主達が熱く語り合っている横では


 「お初にお目にかかります。芳子様の女房をやっています。近江と申します」

 「杏子様の女房をしている卯紗子です」

 「雪子様にお仕えしている玲子です」


 女房の自己紹介が始まっていた。

 主の熱について行けない三人は部屋の隅にいた。


 「漢文とは、あのように熱くなるのですね。あいにく、わたくしには漢文の知識が無いもので......。あのような姿の芳子様は久しぶりに見ました」

 「雪子様も普段よりも饒舌です」


 雪子は扇で顔を隠しながらも、楽しそうに談笑しているのが分かる。



 「杏子様は......いつも通りですね」

 「卯紗子様。こちらには他の女房の方がいらっしゃらないのですか?」

 「女房は私一人ですよ」

 「そうだったのですか。てっきり他にもいらっしゃるかと思っていました」


 女御がいる飛香舎に仕える女房が一人しかいないことを驚かれたことに卯紗子が驚く。

 なお近江は驚いている顔をしているが玲子は声だけが驚いて顔は微塵も動いていなかった。


 「え⁉他のところはもっと女房がいらっしゃるのですか?」


 杏子の家にいた時は、紀子に仕えていた女房から女房としての知識や行為を教えてもらってた。

 だが、後宮はどうだ?

 卯紗子の主の友人である雪子に仕えている玲子しか見たことない。

 だから、後宮では一人の妃につき一人しかついて行くことはできないと思ってしまっていた。


 「わたくしのところは二人ですが、弘徽殿様はもっと大勢お仕えしていらっしゃるのではないでしょうか?」

 「この間、大勢の女房が見物していたのであり得ますね」

 「卯紗子様はお一人でされているのですよね?どのような経緯で女房となったのですか?」

 「まず、私は皆さんと違って貴族ではなくて、元々杏子様の実家である九条邸の近くにある村出身という前提で話は進みますからね」

 「分かりました」

 「私の家は農民で、小さい子どもでも稲作や畑を耕して暮らしていたんです。今から、もう9年ほど前の春、一人の見知らぬ女の子がいたんです。こちらをずっと見ていたので、田植えの誘いをすると乗ってくれました」


 今でも覚えている。

 農民にはいない日焼けを知らない真っ白な肌の子がずっとこちらを見てきた。

 声を掛けてみると驚きながらも返事をしてくれて、卯紗子が田植えを一緒にしないか誘ったところ、『もちろん!』の一言で手伝ってくれた。


 「それから、二日に一回、私の村に来て、一緒に田んぼの世話をしたり、畑を耕しているうちに、すっかり仲良くなったんです。そして、女の子は私が知らないことをいっぱい知っていました。短い休憩の時に読み書き計算とちょっとしたお作法と華やかな貴族の生活を教えてもらったんです」


 紙も筆も墨もないから、地面とその辺に落ちている木の棒で代用した。

 女の子の話す話はどれもきらびやかで、幼い卯紗子心をときめかせた。


 「えっと、その女の子って......」


 近江の視線の先にはこちらには気づいていない杏子の姿があった。


 「杏子様です」

 「杏子様は農作業にも精通をしているのですか。博識ですね」

 「私と女の子は稲狩りが終わる秋までずっと一緒にいたんです。雪が降りそうな秋の終わり、女の子がいない日に九条家の方が私のところへやって来て、私には縁がない九条邸に連れて行ったのです。中に入って、出迎えたのは私がいつも一緒に遊んでいた子でした。女の子、杏子様は私をこちら側に誘ったのです」


 縁も所縁もないところへ入ったら、出迎えたのが綺麗な着物で飾られた農作業を一緒にやった女の子がいたら、誰でも驚く。

 驚いている卯紗子に杏子は、かつて卯紗子がしたように誘った。


 『一緒に来ない?』


 差し出された手を取った卯紗子は杏子から『卯紗子』という名前と着物と知識、それからたくさんのことをもらった。

 杏子曰く、前に私ももらったから、そのお返し、だそうだが、そのような大層なことを慕覚えはない。

 だが、杏子にとってはそれだけのそれ以上の価値があるのだろう。


 「卯紗子様はそのようにしてお仕えしたのですか.......。玲子様はどのようにして?」

 「私の家は代々雪子様に仕える家系でしたので、私も幼い頃から屋敷を出入りしていました。ですが、その頃は仕事として仕えるという気持ちの方が多かったです」


 普段はあまり喋らない玲子が饒舌だった。

 そして、能面の顔がほんの少しだけ緩んでいる.......気がした。


 「私の母は弟を生んで力が尽きたのか天に召されました。父がいたので生活には支障が出ませんでしたが、その後に来た後妻が問題でした」

 「はい!質問です。後妻とはなんでしょう?」


 (後妻って何?)



 「後妻とは新しい正室の方です。再婚相手とも言いますね」

 「ありがとうございます。近江さん。あ、話、遮ってすみません」

 「では続けます。私は弟を守るために母の縁を伝って家を出ました。その時、私は弟を世話するために側仕えを辞めたいと伝えたところ、雪子様が十分過ぎるほどの金子を与えて下さったのです。後ほど、こちらの金子が全て雪子様が出したことが分かったのです。雪子様からいただいた金子のおかげで、弟は無事官僚となることができ、平穏な毎日を過ごすことができたのです。その頃、雪子様の父君が天に召されたと風の噂で聞いたのです。私は恩を返そうと向かったのです」



 「玲子様はそうやって、雪子様に仕えることになったのですね」

 「はい。雪子様が最初にかけていただいた言葉は忘れることができません」

 「玲子さん、雪子様はなんと?」

 「『おかえりなさい。元気だった?』です。自身のことで大変なのに私のことを心配して下さったのです。この瞬間、私はこの方に一生ついて行くことを胸に刻みました」


 抑揚のない声が熱を帯びていた。

 (私もこんな感じに説明していたのかな)

 主のことについて熱く語っていたことに恥ずかしく思ってしまった。


 「良い話ですね。最後は近江さんですね」

 「私はお二人のような素晴らしい感動的なことでは無いのですが.......」

 「卯紗子さんと私が話しました。近江さんもお願いします」

 「.......分かりました。わたくしは父の縁で芳子様に仕えることとなったのです。女房名は父が近江の国司だったので、そこからですね」


 女房名と、はお偉い貴族にに出仕する女房が仕える主人や同輩への便宜のために名乗った通称。

 玲子は知らないが、卯紗子の場合、『名前がないと呼びづらいし、本名を言って呪われるみたいな噂があるけど、胡散臭い』と主である杏子から言われたので、女房名はない。

 女房名を考えるのがめんどくさいというのもあるが、卯紗子は杏子につけて貰った名前を気に入っているので、女房名がなくて良かったなどと思っている。


 「近江ですか。確か、琵琶の海があるのですよね。杏子様が行きたい場所ランキング上位に入っていました」

 「近江は良いところですよ。卯紗子様も杏子様とご一緒に行ってきたらどうでしょう」

 「そうですね!今度、相談してみます」

 「卯紗、何を相談するの?」

 「杏子様!?」


 喋るのに夢中で主達の語りが終了したことに気づかなかった。

 それは卯紗子だけではなく、玲子や近江も適応する。

 杏子のそばにいる雪子と芳子の姿を見て驚いていた。


 「近江、お姉さま方に仕えている方と仲良くできた?」

 「はい。面白く興味深いお話を聞けました」

 「玲子が饒舌だなんて珍しい」

 「思い出話を少し」


 主が来たことで女房会は解散となった。

 だが、今日ここに主が主催の知的な?会と女房達の座談会が誕生した。