9月に入り十五夜も近づいてきたというのに一向に気温が下がらない現状を全部地球温暖化のせいにしながら帰っていた日。
せっかくの土曜日にもかかわらず記述模試を受けるために朝起きて学校に出向いてそのまま自己採点を終わらせて帰るなんて我ながら偉すぎる。本当は早く家に帰ったら母親に模試について根掘り葉掘り訊かれて面倒だから残ってただけだが、理由はどうであれやったことは偉いのだから自画自賛していいと思う。
視界の傍らではゆっくりと夜が空を覆い始めている。空気は相変わらず湿っぽくて、9月が秋だなんてもう言えないな、と独りごつ。
文化祭が終わり、目立った行事のない日々は少し退屈だ。
だから私は少し前のことを掘り起こす。
月城が言った「計画的に」とは、スピカが確実に現れる日、確実に現れる時間、確実に現れる場所に張り込むというものだった。今までは藁にもすがる思いで大体の推測で手当り次第動いていたが、母親の件があった影響でより狡猾に動くようになったのだ。
だがあれからスピカの素顔特定は進んでいない。
彼女がリアルタイムの投稿をなかなかしなくなったからだ。
バズったことで身バレを警戒するようになったか、盗作されたことで投稿自体が怖くなったか。月城は同じような日々を過ごしているから書くことがないんじゃないかとそれはそれは嫌そうな顔で言っていたが。
私がスピカを軽蔑しているのと同じように彼もスピカを軽蔑しているのだ。
グイッと空に向かって伸びをすると弱い光を放つ星が見えた。
9月に誕生日を迎える人の大半がおとめ座。スピカが主役の星座だ。
そう思うだけで全く関係ない星にまで中指を立てたくなった。
こんなふうに私はじわじわと苛まれている。
生きにくい。
そういえば、月城が「計画的にいこう」と言ったときの、あの翳りはなんだったのだろう。
単なる思い込みなのか、それともあれが月城の本性なのか。
どっちが正解なのか判断できるほど、私は月城のことを知らない。
いつかわかる日がくるのだろうか。
――ヴーヴー
思考に入り込むように電話がかかってきた。
「侑久」の文字を認めると、反射で応答ボタンを押した。
「もしもし。月城? どうし――」
『夜野! 今送った場所まですぐ来て!』
「え、なん――」
『あいつがそこにいる!!』
「えっ」
――あいつって……スピカが?
ドクン、と心臓が跳ね、スマートフォンを握る手に力がこもった。
月城がここまで焦っているということは、確実な情報が入ったということ。
月城の示すところに行けば、そこにスピカがいる。
ついに、ついに……!
「わかった。すぐ行く」
乾く口を暑さのせいにして、私は強く頷いた。
★
逸る気持ちを抑えるようにスマートフォンを握っていたからか、月城と合流するときにはすっかり手が白くなっていた。最寄り駅に着くなり急いで来たものだから若干息も切れているし、汗も滲んでいる。
だからこそ、目の前の光景に唖然とするしかなかった。
「夏、祭、り……?」
道の両脇に並んだ屋台、道を照らす色とりどりのちょうちん、浴衣を着て行き交う人々。どこをどう切り取っても夏祭りだ。私たちはその入口に立っている。
来る途中になんかこの駅で降りる人多いなとかみんな同じ方向に行ってるなとかこんな時期に浴衣なんて珍しいなとか近くで祭りでもあるのかなとか思わなかったわけじゃない。
でもまさか目的地が同じだとは思わないじゃないか。
電話口では私以上に焦っていた月城も、今は平然と隣にいて同じ光景を眺めている。
状況が上手く呑み込めない私の気持ちを汲むように、月城が頷いた。
「そう。本来なら8月の下旬あたりにするお祭りらしいんだけど台風で延期になったんだって。それで今日やってるとか。もうちょっと暗くなったら花火も上がるらしいよ」
「なる、ほど」
この祭りが9月中旬に行われている理由はわかった。
問題はその次だ。
「それで、あいつは?」
問うと、月城は私を見ずに答えた。
「さぁ。ここのどこかにはいるよ」
「え……」
人混みを眺めながらなんとなくそんな気はしていたが、いざ言われてみるとショックを受けた。ついにスピカの顔面を拝めると期待してきたというのに。
月城は申し訳なさからか私と目を合わせようとしない。いや、どちらかと言うと気まずさからか。
スピカの情報収集を月城に任せている立場なのでこんなことくらいで彼を責め立てる気にはならないが、こうなった経緯は気になるので無言の抗議をしていると、観念したようにそれはそれはぎこちなく説明してくれた。
曰く、久々にスピカが今日花火大会に行くというリアルタイム投稿をしたので取り急ぎ今日行われる花火大会を調べ、勢いそのままに私に連絡してきたらしい。
月城は焦っていたのだ。
ここ最近スピカに関する情報が手に入らないから。
それでつい早とちりしてしまった。
聞いてみればなんだそんなことなのかと納得したが月城は引きずっているらしく、話の最後には「あれだけ急かしたのにダサすぎて穴があったら入りたい……」と左手で顔を覆っていた。
「無駄足踏ませてほんとごめん。帰ろっか」
「待って」
そそくさと去ろうとした月城の腕を掴み、引き止める。
「ここまで来たのに帰るのもったいなくない?」
「でも、」
「親には友だちと祭りに行くって連絡しとく。ここ最近頑張ってたし、たまの息抜きなら文句ないでしょ」
そう言うと月城は大人しくなった。
なんとなくそうかなと思っていたが、月城は私がまた母親になにか言われないか心配していたようだ。
あれ以降母親から勘ぐられることもなければ月城について問われることもないし、たまに月城の前でメロディを口ずさむことで息抜きだってできているのでだいぶ安定してきている。だが一度盛大に壊れたところを見せてしまったせいで余計に気を遣われているのだ。
べつにそんなことしなくていいのに。
私は、月城と対等でありたい。
「どうせ来たんなら満喫しよ」
少し口角をあげながらそう提案すると、月城も少しだけ笑ってちいさく頷いた。
★
夏祭りといったら射的や金魚すくい、というイメージがあるが、最近は体験型の屋台は減少傾向にある気がする――と、石畳の上を歩きながらウィンドウショッピングするみたいに屋台を巡りつつ思った。
道行く屋台には焼きそばやフライドポテト、りんご飴、かき氷といった王道の食べ物はもちろんのこと、肉巻きおにぎりやカレー、ホルモン焼き、チュロスなどが名を連ねている。
これも時代の流れで需要がなくなったきているのか、それともただ単に売れ行きが悪いのか。この祭りに来ている人の大半が花火目当てだろうし、そうなってくると体験型のものよりも花火と一緒に楽しめる飲食系の屋台の方が売れやすいのはなんとなくわかる。あと、金魚すくいはすくったあとのことを考えると安易に手が出せないのも原因だろう。
月城と話ながらそんなことを考えていると、後ろの方からギターの音と歌声が聞こえた。
反射的にぴた、と足が止めて振り返る。
「どうしたの? ……ああ、ステージ?」
「うん」
私に合わせて止まった月城も、野外に設置されたステージに目を向ける。
どうやら地元の大学生バンドらしき人たちがライブを行っているようだ。ステージの前には背もたれのないプラスチック製のベンチと、そこに座る彼らの知り合いと思しき人たちや、休憩のためにたまたまそこに居合わせたであろう人たちがいた。
音響も悪ければ技術もまだまだ未熟。ただでさえ汗が滲むほど暑いのに、太陽のオレンジみたいな照明の下で歌うなんて、考えただけでどろどろと溶けそうになる。
でも、彼らはすごく活き活きしていて楽しそうだった。それどころかその熱すらもエネルギーに変えているように見える。
率直にすごいな、と思った。
「……出てみたいの?」
ふいに耳元で月城の声がした。
そこですっかり見入っていたことに遅れて気づく。
月城は私が聞こえていないと思ったのか、少しでも動けば触れてしまいそうなほど近くにいて。じんわり伝わってくる体温と伏し目がちに見つめてくる瞳に、不覚にも心が揺らいでしまった。
そんな私の心情を知らない月城は、なおも私の様子をじっと見ている。
先に耐えられなくなったのは私の方で、ふいっと背けるみたいに顔をステージの方へ戻した。
「いやいや、私顔出ししてないし無理だよ」
「無理とか無理じゃないとかじゃなくて、出たいか訊いてるんだけど」
覆面でも活動してる人いるじゃん、と付け加えられ、言葉に詰まった。
出たいか、出たくないか。
そんなこと考えたこともなかった。
「……さぁ」
だから、すぐには答えが出ない。
「でも、いいね。ああいうのも」
「……」
音はひとりで紡ぎたい。
これは依然として変わらないが、目の前の人に自身の音をぶつけにいく彼らが、今やもう懐かしい、小さい頃に感じていたあの夏の清々しさに似ていると思った。
彼らの演奏が終わり、観客が拍手を送っているのを見届けると、斜め上の月城に視線を滑らせた。
「ね、月城」
「なに?」
「前に委員会1人で行ってくれたときあったじゃん。そのとき別れ際くらいにしれっとステラって言わなかった?」
「えっ、それ今掘り返す? ていうか聞こえてたの?」
頷いて肯定してみせると、月城は恥ずかしそうに「誰にも聞こえてないって思ったから言ったんだけど……」とこどした。
唐突に思い出したことを口にしただけで全くそんなつもりはなかったが、思いがけずさっきの反撃ができたようだ。私だけが照れるなんて割に合わない。
「あのときのお礼まだしてなかったよね」
頑なに受け取ってくれなかったし、と月城に倣って付け足すと、バツが悪そうに顔を逸らされた。
「何食べたい? 射的とかヨーヨー釣りとかでもいいよ。1個だけ奢ってあげる」
「いやいいよ。申し訳ないし」
「大丈夫。私にもある程度稼ぎはあるから」
「嘘でしょ。ステラは広告収入とか一切受け取ってないじゃん」
「……よく知ってるね」
さすがに月城の目は誤魔化せなかったか。
わざわざ公表したことはなかったが、ステラは広告収入をもらっていない。つまり、曲の前に一切広告が流れないのだ。何回か曲を聴いていれば気づく人は気づくだろう。
そのことを度々コメント欄に書き込まれ、〈広告がないと聴きやすくてありがたい!〉や〈広告ないから安心して音量大きくできる♪〉などと喜ばれているが、別に聴く人のためにそうしているわけじゃない。
理由は簡単。
お金を稼いだらそれを受け取らなければならないが、私にはその術がないからだ。
私の通帳もカードも親が管理している。
そもそもの話、18歳未満は保護者が代理でそれらの手続きをしなければならないため、その時点で実現不可能。
前にスピカの曲を再生したときには広告が流れた。どうやら彼女は収益化しているらしい。
まぁそうだろうな。あいつは親に応援されて活動しているのだから。高校もまともに通えてないんじゃ先が不安だろうし、収入源の1つくらい欲しくなるのも理解できる。
余計なことが脳裏をよぎり、そんな自分に嫌気がさした。
結局奢る奢られる論争は、会計のときに先にお金を出した月城が勝利し、はい、と口元に冷やしパインをあてがわれた。絶対に引く気のない月城から遠慮がちに受け取って1口かじると、パインの甘い果汁が口の中に広がって喉まで満たされた気がした。すると彼も満足したようで、口角を持ち上げた。かつて見た三日月のような笑みだった。
★
すっかり日も暮れ、辺りを灯すちょうちんが存在感を示しだした頃。
私たちが来たときよりも人が増え、肩が触れるほどの距離にいなければ簡単に人波に呑まれてしまいそうなほどで、夜になったというのに気温も上がっている気がする。
これじゃあスピカなんて見つかりっこない。さっき屋台を回るときだってそれとなく探してみたが、それらしい人物は見当たらなかった。
「夜野、こっち」
「うん」
そんな中、私たちは花火が見やすい所へと移動していた。
どうやら月城は人波を縫うのが得意らしい。彼の後ろに続くと不思議なことスイスイと海を泳ぐように進めるのだ。こんなところで特技が発覚するなんてちょっと面白いなと思っていると、少しひらけたところに辿り着き、そこに収まった。
目の前に背の高い人がいないのでこれなら十分花火が見られるだろう。
さっきよりも服越しに月城の体温を感じるが、今はそこにちゃんと彼がいるのだと、かえって安心した。
それから程なくして、開始を告げるアナウンスとともに花火が空に咲いた。
山頂から打ち上げられる花火を見るのは、これが初めてだ。山間部にいるからか、音が反響して花火がより近く感じられる。
ヒューッと縦笛みたい音ともに空に登り、花が咲いたと知らせるようにドンッと太鼓みたいな音が遅れてやってきて、パラパラと拍手みたいな散っていく。
花火は音だけでも楽しめるから割と好きだ。
もちろん、視覚的にも楽しい。澄んだ空から流星のように降り注ぐ花火は空全体を覆う網のようにも思えて、まるで捕らえられたかのような錯覚に陥る。
すっかり花火に目を奪われながら、以前川で見た花火のことを思い出した。
高校1年生の夏。
梨々花と美波と夏祭り行きたいよね、花火も見たいねという話になり、調べてみたら次の土曜日に大きな花火大会が開かれるとのことだったので、補講終わりに電車を乗り継ぎ遊びに行ったのだ。
当然座席の予約なんてしていなかったから、有料席の後ろのやや離れたところに陣取り、フランクフルトやかき氷など各々好きなものを食べながら鑑賞した。私はとうもろこしをかじっていたと思う。
花火が始まると前に立っている人がスマートフォンで花火を録画し始めたので、少し見にくくなた。それに気づいた美波が場所代わろうか小声で訊いてきたけれど、申し訳ないので断った。
一部だけスマートフォン越しに観る花火はなんだか味気なくて、少し視線を下に滑らせると、人の隙間から川に映る花火が見えた。
実物よりも淡く滲んでいて、なんだか涙越しに見る世界のようだった。
鏡合わせのように見られたら、どんなに綺麗なんだろう。
そう思ったことをよく覚えている。
眼前で次々と花火が打ち上げられている中、かつて見られなかった川に映る花火に思いを馳せているときだった。
「綺麗だね」
ぽつりと月城が呟いた。
花火の音より遥かにちいさい声のはずなのに、やけに鮮明に聞こえた。
「……そうだね」
ちらりと月城を盗み見れば、花火の光によって月城の整った輪郭が照らされていた。
髪に花火の色が反射してきらきらと瞬いている。
赤や緑、青、黄、オレンジ、紫。色に合わせて変わっていく。
素直に綺麗だと思った。
花火の音と光と――月城も。
終わりを告げるアナウンスが、やけに遠くから聞こえた気がした。
周りの人たちがぞろぞろと帰り始める。私たちもその流れに乗ろうとしたとき。
「――え」
月城がスマートフォンの液晶画面を凝視して固まった。
数秒遅れて私の前にそれを突き出す。
「俺らが写ってる」
「え、」
青白い画面に映っていたのはスピカのXのポスト。
そこには〈おおきなお花を観てきました☆〉という文面とともに花火の写真と観客の後ろ姿の写真が添付されていた。
その写真を見て、目が開くのがわかった。
間違いない。私と月城もそこに写っている。
スピカが、私たちの近くで、花火を観ていたんだ。
弾かれたようにバッと辺りを見渡した。
もしかしたら、まだ近くにスピカがいるかもしれない。
「レッスンの後に寄るって書いてあったから、ギターケースとか背負ってるかも……!」
月城が早口で情報をくれる。
街灯はあるものの、一人一人の顔をじっくり見られるほど明るくない。でもギターケースならシルエットでわかるはずだ。
心臓が痛いほど脈打っている。今見つけられなかったらもう二度とこんなチャンスは来ないかもしれない。
浅い呼吸を繰り返す。
それが止まったのは、とある少女が街灯の真下を通ったとき。
「月城! あれ!!」
一目見ただけであいつだと思った。
雰囲気が、あいつに似ていたから。
月城も遅れて「あれ、あいつのキーホルダーと一緒……!」と声をあげる。
野暮ったい前髪と孔雀の羽に似たアホ毛。背中まで伸びた髪。思春期特有の希死念慮に囚われている瞳。
猫背。そのせいで服に着せられているが如く、ギターケースに背負われているように見える。ところどころ髪の毛が絡まっていて、冬でもないのに静電気のバチバチ音が聞こえそうだ。
それらを視認した途端、急激に萎えてしまった。
――なんでだろ。あんなにスピカが憎かったのに。……いや、今も憎いのは憎い。じゃあ、なんで。
「夜野、写真っ」
早く撮れと急かす月城が、もたついてる私を焦れったく思ったのか、自身のスマートフォンを翳す。
その一連の動作がいやにスローモーションに見えた。
そして、気づいたときには、彼を手で制していた。
「月城、辞めよう」
「え……なんで? スピカのこと嫌いなんでしょ? 弱み握りたいって思ってるんでしょ?」
「うん」
「ならっ……」
「でも、これは違うって思ったの」
月城の言う通り、私はスピカが大嫌いで弱みを握って優位に立ちたいし、今すぐにでも消えて欲しいって思ってる。
でも、実物を見て、その中の人に苦しんで欲しいってわけじゃないって気づいたの。
あんな弱そうな中身を罵倒したところで、私の鬱憤は晴れない。
だから――。
そう告げようとしたとき、月城に両肩をグッと掴まれた。
「意味わかんない。あいつはステラを濡れ衣を着せた! ステラの今までを穢したし、ステラをたくさん侮辱した!」
「月城、痛」
「バチが当たっても当たり足りないのに、夜野はあいつを庇うの? ステラが大事じゃないのかよ!!」
掴まれた肩が痛い。
こんなに取り乱した月城、初めて見た。
月城は苦しそうに顔を歪めている。それがどこか唯一の味方を失ったかのように見えて。
どうして、と喉までかかった言葉を呑み込んだ。
こんな月城、知らない。
でも、私はこの熱量を知っている。
――あぁ、そうだ。どうして気づかなかったんだろう。
月城はいつの間にか、信者のような目で私を見ていた。
せっかくの土曜日にもかかわらず記述模試を受けるために朝起きて学校に出向いてそのまま自己採点を終わらせて帰るなんて我ながら偉すぎる。本当は早く家に帰ったら母親に模試について根掘り葉掘り訊かれて面倒だから残ってただけだが、理由はどうであれやったことは偉いのだから自画自賛していいと思う。
視界の傍らではゆっくりと夜が空を覆い始めている。空気は相変わらず湿っぽくて、9月が秋だなんてもう言えないな、と独りごつ。
文化祭が終わり、目立った行事のない日々は少し退屈だ。
だから私は少し前のことを掘り起こす。
月城が言った「計画的に」とは、スピカが確実に現れる日、確実に現れる時間、確実に現れる場所に張り込むというものだった。今までは藁にもすがる思いで大体の推測で手当り次第動いていたが、母親の件があった影響でより狡猾に動くようになったのだ。
だがあれからスピカの素顔特定は進んでいない。
彼女がリアルタイムの投稿をなかなかしなくなったからだ。
バズったことで身バレを警戒するようになったか、盗作されたことで投稿自体が怖くなったか。月城は同じような日々を過ごしているから書くことがないんじゃないかとそれはそれは嫌そうな顔で言っていたが。
私がスピカを軽蔑しているのと同じように彼もスピカを軽蔑しているのだ。
グイッと空に向かって伸びをすると弱い光を放つ星が見えた。
9月に誕生日を迎える人の大半がおとめ座。スピカが主役の星座だ。
そう思うだけで全く関係ない星にまで中指を立てたくなった。
こんなふうに私はじわじわと苛まれている。
生きにくい。
そういえば、月城が「計画的にいこう」と言ったときの、あの翳りはなんだったのだろう。
単なる思い込みなのか、それともあれが月城の本性なのか。
どっちが正解なのか判断できるほど、私は月城のことを知らない。
いつかわかる日がくるのだろうか。
――ヴーヴー
思考に入り込むように電話がかかってきた。
「侑久」の文字を認めると、反射で応答ボタンを押した。
「もしもし。月城? どうし――」
『夜野! 今送った場所まですぐ来て!』
「え、なん――」
『あいつがそこにいる!!』
「えっ」
――あいつって……スピカが?
ドクン、と心臓が跳ね、スマートフォンを握る手に力がこもった。
月城がここまで焦っているということは、確実な情報が入ったということ。
月城の示すところに行けば、そこにスピカがいる。
ついに、ついに……!
「わかった。すぐ行く」
乾く口を暑さのせいにして、私は強く頷いた。
★
逸る気持ちを抑えるようにスマートフォンを握っていたからか、月城と合流するときにはすっかり手が白くなっていた。最寄り駅に着くなり急いで来たものだから若干息も切れているし、汗も滲んでいる。
だからこそ、目の前の光景に唖然とするしかなかった。
「夏、祭、り……?」
道の両脇に並んだ屋台、道を照らす色とりどりのちょうちん、浴衣を着て行き交う人々。どこをどう切り取っても夏祭りだ。私たちはその入口に立っている。
来る途中になんかこの駅で降りる人多いなとかみんな同じ方向に行ってるなとかこんな時期に浴衣なんて珍しいなとか近くで祭りでもあるのかなとか思わなかったわけじゃない。
でもまさか目的地が同じだとは思わないじゃないか。
電話口では私以上に焦っていた月城も、今は平然と隣にいて同じ光景を眺めている。
状況が上手く呑み込めない私の気持ちを汲むように、月城が頷いた。
「そう。本来なら8月の下旬あたりにするお祭りらしいんだけど台風で延期になったんだって。それで今日やってるとか。もうちょっと暗くなったら花火も上がるらしいよ」
「なる、ほど」
この祭りが9月中旬に行われている理由はわかった。
問題はその次だ。
「それで、あいつは?」
問うと、月城は私を見ずに答えた。
「さぁ。ここのどこかにはいるよ」
「え……」
人混みを眺めながらなんとなくそんな気はしていたが、いざ言われてみるとショックを受けた。ついにスピカの顔面を拝めると期待してきたというのに。
月城は申し訳なさからか私と目を合わせようとしない。いや、どちらかと言うと気まずさからか。
スピカの情報収集を月城に任せている立場なのでこんなことくらいで彼を責め立てる気にはならないが、こうなった経緯は気になるので無言の抗議をしていると、観念したようにそれはそれはぎこちなく説明してくれた。
曰く、久々にスピカが今日花火大会に行くというリアルタイム投稿をしたので取り急ぎ今日行われる花火大会を調べ、勢いそのままに私に連絡してきたらしい。
月城は焦っていたのだ。
ここ最近スピカに関する情報が手に入らないから。
それでつい早とちりしてしまった。
聞いてみればなんだそんなことなのかと納得したが月城は引きずっているらしく、話の最後には「あれだけ急かしたのにダサすぎて穴があったら入りたい……」と左手で顔を覆っていた。
「無駄足踏ませてほんとごめん。帰ろっか」
「待って」
そそくさと去ろうとした月城の腕を掴み、引き止める。
「ここまで来たのに帰るのもったいなくない?」
「でも、」
「親には友だちと祭りに行くって連絡しとく。ここ最近頑張ってたし、たまの息抜きなら文句ないでしょ」
そう言うと月城は大人しくなった。
なんとなくそうかなと思っていたが、月城は私がまた母親になにか言われないか心配していたようだ。
あれ以降母親から勘ぐられることもなければ月城について問われることもないし、たまに月城の前でメロディを口ずさむことで息抜きだってできているのでだいぶ安定してきている。だが一度盛大に壊れたところを見せてしまったせいで余計に気を遣われているのだ。
べつにそんなことしなくていいのに。
私は、月城と対等でありたい。
「どうせ来たんなら満喫しよ」
少し口角をあげながらそう提案すると、月城も少しだけ笑ってちいさく頷いた。
★
夏祭りといったら射的や金魚すくい、というイメージがあるが、最近は体験型の屋台は減少傾向にある気がする――と、石畳の上を歩きながらウィンドウショッピングするみたいに屋台を巡りつつ思った。
道行く屋台には焼きそばやフライドポテト、りんご飴、かき氷といった王道の食べ物はもちろんのこと、肉巻きおにぎりやカレー、ホルモン焼き、チュロスなどが名を連ねている。
これも時代の流れで需要がなくなったきているのか、それともただ単に売れ行きが悪いのか。この祭りに来ている人の大半が花火目当てだろうし、そうなってくると体験型のものよりも花火と一緒に楽しめる飲食系の屋台の方が売れやすいのはなんとなくわかる。あと、金魚すくいはすくったあとのことを考えると安易に手が出せないのも原因だろう。
月城と話ながらそんなことを考えていると、後ろの方からギターの音と歌声が聞こえた。
反射的にぴた、と足が止めて振り返る。
「どうしたの? ……ああ、ステージ?」
「うん」
私に合わせて止まった月城も、野外に設置されたステージに目を向ける。
どうやら地元の大学生バンドらしき人たちがライブを行っているようだ。ステージの前には背もたれのないプラスチック製のベンチと、そこに座る彼らの知り合いと思しき人たちや、休憩のためにたまたまそこに居合わせたであろう人たちがいた。
音響も悪ければ技術もまだまだ未熟。ただでさえ汗が滲むほど暑いのに、太陽のオレンジみたいな照明の下で歌うなんて、考えただけでどろどろと溶けそうになる。
でも、彼らはすごく活き活きしていて楽しそうだった。それどころかその熱すらもエネルギーに変えているように見える。
率直にすごいな、と思った。
「……出てみたいの?」
ふいに耳元で月城の声がした。
そこですっかり見入っていたことに遅れて気づく。
月城は私が聞こえていないと思ったのか、少しでも動けば触れてしまいそうなほど近くにいて。じんわり伝わってくる体温と伏し目がちに見つめてくる瞳に、不覚にも心が揺らいでしまった。
そんな私の心情を知らない月城は、なおも私の様子をじっと見ている。
先に耐えられなくなったのは私の方で、ふいっと背けるみたいに顔をステージの方へ戻した。
「いやいや、私顔出ししてないし無理だよ」
「無理とか無理じゃないとかじゃなくて、出たいか訊いてるんだけど」
覆面でも活動してる人いるじゃん、と付け加えられ、言葉に詰まった。
出たいか、出たくないか。
そんなこと考えたこともなかった。
「……さぁ」
だから、すぐには答えが出ない。
「でも、いいね。ああいうのも」
「……」
音はひとりで紡ぎたい。
これは依然として変わらないが、目の前の人に自身の音をぶつけにいく彼らが、今やもう懐かしい、小さい頃に感じていたあの夏の清々しさに似ていると思った。
彼らの演奏が終わり、観客が拍手を送っているのを見届けると、斜め上の月城に視線を滑らせた。
「ね、月城」
「なに?」
「前に委員会1人で行ってくれたときあったじゃん。そのとき別れ際くらいにしれっとステラって言わなかった?」
「えっ、それ今掘り返す? ていうか聞こえてたの?」
頷いて肯定してみせると、月城は恥ずかしそうに「誰にも聞こえてないって思ったから言ったんだけど……」とこどした。
唐突に思い出したことを口にしただけで全くそんなつもりはなかったが、思いがけずさっきの反撃ができたようだ。私だけが照れるなんて割に合わない。
「あのときのお礼まだしてなかったよね」
頑なに受け取ってくれなかったし、と月城に倣って付け足すと、バツが悪そうに顔を逸らされた。
「何食べたい? 射的とかヨーヨー釣りとかでもいいよ。1個だけ奢ってあげる」
「いやいいよ。申し訳ないし」
「大丈夫。私にもある程度稼ぎはあるから」
「嘘でしょ。ステラは広告収入とか一切受け取ってないじゃん」
「……よく知ってるね」
さすがに月城の目は誤魔化せなかったか。
わざわざ公表したことはなかったが、ステラは広告収入をもらっていない。つまり、曲の前に一切広告が流れないのだ。何回か曲を聴いていれば気づく人は気づくだろう。
そのことを度々コメント欄に書き込まれ、〈広告がないと聴きやすくてありがたい!〉や〈広告ないから安心して音量大きくできる♪〉などと喜ばれているが、別に聴く人のためにそうしているわけじゃない。
理由は簡単。
お金を稼いだらそれを受け取らなければならないが、私にはその術がないからだ。
私の通帳もカードも親が管理している。
そもそもの話、18歳未満は保護者が代理でそれらの手続きをしなければならないため、その時点で実現不可能。
前にスピカの曲を再生したときには広告が流れた。どうやら彼女は収益化しているらしい。
まぁそうだろうな。あいつは親に応援されて活動しているのだから。高校もまともに通えてないんじゃ先が不安だろうし、収入源の1つくらい欲しくなるのも理解できる。
余計なことが脳裏をよぎり、そんな自分に嫌気がさした。
結局奢る奢られる論争は、会計のときに先にお金を出した月城が勝利し、はい、と口元に冷やしパインをあてがわれた。絶対に引く気のない月城から遠慮がちに受け取って1口かじると、パインの甘い果汁が口の中に広がって喉まで満たされた気がした。すると彼も満足したようで、口角を持ち上げた。かつて見た三日月のような笑みだった。
★
すっかり日も暮れ、辺りを灯すちょうちんが存在感を示しだした頃。
私たちが来たときよりも人が増え、肩が触れるほどの距離にいなければ簡単に人波に呑まれてしまいそうなほどで、夜になったというのに気温も上がっている気がする。
これじゃあスピカなんて見つかりっこない。さっき屋台を回るときだってそれとなく探してみたが、それらしい人物は見当たらなかった。
「夜野、こっち」
「うん」
そんな中、私たちは花火が見やすい所へと移動していた。
どうやら月城は人波を縫うのが得意らしい。彼の後ろに続くと不思議なことスイスイと海を泳ぐように進めるのだ。こんなところで特技が発覚するなんてちょっと面白いなと思っていると、少しひらけたところに辿り着き、そこに収まった。
目の前に背の高い人がいないのでこれなら十分花火が見られるだろう。
さっきよりも服越しに月城の体温を感じるが、今はそこにちゃんと彼がいるのだと、かえって安心した。
それから程なくして、開始を告げるアナウンスとともに花火が空に咲いた。
山頂から打ち上げられる花火を見るのは、これが初めてだ。山間部にいるからか、音が反響して花火がより近く感じられる。
ヒューッと縦笛みたい音ともに空に登り、花が咲いたと知らせるようにドンッと太鼓みたいな音が遅れてやってきて、パラパラと拍手みたいな散っていく。
花火は音だけでも楽しめるから割と好きだ。
もちろん、視覚的にも楽しい。澄んだ空から流星のように降り注ぐ花火は空全体を覆う網のようにも思えて、まるで捕らえられたかのような錯覚に陥る。
すっかり花火に目を奪われながら、以前川で見た花火のことを思い出した。
高校1年生の夏。
梨々花と美波と夏祭り行きたいよね、花火も見たいねという話になり、調べてみたら次の土曜日に大きな花火大会が開かれるとのことだったので、補講終わりに電車を乗り継ぎ遊びに行ったのだ。
当然座席の予約なんてしていなかったから、有料席の後ろのやや離れたところに陣取り、フランクフルトやかき氷など各々好きなものを食べながら鑑賞した。私はとうもろこしをかじっていたと思う。
花火が始まると前に立っている人がスマートフォンで花火を録画し始めたので、少し見にくくなた。それに気づいた美波が場所代わろうか小声で訊いてきたけれど、申し訳ないので断った。
一部だけスマートフォン越しに観る花火はなんだか味気なくて、少し視線を下に滑らせると、人の隙間から川に映る花火が見えた。
実物よりも淡く滲んでいて、なんだか涙越しに見る世界のようだった。
鏡合わせのように見られたら、どんなに綺麗なんだろう。
そう思ったことをよく覚えている。
眼前で次々と花火が打ち上げられている中、かつて見られなかった川に映る花火に思いを馳せているときだった。
「綺麗だね」
ぽつりと月城が呟いた。
花火の音より遥かにちいさい声のはずなのに、やけに鮮明に聞こえた。
「……そうだね」
ちらりと月城を盗み見れば、花火の光によって月城の整った輪郭が照らされていた。
髪に花火の色が反射してきらきらと瞬いている。
赤や緑、青、黄、オレンジ、紫。色に合わせて変わっていく。
素直に綺麗だと思った。
花火の音と光と――月城も。
終わりを告げるアナウンスが、やけに遠くから聞こえた気がした。
周りの人たちがぞろぞろと帰り始める。私たちもその流れに乗ろうとしたとき。
「――え」
月城がスマートフォンの液晶画面を凝視して固まった。
数秒遅れて私の前にそれを突き出す。
「俺らが写ってる」
「え、」
青白い画面に映っていたのはスピカのXのポスト。
そこには〈おおきなお花を観てきました☆〉という文面とともに花火の写真と観客の後ろ姿の写真が添付されていた。
その写真を見て、目が開くのがわかった。
間違いない。私と月城もそこに写っている。
スピカが、私たちの近くで、花火を観ていたんだ。
弾かれたようにバッと辺りを見渡した。
もしかしたら、まだ近くにスピカがいるかもしれない。
「レッスンの後に寄るって書いてあったから、ギターケースとか背負ってるかも……!」
月城が早口で情報をくれる。
街灯はあるものの、一人一人の顔をじっくり見られるほど明るくない。でもギターケースならシルエットでわかるはずだ。
心臓が痛いほど脈打っている。今見つけられなかったらもう二度とこんなチャンスは来ないかもしれない。
浅い呼吸を繰り返す。
それが止まったのは、とある少女が街灯の真下を通ったとき。
「月城! あれ!!」
一目見ただけであいつだと思った。
雰囲気が、あいつに似ていたから。
月城も遅れて「あれ、あいつのキーホルダーと一緒……!」と声をあげる。
野暮ったい前髪と孔雀の羽に似たアホ毛。背中まで伸びた髪。思春期特有の希死念慮に囚われている瞳。
猫背。そのせいで服に着せられているが如く、ギターケースに背負われているように見える。ところどころ髪の毛が絡まっていて、冬でもないのに静電気のバチバチ音が聞こえそうだ。
それらを視認した途端、急激に萎えてしまった。
――なんでだろ。あんなにスピカが憎かったのに。……いや、今も憎いのは憎い。じゃあ、なんで。
「夜野、写真っ」
早く撮れと急かす月城が、もたついてる私を焦れったく思ったのか、自身のスマートフォンを翳す。
その一連の動作がいやにスローモーションに見えた。
そして、気づいたときには、彼を手で制していた。
「月城、辞めよう」
「え……なんで? スピカのこと嫌いなんでしょ? 弱み握りたいって思ってるんでしょ?」
「うん」
「ならっ……」
「でも、これは違うって思ったの」
月城の言う通り、私はスピカが大嫌いで弱みを握って優位に立ちたいし、今すぐにでも消えて欲しいって思ってる。
でも、実物を見て、その中の人に苦しんで欲しいってわけじゃないって気づいたの。
あんな弱そうな中身を罵倒したところで、私の鬱憤は晴れない。
だから――。
そう告げようとしたとき、月城に両肩をグッと掴まれた。
「意味わかんない。あいつはステラを濡れ衣を着せた! ステラの今までを穢したし、ステラをたくさん侮辱した!」
「月城、痛」
「バチが当たっても当たり足りないのに、夜野はあいつを庇うの? ステラが大事じゃないのかよ!!」
掴まれた肩が痛い。
こんなに取り乱した月城、初めて見た。
月城は苦しそうに顔を歪めている。それがどこか唯一の味方を失ったかのように見えて。
どうして、と喉までかかった言葉を呑み込んだ。
こんな月城、知らない。
でも、私はこの熱量を知っている。
――あぁ、そうだ。どうして気づかなかったんだろう。
月城はいつの間にか、信者のような目で私を見ていた。



