一方でその頃、徹夜が決定した杏子は


 「さて、柏陽兄さまがいなくなったことだし、調べとこう!」


 深夜テンションで気分が高揚していた。


 「あの、調べるってどうやるのですか?今は深夜です。こんな時間にいるのは変な男で姫君はいらっしゃいませんよ」

 「部屋の中に入ってもらうの。さっき雪子様のところに式を飛ばしたでしょ?もう少ししたら、火から見えるようになるよ」

 「もう少しって、え⁉」


 灯りに使っていた蝋燭から雪子と玲子の姿が映し出された。


 『雪子様、こちらは?』

 『気づいたら部屋にあったのです。きっと風に飛ばされたのでしょうね』


 「雪子様と玲子様の声が聞こえています......」

 「でも聞こえるだけで、こっちからは何を話しても伝わらないよ。さあ、弘徽殿様のところに行く式をはやく作らないとね。貴族の話は夜にすることもあるから」


 杏子は柏陽と同じように、和紙に漢文を綴って血を少々垂らしてから鶴を折る。


 「弘徽殿のところへ」


 これまた同じように部屋から飛んでいく。


 「不思議な光景ですね」

 「卯紗も慣れるよ。さあ、情報を集めるよ」


 二人で小さな蝋燭に映る画面をじっと見つめている。


 『雪子様。杏子様には伝えなくてよろしいのですか?あいつよりも家柄、教養が高い杏子様ならきっと』

 『玲子。......伝えなくて大丈夫です。更衣であるわたくしが帝との縁戚であるからでしょうね。これはわたくしの問題。友人である杏子様を巻き込みたくないのです』

 『ですが、この間の遊びでは渡殿に閉じ込められたせいで行けず、その結果、雪子様はさらにあいつからいじめられています』

 『玲子、わたくしよりも上のくらいである弘徽殿様をあいつと呼んではいけませんよ』


 「弘徽殿様が雪子様を閉じ込めたのですか。でも、そのようなことは可能なのですか?」

 「......可能よ。多くの人を味方につければ、だけど」


 それぞれの殿と舎を繋ぐ馬道(殿舎の中を貫通している板敷きの廊下)の両端の戸に鍵をかけることで、閉じ込めることは可能。

 まさかそれを本気でやる人がいるとは、驚きで声が出ない。


 「信じられないですね。帝の縁戚だからって理由だけでするなんて。これが女の世界ですか」

 「弘徽殿様の家は最近成りあがって来た家で皇族の血が流れていないの。だから、更衣でありながら帝との繋がりがある雪子様が目障りなのね」


 杏子のような上に立つ家ならともかく、下に位置する家に皇族の血が流れているなんて考えたくもないだろう。

 自尊心が高い家ならなおさらそうだ。

 でも、これはやりすぎる。


 「杏子様、こちらの蝋燭が光っています」

 「弘徽殿に着いたようね」


 覚束ない蝋燭の火からでも分かる派手なところ。

 外装だけではなく、中にも色彩豊かな布が飾られていた。


 『女御様、噂は宮中の中ではかなり知られるようになりました』

 『ありがとうございます、父上。せっかくわたくしが桐壺に視線を向けて、閉じ込めた桐壺の評価を落とそうとする計画があの言葉のせいで......!藤壺様が都で一番の名手というのが誇張でもなく真実だったんなんて見るまで思いませんわ』

 『落ち着いて下さい、女御様。そのようなこと、誰が聞いているのか分かりませんよ。それで、女御様。東宮の寵愛は?』

 『ここのところないですね。おそらく藤壺様のところへ行っているのでしょう。父上、兄上、東宮の寵愛よりも藤壺様と仲良くなった方が良いかと思います。わたくしでは敵いません』

 『藤壺様は時期中宮最有力候補で父君は左大臣、母君は帝と同母妹の内親王、兄君は帝、東宮からの信頼が厚い武官に文官......。こちらの方が良さそうですね。では私はもう一度藤壺様に文を渡すとしよう』

 『ではわたくしは藤壺様と仲良くなって、従う家の者以外を排斥しようと思います。......更衣のくせに帝との縁があるあの更衣に何をしようかしら?父上は左大臣との縁をよろしくお願いしますね』


 「......卯紗、藁ってある?」


 (ちょっとくらいしても良いよね?)

 大事な友人をいじめた犯人が分かった。

 ちょっとくらい懲らしめないと、この感情を止めることはできない。


 「ありますけど......。何に使うのですか?」

 「呪い。藁と......あと紐も。できれば鋭利な物が欲しいけど、この錐で我慢しよう」

 「杏子様⁉だめですよ」

 「なんで?わたくしの友に手を挙げた者ですよ?」


 丁寧に言わないと感情を抑え込んでいる理性が吹っ飛ぶ。

 杏子は貴族の常識から吹っ飛んだことを考えたり夢見ているが、基本的に性格は温厚。

 権力を振りかざすことはなく、どんな身分でも実力さえあれば仕事を与え、考えが合うのなら雪子のように友人となる。

 世間からどんなにひどいことを言われても気にしない。

 でも、それが、杏子以外だったら?

 杏子はどんな相手だろうと怒り、その者を守ろうとするだろう。

 そんな杏子の姿を知っている卯紗子は杏子を落ち着かせるために必死で答えた。


 「杏子様、ここは様子を見ましょう。杏子様のご友人の雪子様が弘徽殿様にいじめられているのは二人のことを見たから分かったことです。ですが、これは杏子様と私しか知りません。これを弘徽殿様に伝えても信じてくれません。そして、なぜ事情を知っているのか裏で探られます。弘徽殿様が雪子様をいじめているという証拠が集まってからはどうでしょう?」


 卯紗子の必死な提案は受け入れられたのだろうか?

 先程まで笑っていない笑顔を見せていた杏子の顔はいつも通りに戻っていた。


 「......確かにそうね。何も考えずに動いて相手に弱みを見せるわけにはいかない。でも雪子様を弘徽殿様からどうやって防ごう?表立って動いたら雪子様に知られるし、弘徽殿様も分かるよね」

 「それでしたら、杏子様が淑景舎に行ったらどうでしょうか?外にでることはなくなり雪子様は弘徽殿様から多少の攻撃は防げると思います」

 「それは良い考えね!勉強会をするなら卯紗子も勉強したら?少しでも知識があるだけで頭の入り方は変わるよ」

 「そうですね。では、私は玲子様に勉強会についての文を書いて、知識を深めようと思います」

 「頑張って。わたくしは......そうね......。情報の整理かな」


 ここには卯紗子が持って来てくれた紙がまだまだある。

 今知った情報も時間が経ったら霞んで思い出せなくなる。

 雪子の事情、弘徽殿の家の陰謀をまとめている横では和歌集や漢文の心得を読んでいる卯紗子がいた。

 (懐かしい。わたくしもこうだった......)

 実家で教養を叩きこまれていた杏子そっくり。

 和歌や漢文に琴など、貴族女性が知っておくべき知識を得ないと外に出してはもらえず、呪いの練習にもできなかったので、必死に覚えた。

 でもそれらが一番いきたくない場所で役に立つなんて、人生は不思議なものだ。

 灌漑に更けているとどこからか声が聞こえた。

 手を洗いに行った兄が帰って来たのでは?

 一人で禁止されている呪いを見つかったら何を言われるか分からない。

 もしかしたら呪いを禁止されるかもしれない。

 別の場所が見える蝋燭の火を慌てて消して、


 「卯紗、勉強中申し訳ないんだけど、柏陽兄さまが来たから片付け手伝ってくれる?」

 「それは一大事ですね」

 卯紗子に見られては困る物を隣の部屋に移してもらった。

 片付け?を終えた卯紗子と柏陽が部屋に入ってくるのは同時だった。

 (危なかった......)


 「あ、柏陽お兄様。お帰りなさい。どこまで洗いに行ったのですか?帰りが遅くて心配でしたよ」


 つい先ほどまでばたばたしていたことを微塵にも感じない優雅でおっとりした様子で柏陽に挨拶をした。

 部屋に入ってくるまで気づきませんでした風の演技。

 (これなら、誤魔化せる)


 「何をやっていたんだ?」

 「勉強です」


 杏子はにっこり笑って答える。

 別に嘘ではない。

 卯紗子は勉強していた。


 「昼間でもできるだろう?」

 「......夜だからこそ良いのです」


 (夜が深くなるほど気分が上がるという方はいるから大丈夫)

 机の上にある紙。

 大半は情報の紙だったが、一部、慌てたせいで片づけられなかった呪い関連の紙が含まれていた。

 (あ、積んだかも)

 案の定、


 「何一人でやっているんだ⁉」


 と、柏陽の雷が落ちてきた。

 でもここで終わるわけにはいかない。


 「これは一種の情報集めです。呪いではないので大丈夫です」

 「杏子様は雪子様のために集めていたのです」

 「雪子とは誰だ?」

 「柏陽兄さま、気になりますか?雪子様はわたくしの友人です。今日、話をしていたら少し反応がおかしいところがあったので、気になって調べていたんです」


 (呪いで)


 「あー、杏子。雪子殿の位は?」

 「あれ、言っていませんでしたっけ?淑景舎ですよ。柏陽お兄様に調べて欲しい方の一人です」

 「それなら弘徽殿殿も友人なのか?」

 「......いえ。わたくしは友人とは思っていません」


 友人をいじめた弘徽殿を友達だなんて誰が思うのか。


 「......先日の遊びで弘徽殿様は雪子様を落とそうとしたのです。ですが、東宮陛下の一言で落ちたのは弘徽殿様の方でしたが」

 「卯紗子、今日は遅い。明日詳しく教えてくれ」

 「は、はあ。かしこまりました」

 「杏子。今日はそれくらいにしとけ。明日、右近も連れてくる」

 「分かりました。おやすみなさい、柏陽兄さま」


 今日でも大丈夫という言葉は柏陽に道を塞がれて言えなかった。

 解せぬ。