星屑の唄

 たん、とん、ととんたん、たん、とん、たん……。
 私の周りには、いつも音が満ちている。
 人の話し声や車のエンジン音、空気の流れ。そんな日常に溢れる音のみならず、物心ついたときからずっと、私だけに聞こえる音があった。正確には私が思いついたものらしいが、本当のところはよく分からない。もしかしたら他の人はみんなこの音たちを無視しているだけかもしれないし、私にだけ聞こえる特殊な周波数があるのかもしれない。こんなことをぼーっと考えるくらいに音は私にとって当たり前に降ってくるものだ。思いつき、あっという間に紡がれていく音楽となっていく。私が意図して行っていることじゃない。
 それは今だってそう。
 ホームルームで担任の先生の大して中身のない話を聞き流し窓の外を眺めていると、ぽこぽこと音が降ってきた。アニメや漫画では普通、廊下の反対側の窓の外には海や山のような田舎を感じさせる景色や都会感を表す高層ビル、気になる人が運動しているところを盗み見れる校庭などが広がっているものだが、この高校の場合見えるのは教員らの駐車場のみ。なんて殺風景な。それでも音を紡ぐ上では充分だったらしい。車の色から着想を得てどんどん音が生まれていく。
 あぁ、早く家に帰りたい。早く帰って掬いあげないと、この音たちは簡単に忘れ去られてしまう。ヒトは無意識下で行ったことを記憶に留めておけないから。

心星(このね)帰ろ~!」
「かーえろー」

 ホームルームが終わり、梨々花(りりか)美波(みなみ)が私の席にやってきた。明るくて高く結んだポニーテールが特徴なのが梨々花で、気だるげで腰まで長い茶髪を下ろしているのが美波だ。
 ふたりの声に適当に応えつつ、スクールバッグを手に立ち上がった。すると梨々花が「ねねね!」とスマホの画面をバッとこちらに向けてきた。そこにはどろっとして甘そうなドリンクが映っていた。

「スタバの新作今日からだって! ちょっと寄ってかない?」

 その提案に「おーいいじゃん。寄ろ寄ろ」と美波が賛成する中、私は浮遊感を覚えた。心が支えを失って不安定になる感覚。
 これは焦りだ。早くに帰って音を紡がないとという情動。この焦りを解消しないと私はすぐダメになる。だから新作楽しみだねと話すふたりを前に、歯切れ悪く切り出した。

「あーー、悪いんだけど私今日パス。このまま帰るわ」
「え、どうして?」

 梨々花の純粋な疑問が私の胸にちくりと刺さり、そこからじわじわと罪悪感が広がった。まるで白いシャツにコーヒーを零したみたいだ。
 みんなで寄り道しようってときに空気も読まず誘いを断って家に帰るなんて心苦しい。でもそれ以上に今すぐ音を形にしないとという使命感にも似た衝動に支配されている。
 そんな小さな葛藤を悟られないように、首元に手を当てて取り繕った。手に触れた髪が無駄にサラサラしていて、まるで違う人の髪のようだ。美容院でストレートパーマをあててもらい始めてからかれこれ3年は経つというのに、未だに慣れない。

「ほら、期末近いからさ」

 わずかに顎を上げながら言うと、ふたりは納得したように肩を竦めた。その目には大変だね、という同情心が込められている。

「あーね。心星の親両方とも厳しいもんね」
「そー。ほんとやんなる」
「んじゃ心星はまた今度遊ぼ! 絶対だかんね!!」
「うん。楽しんどいで」

 ふたりはこういうことに理解があるから助かる。付き合い悪いよねって不満をぶつけてこないし、ヒトの悪口も言わない。みんな遊びたいときに遊んで無理そうなら普通に断るのだ。全体的にさっぱりとしていると思う。まるで制汗剤みたいだ。でもだからこそそんなふたりのいいところに甘えているみたいで申し訳なさがある。
 それでも校門でふたりと別れたところでほっとしてしまった。嘘がバレなかったことに対する安堵だ。
 私の両親が厳しいのも期末テストまで1ヶ月切ったことも本当。でも今日は違う。友だちより音楽を優先する私はいつかきっと罰が当たるだろうね。

      ★

「ただいまー……」

 マンションの4階。特別高くも低くもない自宅に帰り、ガチャッと鍵を閉めた。「おかえり」とは返ってなかった。当然だ。父も母も仕事に行っているのだから。それでもただいまと言うのは防犯対策だ。家に人がいるように見せかけることで誘拐されたり襲われたりするリスクが減るらしい。世界から治安が良いとされている日本だが、日に日に物騒になっている気がする。
 さっさと手を洗って誰もいないリビングを通しすぎ、自室へと向かった。
 自室のドアを閉めるとすぐさまパソコンを立ち上げ、ヘッドフォンを耳に付けた。録音ボタンを押す。
 瞬間、私は音とひとつになった。
 胸に溜まった音を、譜面の上で踊るようにリズムと言葉にのせ、紡ぐ。
 この感覚をどう表現すればいいだろうか。私のようで私じゃないような、もうひとりの自分に操られているような。なにかに憑りつかれたとでも言えるこの感覚を――。
 ワンコーラス歌ったところで、ふいに音が枯れた。溜まった音をすべて吐き終わったからだ。
 ふっと身体から力が抜け、ベッドに倒れこんだ。バネがギシッと音を立てる。
 微かに息が上がっていた。それに気づかないほど集中して歌っていたらしい。そんな状態だから到底起き上がる気力なんて湧かなかった。なんとなしにスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、Xを開く。すると左上に見慣れたアイコンが浮かんだ。
 澄んだ空のもとでひとつ、儚くも強く光る星の写真だ。
 それをタップするとプロフィール画面が表示された。

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 ステラ @77__stellar
 夜の片隅で私の音を紡ぎます。☆
 315 フォロー中 6,270 フォロワー
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 これがもうひとりの私だ。心星の"星"をスペイン語で"ステラ"ということから名付けた。
 中学生になるタイミングでスマートフォンを買い与えられてから、かれこれ5年。私はステラという活動名で、シンガーソングライターとして活動している。
 とはいっても、大して知名度はない。オリジナル曲よりも歌ってみたの方が少しだけ再生回数が伸びているのがなによりの証拠だ。
 本当は私の曲だけを歌っていたい。でも、それだけだと誰も興味を持ってくれないから。
 それに、歌ってみたを投稿する度に増える数字に承認欲求を満たされている私もいる。浅はかだ。こんな自分は好きじゃない。けど、仕方ないとも思う。私には新曲を宣伝してくれるようなネットの友達がいなければ、熱心に布教してくれるファンも極わずかしかいないのだから。
 気を取り直すように好きなシンガーソングライターさんの投稿を見る。

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 Lune @lun___e
 曲作ったり、弾き語りしたり。
 75 フォロー中 22,584 フォロワー
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 月のピアスをつけた女の子がギターを抱きしめているイラストのアイコンにしている、Lune(ルネ)さん。
 私の憧れの人。私は彼女と出会ったことがきっかけでシンガーソングライターに興味を持ち、インターネットに曲を投稿するようになったのだ。
 彼女の最新の投稿にいいねを押したところで、ふとステラのフォロワーが増えていることに気づいた。

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 スピカ @spica__singer
 FJK/シンガーソングライター兼歌い手歴1年目/ファンネーム:☆信者/みんなを照らす一番星になれますように/お仕事依頼はDMまで☆
 5,150 フォロー中 5,000 フォロワー
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 プロフィールを読むとシンガーソングライターと書かれていたのでフォローバックした。同じ活動者はフォローするように心掛けているのだ。
 へぇー最近始めたばっかなんだ。星被り……まぁよくあるよね。
 ただ、一番星になれますようにと祈っているにもかかわらず活動名が「スピカ」とはどういうことだろうか。一番星は金星だ。間違ってもスピカじゃない。もしかしたら彼女は一番星と一等星を混合しているのかもしれない。スピカはおとめ座の一等星だから。
 そこに引っかかりはしたものの、わざわざ指摘するような仲ではないのでスルーする。
 最新の投稿は〈Xの☆信者が5000人突破いたしました……!わたしを支えてくれるみなさま、いつもありがとうございます><泣〉だった。
 これに対し、眉をひそめる。

 ――え、もしかして私も勝手に信者にカウントされてるの? 全く信仰してないんですけど。……ってこれを言うのは野暮か。ファンネームが「☆信者」とか、かなり強気だなぁ。

 正直、この人とは合わないと直感した。
 こういう界隈において「信者」はあまりいい意味で使われない。主に害悪なファンを「信者」と皮肉るときがあるからだ。にもかかわらず、自らファンネームにするなんて。
 それについて誰も突っ込まない時点でこの人を取り巻く環境は歪なのかもしれない。それを象徴するかのように、この人の投稿には決まって同じ人たちがリプを送っていた。

〈スピカ様今日も可愛い☆〉
〈きゃ〜〜〜〜教祖様ぁぁぁぁぁ☆☆☆☆〉
〈おはようございますスピカ様☆☆〉
〈今日夢にスピカ様☆が出てきて光栄でした泣泣〉

 どれもこの人を過度に持ち上げるような内容。しかも名前の最後には必ず「@☆信者」と書かれているし、ユーザー名にはどこかしたらに「spica.believer」と書かれている。
 フォロワー5000人に対しフォロー5150人と表示されているところを見ると、手当り次第フォローしまくった結果だろうに、よくこんな厄介そうなファンを量産できたものだ。
 なにはともあれ、囲いがいるの苦手だなぁ、とげんなりする。
 こういうノリが苦手だから私はSNSに向いていないのだろう。
 胸焼けしそうになったところでベッドから起き上がり、パソコンの前の椅子に腰を下ろした。先程歌ったものがきちんと保存されているか確認したあと、別の日に録った曲のデータを開く。
 曲名は『ドライアイスセンセーション』。
 ドライアイスセンセーションとは温度感覚異常で、低温の物質や冷気に触れたときに、電気的な刺激に似た痛みを生じる知覚障害のことだ。それを失恋の痛みと織り交ぜて作り上げたのがこの曲。
 ちらりと時計を目をやると、17時を回っていた。20時まで3時間弱。まだ余裕はあるな。それを視認してから再びヘッドフォンをつけた。
 今日は新曲『ドライアイスセンセーション』を投稿すると予告した日。おおかた完成はしているが微調整が残っている。一音一音丁寧に確認していく作業には骨が折れるが、生半可な音を世に流すのはプライドが赦さないので、黙々とパソコンをいじる。もし私に絶対音感があれば、きっともっと楽に曲を創れていたはずだ。

 私には、絶対音感がない。

 だから最初に歌声を録音して、それからどの音階のどの音が当てはまるのか一音ずつ確かめていかなければならない。音を曲にし始めた当初はそれがとにかく難しく、何度も躓きそうになったものだ。今ではある程度要領を得たが、それでも他の人よりは断然遅いだろう。機材も全く整っていないから、ノイズを除去したり音質を良くしたりする整音も必須事項だし。
 私がもっているのは音が降ってくるという才能だけ。これを天賦の才だというのなら、絶対音感を与えなかった神は、果たしてどういう感情でこれだけを与えたのだろうか。普段神の存在なんか信じていないのに、こういうときばかりはいるかも分からない神を恨みたくなる。我ながら責任転嫁もいいところだ。

      ★

 19時59分。
 汗ばむ手をマウスに乗せ、そのときを待つ。
 20時00分。
 投稿の文字をクリックした。新曲が世に流れる。それを見届けると、私は素早くXを開き、新曲の宣伝をポストした。

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 ステラ @77__stellar
【宣伝】
 新曲『ドライアイスセンセーション』
 大好きな人に振られた、いつかの貴方へ。
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 そのとき、ある人と投稿するタイミングが被った。その差、わずか1秒。
 見ると、今日認知したばかりのスピカだった。

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 スピカ @spica__singer
 ☆新曲☆
『きみにとっては二番目でも』
 ダメだと分かっていてもクズ男に沼ってしまう女の子の曲です><♡
 #拡散希望 #スピカ☆ #オリジナル曲 #FJK
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 同じタイミングに投稿するなんて、少しだけ気まずいな。
 それにスピカの方がいいねを押されるスピードも拡散されるスピードも速い。これが囲いがいるかいないかの差なのか。
 ――でも、私の方が、長く活動してるのに……。
 広がっていく差が悔しくて、複雑だ。私もスピカのように囲いを作っていればよかったのだろうか。
 下を向いてそんなことを考えていると、リビングから母の私を呼ぶ声が聞こえた。夕飯ができたのだ。「今行くー」と返事して、パソコンを閉じた。