季節は廻り、あっという間に紅葉が舞う秋となった。

 杏子は父に連れられて入内。

 貴族の男性や女房たちが華やかに着飾って、酒と音楽に酔いしれた祝宴が開かれた。


 「これはめでたいですな」

 「ああ、九条殿は羨ましい限りだ」

 「家柄、姿、知性、全てが整っているなど、次代の中宮は決まりだな」


 御簾先からも聞こえる浮かれた声。

 遠くから聞こえる雅な管楽の音。

 東宮に入内した本日に主役の杏子(あんし)


 「暇」


 重い正装を着て、畳の上に座っていた。

 何かしようとも、衣装が重すぎて動けない。

 動きたくない。

 今、杏子が来ているのは、現代では十二単と言われている貴族女性の正装。

 濃い紅色の長袴と白い小袖を着る。ここまではいつも通り。

 その上から(ひとえ)と呼ばれる裏地のない下着にかさねの色目を意識して5枚ほど(うちき)を着る。

 袿の上には唐衣(唐衣) (短い上着)を。

 さらに、腰にはスカートのような()をつけて、仕上げに檜扇(ひおうぎ)帖紙(たとうがみ)

 何枚も衣を着る十二単の重さはどこかの時代の秤では10㎏前後を指し示すそうだ。


 「重いですよね。これからは毎日この恰好になると思るんですか......」


 杏子の女房、卯紗子(うさこ)も杏子と同様に十二単を着ている。

 主である杏子ほど華やかな物ではないが、それでも、どれもが一品だった。


 「なんで?」

 「高貴な女性に仕える女房はこれが正装なんですよ。今までは、軽装で許されいましたが、内裏となるとちゃんとした服装にしないといけないんですよ。杏子様はこれから、帝と東宮の前ではその服でいないといけないそうですよ」

 「......ねえ、その決まり変えない?」


 内裏とは帝や東宮を含む皇族が住む場所。

 そうなってくると、皇族と会う日が増えてこの思い服を着ないといけなくなる。

 こんな服、今日だけで十分。

 杏子のいつもの服で毎日過ごしたい。

 かさね色目って何ですか?

 衣の表地と裏地、衣の重ね着に自然美の調和?

 自然美の調和は他の方法で出来ないのか。

 いつも長袴に袿ぐらいしかきていない杏子にとって、十二単なんてもう二度と着たくない。

 もう少し簡略化して欲しい。

 そうしたらまだ着ようと思える。


 「どうやって変えるんですか?」

 「うーん。私が帝や東宮と会う時にこれを着ないとか?」

 「上位の女御が流行を作っていると聞きましたし、もしかしたらそれが流行になるかもしれませんね」

 「でしょ」

 「杏子、いるか」


 御簾の外で聞こえたのは、この国で一番偉い方、帝の声だった。

 そして、杏子の許可なく勝手に部屋の中に入って来てしまった。

 帝は杏子の実の祖父。

 血縁関係があるので、女性である杏子の部屋に堂々と入出することができる。

 この国には高貴な女性は血縁関係がある者や親しい者以外男性には顔を見せないというしきたりがある。

 もっとも、帝にはそんな規則に縛られないが。


 「本当に紀子そっくりだな。この度は私、いや、じじの願いを聞いてくれてありがとう。杏子は昔から外に出たいと行っておったのに。そなたの夢を潰してしまったお詫びにじじが何でも叶えてあげよう」


 願ってもないお願い。

 もちろん、杏子の願いはここから出ること。

 でも、今日入内した姫がその日に内裏から出るのもおかしい。

 何かあったのではと家が疑われてしまう。

 それに、まだ卯紗子が言っていた女の戦場とやらを体験してない。


 「ありますが、別の機会でお願いします」

 「おう、そうか。杏子は女御。中宮がいない(みなと)にとっては一番高い位となる。そして、ここは飛香舎(ひぎょうしゃ)という。清涼殿とは近い。杏子にいやがらせをする者はいないだろう。安心して暮らせるぞ」


 帝が住む清涼殿に近いほど妃の家柄が高くなる。

 清涼殿に近い飛香舎を与えられた杏子は東宮の中宮最有力候補となったことを、杏子は気づいていなかった。

 なんで嫌がらせがないのか。

 それは、帝に近いから。

 と勝手に答えを考えて、この話題は消す。


 「心遣いありがとうございます、帝」

 「この場にはうるさく言う者もいないから、昔のようにおじい様と呼んでくれぬか?」

 「それもそうですね、おじい様」

 「そうそう、ここの警備をする者は杏子も知っている人物だ」

 「後で見に行って来ますね!」


 (誰だろう?)

 男との関りがほとんどない杏子にとって選択肢はほとんどない。

 帝の右腕として働いている父に、武官の兄。陰陽師として働いている弟。

 今すぐにでも外に出たいが帝の手前、我慢している。

 決して、帝の願いだからではない。


 「夜は危ないから、明日の朝にしておいで。今日はもう遅い。杏子、ゆっくりと体を休んでくれ。それじゃあ、また。失礼するぞ」

 「また、後日」


 帝が部屋からいなくなると、全く動かなかった杏子が外の方へ向かう。


 「杏子様。帝から夜は危険と言われましたよね」


 杏子至上主義のこの女房にとって杏子のことは全てお見通しである。


 「うん。だから、見に行くの。危険な目にあっても卯紗が守ってくれるもの」

 「杏子様......!ってそれとこれとは別の話です。杏子様、今日は疲れていますし一度お休みになったらどうでしょう?明るい昼間の方がきっとよく見えますよ」

 「これくらいで疲れるほど、やわな女ではないのよ、卯紗」

 「燭台だけでは、相手のことほとんど見れませんよ?日の光が当たることで見えるのです」

 「ねえ、卯紗。知ってる?今日は月が出ているの。ほのかに光る月の灯りで十分見えるのよ」


 杏子はそう言っているが、今日は三日月で月光よりも星々の方が輝いて見える。


 「月光は朧気ですよ、杏子様」


 二人の話はやがてどの月が美しいのかに転じ、さらに月の話、動物の話になった時には星々が消えて空がほのかに明るくなっていた。