謂れのない罪を着せられ身動きがとれなくなっていた私に月城はこう言った。
「あいつの素顔、特定しない?」と。
あれから一夜明けた今も、その提案の意図を掴めずにいる。
本当はあのとき訊こうとしたが、母親にお風呂に入れと呼ばれてしまい、それが叶わなかった。ラインで訊くこともできたけれど、内容が内容なので文字に起こすのははばかられ、疑問を抱えたまま今日を迎えた。
月城は一体どこまで本気なんだろ。
素顔を特定するなんてそう上手くいくわけがない。無駄足踏むのがオチなんじゃ……。
そもそも特定したところでなんになるんだろうか。
まさかそれでスピカを揺するとか? ステラのパクリ疑惑晴らさないとこの写真晒すぞって。
でも急にスピカが主張を変えたら私が何かしたって疑われない? それでスピカが揺すったトーク画面を晒したら今度こそ終わりだ。ジ・エンド。
それか入手した素顔を私の無実の証拠とともに暴露系YouTuberにリークするとか。いや、今の状況からして断られるだろうな。☆信者は頭がおかしい人間が多い。そんな人たちにわざわざ喧嘩を吹っ掛けて暴露するほどステラにもスピカにも知名度はない。
いっそのこと『汽水域の恋』の録音データとその日付をスピカに送ってこれは誤解だと弁解した方がいろいろと早い気がする。
――ああ、でも。
そうなればスピカのことだ。
どうせXかYouTube配信で『お相手の方と話し合った結果、盗作疑惑は誤解でたまたま起こってしまったことだとわかりました。この度はお騒がせしてしまってごめんなさい。だからどうかお相手の方への誹謗中傷はやめてください』とでも言うのだろう。
そしてコメント欄は〈たまたまとかほんとかな?〉〈許してあげるとかスピカ様寛大すぎ☆!〉〈相手のこともかばうとかスピカ様ほんと天使~~!〉〈☆信者はこれからもスピカ様についていきますT T〉みたいな感じで盛り上がるんだ。
考えただけで虫唾が走った。
ステラは勝手に盗作したと決めつけられ、☆信者どもに誹謗中傷された。
それなのに、「誤解でした」で終わらせる?
冗談じゃない。そんなことさせてたまるか。
スピカが原因でステラは罵詈雑言を浴びせられたんだ。
スピカもそれと同じくらいの痛みを負わないと私の気が収まらない。
前の配信で過呼吸を起こした? 知るか。事実確認もせずに信者の言うことを丸のみにしてパクられたって勝手に騒いで自分で自分追い詰めただけだろ。そんなことまで考慮してやるほど私は寛大じゃない。情報リテラシーのない人間がSNSで活動するな。
「心星、大丈夫?」
「っえ?」
声を掛けられて急に現実に引き戻された。顔を上げると私の前の席に座り課題を写していた美波が心配そうに私を見つめていた。
「険しい顔でぼーっとしてるけどなんかあった?」
「あー、ちょっとね。昨日あんま寝れなくてさ。睡魔と戦ってた」
昨晩、月城が私の味方だと分かって、もう大丈夫になったと思った。だからそれよりも彼の発言について考えようとした。
でもいざ布団の中で目を閉じると、瞼に焼き付いた暴言の数々が浮かんできてそれどころじゃなくなってしまった。
見たこともない通知の数。容赦なく浴びせられる罵詈雑言。
盗作、犯罪者、パクリ、☆信者……。
聞きたくない単語が耳元で囁かれているかのような錯覚に陥り、まともに眠られなくなった。それでも明日も学校がある。いくら補講期間に入ったとはいえ、通常どおり授業は進むので欠席するわけにはいかない。頭ではそう理解していても眠気はやって来ず、かえって目が冴えてしまった。どうせ眠れないのなら建設的なことを考えたいと、思い出したくないことすべてを覆い隠すように、月城の素顔特定しないか発言について考えながら夜を耐え忍んだ。でも結局今眠くなるのならちゃんと布団のなかで眠りたかった。
眠気を誤魔化すように眉間をググッと親指で押すと美波が苦笑した。
「じゃあ寝ときな。一時間目始まる前に起こすから」
「ありがとー。助かる」
「うん。おやす――」
「ふたりともおはよー!!!」
美波がおやすみと言いかけたところで朝から元気な梨々花がやって来た。それに「おはよ。そしておやすみ」と応えて机に伏せる。机が冷えてて気持ちいいと思ったけれど、すぐに体温と馴染んでなにも感じなくなった。
「えっ心星どーした。調子悪いの?」
「いや、この子ただの寝不足だから静かにしてあげて」
「あらら。いい夢見ろよ〜」
そう言って毛先をさらさらと撫でてくる梨々花。人にこうやって触られるのは好きじゃないけれど、弱っている今は、人のぬくもりが心に染みる。梨々花に撫でられながらうとうとしていた、そのとき。
「あ、そうそう。美波知ってる!? スピカって子!」
彼女の言葉に耳を疑った。
――は? 今、"スピカ"って言った?
途端、さっきまでの安心感は消え去り、心臓がドクンドクンとまるで誰かに握りしめられてるみたいに鼓動し始めた。
睡魔はとっくに失せたが、酷い顔してるってバレてしまうから顔は上げられない。代わりにじわっと汗の滲んだ手を握りしめる。
梨々花はなにを言うつもりなの。怖い。
「え、スピカ?」
「うん。最近TikTokで流れてきたんだけど雰囲気好きなんだよね〜」
「へぇ、どんなの?」
「これ!」
タタタタと爪が画面を叩く音がした後、スピカの曲が流れ始めた。それが耳に届いたとき、身体が強ばるのがわかった。
『きみにとっては二番目でも』
スピカが初めてバズった曲。イントロすら聴きたくないのに。忌々しい。虫酸が走る。
そんな私とは裏腹に、美波も「私も雰囲気好きかも」とこの曲を褒めた。「でも」
「歌詞よくよく聴くとやばくない? 浮気相手の曲じゃん」
――!!!
先ほどとは違う理由で顔を上げそうになった。美波の言葉に今までにないほど共感したからだ。対して梨々花は言う。
「そこはないなーって思うけどやっぱ雰囲気好きだからちょいちょい聴いちゃうんだよね〜」
――あぁ。
彼女の言葉でスピカの曲がバズった理由がストン、と腑に落ちた気がした。
"雰囲気"とは音楽を構成する要素のひとつだ。
以前見たあの曲のコメント欄には歌詞に共感したりスピカを賞賛したりするものが多く寄せられていたが、あれらは氷山の一角にすぎなかったのか。いや当たり前か。私だって好きな曲すべてにコメントを書き込んでいるわけじゃない。
だとしたら彼女にあって私に足りなかったものは、なにもファンの数やバックグラウンドだけじゃなかったのかもしれない。
雰囲気。
それを私は見落としていたのか。
意味は分からなくても雰囲気が好きだからと洋楽を聴く人もいると知っていたくせに。
思わぬ形で欠点を突きつけられ、口に砂利が入ったような嫌な気持ちになった。なにも今じゃなくていいじゃないか。
私が奥歯を噛み締めている間にもふたりの会話は続いていく。
「他にもこの曲とか話題になってるっぽい。なんかパクられてるって今騒がれてる、とか?」
「まじか。大変そう」
「んね」
冷たい手で触られたかのように、胸のあたりがヒヤリとした。
まさかパクリ疑惑のことまで知っているなんて。
梨々花はSNSを拠点とするシンガーソングライターに詳しい方ではない。にもかかわらず知っているということは、つまり――スピカが、メジャーになりつつあるってこと?
その可能性に行き着いたけれど、すぐになかったことにした。そう思いたくなかったから。
幸いスピカの話題はここで終わり、べつのものへと切り替わったが、それでも私の心が晴れることはなかった。
ふたりの中でスピカが共通認識になってしまった。
その事実が薔薇の棘みたいに私にまとわりつく。
もし私がいるときにこの話をされていたら、私は上手く笑えただろうか。
パクリ疑惑のことを知っていたから、いずれステラの曲も聴くかもしれない。それで『汽水域の恋』が『わかっていても』のパクリだって断定でもされたら。
私は、どうなるんだろう。
昨日の夜から、指先からじわじわと、緩やかに死んでいく感じがする。
ふたりの会話、蝉の鳴き声、教室の喧騒、焼きついて離れない罵詈雑言、そのすべてから目を瞑った。そうすることでようやく息を吐けた気がした。
★
〈今日の放課後空いてる?〉
月城からのメッセージに気づいたのは、終礼の後のことだった。素早く〈空いてる〉と送ると〈じゃあ人がいなくなったタイミングで隣の教室来て〉と返ってきた。それに星のキャラクターのスタンプでOKと返し、スマートフォンを閉じた。そして一緒に帰ろ〜とやってきた梨々花と美波に断りを入れ、講義室の前に佇んだ。
扉を開ければきっと月城が待ち構えている。周りに怪しまれないためにも、人が来る前にさっさと中に入るべきだ。
でもここを開けてしまえば、もう後戻りできないような気がして――。
「夜野?」
「えっ月城?」
声の方を見ると、渡り廊下から月城がペットボトルと財布を片手に歩いてきていた。
「てっきり中で待ってると思ってた」
「夜野がなかなかこないから飲み物買ってきてたんだけど……入らないの?」
ガラッと扉を開け首を傾げる月城の目は、私を試すように細められている。
「入るよ」
そう答え、講義室に足を踏み入れた。
講義室のカーテンが閉め切られているからか、室内灯がついていてもどこか薄暗い。カーテンを完全に閉め切るのは防犯上の理由から校則違反ということもあり、いつもの違った異質さが漂っている。
「で、昨日言ったこと考えてくれた?」
開口一番にそう訊かれドキリとした。
今目を合わせれば考えていることをすべて見透かされてしまいそうだ。でもここで下を向くのはなんとなく癪に障るので、目だけ見上げて様子をうかがう。
「一応考えたけど、そもそもそんなことできるの?」
「できるよ」
なんの躊躇もなく肯定した月城はほらこれみて、とスマートフォンを差し出してくる。なんだかデジャブだ。おずおずとそれを受け取り、画面に視線を移す。
「こいつ最近控えてるみたいだけど結構遡ってみたら面白いくらいでてきたよ、個人情報」
「!」
「よっぽど承認欲求強いんだろうね。これなら住所特定も時間の問題じゃない?」
目を丸くする私に、月城は笑いながらなんてことないように言った。
彼から受け取ったスマートフォンの画面に表示されていたのは、スピカのXアカウントの画像欄だった。それも、かなり前の。
そこには主にスピカの身体の一部が写りこんだ風景写真と毎度おなじみ首から下のみを写した自撮りが並んでいた。詳しく見ていくと、その中にはなんと電柱が写りこんだ写真も投稿されていた。拡大すればそこに書かれた文字を読むことも可能だろう。電柱の位置情報データから具体的な住所を特定することができるため、これで少なくともスピカの行動範囲を把握することができる。
逸る心に動かされるまま上にスライドしていくと、同じ画角から撮られた写真があることに気づいた。写真内の建物の高さから見て2階以上から撮影されており、一軒家が並んでいることから住宅街と思われる。つまりここはスピカの自宅の可能性が高い。
他にも顔をスマートフォンで隠した自撮りがあった。鏡に反射している洗面所の数や背後のタイルからしておそらくトイレで撮ったのだろう。商業施設の中か駅内かは定かではないが、背後のタイルからどこのトイレか割り出せるかもしれない。
スピカの情報が頭に入ってくるたびに嫌悪感で胃がムカムカして吐きそうになったが、それでも手は止まらなかった。
これだけの情報があれば、月城の言う通りスピカの住所特定はおろか――素顔特定だってできる。
ごく、と唾を飲み、再び月城と向き合った。
「ひとつ、訊かせて」
「なに?」
「仮に素顔特定したとして、それからどうするの?」
「べつに、夜野の好きにすればいい」
「っえ?」
予想外の回答に気の抜けた声が出た。
そんな私をよそに、目を細めながら月城は続ける。
「あいつしょっちゅう自撮り投稿してたくせに顔だけは絶対写さなかったじゃん。片目だけ写して片目界隈〜とか言いそうなのに」
なんの話だと思ったがひとまずそうだね、と相槌を打つ。
「よっぽどネットリテラシーがあるのかなって思ったけど個人情報ダダ漏れの時点でまずない。なら、顔にコンプレックスでもあるんじゃないかって思って」
「……それで?」
「素顔特定した後それをどうするかは置いといて、相手の弱点ひとつ握ってるだけでちょっと楽にならない?」
月城から紡がれる言葉はまるで悪魔の囁きみたいだ。
正しくないことだとわかっていても、間違いなくそれに救われている私がいる。
「ってなわけだけど、どうする? 素顔特定」
月城がもう一度問う。
もう迷いはなかった。
「――する」
そう頷いたとき。
――「犯罪者」。
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
それでももう引き返すつもりはない。
この苦しみから逃れるためなら、私はなんだってやってやる。
★
それから私たちの計略が始まった。
今は補講期間であり、午前中のみ授業が行われるので、放課後になるとお昼をファミレスあたりでテキトーに食べ、そのまま話し合いへと移行する。
時々課題もするが大概雑談で終わるし、月城もそろそろ勉強できる方みたいなので大して時間はかからない。
今日も今日とて学校が終わり次第ファミレスに向かうかと思っていたが、学校から少し離れた待ち合わせ場所で落ち合うなり彼はこう言った。
「今日は方向性変えてみない?」
「えっ」
方向性って? と怪訝な顔をすると彼はじゃーんと棒読みでスマートフォンを掲げてきた。
「だいぶ情報まとまってきたからそろそろ張り込みしてもいいと思うんだよね。ここ最近写真投稿してないせいで新しい収穫ないし」
「確かに……」
バズって以来、スピカは家での自撮りしか投稿していない、らしい。というのも、濡れ衣を着せられてから一度もXを開いていないので最近の動きを知らないのだ。
情けないことに、私はまだ炎上と向き合う勇気をもてていない。
一度芽生えた恐怖は簡単には枯れてくれず、2週間近く経った今でも、私の心に深く根を張っている。
だからスピカの投稿を見たり彼女の情報をまとめるたりするのは主に月城がしてくれた。私は彼の指示通り電柱から読み取った位置情報から住所を特定したり投稿日時をメモしただけ。それもほとんど彼が家でやってくるので私は役に立たなかった。
月城に頼りきっているのが申し訳なさすきでドリンク代を払おうとしたが、「ステラのためにしてることだから貢いでるとでも思って」と言われ頑なに断られた。"貢ぐ"ってこういうことじゃなくない……? という疑問は真面目に作業する彼を見たら軽々しく言えなくなり、結局呑み込んだ。まぁそんな私を見かねて代わりのものを要求してきたんだけど。
「で、こことかどう? 高頻度で登場してたから出くわす可能性一番高いんじゃない?」
そう言って提示されたのはスピカが通っているであろうボイトレの教室の場所だった。
トレーニング終わりを匂わす文言とともにギターを背負った彼女の影の写真が投稿されていたことや、同じ道が何度も投稿されていることやその時間帯が夕方だったことを踏まえ、その近辺にボイトレの教室があるのではと睨んだのだ。
そこら辺に通信高校はないし、住宅街も見受けられないことからほぼ確定だろう。
もしかしたらトイレでの写真もその建物の中で撮られたのかもしれない。まだ行ったことないし、トイレの内装まではさすがに検索しても出てこなかったのでこれはただの仮説にすぎないが。
何はともあれ都内でよかった。これが新幹線や飛行機で行かなければならないところだったらその時点で詰んでた。こういうところだけ運がいい。
「いいね。どれくらい張り込む予定?」
「夕方まで」
「えっ」
こんな真夏に?
「安心して。なにもずっと外にいるわけじゃないから」
私の懸念を見透かすように月城が笑った。日傘をさしていても暑いというのに、月城の笑みは彼の肌が白いからか涼しそうに見える。
「じゃあどこで見張るつもり?」
「向かいの建物の2階にカフェがあるから、そこから見下ろしとけばいいかなって」
私の日傘をそっと手にとった月城がほら行こっと促してきたので、隣を歩き始めた。炎天下の中日傘も持たず歩いている月城を見かねて「入る?」と提案してからこのスタイルが定着したのだ。
2人で1本の傘を差すことを相合傘と言うことは知っているけれど、それは雨傘じゃなくて日傘でも使われるのだろうか。他の人が見たらカップルだーとか思われるかもしれない。どうでもいいけことだ。
★
月城の案内でやってきたカフェはいわゆるレトロモダンカフェだった。
昭和を彷彿とさせる内装であるものの、物が混在しておらずとてもシンプルだ。
席はどこに座ってもいいとのことだったので通りを見渡せる窓際の席を選んだ。深紅のソファは低反発で腰を下ろすとぎゅむっと沈んだ。
店内は真昼間だと言うのに日光があまり差し込まないからか薄暗い。
これなら外から見られる心配はないだろう。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉があるくらいだから用心するに越したことはない。
窓の外を横目に注文した飲食物を待つ傍ら、正面に座る月城がこう切り出した。
「友だちにはステラだってこと言ってないの?」
「うん。言ってないし、言わない」
さらっと答えると「なんで?」と頬杖つきながら訊かれてた。
「身バレ防止のため、かな。ひとりに言ったらどんどん広がっていきそうじゃん」
「俺知ってるけど広がってないよ」
「月城は特例」
「そっか」
特例という言い方が気に入ったのか、月城はかすかに口角を上げた。
月城にいろいろしてもらってる代わりに彼が要求してきたのは、ステラに関する質問に答えることだった。もちろん無理のない範囲で、だ。
彼はこれまでに、どうやって曲を作っているのか、どんなときに思いつくのか、などいろんなことを訊いてきた。
その中で、音が降る感覚についても話した。こんなこと誰にも話したことなかったけれど、いざ話してみたら案外楽しくて、ついついたくさん話してしまった。
他の人だったら引いてたかもしれない。頭おかしいんじゃないかって。
でも月城はそんなことなくて、それでそれで?と興味深そうに聞いてくれる。
私はこの時間が結構好きだ。
否定されることなく、音楽のことを話すことができるし、私が思っていたよりもずっと、ステラのことを誰にも言わないでいるのは負担だったらしい。
こうして話すことにより、私の中でステラの存在がはっきりしていくようで安心する。
「じゃあさ」
「うん」
「コラボとかはしないの?」
私の頬がピクっと反応したのを彼は見逃してくれなかった。すぐにしまったという顔になり、どうしていいか分からないように視線を彷徨わせる。
「……ごめん」
気にしてないから大丈夫、と取り繕うべきだったんだと思う。でもそれを言う前に、自分でブレーキを踏んでしまった。
私は気にしてるし、大丈夫でもないから。
「お待たせしました」
立ち込めた空気の中、タイミングを見計らったかのように店員さんがやってきて、注文しておいた飲み物が置かれた。月城はアイスコーヒーで、私はレモンティーだ。
表面に浮かぶレモンをストローでつついて、グラスになぞるようにクルッとかき混ぜると氷も一緒に回ったので大した音はしなかった。
月城の言うコラボとは、Luneさんとスピカがしたコラボ配信のことだろう。
彼女らがしてからというもの、コラボ配信ブームが訪れ、他の活動者たちも頻繁に行うようになっていた。中にはそのままユニットやグループを結成した人たちもいる。
Luneさんとスピカのコラボ配信を、私は聴くことができなかった。
貴重なLuneさんの初配信だと言うのに、同時にスピカの声も聴かないといけないのが精神的にどうしても無理で、盛り上がるタイムラインを遠巻きに見るのが精一杯だった。それがまるでLuneさんへの好きよりもスピカへの嫌いをとったようで、より一層私を絶望させた。
それでも耐えられなかった。聴かなかったからといってふたりが配信した事実がなくなるわけでもないのに、スピカという純粋な愚か者の存在が、彼女のことを考えると胃がねじ切れそうになるほど生理的に受け付けられなかった。
でも、と別視点の私が問う。
もし、Luneさんがスピカじゃなく私にコラボしようって言ってたら、私は承諾しただろうか――。
「――うん、しない」
「っえ?」
答えを見つけ、静かにそう告げた。
月城を見やると、彼の瞳がなんで?と訴えかけてきた。さっきのこともあり、口に出すのを躊躇っているようだ。
「……コラボしようって言えるくらい仲良い人いないし、誘われても断るよ」
コラボブームが来てもステラを誘う人は誰1人としていなかった。そもそもDMですらまともに話したことがない。必要性を感じないからだ。
「私の音はどこまでいっても個。だから好きなの」
私はただ、降ってくる音たちを形にしたいだけ。
人と関わるためにやってるんじゃない。
「……今の、すっごくステラっぽい」
月城は目をぱちくりさせた後、惚けるようにそう呟いた。
「そりゃ本人だからね」
笑ってみせると、さっきまで漂っていた神妙な雰囲気が取り払われた気がした。
それからストローを咥えレモンティーを1口飲むと、月城も私に倣いコーヒーを1口飲んだ。まるで私の忠実なファンみたいだ。いや、実際にそうか。
月城もひと息ついたところで、再び窓の外に視線を向ける。そこには営業マンと思われるスーツを着た男性や下校中らしき女子高生、これから遊びに行くであろう小学生集団が歩いているだけ。
それらをぼんやりと眺めながら、さっき見つけた答えを見つめ直す。
人と関わるために活動していないのは確かだけれど、もちろんLuneさんと仲良くなりたかったのも本当だ。でもそれはあくまで1人のシンガーソングライターとしてであって、友だちになりたいなんて思ってなかった。そしてLuneさんも、他の活動者も同じ考えだと思っていたのに――。
現実は理想とはかけ離れ、皆シンガーソングライターからただの人が見え隠れするようになった。
私が越えたくない一線を周りがどんどん越えていくことをとても息苦しく思う。
馴れ合いなんて大嫌いだ。
たぶん、それぞれが個々として確立していたからこそ、私は息がしやすかった。
だからもしかしたら、スピカがいなくでもいずれコラボブームが流行り、それに置いていかれた私は徐々に居場所が失っていたんじゃないかと、つい考えてしまう。よくない傾向だ。
例えそうなったとしても私は変わらない。
私はひとりで音を紡ぎ続ける。
孤独感がないと言ったら嘘になるけれど、それよりも大切なことだから。
月城に問われたことで、ステラがまたはっきりした気がした。彼はきっとそのことを考えすらしないだろう。彼はただ、私とステラを知りたいだけだから。
結局この日、スピカが現れることはなかった。
それにわずかばかりの安堵を覚えたのは本当。もし彼女に会えば怒りでどうなるんじゃないかという不安を捨てきれないからだ。
そんな私に対し、月城は少し残念そうに「そろそろ帰ろうか」と笑いかけてきた。
「あいつの素顔、特定しない?」と。
あれから一夜明けた今も、その提案の意図を掴めずにいる。
本当はあのとき訊こうとしたが、母親にお風呂に入れと呼ばれてしまい、それが叶わなかった。ラインで訊くこともできたけれど、内容が内容なので文字に起こすのははばかられ、疑問を抱えたまま今日を迎えた。
月城は一体どこまで本気なんだろ。
素顔を特定するなんてそう上手くいくわけがない。無駄足踏むのがオチなんじゃ……。
そもそも特定したところでなんになるんだろうか。
まさかそれでスピカを揺するとか? ステラのパクリ疑惑晴らさないとこの写真晒すぞって。
でも急にスピカが主張を変えたら私が何かしたって疑われない? それでスピカが揺すったトーク画面を晒したら今度こそ終わりだ。ジ・エンド。
それか入手した素顔を私の無実の証拠とともに暴露系YouTuberにリークするとか。いや、今の状況からして断られるだろうな。☆信者は頭がおかしい人間が多い。そんな人たちにわざわざ喧嘩を吹っ掛けて暴露するほどステラにもスピカにも知名度はない。
いっそのこと『汽水域の恋』の録音データとその日付をスピカに送ってこれは誤解だと弁解した方がいろいろと早い気がする。
――ああ、でも。
そうなればスピカのことだ。
どうせXかYouTube配信で『お相手の方と話し合った結果、盗作疑惑は誤解でたまたま起こってしまったことだとわかりました。この度はお騒がせしてしまってごめんなさい。だからどうかお相手の方への誹謗中傷はやめてください』とでも言うのだろう。
そしてコメント欄は〈たまたまとかほんとかな?〉〈許してあげるとかスピカ様寛大すぎ☆!〉〈相手のこともかばうとかスピカ様ほんと天使~~!〉〈☆信者はこれからもスピカ様についていきますT T〉みたいな感じで盛り上がるんだ。
考えただけで虫唾が走った。
ステラは勝手に盗作したと決めつけられ、☆信者どもに誹謗中傷された。
それなのに、「誤解でした」で終わらせる?
冗談じゃない。そんなことさせてたまるか。
スピカが原因でステラは罵詈雑言を浴びせられたんだ。
スピカもそれと同じくらいの痛みを負わないと私の気が収まらない。
前の配信で過呼吸を起こした? 知るか。事実確認もせずに信者の言うことを丸のみにしてパクられたって勝手に騒いで自分で自分追い詰めただけだろ。そんなことまで考慮してやるほど私は寛大じゃない。情報リテラシーのない人間がSNSで活動するな。
「心星、大丈夫?」
「っえ?」
声を掛けられて急に現実に引き戻された。顔を上げると私の前の席に座り課題を写していた美波が心配そうに私を見つめていた。
「険しい顔でぼーっとしてるけどなんかあった?」
「あー、ちょっとね。昨日あんま寝れなくてさ。睡魔と戦ってた」
昨晩、月城が私の味方だと分かって、もう大丈夫になったと思った。だからそれよりも彼の発言について考えようとした。
でもいざ布団の中で目を閉じると、瞼に焼き付いた暴言の数々が浮かんできてそれどころじゃなくなってしまった。
見たこともない通知の数。容赦なく浴びせられる罵詈雑言。
盗作、犯罪者、パクリ、☆信者……。
聞きたくない単語が耳元で囁かれているかのような錯覚に陥り、まともに眠られなくなった。それでも明日も学校がある。いくら補講期間に入ったとはいえ、通常どおり授業は進むので欠席するわけにはいかない。頭ではそう理解していても眠気はやって来ず、かえって目が冴えてしまった。どうせ眠れないのなら建設的なことを考えたいと、思い出したくないことすべてを覆い隠すように、月城の素顔特定しないか発言について考えながら夜を耐え忍んだ。でも結局今眠くなるのならちゃんと布団のなかで眠りたかった。
眠気を誤魔化すように眉間をググッと親指で押すと美波が苦笑した。
「じゃあ寝ときな。一時間目始まる前に起こすから」
「ありがとー。助かる」
「うん。おやす――」
「ふたりともおはよー!!!」
美波がおやすみと言いかけたところで朝から元気な梨々花がやって来た。それに「おはよ。そしておやすみ」と応えて机に伏せる。机が冷えてて気持ちいいと思ったけれど、すぐに体温と馴染んでなにも感じなくなった。
「えっ心星どーした。調子悪いの?」
「いや、この子ただの寝不足だから静かにしてあげて」
「あらら。いい夢見ろよ〜」
そう言って毛先をさらさらと撫でてくる梨々花。人にこうやって触られるのは好きじゃないけれど、弱っている今は、人のぬくもりが心に染みる。梨々花に撫でられながらうとうとしていた、そのとき。
「あ、そうそう。美波知ってる!? スピカって子!」
彼女の言葉に耳を疑った。
――は? 今、"スピカ"って言った?
途端、さっきまでの安心感は消え去り、心臓がドクンドクンとまるで誰かに握りしめられてるみたいに鼓動し始めた。
睡魔はとっくに失せたが、酷い顔してるってバレてしまうから顔は上げられない。代わりにじわっと汗の滲んだ手を握りしめる。
梨々花はなにを言うつもりなの。怖い。
「え、スピカ?」
「うん。最近TikTokで流れてきたんだけど雰囲気好きなんだよね〜」
「へぇ、どんなの?」
「これ!」
タタタタと爪が画面を叩く音がした後、スピカの曲が流れ始めた。それが耳に届いたとき、身体が強ばるのがわかった。
『きみにとっては二番目でも』
スピカが初めてバズった曲。イントロすら聴きたくないのに。忌々しい。虫酸が走る。
そんな私とは裏腹に、美波も「私も雰囲気好きかも」とこの曲を褒めた。「でも」
「歌詞よくよく聴くとやばくない? 浮気相手の曲じゃん」
――!!!
先ほどとは違う理由で顔を上げそうになった。美波の言葉に今までにないほど共感したからだ。対して梨々花は言う。
「そこはないなーって思うけどやっぱ雰囲気好きだからちょいちょい聴いちゃうんだよね〜」
――あぁ。
彼女の言葉でスピカの曲がバズった理由がストン、と腑に落ちた気がした。
"雰囲気"とは音楽を構成する要素のひとつだ。
以前見たあの曲のコメント欄には歌詞に共感したりスピカを賞賛したりするものが多く寄せられていたが、あれらは氷山の一角にすぎなかったのか。いや当たり前か。私だって好きな曲すべてにコメントを書き込んでいるわけじゃない。
だとしたら彼女にあって私に足りなかったものは、なにもファンの数やバックグラウンドだけじゃなかったのかもしれない。
雰囲気。
それを私は見落としていたのか。
意味は分からなくても雰囲気が好きだからと洋楽を聴く人もいると知っていたくせに。
思わぬ形で欠点を突きつけられ、口に砂利が入ったような嫌な気持ちになった。なにも今じゃなくていいじゃないか。
私が奥歯を噛み締めている間にもふたりの会話は続いていく。
「他にもこの曲とか話題になってるっぽい。なんかパクられてるって今騒がれてる、とか?」
「まじか。大変そう」
「んね」
冷たい手で触られたかのように、胸のあたりがヒヤリとした。
まさかパクリ疑惑のことまで知っているなんて。
梨々花はSNSを拠点とするシンガーソングライターに詳しい方ではない。にもかかわらず知っているということは、つまり――スピカが、メジャーになりつつあるってこと?
その可能性に行き着いたけれど、すぐになかったことにした。そう思いたくなかったから。
幸いスピカの話題はここで終わり、べつのものへと切り替わったが、それでも私の心が晴れることはなかった。
ふたりの中でスピカが共通認識になってしまった。
その事実が薔薇の棘みたいに私にまとわりつく。
もし私がいるときにこの話をされていたら、私は上手く笑えただろうか。
パクリ疑惑のことを知っていたから、いずれステラの曲も聴くかもしれない。それで『汽水域の恋』が『わかっていても』のパクリだって断定でもされたら。
私は、どうなるんだろう。
昨日の夜から、指先からじわじわと、緩やかに死んでいく感じがする。
ふたりの会話、蝉の鳴き声、教室の喧騒、焼きついて離れない罵詈雑言、そのすべてから目を瞑った。そうすることでようやく息を吐けた気がした。
★
〈今日の放課後空いてる?〉
月城からのメッセージに気づいたのは、終礼の後のことだった。素早く〈空いてる〉と送ると〈じゃあ人がいなくなったタイミングで隣の教室来て〉と返ってきた。それに星のキャラクターのスタンプでOKと返し、スマートフォンを閉じた。そして一緒に帰ろ〜とやってきた梨々花と美波に断りを入れ、講義室の前に佇んだ。
扉を開ければきっと月城が待ち構えている。周りに怪しまれないためにも、人が来る前にさっさと中に入るべきだ。
でもここを開けてしまえば、もう後戻りできないような気がして――。
「夜野?」
「えっ月城?」
声の方を見ると、渡り廊下から月城がペットボトルと財布を片手に歩いてきていた。
「てっきり中で待ってると思ってた」
「夜野がなかなかこないから飲み物買ってきてたんだけど……入らないの?」
ガラッと扉を開け首を傾げる月城の目は、私を試すように細められている。
「入るよ」
そう答え、講義室に足を踏み入れた。
講義室のカーテンが閉め切られているからか、室内灯がついていてもどこか薄暗い。カーテンを完全に閉め切るのは防犯上の理由から校則違反ということもあり、いつもの違った異質さが漂っている。
「で、昨日言ったこと考えてくれた?」
開口一番にそう訊かれドキリとした。
今目を合わせれば考えていることをすべて見透かされてしまいそうだ。でもここで下を向くのはなんとなく癪に障るので、目だけ見上げて様子をうかがう。
「一応考えたけど、そもそもそんなことできるの?」
「できるよ」
なんの躊躇もなく肯定した月城はほらこれみて、とスマートフォンを差し出してくる。なんだかデジャブだ。おずおずとそれを受け取り、画面に視線を移す。
「こいつ最近控えてるみたいだけど結構遡ってみたら面白いくらいでてきたよ、個人情報」
「!」
「よっぽど承認欲求強いんだろうね。これなら住所特定も時間の問題じゃない?」
目を丸くする私に、月城は笑いながらなんてことないように言った。
彼から受け取ったスマートフォンの画面に表示されていたのは、スピカのXアカウントの画像欄だった。それも、かなり前の。
そこには主にスピカの身体の一部が写りこんだ風景写真と毎度おなじみ首から下のみを写した自撮りが並んでいた。詳しく見ていくと、その中にはなんと電柱が写りこんだ写真も投稿されていた。拡大すればそこに書かれた文字を読むことも可能だろう。電柱の位置情報データから具体的な住所を特定することができるため、これで少なくともスピカの行動範囲を把握することができる。
逸る心に動かされるまま上にスライドしていくと、同じ画角から撮られた写真があることに気づいた。写真内の建物の高さから見て2階以上から撮影されており、一軒家が並んでいることから住宅街と思われる。つまりここはスピカの自宅の可能性が高い。
他にも顔をスマートフォンで隠した自撮りがあった。鏡に反射している洗面所の数や背後のタイルからしておそらくトイレで撮ったのだろう。商業施設の中か駅内かは定かではないが、背後のタイルからどこのトイレか割り出せるかもしれない。
スピカの情報が頭に入ってくるたびに嫌悪感で胃がムカムカして吐きそうになったが、それでも手は止まらなかった。
これだけの情報があれば、月城の言う通りスピカの住所特定はおろか――素顔特定だってできる。
ごく、と唾を飲み、再び月城と向き合った。
「ひとつ、訊かせて」
「なに?」
「仮に素顔特定したとして、それからどうするの?」
「べつに、夜野の好きにすればいい」
「っえ?」
予想外の回答に気の抜けた声が出た。
そんな私をよそに、目を細めながら月城は続ける。
「あいつしょっちゅう自撮り投稿してたくせに顔だけは絶対写さなかったじゃん。片目だけ写して片目界隈〜とか言いそうなのに」
なんの話だと思ったがひとまずそうだね、と相槌を打つ。
「よっぽどネットリテラシーがあるのかなって思ったけど個人情報ダダ漏れの時点でまずない。なら、顔にコンプレックスでもあるんじゃないかって思って」
「……それで?」
「素顔特定した後それをどうするかは置いといて、相手の弱点ひとつ握ってるだけでちょっと楽にならない?」
月城から紡がれる言葉はまるで悪魔の囁きみたいだ。
正しくないことだとわかっていても、間違いなくそれに救われている私がいる。
「ってなわけだけど、どうする? 素顔特定」
月城がもう一度問う。
もう迷いはなかった。
「――する」
そう頷いたとき。
――「犯罪者」。
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
それでももう引き返すつもりはない。
この苦しみから逃れるためなら、私はなんだってやってやる。
★
それから私たちの計略が始まった。
今は補講期間であり、午前中のみ授業が行われるので、放課後になるとお昼をファミレスあたりでテキトーに食べ、そのまま話し合いへと移行する。
時々課題もするが大概雑談で終わるし、月城もそろそろ勉強できる方みたいなので大して時間はかからない。
今日も今日とて学校が終わり次第ファミレスに向かうかと思っていたが、学校から少し離れた待ち合わせ場所で落ち合うなり彼はこう言った。
「今日は方向性変えてみない?」
「えっ」
方向性って? と怪訝な顔をすると彼はじゃーんと棒読みでスマートフォンを掲げてきた。
「だいぶ情報まとまってきたからそろそろ張り込みしてもいいと思うんだよね。ここ最近写真投稿してないせいで新しい収穫ないし」
「確かに……」
バズって以来、スピカは家での自撮りしか投稿していない、らしい。というのも、濡れ衣を着せられてから一度もXを開いていないので最近の動きを知らないのだ。
情けないことに、私はまだ炎上と向き合う勇気をもてていない。
一度芽生えた恐怖は簡単には枯れてくれず、2週間近く経った今でも、私の心に深く根を張っている。
だからスピカの投稿を見たり彼女の情報をまとめるたりするのは主に月城がしてくれた。私は彼の指示通り電柱から読み取った位置情報から住所を特定したり投稿日時をメモしただけ。それもほとんど彼が家でやってくるので私は役に立たなかった。
月城に頼りきっているのが申し訳なさすきでドリンク代を払おうとしたが、「ステラのためにしてることだから貢いでるとでも思って」と言われ頑なに断られた。"貢ぐ"ってこういうことじゃなくない……? という疑問は真面目に作業する彼を見たら軽々しく言えなくなり、結局呑み込んだ。まぁそんな私を見かねて代わりのものを要求してきたんだけど。
「で、こことかどう? 高頻度で登場してたから出くわす可能性一番高いんじゃない?」
そう言って提示されたのはスピカが通っているであろうボイトレの教室の場所だった。
トレーニング終わりを匂わす文言とともにギターを背負った彼女の影の写真が投稿されていたことや、同じ道が何度も投稿されていることやその時間帯が夕方だったことを踏まえ、その近辺にボイトレの教室があるのではと睨んだのだ。
そこら辺に通信高校はないし、住宅街も見受けられないことからほぼ確定だろう。
もしかしたらトイレでの写真もその建物の中で撮られたのかもしれない。まだ行ったことないし、トイレの内装まではさすがに検索しても出てこなかったのでこれはただの仮説にすぎないが。
何はともあれ都内でよかった。これが新幹線や飛行機で行かなければならないところだったらその時点で詰んでた。こういうところだけ運がいい。
「いいね。どれくらい張り込む予定?」
「夕方まで」
「えっ」
こんな真夏に?
「安心して。なにもずっと外にいるわけじゃないから」
私の懸念を見透かすように月城が笑った。日傘をさしていても暑いというのに、月城の笑みは彼の肌が白いからか涼しそうに見える。
「じゃあどこで見張るつもり?」
「向かいの建物の2階にカフェがあるから、そこから見下ろしとけばいいかなって」
私の日傘をそっと手にとった月城がほら行こっと促してきたので、隣を歩き始めた。炎天下の中日傘も持たず歩いている月城を見かねて「入る?」と提案してからこのスタイルが定着したのだ。
2人で1本の傘を差すことを相合傘と言うことは知っているけれど、それは雨傘じゃなくて日傘でも使われるのだろうか。他の人が見たらカップルだーとか思われるかもしれない。どうでもいいけことだ。
★
月城の案内でやってきたカフェはいわゆるレトロモダンカフェだった。
昭和を彷彿とさせる内装であるものの、物が混在しておらずとてもシンプルだ。
席はどこに座ってもいいとのことだったので通りを見渡せる窓際の席を選んだ。深紅のソファは低反発で腰を下ろすとぎゅむっと沈んだ。
店内は真昼間だと言うのに日光があまり差し込まないからか薄暗い。
これなら外から見られる心配はないだろう。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉があるくらいだから用心するに越したことはない。
窓の外を横目に注文した飲食物を待つ傍ら、正面に座る月城がこう切り出した。
「友だちにはステラだってこと言ってないの?」
「うん。言ってないし、言わない」
さらっと答えると「なんで?」と頬杖つきながら訊かれてた。
「身バレ防止のため、かな。ひとりに言ったらどんどん広がっていきそうじゃん」
「俺知ってるけど広がってないよ」
「月城は特例」
「そっか」
特例という言い方が気に入ったのか、月城はかすかに口角を上げた。
月城にいろいろしてもらってる代わりに彼が要求してきたのは、ステラに関する質問に答えることだった。もちろん無理のない範囲で、だ。
彼はこれまでに、どうやって曲を作っているのか、どんなときに思いつくのか、などいろんなことを訊いてきた。
その中で、音が降る感覚についても話した。こんなこと誰にも話したことなかったけれど、いざ話してみたら案外楽しくて、ついついたくさん話してしまった。
他の人だったら引いてたかもしれない。頭おかしいんじゃないかって。
でも月城はそんなことなくて、それでそれで?と興味深そうに聞いてくれる。
私はこの時間が結構好きだ。
否定されることなく、音楽のことを話すことができるし、私が思っていたよりもずっと、ステラのことを誰にも言わないでいるのは負担だったらしい。
こうして話すことにより、私の中でステラの存在がはっきりしていくようで安心する。
「じゃあさ」
「うん」
「コラボとかはしないの?」
私の頬がピクっと反応したのを彼は見逃してくれなかった。すぐにしまったという顔になり、どうしていいか分からないように視線を彷徨わせる。
「……ごめん」
気にしてないから大丈夫、と取り繕うべきだったんだと思う。でもそれを言う前に、自分でブレーキを踏んでしまった。
私は気にしてるし、大丈夫でもないから。
「お待たせしました」
立ち込めた空気の中、タイミングを見計らったかのように店員さんがやってきて、注文しておいた飲み物が置かれた。月城はアイスコーヒーで、私はレモンティーだ。
表面に浮かぶレモンをストローでつついて、グラスになぞるようにクルッとかき混ぜると氷も一緒に回ったので大した音はしなかった。
月城の言うコラボとは、Luneさんとスピカがしたコラボ配信のことだろう。
彼女らがしてからというもの、コラボ配信ブームが訪れ、他の活動者たちも頻繁に行うようになっていた。中にはそのままユニットやグループを結成した人たちもいる。
Luneさんとスピカのコラボ配信を、私は聴くことができなかった。
貴重なLuneさんの初配信だと言うのに、同時にスピカの声も聴かないといけないのが精神的にどうしても無理で、盛り上がるタイムラインを遠巻きに見るのが精一杯だった。それがまるでLuneさんへの好きよりもスピカへの嫌いをとったようで、より一層私を絶望させた。
それでも耐えられなかった。聴かなかったからといってふたりが配信した事実がなくなるわけでもないのに、スピカという純粋な愚か者の存在が、彼女のことを考えると胃がねじ切れそうになるほど生理的に受け付けられなかった。
でも、と別視点の私が問う。
もし、Luneさんがスピカじゃなく私にコラボしようって言ってたら、私は承諾しただろうか――。
「――うん、しない」
「っえ?」
答えを見つけ、静かにそう告げた。
月城を見やると、彼の瞳がなんで?と訴えかけてきた。さっきのこともあり、口に出すのを躊躇っているようだ。
「……コラボしようって言えるくらい仲良い人いないし、誘われても断るよ」
コラボブームが来てもステラを誘う人は誰1人としていなかった。そもそもDMですらまともに話したことがない。必要性を感じないからだ。
「私の音はどこまでいっても個。だから好きなの」
私はただ、降ってくる音たちを形にしたいだけ。
人と関わるためにやってるんじゃない。
「……今の、すっごくステラっぽい」
月城は目をぱちくりさせた後、惚けるようにそう呟いた。
「そりゃ本人だからね」
笑ってみせると、さっきまで漂っていた神妙な雰囲気が取り払われた気がした。
それからストローを咥えレモンティーを1口飲むと、月城も私に倣いコーヒーを1口飲んだ。まるで私の忠実なファンみたいだ。いや、実際にそうか。
月城もひと息ついたところで、再び窓の外に視線を向ける。そこには営業マンと思われるスーツを着た男性や下校中らしき女子高生、これから遊びに行くであろう小学生集団が歩いているだけ。
それらをぼんやりと眺めながら、さっき見つけた答えを見つめ直す。
人と関わるために活動していないのは確かだけれど、もちろんLuneさんと仲良くなりたかったのも本当だ。でもそれはあくまで1人のシンガーソングライターとしてであって、友だちになりたいなんて思ってなかった。そしてLuneさんも、他の活動者も同じ考えだと思っていたのに――。
現実は理想とはかけ離れ、皆シンガーソングライターからただの人が見え隠れするようになった。
私が越えたくない一線を周りがどんどん越えていくことをとても息苦しく思う。
馴れ合いなんて大嫌いだ。
たぶん、それぞれが個々として確立していたからこそ、私は息がしやすかった。
だからもしかしたら、スピカがいなくでもいずれコラボブームが流行り、それに置いていかれた私は徐々に居場所が失っていたんじゃないかと、つい考えてしまう。よくない傾向だ。
例えそうなったとしても私は変わらない。
私はひとりで音を紡ぎ続ける。
孤独感がないと言ったら嘘になるけれど、それよりも大切なことだから。
月城に問われたことで、ステラがまたはっきりした気がした。彼はきっとそのことを考えすらしないだろう。彼はただ、私とステラを知りたいだけだから。
結局この日、スピカが現れることはなかった。
それにわずかばかりの安堵を覚えたのは本当。もし彼女に会えば怒りでどうなるんじゃないかという不安を捨てきれないからだ。
そんな私に対し、月城は少し残念そうに「そろそろ帰ろうか」と笑いかけてきた。



