星屑の唄

 花火大会の帰り。
 月明かりはなく、頼れるのは街灯と通りを歩く人のスマートフォンのライトだけだったあの場所で、月城の瞳から溢れんばかりの熱に気づいてしまった。
 できることなら気づきたくなかった。
 でも見て見ぬふりができるほど、私に余裕なんてなかった。
 とても月城の目を見ていられなくなって、彼の手を振りほどいてその場から逃げ出した。そこからどうやって家に帰ったのか覚えていない。気づいたときには自室にいて、呆然と立ち尽くしていたのだ。そのままお風呂に入る気にもなれず、膝をついてへたり込む。

 ――どうしてこうなったんだろう。

 取り乱した月城を見て、直感的にわかってしまった。
 彼を壊したのは、他でもない私なのだと。

 私と深く関わる前の月城は、あんな目をしていなかった。
 あんな、あんな信者のような目。
 思い出しただけで息が詰まりそうだった。
 ステラと私のことを知っている特別なひとが、私が軽蔑しているやつの信者と同じ目をしているなんて、信じたくない。
 まるで背骨を抜かれたみたいだ。

 そういえば、月城も唯一の味方を失ったような目をしていた。
 あれは、私が月城を止めたから……?
 わからない。前までならこうだろうとあたりくらいならつけられていたのに、今はもう確信が持てなくなってしまった。

 なにが彼をこうも変えてしまったのか。
 心当たりはひとつだけあった。
 私が目を背けて、彼が目を逸らさなかったもの――。

 恐る恐るスマートフォンを手に取った。液晶画面がいやに明るく見えて目の奥が痛くなる。
 月城からの着信履歴や心配するメッセージがたくさん届いていたけれど、それよりも先に確認しなければならないことがある。
 黒地に白字でXで書かれたアプリアイコン。見慣れたもののはずなのに、なんだかすごく不吉なものに見えて怖かった。
 それでも向き合わなければと、深く息を吸って一思いにタップした瞬間、私は絶句した。

 ステラが凍結されていたのだ。

 しばらくXを開いていなかったからじゃない。スピカの信者どもに執拗に通報された結果だった。
 月城はそんなこと一言も言ってなかったし、そんな素振りもなかった。
 私が知れば傷つくと思って黙ってたんだ。
 予備として作っておいたアカウントに切り替え、状況を別も視点から見る。くらりと眩暈がした。
 盗作疑惑をかけられてから何週間も経った。だから少しは状況が落ち着いたと思っていた。思っていたのに。

〈逃げんなカス〉
〈死んで償え〉
〈スピカ様がどれだけ傷ついてたのかちゃんとわかってますか? スピカ様への謝罪はいつになったらするんです? 黙ってれば状況が良くなるとでも思ってるんですか!?〉
〈アカウント凍結されてて草wwwww〉
〈生きてる価値ないよまじで〉

 相も変わらずステラは叩かれ続けていた。
 そして彼らの粘着性がどこから来ているのかもわかった。
 スピカがこんな投稿をしていたからだ。

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 スピカ @spica__singer
 ☆信者のみなさまへ
 こんばんは、スピカです☆
 突然のお知らせとなりますが、わたしスピカはしばらくの間活動を控えようと思います。
 理由は、明確な悪意に触れ、音楽をネットに投稿することがすこし怖くなったからです。
 ですが大好きな☆信者たちにあうという夢を叶えるためにいつか舞いもどりますので、こんなわたしでもよければ待っててください!
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 明確な悪意って私のことか。
 これには例によって信者どもがうじゃうじゃと(たか)っていた。〈スピカ様ぁ〜〜泣泣泣泣泣泣泣〉と泣きつく声もあれば〈もちろんいつまでも待ち続けます! わたしは一生☆信者です!!!〉と激励する声もある。
 そしてそれとは対照的にステラの批判が加速していた。

〈スピカ様が活動辞めたらお前のせいだからな〉
〈高校1年生の女の子をここまで追い詰めて満足ですか?〉
〈スピカ様に謝罪してさっさと活動やめろ目障りなんだよ〉

 一気に当時に引き戻され、胃液が喉までせり上がったかのような感覚に陥った。指先は冷えていくのに、顔が熱くなる。息をするだけで苦しくて、涙が込み上げていた。

「っぁ、」

 急いでゴミ箱を手繰り寄せ顔を突っ込むが、うまく吐けない。代わりに嗚咽をこぼすばかりだ。
 涙と鼻水と唾液がぐじゃぐじゃに混ざって気持ち悪い。

「ぅ、は、」

 雑に手を伸ばし掴み取ったティッシュでそれらを拭い、はー、はー、と肩で息をする。心臓は私の苦痛を助長させるようにドクドクと早鐘を打っていた。

 月城はずっと、私の代わりに傷を受け続けていた。
 そしてそれを私に勘づかれないように、まるで盾のように私を守っていた。
 だから少しずつ壊れていって、より私に傾倒するようになったんだ。

 それに気づくのが遅すぎたのかもしれない。
 今思えば、あの翳りはその予兆だったのだろう。
 そんなに私のために尽くしていたのに、私にそれを止められたことで、彼の心を繋ぎ止めていたものが一気に崩れてしまった。

 私の直感は正しかった。
 月城を壊したのは、私だ。

「ごめん」

 もしあのとき月城の提案を断っていれば。

「ごめ、ん」

 もし私が『汽水域の恋』を投稿しなければ。

「月城……」

 もし私たちが出会わなければ――。
 彼は彼のままでいられただろうか。

      ★

 どれだけ来るなと願っても夜は明ける。
 ろくに眠れていないのにいつまで経っても眠気は湧いてこなくて、こんな状態でもヒトの身体は動くのだなと半ば他人事のように考えながらベッドから降りた。

 月曜日が、来てしまった。
 何をする気にもなれないけれど、身体は見えない糸で操られているかのようにきちんと動き、あっという間に朝の支度が終わって家を出た。
 学校に向かいながらも、頭の中は一昨日のことばかり。
 結局月城に折り返し電話をかけることも、メッセージの返信をすることもできなかった。
 私が彼に与える影響力を知ってしまった以上、下手に接してしまえばもっと彼を壊してしまうのではないかと怖かったのだ。
 私はもうどんな顔で彼の前に立てばいいのかすらわからなくなっている。

 答えが見つからないまま教室の前にたどり着いた。とても入る気になれなくて、後ろの扉のガラス窓から教室の中を覗く。
 いつもよりゆっくり来たからか、すでに月城は中にいて、友だちと話している。
 その姿に一昨日の面影はなく、いつも通りの彼にほんの少しだけ安堵した。
 音を立てないようにゆっくりと扉をスライドさせ、室内に入る。ちょうどそのとき、月城が顔を上げたので、ぱちりと目が合ってしまった。途端、ふいっと逸らされる。

 ――あ。

 さっきまでどんな顔で向き合えばいいのかわからないと嘆いていたくせに、目を逸らされたことに傷つく私がいた。
 元々月城とは教室で気軽に話すような仲じゃなかった。だから目が合ったことをなかったことにするなんてなんらおかしなことじゃない。そう自分に言い聞かせ、席についた。
 スクールバッグを机の横に掛け、一限の授業に使う教科書とノート、筆箱を取り出す。そのとき、ふいにクラスの女子たちのクスクス笑う声が聞こえた。
 べつに私のことを笑っているわけじゃない。そんなことわかってる。でも、どうしても私は自分が笑われているような気がして落ち着かなかった。もしかしたらステラが私だとバレて、貶されているんじゃないかって、本当はみんなステラの正体に気づいていて、それを知らない私のことを裏で嘲笑ってるんじゃないかってありもしない妄想に取り憑かれて呼吸が浅くなる。

 梨々花と美波はまだ来ていない。なにやら電車が遅延しているらしい。ひとりでいる教室はとても心細く、この世から切り離された気分になる。
 こんなこと今までなかった。ひとりでいようが課題をしたりスマートフォンをいじったりと気ままに過ごしていたはず。
 急に周りが気になるようになったのはやはりあの炎上でたくさんの悪意に晒されたことがきっかけだろう。いやでも、ちょっと前まではこうじゃなかった。――あぁそうだ。

 私には月城がいた。
 彼がいたからどれだけネットで非難されても現実が怖くなかったんだ。
 彼はやはり私にとって背骨のようなひとだったのかもしれない。

 教室にひとりでいられなくなった私は、保健室に行ってマスクを貰って、ぬるくくぐもった空気を吸った。
 そうすることで少しだけ現実から顔を逸らせた気がした。

      ★

「心星ー!」

 その日の放課後。
 終礼が終わるや否や梨々花が駆け寄ってきて、私の腕にぎゅーっと抱きついた。彼女がつけている花束のような香りがふわっと舞う。

「この後暇? 久々に遊びに行こーよ!」

 今日みたいに心が不調な日は彼女の明るさに救われる。
 期待するようにきらきらとした目で見てくるものだから「うん。どこ行く?」と迷うことなく返した。するとスマートフォン片手にやってきた美波が会話をついだ。

「なんか今週学生だけカラオケ半額らしいよ」
「まじ? そりゃ行くしかないね」
「でしょ!?」

 ぱぁっと笑顔を見せたかと思えば「あ、でも心星声大丈夫?」と心配そうに顔を覗き込んでくるものだから「だいぶ良くなった」と嘘をついた。2人にはちょっと喉が不調だからマスクをしていると説明しておいたのだ。
 本当に不調なのは心だし、全然良くなっていない。
 今日一日月城と目が合うことはなかった。なんか、わざと私を視界に入れないようにしている気がする。
 だが、私にはそれを咎める資格がない。
 彼と話したければ私が彼に声をかければいいだけだ。未読スルーしているのは私なのだから。

 平日の、しかも月曜日からカラオケに来る人なんてたかがしれており、予約なしでもそのまま部屋に通された。
 梨々花がわたしの出番だと言わんばかりに先陣を切って歌い始める。美波は注文したフライドポテトをもくもくと食していた。
 いつもの光景だ。
 ここだけなにも起こる前の過去に戻ったんじゃないかってありえないことを本気で信じそうになる。
 私が幻想に惑わされるうちに梨々花が歌い終わり、マイクが私へと渡る。
 人前でちゃんと歌うのは、確か、月城の前で叫ぶみたいに歌ったあの日以来だ。
 あぁ、ダメだ。思い出すな。思い出したら――。

「……あ、ごめ」

 涙が。
 大粒のそれが、瞬きするたびにぽつ、ぽつ、と生まれ、ガラスの上を滑る雨みたいに頬を伝って流れ落ちる。

「ごめん……」

 早く泣き止まなきゃと思うのに、涙は止まるどころか、今度は嗚咽が漏れた。

「心星!? どした? どこか痛い? 風邪ぶり返した?」

 梨々花が私をやさしく抱きしめ、美波が隣に来て手を背中をさすってくれる。

「心星。大丈夫。落ち着いて」
「ぅん……」

 ふたりともわけがわからず困惑しているはずなのに、そんなことお首にもださず私に寄り添ってくれるから、申し訳なさと安心感が綯い交ぜになって、もっと涙が溢れてきた。ふたりはずっととなりにいてくれて。少し呼吸が落ち着いてきたところで、美波が遠慮がちに私の目を見つめた。

「答えにくかったら答えなくていいんだけど……心星、月城くんと何かあった?」
「っえ?」
「ちょっと美波! それ心星が自分から言うまで黙っとこうって言ってなかった!?」

 目を見開く私が何か言うより先に梨々花がワッと口を挟んだ。咎められた美波は気まずそうに「……ごめん」と謝る。
 なに、なに、なんでここで月城の名前が出るの?
 ふたりは一体なにをどこまで知ってるの。
 疑問符ばかりが浮かんで、安心感と引き換えに不安感が巣喰う。
 ややあって梨々花が慎重に口を開いた。

「実は私たち、前から心星と月城くんが付き合ってるんじゃないかって話してたんだ。前と比べて最近はなんか、こう、ふたりだけの空間があったっていうか、なんていうか……」

 ――気づいて、たんだ。
 私と月城の関係が以前と変わったことに。

 驚くと同時に、納得もした。
 例えば、月城の前で名もない歌を歌った日。
 今まで委員会関連で話すことはあれど、本当に最低限しか話していなかったし、3人でいるに話してくるなんてまずなかった。にもかかわず3人でいるときに委員会の話があるから月城から話しかけてきて、その場で話せばいいのに私は2人を先に帰して、しばらく帰ってこなかったのだ。なにかあると勘づかれてもおかしくない。
 パッと思い出せるのはこれくらいだが、もしかしたら日常の節々に変化が訪れていたのかもしれない。
 それはさぞ怪しかっただろう。でも私が何も言わないから黙って見守ってくれてたんだ。

「付き合っては、ないよ」

 スカートの裾を手繰り寄せるようにきゅっと握りしめながら、続きを紡ぐ。

「でも、月城は私にとって……私にとって、特別だった」

 特別。
 自分で口にしてみたら、あぁ本当に特別だったんだなって自覚してしまって、また泣きそうになった。 

「あのさ、今までふたりに言ってなかったことがあるの」

 梨々花も美波も息を呑んで言葉の続きを待っている。
 打ち明けるなら今しかないと思ったし、ふたりになら打ち明けてもいいと思った。ふたりは、ちゃんと私を見ててくれたから。
 それでもいざ打ち明けるのは、ほんの少し怖かった。

「私、ネットでステラって名前で音楽活動してて、それで、」

 水面から顔を上げたときのように、短く息を吸う。

「ふたりが前に話してたスピカって子いるじゃん。あのとき上手く寝れてなくて聞いてたんだけどさ。その子の曲誰かにパクられてるらしいよって言ってたこと覚えてる?」

 ふたりは目を見合わせてこくんと頷いた。
 心臓が口から飛び出そうなほど暴れている。

「パクったって言われてるの……私の曲なんだ」

 言った。言ってしまった。
 間が空くのが怖くて、ふたりがなにかを言うより先に言葉を次いだ。

「そんなことしてないのに、冤罪、かけられてて、知らない人たちからたくさん、酷いこと言われて」

 震える腕に手を添える。

「そんなとき、私を支えてくれたのが、月城だったの」

 それから私は、今まであったことをふたりに洗いざらい話した。
 月城は元々私のファンで、スピカの素顔を特定しようと提案されそれに乗ったこと。補講期間の放課後いつもふたりで張り込んでたこと。母親に月城との関係を誤解されたこと。一緒に夏祭りに行ってスピカを見つけたこと。
 そして最後に――私が月城を壊してしまったことも。
 ふたりは最後まで静かに話を聞いてくれた。

「心星。話してくれてありがとう」

 先に口を開いたのは美波だった。透明で控えめな声が、心にするりと馴染んで落ち着く。
 梨々花は顔を伏せたまま、私の手を握った。その手はわずかに震えていた。

「ごめん。心星がそんな目に遭ってるなんて知らなくて、無神経にその人の話しちゃった」

 梨々花は何も悪くない。
 彼女がスピカの曲をいいと思ったことは悔しくて苦しいけれど、スピカの曲を人に話したくなるくらい気に入ったことは紛れもない事実だから。私がどう思おうと、それは受け入れるしかない。

「大丈夫。ふつうそんなことしてる人って思うわけないし、そもそもステラのこと黙ってたの私だし」

 でも……!と食い下がる彼女の手を、もういいのだと伝えるように握り返した。
 ふたりに全部話してみて、気づけたことがあった。
 誰も彼もが母親みたいに私の音楽活動に否定的じゃないこととか、話したら憑き物がとれたみたいに身体が軽くなることとか。
 でもなにより私の心を深く占めたのは――。

「私、月城のことが好きみたい」

 今気づいたってバカみたい。もう遅いのに。
 それでも、話しているうちに、一緒に過ごした時間とか、彼にすごく救われていたこととかが走馬灯のように思い浮かんで、身に染みて。

「すごく、すごく好きみたい」

 認めざるを得なかった。

「おかしいよね。今まで都合よく扱ってきたのに」

 自己嫌悪でずくりと胸が痛んだ。
 力なく笑うと、梨々花が顔を上げた。その瞳は潤んでいた。

「おかしくない! 辛いとき、ずっと月城くんが支えててくれたんでしょ? そんなの、そんなの……っ」
「なんで、梨々花が泣くの……」
「私も梨々花と同じ意見だよ。心星の月城くんへの気持ちはなにもおかしくない」
「美波……」

 掠れた声がもれる。
 無意識のうちにふたりをぎゅっと抱きしめていた。

「ありがとう。ふたりとも、ほんと、ありがとう……」

 そうしたらふたりも同じくらいの強さで抱きしめ返してくれた。
 もう涙は流れなかった。それよりも前に枯れるほど泣いたからだ。
 その代わり、やさしい音がする。
 降ってくるんじゃなくて、内側から湧き上がってくるような。
 そんな音が私をゆったりと包んでいく。
 こんなに穏やかな音が聞こえたのは、本当に久しぶりのことだった。

 その日の夜。
 ふと窓から外を見上げれば、月が空にぶら下がるように半分だけ姿を現していた。空気が澄んでいるからか、月のひかりがしんしんと降り注いでいる。そのひかりに照らされ、月の輪郭がうっすらと浮かんでいる。
 自然と月城のことを思い出した。彼は今、どうしてるだろうか。私を、ステラを少しでも待ちわびてくれてるだろうか。
 私は彼の献身を無下にしたのだ。もしかしたらもう、ステラのことも好きじゃなくなっているかもしれない。
 梨々花と美波に告白して気づけたことは、もうひとつある。

 ――『あ、やっとでた! じゃなくて、ステラ大丈夫? 俺、今知ったとこで――』
 ――『知ってる。ステラはそんなことしない』
 ――『ステラ、歌って』

 月城は大事なとき、私をステラと呼んでいた。
 それは私よりもステラを大切に思っている、なによりの証拠だった。
 そりゃそうだ。
 月城は私がステラだから心配して声をかけてきたのだから。私たちの関係はそうして始まった。もし私がステラじゃなかったら月城から深く関わってくることなんてなかっただろう。

 私はステラだけど、ステラは私じゃない。
 私にはステラにはない不純物がたくさん混じっている。
 だから私は月城の中でステラ以上になれない。彼が好きなのは、創作だけをまとったステラだ。私じゃない。
 月城はずっと私を通してステラを見ていたんだ。
 それにもかかわらす不毛な感情を抱いて沈んでいる私が滑稽に思えて、力なく窓辺に寄りかかった。
 空には相変わらず月が浮かんでいて、私のすべてを見透かしているようだった。

 そういえば、Luneさんの「Lune」はフランス語で「月」を意味するらしい。
 私の好きなひとは「月」を冠している。
 そう思うと、少しだけ慰められた。
 Luneさんを照らしていたのは、たぶん、彼女の音楽好きな人たち。だとすれば、月城を照らしていたのは私――ステラだったのかもしれない。だがそれと同時に、彼を壊したのも私だ。だから。

 月城のためにも、ステラは消えなければならない。

 夜の空で白くひかる月を瞳に映しながら、そう強く思った。

      ★

 薄暗い室内でパソコンと向き合う。画面に映し出されているのはステラのYouTubeアカウント。Xの方は凍結されてしまったが、YouTubeの方はかろうじて残っていたのだ。
 これも、消さなければならないと思った。
 ステラは月城を狂わせてしまうから、これ以上彼に影響を与える前に。
 でも、その前にやらなければならないことがある。
 マウスを操作し、ある画面を表示した。
 今にも飛び出しそうな心臓を落ち着かせるように、深く息を吸う。
 今夜両親はどちらもいない。思いっきりやれ。
 時計が20時を示す。

「こんばんは、ステラです」

 人生初の生配信が始まった。
 すぐに同時接続者数が増えていく。

「本日は、現在出回っている虚偽の噂についてお話させていただきます」

 噂と聞いて私がなにについて言いたいのかわかったのだろう。スピカの信者によるものと思われるアンチコメントが湧き始めた。わらわらと群がるさまが蟻みたいだ。そんなことを思いながら、また深く息を吸う。

 ――月城は大きな勘違いをしている。
 私は別にスピカを赦したわけじゃない。
 例えスピカの行動にどんな意図が隠れていたとしても、彼女が私のフォローを外したことも私に盗作されたと濡れ衣を着せてきたことも、時間が巻き戻されない限りひっくり返されることのない事実だから。
 私はスピカを心の底から軽蔑している。
 これはどう足掻いたって変わらない、私の本音。
 こんな悪感情を抱えたままおめおめ逃げるだなんて私にはできない。

「私が誰かの曲を盗作したというのは、事実ではありません」

 私がずっと言いたくて、でも、勇気がなくて言えなかったこと。
 淀みなく告げると、波が引いていくような静けさのあと、大波のようにアンチコメントが押し寄せてきた。とても目で終えるようなスピードじゃない。そのことに逆に安堵した。もし一つ一つ見えていたら、私はまたすり減られていただろう。でも、見えなかったらなにもないのと同じだ。
 汗ばむ手でマウスを握り、画面を共有する。
 大丈夫。授業でやるプレゼンテーションと同じだ。ただ決まったことをそのまま言えばいい。
 事前に用意していた原稿の通り順を追って説明し、誤解をひとつひとつ紐解いていく。『汽水域の恋』は2年前から少しずつ創り上げてきた曲であり、盗作なんてしていないと「これがその証拠です」と当時のデータを交えながら。
 最後にもう一度だけ、夜闇に星を投じるように、強く宣言する。

「私は無罪です。誰かの曲を盗むなんて、そんなことしません」

 暗い空間に漂う青白いひかりたちが乾いた目に染みて痛かった。私は伝えるのに必死で、瞬きすらも忘れていたらしい。
 ゆっくり目を瞑り、呼吸を整える。
 それから恐る恐るチャト欄を覗いた。

〈えじゃあ全部スピカ様の勘違いだったってこと? そんなことある?〉
〈信じられるか〉
〈AIで捏造してんじゃない?〉
〈証拠あんならすぐ報告すりゃいいのになんで今更? 怪しすぎw〉

 スピカを信じきっていた奴らがの水面のように揺れている。私が落としたちいさな水滴たちが波紋を広げているんだ。
 真実はすべて出し切った。あと私に必要なのは、この人が嘘をつくわけがないという説得力。
 目を細め、現状を俯瞰する。
 私が相手にしているのはスピカの信者だ。あの(・・)スピカの。
 パソコンの隣に用意していたコーヒーで喉を潤し、目についたコメントを拾い上げた。

「……もっと早く公表すればよかったというご指摘はごもっともだと思います。私もすぐに公表しようとしました。でも――」

 一拍溜めて言葉を細く編む。

「すごく、怖かった」

 スピカの信者はヒトの弱さに弱い。
 それはスピカが自身を卑下すればするほど信者が異様に持ち上げている様から導き出した結論だった。
 正直、私は他人に弱みを見せるのがあまり好きではない。
 でもそうしてでも、ステラを雑に扱った愚図(スピカ)をここで終わらせてやる。

「知らない人たちから急に犯罪者として扱われ、人格否定されたから、どうしても怖くて、手が動かなかった……」

 当時のことを思い出しながら声を震わせ、弱々しく呟く。
 空気が私に寄り添うのがわかった。先程よりもアンチコメントが投稿される頻度が減っている。
 だがそれでも盲目信者はもう一度火をつけようと騒ぎ立てる。

〈☆信者のみんな騙されないで! スピカ様を信じよう!〉
〈じゃあスピカ様をブロックしたのは?〉
〈やましいことあるからそんなことしたんじゃねーの〉

 想定していた通りの指摘をされ、口角が上がるのがわかった。それが声に出ないように努めながら用意しておいた言葉をそのままなぞる。

「お相手の方をブロックしていたのは本件とは関係ありません。彼女にフォローを外されたその日から私は彼女をブロックしていました」

〈は? 逆恨みかよ爆笑〉
〈フォロー外される時点でお前になんか問題あったんだろ〉

 あの屈辱感を今でもはっきり覚えている。
 だがここで感情的になってしまったら負けだ。あくまでも理路整然と。まるで私がこの世の法であるこのように振るまえ。説得力はその後ろをついてくる。

「新参の方はご存知ないかもしれませんが、以前の彼女は積極的に色んな方をフォローしていました。ですが曲がはねた途端、約5000人のフォローを外してしまったのです。私にはそれが、人のことを雑に扱っているように見え不快に思ったので自衛の意味でブロックしました」

〈いっきに5000人!?!?〉
〈やば〉
〈これマジだよ、投稿残ってる〉

 数字の大きさに驚いたのか、スピカの行動に引く人が表立って現れ始めた。
 どうやら新参者は知らなかったらしい。おおかた曲が流行っているからなんとなく推し始めたライト層なのだろう。そういう人たちは決まってミーハー気質なので時が過ぎれは自然とスピカから離れていくだろう。
 面倒なのは洗脳されきった古参の連中だ。

〈お前が底辺だから外されたんだろ!〉
〈むしろ1回フォローされただけでも感謝しろよww〉

 無茶苦茶な言い分で私を非難してくる。話が通じなさそうで頭が痛い。
 反論するべきが受け流すか逡巡しようとしたとき、新たな火種が投下された。

〈☆信者のみんなが教えてくれたので見にくることができました、スピカです! 本人です! まずはわたしの勘違いでステラさんに多大なるご迷惑をおかけしましたことお詫び申し上げます。すぐに発言を撤回されていただきます! また、急にフォローを外してしまったこともごめんなさい。まさかこんなに傷つく人がいるとは思わなくて……。わたしによる軽率な行動でした。反省してます泣 今更になりますが、もう一度フォローし合うということでよろしいでしょうか? もちろんそれで許されるとは思っていません!〉

〈スピカ様きたーーーーーー☆☆☆☆☆☆☆〉
〈こんな人の配信来なくていいですよ! 私たちが頑張るんで><〉

 ――こいつは何を言っている?
 何故再びフォローし合うことがせめてものお詫びになると思っているのか。しかも「ということでよろしいでしょうか?」と私が要求してみたから応えましたよみたいな言い回しも気分悪い。これではまるで私が加害者だ。相変わらずこの愚か者は被害者ぶることに長けている。

「……正気?」

 あまりの有り得なさに、ついそんな言葉が口をついて出ていた。

「じゃあなんで――信者どもに私を叩かせたの?」

 呆れとも侮蔑とも取れる声が落ちる。空気がピりついた。
 コメントの内容からしてかなり前から閲覧していたようだ。このタイミングで投稿したのは自身が不利な雰囲気になってきたからか、それともたまたまか。
 それは私の知るところではないが、ここはあくまで私のホームグラウンド。配信を切るのもコメントをブロックするのも私の自由だ。
 溢れ出そうになる罵倒を呑みこめ。私に非を作るな。自分を律しろ。
 唇を噛み締め、耐える。
 そして、拳を握りしめながら続けた。

「私が叩かれていい気味とでも思った? 止めるどころか遠回しに私のことを犯罪者呼ばわりしたり、辛いことがあって活動が……とか言ったりして、怒りの矛先が私に向くようにしてたでしょ?」

 まるで悪いことをした子どもに自身の非を認めさせようとするかのように淡々と続ける。

「無意識かもしれないけど、あなたがしたのはそういうこと。現に私は誹謗中傷され、人格まで否定された。そしてそれをあなたは止めようとしなかった」

 そう、スピカは止めなかった。清廉潔白な教祖様で売りたいなら相手の方のことは叩かないでくださいとでも言えばいいものを、それもなし。さらに炎上が若干落ち着きつつあった時期に遠回しにステラのせいで活動を控えると言い出した。だかそれも承認欲求に負けたのか数日で元に戻り、挙句の果てには花火の写真なんて投稿する始末。

〈ごめんなさい……! ステラさんが叩かれてるって知らなかったんです><〉

 そんな人間が私の置かれていた状況を知らなかったはずがない。嘘をつくのも大概にしろ。

「『知らなかった』? 知らなくても想像はできるでしょ。それとも想像力すらないの?」

 いくら嘘くさくても証拠もなしに糾弾すれば叩かれるのは私だ。だからあえて想像力という創作をする上で必要不可欠なものに触れた。それがないと問われること自体屈辱だから。
 それにしてもなんでこの期に及んで顔文字なんて使えるんだろう。そんなふわふわしたした喋り方で許される段階はとっくに過ぎてる。おまえが越えてはいけないラインを越えたからだ。

「誹謗中傷が悪化すればするほど、私はあなたたちを訴えやすくなる。それにもかかわらず信者に狂おしいほど信仰されているスピカ様は、自身の鬱憤を晴らすために、信者を使って訴えられたら負けるほどのことをさせた。否定したくても、それが私から見たあなただよ」

 核心を突くように、ゆったりと間を持たせてから告げる。

「――あなたは結局、自分のことしか考えてないんだよ」

 自分の痛みばかりに敏感で他人の痛みに鈍感。だから自分の不幸に囚われて、もってるものの豊かさに気づかない。音を思いっきり紡げる環境も、その音を好きだと言ってくれる人も全部持ってるくせに。
 でも私はこいつのことが嫌いだから、そんな大事なこと教えてあげない。勝手に病んでろ。

「……そういえば、前に活動やめようかとか呟いてたね。この際だしもっと大きな問題を起こす前に辞めたら?」

 目障りなものはないに越したことはない。
 こんな言葉にやられて辞めるとは思えないが、辞めるなら音への執着はそこまでということだ。
 ふと私とスピカが話し出したことによりなりを潜めつつあったチャト欄の〈お前が辞めろ〉というコメントが目に留まった。それを見てきょとんとする。

「え、私? 私は辞めないよ。私にとって音楽は生命活動そのものだから」

 あまりにもありえないことだったので、つい素で答えてしまった。
 スピカ以外にも敬語を外してしまったが、そこはまぁいい。今さら取り繕うつもりなんてない。
 チャト欄もそのことには触れず「生命活動」の部分に注目していた。

〈生命活動? え、なに厨二病??w〉
〈イタタタタ誰か絆創膏持ってきて(××)〉
〈異常者で草〉

 未熟者ほど逸脱したものを崇めるか辱める。
 以前の私ならその一言で片付けていただろう。今だってそう思ってるのは事実だ。
 でも、仄暗で部屋でひかりだけを見ていたからか、ふとあることに気づいた。
 ――あぁ、そうか。
 彼らは、音を降る感覚を知らないんだ。
 当たり前のことだけど、灯台の下に佇む暗がりに気づけないように、私もそのことに気づけていなかった。

「……確かに、私は異常者かもね。私は紡いでないと人との関わり方すらあやふやになって、まともに生活すら保てなくなるの」

 この感覚が世間から乖離していることは私が一番わかってる。でも。

「共感できなくていい。ただ、理解して。私のような人間もいるんだって」

 これは、私の切実な願いだった。
 もしかしたら私は、誰かにわかってほしくて投稿を始めたのかもしれない。だって音を紡ぐだけならひとりでもできるから。
 新たに見つけた私のかけらを胸に抱きながら前を向いた。

「何年後何十年後でも立っていられるのは、私のような人間だと思ってる」

 だから、と深く息を吸って、一番星の意味すらあやふやな人間にぶつける。

「どれだけ功績をあげようと、あなたは私の下。すぐ辞めようかなんて軽そうな発言をする人間はどう足掻いたって私には一生叶わない」

 夜を切り裂く流れ星のように。

「結局強いのは、ずーっと音とあり続けられるひとだから」

 私はスピカを突き放した。

 言いたいことを言い切ったからか、喉のつかえがとれたかのように息がしやすくなった。肩にのしかかっていた重圧感も消えている。チャット欄にはまだ私を責め立てる人が残っているが、もとより全員私の味方になるなんて思っていなかったから、そこは重要じゃない。
 大事なことは全部吐き出した。それで十分。今すぐになにか変わるとは思えないが、私が投じた一矢がずっと抱えていた黒い靄を持って行ってくれたのは確かだ。
 ぐっと伸びをし、さっきとは打って変わって飄々とした調子で口を開いた。

「じゃあ私はさっさとここ降りるから。あとはご自由に」

 違う波紋が広がる中で続きを紡ぐ。

「今回の件で私は、ステラとしての活動を終了することに決めました。私に非はないにしろ、今後活動を続けていけば、きっとどこかで今回のことが足をひっばると考えたからです。だから、新しいかたちで一から始めようと思います」

 チャット欄でさっさとやめろという声とステラの活動終了に少なからずショックを受ける声が入り混じる。その中で私を想う人たちに向けて言葉を送った。

「今まで私のこと応援してきてくれて、本当にありがとうございました。今日でステラは消えますが、私は絶対音楽を辞めないので、そこだけは安心して。約束します」

 そして不敵に微笑む。

「私にとって音を紡ぐことは、息をすることだから」

 笑った拍子に髪が首を撫でた。
 月城にステラの正体を言い当てられたときにはギリギリ首元に届くくらいだったのに、いつの間にか鎖骨まで伸びていた髪。長さにすれば3センチすら満たすかわからないけれど、私にとってはかけがえのないものだった。

「最後に一曲だけ、捧げます」

 マウスを操作し、ある画面を表示した。

「『徒花(あだばな)』」

 題名を告げると同時に曲をかけた。ヘッドフォンを押さえ、集中する。
 今はただ、彼のために歌いたかった。
 私にはこれしかできないから。

 ごめんね月城。散々振り回して。
 それでも、あなたを照らすのは、私だったのかな。

 曲が終わり、静寂が訪れる。
 流れてくるたくさんのコメントの中で、私は白いアイコンに釘付けになった。

 shiro〈いなくならないで〉

 その言葉は彼がわずかな可能性に縋りついているようで、視界がぼやけた。
 それでも私の決定は覆らない。

「ううん、ステラはもうおしまいだよ」

 必死にしがみつく手をそっと外してあげるように優しく諭し、ちいさく笑った。

「以上、ステラでした」

 こうして私は、ステラを消した。