星屑の唄

 次の日。
 約束通り月城にお礼の品をあげようとしたら「要らないからね」と先に釘を刺され撃沈してしまった。残念。
 だから仕方なく梨々花と美波とグミを食べていると、食堂から帰ってきたのであろう月城と目が合った。が、すぐに逸らされた。
 なんでよ。今絶対目合ってたでしょ。ねぇ。
 しばらく不満げに見つめてみたが、彼はもうこちらを見てくれなかった。
 まぁ元は必要最低限しか関わりのないクラスメイト。これくらいの距離感が普通だよねと開き直り、グミをひとつ口に運んだ。

      ★

 20時00分。
 私は新しい曲を公開した。
 YouTubeは18時から21時にかけての投稿が一番伸びやすいとされているからだ。

 今回投稿したのは『汽水域の恋』という曲。
 汽水域とは海水よりも塩分濃度は低いが真水よりも塩分が含まれている、海水と淡水の狭間の水域のことだ。
 それと恋のようで恋じゃないような曖昧な気持ちを重ねて創ったわけだが、我ながらいいものに仕上がったと満足している。
 中学3年生のときに思いついたものが少しずつ少しずつ形を成し、ようやく日の目を見たのだ。

 ほかの人はどうだか知らないが、私の場合、数年越しに曲が完成することがよくある。この前の『ドライアイスセンセーション』も昨年考えたものだし。
 そのときは布の切れ端のようなものでも、他のものとら縫い合わせることでひとつの布になるような、ちいさな泡が集まっておおきな泡になるような。そんなちいさなものが集まってできる曲もあれば、それぞれの速度でのびのびと膨らんでできる曲もある。
 創作の道のりはさまざまだ。私はそれを気に入っている。

 ――ピコン。
 早速新曲にコメントがついた。でもすぐに反応したらずっと曲に張り付いていたみたいでかっこ悪い気がするので、数時間寝かせる。
 その間にXを開いて宣伝文をポストしたところで、ある違和感に気づいた。
 フォロワーの数が減っていたのだ。
 たった一人だったけれど、すぐに凍結されそうなエロ垢は随時ブロックしているので、フォロワーが減るのは非常に珍しい。もしかしたらリムられたのかもしれない。そんな不安感を抱きながら恐る恐るフォロー欄をタップする。こちらの方がリムった人がすぐわかると思ったのだ。
 そうしてフォロー欄を見るとすぐに誰かわかった。

 私のフォローを外したのは、よりにもよってスピカだった。

 思わずスピカのアイコンをタップしてプロフィール画面を凝視する。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
 スピカ @spica__singer
 FJK/ファンネーム:☆信者/みんなを照らす一番星になれますように。
 107 フォロー中 7,204 フォロワー
ーーーーーーーーーーーーーーーー

 以前は5,000人以上もフォローしていたのに、その50分の1に減っていた。いつの間にかフォロー整理したらしい。ついでにbioも比較的シンプルなものに書き換わっていた。おおかた新曲がバズったことで身の振り方を考え直したのだろう。ファンネームは「☆信者」のままなところを見るに根本が変わったとは思えないけれど。

 今までのスピカはフォローバック目的で手当たり次第フォローしまくり積極的にフォロワー増やしていたが不要になったらしい。バズった今はもう何もしなくてもフォロワーが増えていくから。

 逆に誰がフォローされたままなのかと興味本位で覗いてみる。――それが間違いだった。

 ☆信者のなかでも特に熱狂的な人、☆信者とは名乗っていないけれどよくスピカのことを持ち上げている活動者、有名なシンガーソングライターさん……。これはわかる。予想どおりだ。承認欲求が人一倍強いスピカが自分をよしよししてくれる人や自分の価値を上げてくれそうな人をそばに置くことは、なんらおかしなことではない。問題はそれ以外。
 あろうことか、スピカと関わりのないステラの同期たちはフォローされたままだったのだ。中にはステラよりもフォロワーが少ない人もいる。

 それにもかかわらず、ステラはリムられた。

 この事実に気づいたとき、頭を鈍器で殴られたかのように錯覚した。なんで?という疑問が浮かんで浮かんで浮かびまくって頭が痛い。

 ――なんで、ステラだけフォロー外されたの。私の、大事なステラが。

 自分だけ有象無象と同じように外されたことが、なによりも癪に障った。
 ステラはただのフォロワー稼ぎの道具でしかなかったのか。

 ――ふざけるな。量産的な曲しか作れない薄っぺらい人間風情が。

 スピカのことだ。ステラをわざと省こうとする意図はなかったのだろう。そんなことを考えられるタイプに見えない。
 そのことから考えられる可能性として最も高いものは、向こうはステラのことなんかなんとも思ってない、ということだ。
 スピカは私を省こうとしていなければ、罪悪感を抱いてもいないだろう。
 私はこんなにも心を乱されているのに。

 一言もなくフォロー数を減らし平然としているスピカが憎くて不快で仕方なかった。
 元々合わないと思っていた人が軽蔑の対象になるのはあっという間だった。

 私は――ステラは、スピカが嫌いだ。
 曲も、人柄も、心の底から軽蔑する。

 グッと唇を噛めば痛みを感じたが血が出ることはなかった。それよりもキツく握ったこぶしに爪が突き刺さって跡ができていた。痛い。

 なんで私がこんなことで泣きたくならなければならないのだろう。
 いや、理由はわかっている。
 私の命とも言えるステラがこんな承認欲求まみれの人間に雑に扱われたからだ。

 そんなスピカの最新の投稿は〈新曲作ってます☆〉という文字に首から下の自撮りが添えられていたものだった。そのリプ欄を無意味に見漁る。

〈ぎゃぁぁぁスピカ様お可愛いいいいい☆☆☆〉
〈スピカ様って絶対絶対ハチャメチャ美人ですよね!? 写真からしてオーラ違いすぎますもん><☆〉
〈もっと自撮りあげてほしいです☆☆〉

 いつも通りの光景だな、と鼻白んだ。が、次の瞬間、あるリプに目を奪われた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
 Lune @lun___e
 スピカさんかわい〜☆
 またお電話しましょうね……!
ーーーーーーーーーーーーーーーー

 ――え、なん、で……?

 Luneさんがリプを送っていたのだ。
 よりによってスピカなんかに。
 しかも電話ってどういうことだ。ふたりはいつの間にそんな仲になっていたんだ。そんなの知らない。Luneさんのポストはくまなくチェックしていたのに、そんな素振りは一度もなかった。
 ということはDMで仲を深めていたのか。
 狡い、と奥歯をギリッと噛み締めた。

 私だって本当は、こんなふうにLuneさんと仲良くなりたかった。
 でも頻繁に好き好き言っていたら迷惑になるかと思って、フォローバックしていただいたときにLuneさんの曲が好きだと、これからもよろしくお願いしますと一度DMしただけだった。そして次に話すときは私がLuneさんに少しでも近づけたときにしようと心に決めていたのに。

 スピカはLuneさんにあっさり近づいて、気軽にリプを送ってもらえる関係になっていた。

 Luneさんもなんでスピカと?
 Luneさんとスピカの音楽は全然違う。
 小綺麗にまとめただけのスピカの曲と違って、Luneさんの曲はひとつひとつ丁寧に編みこまれたレースのように美しく、時々投稿されるギターの弾き語りには確かなぬくもりが宿っている。
 それとも、違うからこそ通じあえたとでも?
 だとしたら私は一生、Luneさんと仲良くなれないじゃないか。そんなの、あんまりだ。

 視界が歪んで、生ぬるいものが頬を伝った。それがぽた、ぽた、と零れるたびに、底の見えない絶望が胸に巣食っていく。顎がカクカク震えて、口が閉じられない。

 ――もう、嫌だ。

 この日、私はスピカの全SNSをブロックした。
 もうこれ以上、こいつの名前なんか見たくなかった。

      ★

 私はSNSと距離を置くことにした。
 スピカを視界に入れないようにするためだ。

 あの後Xで「スピカ」と「☆信者」というワードもミュートにしたが、それでも検索欄に「スピカ」と入力すれば彼女のアカウントが一番上に出てくるものだから嫌気が差した。これではわざわざミュートにした意味がないじゃないか。ただでさえブロックしたアカウントの一覧にヤツの名前があるだけでムカムカするのに。
 だったら根本から絶ってしまえばいい。そう考え、このような行動に至った。

 ただ、習慣として染み付いたものはそう簡単に消えない。
 私は無意識のうちにXを開くようになった。
 どうせ見たってもろくなことがないのに。……まるで一種の自傷行為みたいだ。

 でもこのまま見続けていれば、いつかスピカにも慣れると思っていた。だが予想に反し、いつ見ても私をムカムカさせるばかりで、一向に慣れなかった。
 そうこうしているうちに、スピカはLuneさんだけではなく、Luneさんと仲のいい人とも交流するようになった。

 そのたびに、思う。
 あの子普通に性格良くないよって。
 だいぶ感じ悪いし、そこまでメンタルも弱くないよ。メンタル弱い人が有名な人と囲い以外のフォローをなんの予告もなく一斉に外すわけないじゃん、って周りに言いふらしたくなる。
 でもそんなことしたら私が悪者になるんだろうね。わかってるよ。
 所詮世の中は声を上げた方が責められるようにできてるんだから。

 以前〈バズった途端フォロセする人感じ悪いよね〉という投稿を見かけたことがあるが、スピカに対しそんなことを言う人はいない。私のように不満をもっている人はいるかもしれない。でも表にいるのは彼女の囲いか最近Luneさんづてに繋がった人ばかり。そのせいでステラと同じようにフォロー外された人たちもスピカがしでかしたことに何の違和感ももっていないように見えてならない。
 まるで私だけが悪感情を抱えて苦しんでるみたいじゃないか。
 スピカもスピカでLuneさん関連の人や好みの人を見つけると、この間一斉にフォローを外したことなんてなかったかのようにぽんぽんフォローしまくるのだから、人気者に擦り寄っているようで気持ち悪い。
 
 ――たくさんの人を散々フォロワー稼ぎに利用してきたくせに。ステラを雑に扱ったくせに。

 私はスピカにリムられて以降、なにも投稿できていない。
 Luneさんとスピカの仲が深まるにつれ、私の居場所がなくなっていくようで。スピカの知名度が上がっていく度に私の(アイデンティティ)ごとあいつに吸い取られていくようで。
 どうしようもなく……怖いんだ。
 考えただけで震えが止まらなくなるの。
 今は録音が溜まっていくばかりで、投稿するための編集になにひとつ手をつけられないでいる。こんなこと初めてだ。

 私はきっと、対人メンタルが弱いんだと思う。
 いつだってステラが人にどう見えているか気にして下手に砕けたことを投稿できなければ、スピカのようにフォロー整理する勇気もない。
 逆にスピカは対人メンタルが強く、自己メンタルが弱いんだ。
 だから誰に見られているのかわからない場で死にたいと口にしてたり、予告もなく大量にリムーブできたのだろう。
 あくまで自分にしか向き合っていないから自分が自分がってなって病んで身勝手な振る舞いをする浅はかな愚か者に成り果てる。さらに異様に自己愛が強いときた。

 ――こんな、こんなやつに、私のステラは……っ。

 スピカの最新の投稿に目に留まった。そして瞠目する。信じられない、と思ったからだ。

〈最近ずっとスランプ気味で、もう曲作るのやめようかな……T T〉

 ――え、なにそれ。正気?
 やめようって思えるの?
 やめれるの?
 やめられるようなものなの?
 それを顔文字なんかつけて投稿するの?
 信じられない!

 全く理解できなかった。
 それと同時に悟った。

 ――あぁ、こいつはどこまでも私と根本が違うんだ。

 創らないと生きていけないような私とは違って、こいつは作らなくても生きていけるんだ。
 いや、そりゃそうだ。前の生配信で言ってたじゃないか。こいつはつい最近何者かになりたくて曲を作り始めたんだから。

 そんな生半可な人間が創作領域に来んなよ。今まで創作してなくても普通に生活できてたんだろ。創作してないと気が狂いそうになったことだってないんだろ。ほんと目障りなんだよ。さっさと消えろよ。

 でも、創作そのものが生命活動の私とは違って、そんな軽い動機で始めたこいつが評価されている。
 その事実が憎くてたまらない。

 ――それとも、世の中はやっぱり、こいつの表面的な言葉を求めてるんだろうか……。

 胸糞悪い。
 音楽辞めるならさっさと辞めればいいのに、本当は辞める気なんかさらさらなくて、大袈裟に言うことで周りによしよしされて承認欲求を満たしている。

〈スピカ様やめないで~~!!!!!〉
〈またには休んでも大丈夫ですよ。でもやめるなんて言わないでください。悲しすぎます……;;〉
〈☆信者はいつでもスピカ様の味方ですよ!!!!!!!〉

 ほら見たことか。信者どもがウジ虫のようにわらわら湧いてる。
 そう私が冷笑していると20時00分になった。
 スピカの新しいポストが投下される。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
 スピカ @spica__singer
 ☆おしらせ☆
 このたびだいすきなLuneさん(@lun___e)とコラボ配信することになりました><キャー!
 日時はおって連絡します!
 ☽×☆の配信をおたのしみに〜〜!
ーーーーーーーーーーーーーーーー

「――は?」

 目を疑った。これは悪夢なんじゃないかとなにかに縋りたくなった。

 Luneさんはこれまでコラボはおろか配信すらしたことがない。つまりこれがLuneさんの記念すべき初配信となる。
 そんな大切な初配信を、スピカと……。
 ただでさえスピカの薄っぺらい曲がLuneさんの耳に触れるだけで耐えがたいのに!

 たまらずスピカのアイコンを鋭く睨みつけた。どう見ても絵師に依頼して描いてもらったであろう星を瞳に宿した女の子のイラスト。これもどうせ親金で手に入れたんだ。

 ――お前いい加減にしろよ。さっきまでスランプだの辞めようかだのピーピー言ってただろ。そんな奴がLuneさんとコラボ? 笑わせんな。釣り合ってないんだよこの愚図!!

 ガンッ。

 感情任せにパソコンを閉じたら人差し指が挟まって痛かった。

 惨めだ。
 Luneさんが誰と仲良くしようが彼女の自由。それでもスピカにだけは関わらないで欲しかった。
 あんな、音楽を承認欲求を満たす道具にするような人間と。
 強ばった手でパソコンを開け、挟まれた人差し指を解放する。すると、画面がパッと明かりを取り戻した。

〈待ってました〜〜〜〜!!!!〉
〈この二人の絡み癒しすぎる☆☽〉
〈☆といえばスピカ様、☽といえばLune様のイメージあるの私だけ?〉〈←ガチわかる〉
〈二人の絵文字☪︎にしない?〉〈あ、私もそれ使いたい! ☪︎ケミ……!!!〉

 打ちひしがれている私をよそに、リプ欄はいつにも増して盛り上がっている。
 ☪︎はイスラム教を象徴するシンボルだ。その起源も知らないような連中が気軽に使うな。ましてやLuneさんとスピカを表すためなんかに……!
 そんな浅はかな連中の中には見覚えのある人もいた。

〈最近スピカ様の曲にハマった新参者です…! スピカ様の曲はどれも繊細で大好きです! お二人のコラボも楽しみにしてます☪︎〉

 かつて私の曲が好きだとコメントしてくれた子だ。だが今はユーザー名の後ろに「@☆信者」をつけた、スピカを際立たせる脇役に成り下がっている。

 ――私の曲を好きと言ったその口でこいつのことも褒め称えるんだね。

 私には私なりにいいところがあると必死に守っていたプライドがガラガラと崩れていくような気がした。
 ステラのファンですらスピカに取り込まれるというのなら、一体私にはなにが残るんだろう。ふと、そんな考えが脳裏をよぎった。

 この5年私が築きあげてきたものは、スピカのたった1年にも満たないの? そんなわけないと抵抗する私と半ば諦めている私がせめぎ合って頭が痛い。

 ――私が、ステラが、ネット投稿を辞めたら……こんな思いしなくて済むのかな。

 私らしくない。でも、そう思わずにはいられなかった。

      ★

 次第に私は私を疑うようになった。
 大嫌いな人にリムられてそいつが大好きなひととコラボしたくらいで病んで吐きそうになる私がおかしいんじゃないかと。
 いきなりリムって来る人なんて石ころみたいにたくさんいる。いちいち傷ついてたらキリがない。
 その反面、どんなちっぽけなことでも傷つく人はいて、それはなんらおかしなことではないのだと訴える私もいる。
 そうしていると、また違う私が顔を出す。
 私は私が思っているよりもずっと下にいるんじゃないかって。
 5年間活動していても傍から見れば同期の人たちよりも全然すごくなくて、スピカや他の人たちに雑に扱われて当然の存在なんじゃないかって。
 そんな思いがあちこちに散らばって線を描いて交錯する。
 交錯したところからじくじく傷んで腐っていく。
 そんな状態で安眠できるもなく、うまく寝つけなくてぼーっとしながら学校に行ったせいで終業式で「起立」と号令がかかったときにひとりだけ反応が遅れたり、今日提出の課題を家に忘れてたり、なにもないところで躓いたりと、散々な一日だった。
 まさに泣きっ面に蜂だ。弱り目に祟り目、踏んだり蹴ったりとも言う。

 月城に声を掛けられたのはそんな一日の終わりかけだった。
 委員会の仕事を片付け帰路につこうとしたときのこと。

「夜野」

 ふいに下駄箱で呼び止められた。

「なに?」

 私たち以外に人の気配はなく、グランドで部活をする声が遠く聞こえるだけの空間で、ふたりきり。べつに警戒することなんてないのかもしれないけれど、なんとなく嫌な予感がして少しだけ身構えた。
 月城は周りを確認したあと、さっきよりも控えめに切り出した。

「最近低浮上だけど、大丈夫?」
「――――え?」

 ドキリ、と心臓が跳ねた。低浮上と言われて思いつくのはひとつしかない。
 月城を見た。相変わらず黒髪マッシュにひょろっとした姿をしている。ただ、前髪から覗く黒い猫目がいつにも増して怖かった。ほんとうに全部見透かされているようで。金縛りにあったみたいに身動きがとれなくなる。
 震える手をもう片方の手で握りしめながら、苦し紛れに「なに、に……?」と呟いた。口内が乾いて仕方なかった。

「『なにに』って……。この人、夜野でしょ?」

 月城は慣れた手つきでスマートフォンを操作し、ある画面を私に提示した。

「ど、どうして知ってるの……!?」

 思わず声を荒らげる。
 そこには私――「ステラ」のXアカウントが映し出されていたのだ。
 心臓がよりいっそう忙しなく脈打つ。

 どうしよう。月城にバレた。私がステラだと言いふらされでもしたら――。

 ――「なれるわけないでしょ、そんなの。恥ずかしいから二度と言わないで」

 母の発言が脳裏に蘇る。

 もし梨々花と美波にも知られて恥ずかしいって思われたら? 私はどうしたらいいの。最近ステラの居場所もなくなってきてるのに、ふたりにも見放されたら、わた、私、私は――。

「夜野」
「っえ」
「落ち着いて」

 月城に肩を叩かれようやく呼吸が浅くなっていることに気づく。
 私が叩いたときは微妙な顔したくせにあんたはふつうに叩くのかと関係ないことが頭に浮かんだけれど、むしろそのおかげで我に返り深呼吸することができた。

「ごめん。まさかこんなに動揺するとは思わなくて……」

 月城はらしくもなく狼狽えている。

「このこと、誰かに言ったりした?」
「いや、言ってないよ。俺が勝手に知ってるだけだし、これからも言うつもりないし」
「そう。……じゃあひとまず場所変えよ。人に聞かれたくないの」

 私が提案すると月城はすぐに「わかった」とこたえて数歩後ろをついてきた。
 そのまま私たちはあまり人通りのない道を選んで歩く。

 7月下旬の14時45分。
 太陽がギラギラと照りつきセミが命を燃やす中を日傘もささずに歩くなんてなかなか自殺行為だと思う。だけど仕方ない。早く帰れる今日に限って日傘を家に置いてきてしまったんだから。
 いくら東京とはいえ、23区を出てしまえば他の県と大差ない。そりゃ電車が2時間に1本しかない田舎とはまた違うけどさ。
 そんなわけで周りに誰もいなくなったところで立ち止まり、肩越しに振り返った。

「それで、どうして私がステラって知ってるの?」
「どうしてって……声聞いたらわりとすぐピンときたよ。歌声と地声、あんま変わんないんだね」
「いや、そうじゃなくて」
「あぁ、なんでステラのこと知ってるかって?」

「そう」と頷くと月城が「えー……、どうしても言わなきゃダメ?」と渋るものだから「うん、ダメ」と即答した。
 さっきまで主導権は月城が握っていたのに、ここにきてまさかの形勢逆転。
 少し余裕を取り戻した私は、月城があえて空けてきた数歩分の距離を詰めた。すると観念したのか、またスマートフォンを私に向けた。
 そこにはある人のXアカウントが表示されていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
 shiro @__white46
 415 フォロー中 124 フォロワー
ーーーーーーーーーーーーーーーー

「このアカウント、見覚えない?」
「……知ってる」

 話したことはないけれど、私が新曲をあげるたびにいいねとリポストしてくれる人だ。この人がどうかしたのか。
 ちらっと視線を上げ、月城を見やる。月城はスマートフォンに視線を落としたまま。まつ毛が微かに震えている。

「……これ、俺なんだけど」
「えっ……え!?」

 目を丸くして驚くと月城は恥ずかしそうに「こういう反応されると思ったら言いたくなかったのに……」とこぼした。
 このひとがステラの投稿に反応してくれるようになったのは私が中学1年生の冬。つまり――。

「月城は私と会う前からステラのこと知ってたってこと?」
「そう。まぁまさかステラが同い年とは思わなかったから最初は本物なのか疑ってたけどね。勝手に20代くらいかなって想像してたし」
「あー、ね」

 私は個人情報を一切あげていない。
 特定されるのが怖いからだ。少しでも情報を明かせば芋ずる式にいろいろ出てきて最後には私に辿り着きそうで。

 ただ、同世代でここまで徹底的に隠し通しているのはどちらかといえば少数派だ。動画のタイトルの先頭に年齢をつけて【14歳が歌ってみた】のように投稿する人もいれば、活動名の後ろに年齢を入れている人もいる。その方が「〇歳でこんなことができるなんてすごい!」と賞賛してもらいやすいからだ。大々的に年齢公開はしませんと宣言していた人でも承認欲求に負けてしれっと年齢を公開するくらいにその効果は絶大。まぁ私はその人を見て「あれだけ高尚ぶってたのに決意弱すぎだろ」と笑ったが。スピカもFJK、つまり高校1年生であると公表しているし。

 ステラの正体が私だと知ったことでステラのイメージを害してしまっていないだろうか。
 月城が誰にも話すつもりないと知った今、それがなによりも不安だ。

「……あの、さ」
「うん?」

 彼の瞳には今、誰が映ってるのだろうか。ステラ? それとも私?

 俯いているせいでわからない。でも確かめる勇気もない。
 眼下にあるローファーにひかりが反射する。まぶしくて目眩がした。ちゃんと地面に足をついて立てているのかわからなくなって脳みそがグラつく。
 薄い息を吸ったり吐いたりしながら、ややあってそこに言葉を乗せる。

「ステラが私って知った後も曲聴いてくれたんだよね」
「? そりゃもちろん」
「そのとき、私のこと思い浮かんだ……?」

 月城が返答に困っているのをわずかな空気の揺れから察した。自分から言い出したくせに、答えを聞くのが怖くて慌てて言葉を重ねる。

「私としてはさ、曲聴くときは曲だけに集中して欲しいの。だからXでも極力自我を出さないようにしてるわけで……、ごめん、うまく言えないんだけど……」

 これが油絵なら上手くいっていたんだろうな、と思う。油絵は絵の具を重ねながらひとつの作品を創りあげるものだから。
 でも言葉は重ねれば重ねるほど本当に伝えたかったものがあやふやになっていく気がしてならない。

 月城はしばし考える素振りを見せたあと、そっと口を開いた。

「正直、夜野のことを考えなかったといえば嘘になる」

 夏の侘しさを集約したような声。
 やっぱり私の不安が当たったかと失望する傍らで、彼は「でも」と続けた。

「それは初めだけで、気づいたときには曲に惹き込まれてたよ」

 顔を上げたら黒い猫目と目が合った。日本人には珍しい、真っ黒な瞳。
 チカチカする。瞬きする度に音があふれてきて、呑み込ませそうになる。
 もしかしたら私はその言葉が欲しかったのかもしれない。

「よかった。……ありがとう、月城」

 ステラはもうひとりの私だ。
 私の剥き出しの創作だけを抽出した至極純粋な存在。
 対して私は創作以外のいろんなものを含んだ不純物に過ぎない。
 だから私はステラではあるが、ステラは私ではないのだ。

 それにもかかわらずステラの曲の中に私が混ぜられることが我慢ならなかった。
 でも月城は純粋に曲に惹き込まれてくれた。

 ――あぁ、なんだ。ステラにもちゃんとファンがいたんだ。

 胸を撫で下ろす私をやさしく見下ろす月城を見ながらそう思う。

 ステラとして活動してきた5年。
 私のやってきたことにも、ちゃんと意味はあった。
 それを月城が証明してくれた気がした。

      ★

 その晩、私は久しぶりに新曲を投稿した。
 タイトルは『欠けた月』。
 以前月城のことを思い浮かべながら紡いだ音たちだ。
 再読み込みしてみると、再生回数が1になっていた。

 ――月城、かな。

 そう思うと自然と口角が上がった。
 果たして彼はこれが彼の笑みから生まれたものだと気づくだろうか。
 気づいたらどんな反応するかな。楽しみだ。
 永いときを経てようやく、青いひかりの中でも息ができた気がした。
 ここではもう独りだと思っていたのに、たったひとりでもちゃんとファンがいるとわかっただけで、こうも大丈夫になれるものなのか。
 それもこれも月城のおかげだ。今度こそちゃんとしたお礼をしよう。そう、心に決めた。

 でも、そんなのただの気休めに過ぎないということを、このときの私はまだ知らなかった。
 ちっぽけな私なんて、大波がきてしまえば簡単に呼吸をさらわれる。
 わかったつもりになっていただけで、私はその本質を少しも掴めていなかった。