エピソード8
side東雲唯


 「唯! また明日ー」

 「また明日!」

 今日は一段と暑く、早めに部活が終わった。

 「まだ帰る気分じゃないし、教室で勉強でもしようかな」

 そんなことを考えながら、誰もいない夕方の教室へと向かった。

 「時間もあるし、受験対策でもしようかな」

 そう決めた私は、カバンから医学書を取り出した。

 もちろん参考書を使った対策もしている。

 ただ、生まれた時から医学の世界に囲まれて育った私は、父が使う医学書を借りて、専門的なことを学ぶこともある。

 早い時期に対策をするに越したことはない。




 
 どれくらい経っただろうか。

 気が付けば私はいつの間にか眠っていた。

 「うぅ……う」

 たす……けて……。

 怖いよ……苦しいよ。

 い……ゆい……。

 「唯! 起きろ!」

 「はぁっ……!」

 ……理央くん?

 どうしてここにいるの?

 「大丈夫か? うなされてたけど」

 私がうなされていた……?

 「よく、分からない……。夢を見たような気がするんだけど……」

 真っ暗な空間が広がっていて、悲しい気持ちになった気がする。

 でも、その夢の内容は思い出せそうになかった。

 「こういう事……よくあるのか?」

 今日の理央くんなんか変だな。

 いつもは話しかけるなって雰囲気出してるのに、今は理央くんの方から話しかけてくれている。

 「どうだろ。自分では気づいてないだけで何回かあったのかも」

 いつも冷たくされるから、私もつい素っ気ない態度をとってしまう。

 でも仕方がないじゃん。

 突然自分のことを嫌っていた人が急に優しくなったら、誰だって戸惑うものでしょ。

 「……」

 「……」

 また沈黙が流れてしまう。

 「医者になりたいのか?」

 「……うん」

 「そうか」

 そんな気まずそうな顔をするなら何も聞かなきゃいいのに。

 というか私も私だよね。

 前は挨拶くらい無視をされても普通に接することができたのに、どうやら今日はそれが難しいらしい。

 悪夢のせいで私までおかしくなったみたいだ。

 でも理央くんの進路は気になっていたから、私からも質問をしてみることにした。

 「理央くんは……やっぱり大学に進学するの?」

 「いや、普通に就職するつもり」

 「えっ! 勿体ない!」

 「!!」

 あ……。

 理央くん急に私が大きな声を出して驚いたみたい。

 今の反応はどう考えても不自然だったよね。

 「いや、頭良いのに勿体ないなぁって思って」

 私は自然な流れになるよう、そのまま話を続けた。

 「あぁ……。別にやりたい事も無いから」

 「そうなんだ」

 そこからまた会話が途切れてしまった。

 もう話題もなくなってしまった。

 「……気まずい」

 やっぱり私は理央くんが苦手で、そんな事を思ってしまう。

 でも、理央くんは私が悪夢にうなされていたのを本気で心配しているようだった。

 それに、今日の話し声はいつもより心做しか優しかった。

 もしかしたら……これが本当の理央くんの姿なのかもしれない。

 そんな風に考えると、心のどこかで彼ともう少し話してみたい、彼のことをもっと知りたいと思うようになってきた。

 思えば夏祭りの時も不自然だった。

 私のことが嫌いなら放っておけば良いのに。

 どうして急に優しくなるの?

 私だけに冷たく接しているのはどうして?

 私……理央くんのことが分からない。

 聞きたいことは山ほどあった。

 それでも、直接本人に聞く勇気もなく、ただ気まずい空気だけがその場に漂っていた。





 ピンポーン

 「はぁい」

 「こんにちは! 唯は居ますか?」

 「澪ちゃん、いらっしゃい! 唯なら今自分の部屋にいるわよ」

 「ありがとうございます」

 「唯ー!」

 「澪ちゃん! いらっしゃい」

 私たちは今日、勉強会をする約束をしていた。

 「にしても二人で遊ぶのって久しぶりじゃない?」

 「遊ぶんじゃなくて勉強するんだけどね。でも本当に久しぶりだね! 最近は他の人と一緒のことが多かったし」

 「だよねー。夏祭りも最後の方は結局四人で回ったしね」

 夏祭り……。

 ふとその時の思い出が蘇ってきた。

 いつもと様子が違った理央くん。

 様子が違うと言えば、この前の教室でのことだって……。

 「あれ、あそこにあるぬいぐるみって……」

 「あぁ、あのクマのぬいぐるみね。どこに置こうか迷ったけど、やっぱり一番見やすい棚に置くことにしたんだ」

 「結構気に入ってるみたいだね」

 気に入ってる……。

 まぁ、そうなのかな。

 あのぬいぐるみは理央くんから貰ったものって考えると不思議な気持ちになるけど、それでも嬉しいものは嬉しかった。

 「そうだね。可愛いし、お気に入りだよ」

 「へぇ、もしかして理央が取ってくれたからとか?」

 「えっ……!」

 急に理央くんの名前が出てきたから驚いた。

 「別に、誰から貰っても嬉しかったよ。元々は澪ちゃんが私にあげようとしてたんでしょ? だからより嬉しく感じるのかな」

 「うちが元々ねぇ……。これ言ってもいいのかな」

 どうしたんだろ。

 澪にしては珍しく歯切れが悪い物言いだ。

 「どうしたの?」

 私は澪の言うことが気になったので、話しやすいように促した。

 「いや……理央、うちがこれ唯にって言ったって話してたけど、うち何も言ってないのよね」

 ん……?

 つまり、どういうことだ?

 その表情を読み取ったのか、澪がそのまま続ける。

 「このぬいぐるみ、うちが何も言ってないのに、唯が欲しいものだって気が付いたみたいなの」

 そうだったの……?

 でもどうして、私はこの事を理央くんに話したことはないのに。

 「不思議だよね。もしかして、前にぬいぐるみの事話したことあった?」

 「いや、そもそもあまり話したことないし、少なくとも私の記憶の中では私の好きな物とか、言ったことはないよ」

 「記憶の中では……か」

 そうだ。

 私もそこが引っかかっている。

 小さい頃の記憶なんて、あまり覚えてないという人がほとんどだと思う。

 でも私の場合、言葉では表現しづらいけど、何かが抜け落ちたような、あまりにも遠い過去すぎて忘れたような、とにかく不思議な感じがするのだ。

 それは理央くんの存在も同じだ。

 理央くんは何故か私の好みを知っている。

 それもあまり話したことがないのに。

 それに実を言うと、私自身も初めて会った気がしない。

 まるで昔に会ったことがあったような……。

 でもそんな記憶は私の中に存在しない。

 「これは、俗に言うアレなのかもね」

 神妙な空気を消すように、澪の声が響いた。

 「アレ……とは?」

 澪がその後に言う言葉が、何故か私は怖かった。

 「運命ってやつ!」

 「……え?」

 どうやら私の考え過ぎだったようだ。

 澪の予想外の言葉に、反応に困ってしまう。

 「ほら、運命の人って言葉にしなくても伝わる、みたいなこと言うじゃん?」

 そう……だったかな?

 「もしかしたら前世で会ってたのかもしれないね。だったら妙に不思議な感じがするのも違和感ないかも!」

 ……前世で会ってた。

 理由は分からないけど、その言葉が私の頭から離れなかった。

 「まぁ、うちらは現在を生きているわけだから、前世のこととかは分からないけど。実際どうなの? 唯は理央のことどう思ってる?」

 私は理央くんのこと……。

 「初めは……私にだけ冷たくて、一緒に居ると気まずいし、できることならあまり関わりたくなかった」

 「うんうん。そんな雰囲気が出てたよ」

 「でも今は、もっと理央くんと話したい。理央くんのことが知りたい。理央くんと……仲良くなれたらなって思ってる」

 そう言うと、澪は目を輝かせながら私の方を向いた。

 「それってもしかして……!」

 「もしかして私、理央くんと友達になりたいのかな?」

 「……マジかよ」

 そう言う澪は呆れた表情をしていた。

 「あれ。私何か変なこと言った?」

 「いや、何も。二人とも鈍感だなー」

 私は澪の言葉がどういう意味なのか分からなかった。

 「まぁいいわ。そんな理央と仲良くなりたい唯に一つ提案があるの」

 「提案?」

 「理央と遊びに行ったらどう?」

 えっ……!

 それは急じゃない?

 「流石にそれは……。急に遊びに誘うとか、不自然過ぎない?」

 「恋愛初心者の唯にはハードルが高かったか」

 れっ、恋愛!?

 なんで急にそんな話になるのよ。

 「じゃあ、うちがセッティングしてあげる! うちと兄貴も一緒だったら不自然じゃないんじゃない?」

 「良いのかな……。何か申し訳ないし、何より理央くんが承諾してくれるのか……」

 「そうかな? 意外と理央は楽しむと思うけどな。なんなら唯以上に」

 理央くんが楽しむ姿なんて想像できないけど。

 それでも私は澪の提案を受けることにした。

 「じゃあ、申し訳ないけどお願いしてもいい?」

 「任せて!」

 緊張してドキドキするけれど、楽しみだな。

 あ……それより、

 「そう言えば、そろそろ勉強始めないとね」

 「え……あ、そうだったぁぁぁ」

 澪の絶望した声が聞こえる。

 「ほら。まずは課題から終わらせるよ!」

 そこから私たちは、辺りが夕焼けに包まれるまで勉強を続けた。