行っていると思うとそんな事実に耐えられなくて、相手に嫉妬してしまう。
全ての決定権がある男は分からない。
恋する乙女の辛さ、苦しみが。
理解することもできない。
「......恋の苦しみが分からないわたくしが他の方のところに夫が行って欲しいって願っていいのかしらね」
昼間だというのに光が入らない部屋で杏子の声は誰にも聞かれることがなかった。