〜回帰前〜
俺はずっと孤独だった。
俺が生まれて間もない時に、親父は死んでしまった。
女手一つで俺を育てるために、お袋は人一倍仕事に時間を割いていた。
だから、お袋が休みのときは家族と一緒に過ごせる。
そう思って嬉しかった。
「お母さん!」
「……ん? あぁ、理央。どうしたの?」
俺は一緒に遊びたい気持ちで山々だった。
だけど、疲れている姿を見ていると、休日くらいゆっくり休ませてやりたくなる。
「……ううん。何でもない」
「そう」と言うお袋の疲れた声が聞こえた。
小さい頃から俺は基本的なことしか教えてもらえなかった。
家に居てもずっと独りぼっち。
別に無視をされたり、虐待を受けたりしていた訳ではない。
むしろ、いつも美味しいご飯を作ってくれるし、俺が眠るまではずっと傍に居てくれた。
ただ……頭では仕方がないと分かっていても、幼い俺にとって親にかまって貰えないことはかなり辛かった。
だから、少しでも負担を軽くしてやりたいと、俺は積極的に家事を手伝うようになった。
小さい子に何ができる。
そう思うかもしれない。
それでも少しでも役に立てるのなら、俺は自由を奪われても構わなかった。
そんなことを繰り返していると、自然と俺は何でもこなせるようになっていた。
俺が周りと違うと本格的に気づいたのは小学生になってからだ。
小学生、しかも男子で家事を得意とする人は俺以外に居なかった。
友達を作るということもなかったため、当時の俺はかなり大人びていた。
勉強も他の人と比べて秀でていた方だと思う。
そんな俺が、クラスから浮くのは当たり前のことだった。
別に、それが辛いとか友達が欲しいとか思うことはなかった。
一人でいることは慣れていたし、その方が俺にとっても都合が良かったから。
でも、次第に周りの人は俺を"変な存在"から"排除するべき存在"として見るようになった。
初めは物を隠される程度だった。
しかし、次第に暴力を振るわれるようになった。
正直、小学生にしてはかなり悪質なものだったと思う。
その度に、忙しかったお袋は俺の心配をしてくれた。
いじめられるのが辛い、殴られたところが痛い。
そんなことよりも、母親が俺を見てくれる。
俺に興味がなかったお袋がその時だけは関心を持ってくれて、皮肉にも嬉しいと思ってしまったのだ。
そこからだろう。
最初の間違いを犯してしまったのは。
俺はお袋に見てほしい。
気にかけてほしい。
ただそんな理由で、自分から喧嘩をするようになってしまった。
そうすれば、また俺を見てくれると信じていたから。
そんなある日、喧嘩ばかりしていた俺を救ってくれる人に出会った。
「喧嘩ばかりしていて辛くないの?」
「……え?」
公園でサッカーをしていたある1人の少年が、俺に声をかけてきた。
俺と、そう歳が変わらなさそうな少年。
その少年こそ、一ノ瀬樹だった。
「なんか、小学生のくせに大人びてんな」
「何? 喧嘩売ってんの?」
喧嘩ばかりしていた俺は、つい喧嘩腰に言ってしまった。
「違う違う! かっこいいって意味! 喧嘩強いやつってなんかかっこいいじゃん!」
こんな風に明るく俺に話しかけてくれる人は初めてだった。
「……」
「でも君は本当は喧嘩なんかしたくない。そう思ってるんじゃない?」
「そんなこと……」
その時ふと思った。
そうだ。
俺はなんのために喧嘩してたんだ?
母親から愛されるため?
傷ついた俺を見て欲しかったから?
でもこれじゃあ、逆に困らせているじゃないか。
少し考えれば分かる事だった。
だけど、今までの俺にそんなことを考える余裕はなかったし、何より、そんなことを言ってくれる人がいなかった。
「てなわけで、これから一緒にサッカーしない?」
「……は?」
今の流れからどうしてサッカーの話になるんだ?
「サッカー!」
「それは分かるけど。なんで急に」
「喧嘩強い=運動が得意でしょ?」
「いや、どんな理論だよ」
「細かいことは置いといて! ほらほらー! 早くー」
「ちょっ……引っ張んないで」
何コイツ。
凄い強引じゃん。
「あ! そうだ。ボクは一ノ瀬樹。君の名前は?」
話聞いてないし……。
でも、こんな風に接してくれる人が今までいなかったから、なんだか新鮮な気持ちだ。
あんなに強がっていたけど……俺だって本当は友達が欲しかったんだな。
そうと自覚すれば俺は自然と笑顔になった。
きっと、生まれて初めて見せた心からの笑顔。
「……九条理央」
「おーそうか理央! よろしくな」
なんか変なやつ……。
でも不思議とコイツとは長い付き合いになりそう。
そんな予感がした。
しばらくして、樹は地元のサッカークラブに所属していることを知った。
「理央もうちのクラブに入ったら? もっと沢山の人と関わった方がいいよ」
そんなことを言われても、人と関わることはまだ慣れない。
でもせっかく樹がくれたチャンスだ。
この機会が俺を変えるきっかけになるんじゃないか?
そう思い、とりあえず考えてみると返事をした。
家に帰ってお袋に樹と話したことを伝えた。
「……ねぇ。樹くんがサッカーチームに入ってるらしいんだけど……。僕もサッカーやってみていいかな?」
するとお袋は、今までにないくらいの笑顔を見せてくれた。
「もちろん! いいに決まってるじゃない! 理央がやりたいことを見つけてくれたみたいで、お母さん嬉しいわ!」
あ……。
ずっと俺が見たかった母親の笑顔。
俺はこの決断をして良かったと思った。
実際、このクラブでの経験は俺にとって良い影響を与えてくれた。
俺なんかよりもサッカーが上手い人を見ていると、
「負けてられない」
「もっと上手くなりたい」
そんな気持ちになった。
まだ、人と関わることが得意とはいえないけれど、確かに俺の中の変化を感じたのだ。
「なぁ、理央はどこの高校に進学するつもりなんだ?」
一歳上の樹は、一足先に高校生となった。
意外にも頭が良いらしく、倍率が高いと言われる宮園学園へと進学した。
「俺は、明智高校に進学するつもり」
「え! そしたら一緒にサッカーできないじゃないか!」
「同じ高校じゃなくても、小学生の時みたいに公園で一緒にサッカーすればいいだろ?」
「それはそうだけど……」
「それに俺は男子校に行きたいし」
だいぶ人と関わることには慣れてきたが、女子と話すことに関しては、どうも苦手なままだった。
高校生になった俺は、特に変わらず生活していた。
喧嘩を全くしなくなった……という訳ではないけれど、あの頃と比べるとだいぶ落ち着いてきたと思う。
ただ一つ別の問題が……。
小学生の頃とは明らかに周りからの対応が変わっていたのだ。
「きゃーーー!!!」
「……ッ! うるさ」
近くの学校の女子たちが、俺を見る度に声をかけるようになってきたのだ。
中学生の時から薄々自覚はしていた。
俺はどちらかと言えば整った顔をしているということ。
中学の時のそんな反応が嫌で男子校を選んだのに。
「ねぇ、そろそろ話しかけるの辞めてもらえない? そもそもアンタのこと知らないし、こっちからしたら迷惑でしかないから」
「は? 何それ。性格悪っ」
お好きな様に言ってください。
「いくらイケメンでも愛想が悪かったらねぇ」
そうだ。
これがいつものパターンだ。
俺に寄ってくる人は見た目しか見ていない。
だから俺のことを"残念イケメン"と呼ぶ人が少なからずいることを知っていた。
そういう人は決まって俺の性格を知ると「顔だけはいいのに」と言って、あっという間に離れていく。
どうせその程度の気持ちなんだろ。
俺は生きたいように生きているだけだ。
だから別に、この性格が悪いとは思っていない。
でも実際は高校生になっても、俺は孤独のまま。
昔の日々を繰り返しているだけだった。
そんな生活にも嫌気がさしていた日、彼女と……唯と出会うことになる。
喧嘩をした帰り道、いつもの公園のベンチに座っていると一人の少女が声をかけてきた。
「あの……怪我してるみたいですけど大丈夫ですか?」
「このくらいの傷なんともないし」
これもよくあるパターン。
座っていると勝手に近付いてきて、怪我をしていると分かると、直ぐに離れていく。
コイツだって同じ。
ほら。
こんなにも震えてるじゃないか。
怖いんだったら話しかけなければいいじゃん。
でも怪我の心配をしてくれた人は初めてだ。
「あ、あの! すみません……。私、今何も持ってなくて。近くのコンビニで絆創膏買ってきますね!」
「いや……だから」
あ……。
行っちゃった。
人の話を聞かないところが、何となく樹に似ている。
どうせ逃げるための口実だろ。
でも、俺はまだ希望を捨てたくなかったのか少し期待してしまう自分もいる。
そして彼女は、数分後俺の予想とは裏腹に俺の元へ戻ってきた。
……それも全速力で。
「ハァハァ……お待たせ、しました」
「ちょ……大丈夫かよ」
ここまでされると逆に申し訳なくなる。
「じゃあ怪我の手当をしますね。傷、見せてもらえますか?」
「……はい」
ここまでされて断るわけにはいかなかった。
俺は渋々手当を受けることにした。
「こんなに傷だらけになっちゃって。もう少し自分の体を大切にした方がいいですよ」
え……?
俺、今怒られている?
それより……
「手当……慣れてるんだな」
「そうですか? 父が医者だからですかね」
じゃあ俺とは全く違う世界に住んでるじゃん。
俺は理由は分からないが、少し寂しい気持ちになった。
「……よし。はい! 治療、終わりましたよ」
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして! あまり喧嘩はしないでくださいね。あなたが怪我をしたら悲しむ人がいるんですから。あ、それとももしかして喧嘩が趣味なんですか?」
「……ッ!! そんな訳ないだろ」
つい俺は声を張り上げてしまった。
あ……しまった。
そんな俺にも彼女は、また優しい言葉をかけてくれた。
「あ! ようやく本心を言ってくれたね! なんか、悲しそうな顔をしてたから。自分の気持ちを誤魔化してたらいつまでも辛いままだよ」
初めて会うコイツに何がわかるんだよ……。
それでも、俺に優しくしてくれるのはこの人が二人目だったから、俺は涙を堪えることで精一杯だった。
「あ、私そろそろ帰らないと。また怪我しないよう、気をつけてくださいね!」
「あっ……」
そう言って彼女は去っていった。
……優しい、人だったな。
あんなに親切にしてもらったのはいつぶりだろうか。
樹のように優しい人が他にも居るということを感じた。
「あっ……名前」
名前を聞いておけばよかった。
もう会うことはないかもしれないが。
でも……
「また……会えたらいいな」
そう思っている自分に俺自身も驚いた。
その時、俺の知らない新しい感情が芽生えたのだった。
あれからすぐに、俺の願いは思いがけない形で叶うことになる。
「おっ! 理央ー。お待たせ」
「あ、樹」
「あれ? また喧嘩したのか? 相変わらずだなぁ」
「……まぁ」
「よくもまぁ飽きないよな。でも……ん? なんかいつもより傷治るの早いな」
「手当してもらったから」
「へぇ……手当、手当ねぇ……って、え!?」
「いや、そこ驚くところ?」
「いやぁ、優しい人もいるんだな。不良に優しくしてくれるなんて」
「じゃあ樹も優しいな」
「えへっ。そんな素直に褒められると照れちゃうよ、理央くん♡」
「……キモ」
「えぇ! ヒド!」
樹は相変わらずの変人っぷりだ。
樹こそよくこんなキャラで疲れないよな。
「あ、そういえば今日もう一人来るんだけど大丈夫そ? いやダメって言われても来ることは決まってるけど」
「誰?」
「俺の後輩ちゃん」
「へぇ……。別に気にしないよ。男なら」
樹が他の人を連れてくることは滅多にないから驚いた。
「あ……」
「あ……ってまさか」
「いやマジごめん! でも大丈夫! あいつ良い奴だし、不良とか、全然ウェルカムだから! いや、こんな言い方おかしいか? とにかく大丈夫!」
「分かったから。焦らなくてもいいよ」
「良かった」
そうは言っても、女子連れてくるとかこいつ何考えてるんだ?
もしかして彼女とか?
それか……俺と同い歳だっていう妹とか?
「もうすぐ着くと思うんだけどな」
その時、俺がずっと聞きたかった声が聞こえた。
「あ、樹くん! お待たせ!」
「おぉ! 唯、待ってたぞ」
……唯?
てかこの声どっかで……
「この人が理央さん? 初めまして!」
「初めま……って、え?」
「……あ!」
あの人だ。
公園で俺を手当してくれた、あの優しい人。
「ん?なに?二人知り合い系?」
「いや……この前手当してもらった。ほら、傷の治りが早いって言ってたじゃん」
「なんと!」
「傷が良くなってて安心しました」
「どうも」
その場に不思議な空気が流れる。
「オレと唯は幼馴染なんだ」
その空気をかき消すように、樹が話し出す。
「樹くんから、理央さんの話をされていたので、ずっと会ってみたいって思ってたんです」
幼馴染なんだ……。
あれ?
樹の後輩ってことは……
「あの……樹の後輩、なんだよね? てことは宮園学園の生徒?」
「はい! そうです」
「だったらタメでいいよ。同い歳なんだし」
「え! 同い歳ですか!?」
「樹……」
「てへっ」
俺の何を話してたんだよ。
「とにかく……そういうことだから」
「分かりま……じゃなくて分かった! あ! そう言えば自己紹介がまだだったね。私は東雲唯。よろしくね!」
「東雲……ってもしかして東雲病院の東雲?」
「そうそう!」
てことは、前言ってた医者の父親って東雲病院の院長ってことか。
「お? 理央にしては珍しく女子と会話してるじゃん」
「べ、別に!」
「ふふっ可愛い」
!!
可愛いなんて初めて言われた……。
彼女と出会ったことで、俺はまた間違いを犯してしまうことは、この時は知る由もなかった。
それから数ヶ月が経った。
俺たちは学校は違うものの、頻繁に連絡を取り合うようになった。
彼女と過ごす時間が堪らなく幸せだった。
あぁ、これが好きって気持ちなのかな。
彼女が俺に光を与えてくれたことは、好きになるには十分な理由だった。
だから俺は、彼女の言葉通り、自分の気持ちを誤魔化さないで伝えることにした。
「唯……あのさ」
「ん? どうしたの。そんなに改まって」
「えっと……。その……」
告白なんて初めてだから、つい言葉に詰まってしまう。
「俺って、愛想良くないし、気持ちを伝えるのも苦手だけど、これだけはしっかり伝えたくて」
「うん」
「……好き、です」
慣れない言葉だったから、つい敬語になってしまった。
……それよりどうして黙ってるんだ?
どうしよう。
すごく怖い。
唯がどんな表情をしているのか、恐る恐る顔をあげてみると、
「……ッ」
「えっ! な、泣いてる? どうしたの? そんなに嫌だった?」
「違うの。嬉しくて」
「……えっ?」
「ずっと私だけそうなんだと思ってた」
それってつまり……
「私も理央くんのことが好き。これからもずっと一緒に居たい」
現実、だよな?
ヤバい……。
マジで嬉しい。
「ホントか! これ現実だよな? すげぇ嬉しい!」
「現実だよ」
唯がこちらに眩しい笑顔を向けた。
俺も……俺にもようやく守りたい人ができた。
その現実が、今の俺には眩しく、光り輝いて見えた。
あっ……初雪だ。
12月25日。
唯と二人で過ごす、初めてのクリスマス。
俺たちは今日、イルミネーションを観に行く約束をしていた。
雪が降ってきて寒さが厳しくなってきた。
早く会いたいな。
そう考えていると、イルミネーションに照らされる、彼女の後ろ姿が見えてきた。
「ごめん! 待たせたか?」
「ううん。私も今来たところ」
「そっか……。それなら良かった」
そう言って俺たちは微笑み合う。
「あ、そうだ。これクリスマスプレゼント」
「わぁー! 私からもこれ! プレゼント」
「じゃあ一緒に開けるか」
……あ。
「同じものだな」
「同じものだね」
そう言ってまた笑い合う。
「じゃあ、お揃いってことで」
そう言って、彼女に微笑みかける。
あぁ……。
やっぱり俺は唯のことが好きだ。
いつからだろうか。
俺は彼女の優しさに甘えすぎたのかもしれない。
俺が真っ当に生きていなかったから、彼女に依存してしまったのかもしれない。
そのせいか、些細なことで喧嘩をするようになってしまった。
それでも彼女と結婚してからは毎日が幸せだった。
それも、長くは続かなかったが。
お互いが自分のことで精一杯で、しっかり向き合うことができなかった。
そんな生活を続けていると、どうしてもお互いが壊れてしまう時がある。
唯が体調を崩した時だった。
最近調子が悪そうだったが、その日は特に辛そうだった。
だから俺は、どうしたんだと聞いた。
でも彼女はなんともないという。
……どうしてだ。
思いを言葉にしろって言ったのはお前じゃないか。
それなのになんで隠そうとする。
そんなに俺が頼りないのか?
そんな思いが積もってしまったからだろうか。
「結婚ってこんなに大変だったんだな……。幸せだと思ってたのに……。こんなことならいっそ……結婚しない方がよかったかもな」
……ッ!!
俺は今、何を言ったんだ?
つい、心にもないことを口走ってしまった。
気付いた時には、唯は家を飛び出した後だった。
まずい、今すぐ彼女を追いかけないと。
そうしないと……。
何故か俺は嫌な予感がした。
そこからはあまり覚えていない。
雪が降る街で探し回っていると、そこまで離れていない場所で彼女を見つけた。
「唯……っ!」
すると、彼女の方へ向かう車の姿が視界に入った。
!!
おいっ!
何やってんだあいつ!
気付けよ!!
まずい……。
この距離じゃ間に合わない。
俺は、精一杯声を振り絞って叫んだ。
「唯! 危ない!!」
彼女が気が付いた時にはもう遅かった。
その時に近くに居た俺も怪我を負ってしまった。
どう……なってるんだ?
視界が歪む。
目の前に倒れている唯が居る。
「ゆ……い……」
ふと、彼女の傍にあった花を見つけた。
……あれは、クリスマスローズ?
彼女は花が好きで、俺によくプレゼントをしてくれた。
クリスマスローズは別名「初雪起こし」とも呼ばれ、雪が好きな彼女が一番好きな花でもあった。
しかし、彼女からクリスマスローズをもらったことはなかった。
その理由を尋ねると、
「綺麗だけど、少し切ない意味が込められてるから」
そんなことを言っていた。
だから俺は気になって花言葉を調べた。
確か意味は……
「私の不安を取り除いてください」
そして、
「私を忘れないで」
唯は何か悩んでいたのか?
だったら何で何も話してくれなかったんだ。
いや、違う。
俺が、この関係を壊したくなくて彼女と向き合おうとしなかっただけなんだ。
俺は事故の影響で一ヶ月も眠っていたという。
後から聞いた話だが、唯は悪性脳腫瘍のため、残された時間は僅かだったそうだ。
それでも……。
生きてさえいれば、彼女を救うことができたかもしれないのに。
後悔してもう遅い。
これはもう過去の話だから。
そう……。
もう過去の話。
「理央くん!」
今世の俺の傍には唯が居る。
俺が望む未来に、本来なら存在しなかった人。
そして、彼女にそっくりな娘も傍に居る。
ずっとあの最後の日のことを後悔していた。
だから、チャンスを与えられた時、
「絶対に唯を救ってみせる」
彼女の未来を守ってやると誓った。
唯を見守って未来を変えれば、それだけで構わないと思っていた。
でも唯も俺と同じ"回帰者"だったとはな。
彼女は自分の記憶を対価に幸せになることを願った。
それが俺たちを再び引き合わせてくれたのだとしたら……。
これからは絶対に同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。
俺は過去の記憶を忘れかけている。
恐らく、あと数年も経てば、前世の幸せな瞬間も、苦しい瞬間も全て忘れてしまうだろう。
でもそれでいい。
俺は……俺たちは現在を生きているのだから。
そんな想いを胸に、俺は今度こそ唯を幸せにすると誓った。
「あなたの願い事は何?」
俺は……
「もう一度、この人生をやり直したい。できることなら、過去に戻って未来を……唯が幸せになれる未来に変えたい」
「そう……。分かったわ」
これが、俺が描きたい未来。
唯と一緒に幸せになる未来。
だから俺は、これから先のミライを君と一緒に描いていきたいと思う。
──もしも神様が存在するのなら、あなたは何を願いますか?
[完]
俺はずっと孤独だった。
俺が生まれて間もない時に、親父は死んでしまった。
女手一つで俺を育てるために、お袋は人一倍仕事に時間を割いていた。
だから、お袋が休みのときは家族と一緒に過ごせる。
そう思って嬉しかった。
「お母さん!」
「……ん? あぁ、理央。どうしたの?」
俺は一緒に遊びたい気持ちで山々だった。
だけど、疲れている姿を見ていると、休日くらいゆっくり休ませてやりたくなる。
「……ううん。何でもない」
「そう」と言うお袋の疲れた声が聞こえた。
小さい頃から俺は基本的なことしか教えてもらえなかった。
家に居てもずっと独りぼっち。
別に無視をされたり、虐待を受けたりしていた訳ではない。
むしろ、いつも美味しいご飯を作ってくれるし、俺が眠るまではずっと傍に居てくれた。
ただ……頭では仕方がないと分かっていても、幼い俺にとって親にかまって貰えないことはかなり辛かった。
だから、少しでも負担を軽くしてやりたいと、俺は積極的に家事を手伝うようになった。
小さい子に何ができる。
そう思うかもしれない。
それでも少しでも役に立てるのなら、俺は自由を奪われても構わなかった。
そんなことを繰り返していると、自然と俺は何でもこなせるようになっていた。
俺が周りと違うと本格的に気づいたのは小学生になってからだ。
小学生、しかも男子で家事を得意とする人は俺以外に居なかった。
友達を作るということもなかったため、当時の俺はかなり大人びていた。
勉強も他の人と比べて秀でていた方だと思う。
そんな俺が、クラスから浮くのは当たり前のことだった。
別に、それが辛いとか友達が欲しいとか思うことはなかった。
一人でいることは慣れていたし、その方が俺にとっても都合が良かったから。
でも、次第に周りの人は俺を"変な存在"から"排除するべき存在"として見るようになった。
初めは物を隠される程度だった。
しかし、次第に暴力を振るわれるようになった。
正直、小学生にしてはかなり悪質なものだったと思う。
その度に、忙しかったお袋は俺の心配をしてくれた。
いじめられるのが辛い、殴られたところが痛い。
そんなことよりも、母親が俺を見てくれる。
俺に興味がなかったお袋がその時だけは関心を持ってくれて、皮肉にも嬉しいと思ってしまったのだ。
そこからだろう。
最初の間違いを犯してしまったのは。
俺はお袋に見てほしい。
気にかけてほしい。
ただそんな理由で、自分から喧嘩をするようになってしまった。
そうすれば、また俺を見てくれると信じていたから。
そんなある日、喧嘩ばかりしていた俺を救ってくれる人に出会った。
「喧嘩ばかりしていて辛くないの?」
「……え?」
公園でサッカーをしていたある1人の少年が、俺に声をかけてきた。
俺と、そう歳が変わらなさそうな少年。
その少年こそ、一ノ瀬樹だった。
「なんか、小学生のくせに大人びてんな」
「何? 喧嘩売ってんの?」
喧嘩ばかりしていた俺は、つい喧嘩腰に言ってしまった。
「違う違う! かっこいいって意味! 喧嘩強いやつってなんかかっこいいじゃん!」
こんな風に明るく俺に話しかけてくれる人は初めてだった。
「……」
「でも君は本当は喧嘩なんかしたくない。そう思ってるんじゃない?」
「そんなこと……」
その時ふと思った。
そうだ。
俺はなんのために喧嘩してたんだ?
母親から愛されるため?
傷ついた俺を見て欲しかったから?
でもこれじゃあ、逆に困らせているじゃないか。
少し考えれば分かる事だった。
だけど、今までの俺にそんなことを考える余裕はなかったし、何より、そんなことを言ってくれる人がいなかった。
「てなわけで、これから一緒にサッカーしない?」
「……は?」
今の流れからどうしてサッカーの話になるんだ?
「サッカー!」
「それは分かるけど。なんで急に」
「喧嘩強い=運動が得意でしょ?」
「いや、どんな理論だよ」
「細かいことは置いといて! ほらほらー! 早くー」
「ちょっ……引っ張んないで」
何コイツ。
凄い強引じゃん。
「あ! そうだ。ボクは一ノ瀬樹。君の名前は?」
話聞いてないし……。
でも、こんな風に接してくれる人が今までいなかったから、なんだか新鮮な気持ちだ。
あんなに強がっていたけど……俺だって本当は友達が欲しかったんだな。
そうと自覚すれば俺は自然と笑顔になった。
きっと、生まれて初めて見せた心からの笑顔。
「……九条理央」
「おーそうか理央! よろしくな」
なんか変なやつ……。
でも不思議とコイツとは長い付き合いになりそう。
そんな予感がした。
しばらくして、樹は地元のサッカークラブに所属していることを知った。
「理央もうちのクラブに入ったら? もっと沢山の人と関わった方がいいよ」
そんなことを言われても、人と関わることはまだ慣れない。
でもせっかく樹がくれたチャンスだ。
この機会が俺を変えるきっかけになるんじゃないか?
そう思い、とりあえず考えてみると返事をした。
家に帰ってお袋に樹と話したことを伝えた。
「……ねぇ。樹くんがサッカーチームに入ってるらしいんだけど……。僕もサッカーやってみていいかな?」
するとお袋は、今までにないくらいの笑顔を見せてくれた。
「もちろん! いいに決まってるじゃない! 理央がやりたいことを見つけてくれたみたいで、お母さん嬉しいわ!」
あ……。
ずっと俺が見たかった母親の笑顔。
俺はこの決断をして良かったと思った。
実際、このクラブでの経験は俺にとって良い影響を与えてくれた。
俺なんかよりもサッカーが上手い人を見ていると、
「負けてられない」
「もっと上手くなりたい」
そんな気持ちになった。
まだ、人と関わることが得意とはいえないけれど、確かに俺の中の変化を感じたのだ。
「なぁ、理央はどこの高校に進学するつもりなんだ?」
一歳上の樹は、一足先に高校生となった。
意外にも頭が良いらしく、倍率が高いと言われる宮園学園へと進学した。
「俺は、明智高校に進学するつもり」
「え! そしたら一緒にサッカーできないじゃないか!」
「同じ高校じゃなくても、小学生の時みたいに公園で一緒にサッカーすればいいだろ?」
「それはそうだけど……」
「それに俺は男子校に行きたいし」
だいぶ人と関わることには慣れてきたが、女子と話すことに関しては、どうも苦手なままだった。
高校生になった俺は、特に変わらず生活していた。
喧嘩を全くしなくなった……という訳ではないけれど、あの頃と比べるとだいぶ落ち着いてきたと思う。
ただ一つ別の問題が……。
小学生の頃とは明らかに周りからの対応が変わっていたのだ。
「きゃーーー!!!」
「……ッ! うるさ」
近くの学校の女子たちが、俺を見る度に声をかけるようになってきたのだ。
中学生の時から薄々自覚はしていた。
俺はどちらかと言えば整った顔をしているということ。
中学の時のそんな反応が嫌で男子校を選んだのに。
「ねぇ、そろそろ話しかけるの辞めてもらえない? そもそもアンタのこと知らないし、こっちからしたら迷惑でしかないから」
「は? 何それ。性格悪っ」
お好きな様に言ってください。
「いくらイケメンでも愛想が悪かったらねぇ」
そうだ。
これがいつものパターンだ。
俺に寄ってくる人は見た目しか見ていない。
だから俺のことを"残念イケメン"と呼ぶ人が少なからずいることを知っていた。
そういう人は決まって俺の性格を知ると「顔だけはいいのに」と言って、あっという間に離れていく。
どうせその程度の気持ちなんだろ。
俺は生きたいように生きているだけだ。
だから別に、この性格が悪いとは思っていない。
でも実際は高校生になっても、俺は孤独のまま。
昔の日々を繰り返しているだけだった。
そんな生活にも嫌気がさしていた日、彼女と……唯と出会うことになる。
喧嘩をした帰り道、いつもの公園のベンチに座っていると一人の少女が声をかけてきた。
「あの……怪我してるみたいですけど大丈夫ですか?」
「このくらいの傷なんともないし」
これもよくあるパターン。
座っていると勝手に近付いてきて、怪我をしていると分かると、直ぐに離れていく。
コイツだって同じ。
ほら。
こんなにも震えてるじゃないか。
怖いんだったら話しかけなければいいじゃん。
でも怪我の心配をしてくれた人は初めてだ。
「あ、あの! すみません……。私、今何も持ってなくて。近くのコンビニで絆創膏買ってきますね!」
「いや……だから」
あ……。
行っちゃった。
人の話を聞かないところが、何となく樹に似ている。
どうせ逃げるための口実だろ。
でも、俺はまだ希望を捨てたくなかったのか少し期待してしまう自分もいる。
そして彼女は、数分後俺の予想とは裏腹に俺の元へ戻ってきた。
……それも全速力で。
「ハァハァ……お待たせ、しました」
「ちょ……大丈夫かよ」
ここまでされると逆に申し訳なくなる。
「じゃあ怪我の手当をしますね。傷、見せてもらえますか?」
「……はい」
ここまでされて断るわけにはいかなかった。
俺は渋々手当を受けることにした。
「こんなに傷だらけになっちゃって。もう少し自分の体を大切にした方がいいですよ」
え……?
俺、今怒られている?
それより……
「手当……慣れてるんだな」
「そうですか? 父が医者だからですかね」
じゃあ俺とは全く違う世界に住んでるじゃん。
俺は理由は分からないが、少し寂しい気持ちになった。
「……よし。はい! 治療、終わりましたよ」
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして! あまり喧嘩はしないでくださいね。あなたが怪我をしたら悲しむ人がいるんですから。あ、それとももしかして喧嘩が趣味なんですか?」
「……ッ!! そんな訳ないだろ」
つい俺は声を張り上げてしまった。
あ……しまった。
そんな俺にも彼女は、また優しい言葉をかけてくれた。
「あ! ようやく本心を言ってくれたね! なんか、悲しそうな顔をしてたから。自分の気持ちを誤魔化してたらいつまでも辛いままだよ」
初めて会うコイツに何がわかるんだよ……。
それでも、俺に優しくしてくれるのはこの人が二人目だったから、俺は涙を堪えることで精一杯だった。
「あ、私そろそろ帰らないと。また怪我しないよう、気をつけてくださいね!」
「あっ……」
そう言って彼女は去っていった。
……優しい、人だったな。
あんなに親切にしてもらったのはいつぶりだろうか。
樹のように優しい人が他にも居るということを感じた。
「あっ……名前」
名前を聞いておけばよかった。
もう会うことはないかもしれないが。
でも……
「また……会えたらいいな」
そう思っている自分に俺自身も驚いた。
その時、俺の知らない新しい感情が芽生えたのだった。
あれからすぐに、俺の願いは思いがけない形で叶うことになる。
「おっ! 理央ー。お待たせ」
「あ、樹」
「あれ? また喧嘩したのか? 相変わらずだなぁ」
「……まぁ」
「よくもまぁ飽きないよな。でも……ん? なんかいつもより傷治るの早いな」
「手当してもらったから」
「へぇ……手当、手当ねぇ……って、え!?」
「いや、そこ驚くところ?」
「いやぁ、優しい人もいるんだな。不良に優しくしてくれるなんて」
「じゃあ樹も優しいな」
「えへっ。そんな素直に褒められると照れちゃうよ、理央くん♡」
「……キモ」
「えぇ! ヒド!」
樹は相変わらずの変人っぷりだ。
樹こそよくこんなキャラで疲れないよな。
「あ、そういえば今日もう一人来るんだけど大丈夫そ? いやダメって言われても来ることは決まってるけど」
「誰?」
「俺の後輩ちゃん」
「へぇ……。別に気にしないよ。男なら」
樹が他の人を連れてくることは滅多にないから驚いた。
「あ……」
「あ……ってまさか」
「いやマジごめん! でも大丈夫! あいつ良い奴だし、不良とか、全然ウェルカムだから! いや、こんな言い方おかしいか? とにかく大丈夫!」
「分かったから。焦らなくてもいいよ」
「良かった」
そうは言っても、女子連れてくるとかこいつ何考えてるんだ?
もしかして彼女とか?
それか……俺と同い歳だっていう妹とか?
「もうすぐ着くと思うんだけどな」
その時、俺がずっと聞きたかった声が聞こえた。
「あ、樹くん! お待たせ!」
「おぉ! 唯、待ってたぞ」
……唯?
てかこの声どっかで……
「この人が理央さん? 初めまして!」
「初めま……って、え?」
「……あ!」
あの人だ。
公園で俺を手当してくれた、あの優しい人。
「ん?なに?二人知り合い系?」
「いや……この前手当してもらった。ほら、傷の治りが早いって言ってたじゃん」
「なんと!」
「傷が良くなってて安心しました」
「どうも」
その場に不思議な空気が流れる。
「オレと唯は幼馴染なんだ」
その空気をかき消すように、樹が話し出す。
「樹くんから、理央さんの話をされていたので、ずっと会ってみたいって思ってたんです」
幼馴染なんだ……。
あれ?
樹の後輩ってことは……
「あの……樹の後輩、なんだよね? てことは宮園学園の生徒?」
「はい! そうです」
「だったらタメでいいよ。同い歳なんだし」
「え! 同い歳ですか!?」
「樹……」
「てへっ」
俺の何を話してたんだよ。
「とにかく……そういうことだから」
「分かりま……じゃなくて分かった! あ! そう言えば自己紹介がまだだったね。私は東雲唯。よろしくね!」
「東雲……ってもしかして東雲病院の東雲?」
「そうそう!」
てことは、前言ってた医者の父親って東雲病院の院長ってことか。
「お? 理央にしては珍しく女子と会話してるじゃん」
「べ、別に!」
「ふふっ可愛い」
!!
可愛いなんて初めて言われた……。
彼女と出会ったことで、俺はまた間違いを犯してしまうことは、この時は知る由もなかった。
それから数ヶ月が経った。
俺たちは学校は違うものの、頻繁に連絡を取り合うようになった。
彼女と過ごす時間が堪らなく幸せだった。
あぁ、これが好きって気持ちなのかな。
彼女が俺に光を与えてくれたことは、好きになるには十分な理由だった。
だから俺は、彼女の言葉通り、自分の気持ちを誤魔化さないで伝えることにした。
「唯……あのさ」
「ん? どうしたの。そんなに改まって」
「えっと……。その……」
告白なんて初めてだから、つい言葉に詰まってしまう。
「俺って、愛想良くないし、気持ちを伝えるのも苦手だけど、これだけはしっかり伝えたくて」
「うん」
「……好き、です」
慣れない言葉だったから、つい敬語になってしまった。
……それよりどうして黙ってるんだ?
どうしよう。
すごく怖い。
唯がどんな表情をしているのか、恐る恐る顔をあげてみると、
「……ッ」
「えっ! な、泣いてる? どうしたの? そんなに嫌だった?」
「違うの。嬉しくて」
「……えっ?」
「ずっと私だけそうなんだと思ってた」
それってつまり……
「私も理央くんのことが好き。これからもずっと一緒に居たい」
現実、だよな?
ヤバい……。
マジで嬉しい。
「ホントか! これ現実だよな? すげぇ嬉しい!」
「現実だよ」
唯がこちらに眩しい笑顔を向けた。
俺も……俺にもようやく守りたい人ができた。
その現実が、今の俺には眩しく、光り輝いて見えた。
あっ……初雪だ。
12月25日。
唯と二人で過ごす、初めてのクリスマス。
俺たちは今日、イルミネーションを観に行く約束をしていた。
雪が降ってきて寒さが厳しくなってきた。
早く会いたいな。
そう考えていると、イルミネーションに照らされる、彼女の後ろ姿が見えてきた。
「ごめん! 待たせたか?」
「ううん。私も今来たところ」
「そっか……。それなら良かった」
そう言って俺たちは微笑み合う。
「あ、そうだ。これクリスマスプレゼント」
「わぁー! 私からもこれ! プレゼント」
「じゃあ一緒に開けるか」
……あ。
「同じものだな」
「同じものだね」
そう言ってまた笑い合う。
「じゃあ、お揃いってことで」
そう言って、彼女に微笑みかける。
あぁ……。
やっぱり俺は唯のことが好きだ。
いつからだろうか。
俺は彼女の優しさに甘えすぎたのかもしれない。
俺が真っ当に生きていなかったから、彼女に依存してしまったのかもしれない。
そのせいか、些細なことで喧嘩をするようになってしまった。
それでも彼女と結婚してからは毎日が幸せだった。
それも、長くは続かなかったが。
お互いが自分のことで精一杯で、しっかり向き合うことができなかった。
そんな生活を続けていると、どうしてもお互いが壊れてしまう時がある。
唯が体調を崩した時だった。
最近調子が悪そうだったが、その日は特に辛そうだった。
だから俺は、どうしたんだと聞いた。
でも彼女はなんともないという。
……どうしてだ。
思いを言葉にしろって言ったのはお前じゃないか。
それなのになんで隠そうとする。
そんなに俺が頼りないのか?
そんな思いが積もってしまったからだろうか。
「結婚ってこんなに大変だったんだな……。幸せだと思ってたのに……。こんなことならいっそ……結婚しない方がよかったかもな」
……ッ!!
俺は今、何を言ったんだ?
つい、心にもないことを口走ってしまった。
気付いた時には、唯は家を飛び出した後だった。
まずい、今すぐ彼女を追いかけないと。
そうしないと……。
何故か俺は嫌な予感がした。
そこからはあまり覚えていない。
雪が降る街で探し回っていると、そこまで離れていない場所で彼女を見つけた。
「唯……っ!」
すると、彼女の方へ向かう車の姿が視界に入った。
!!
おいっ!
何やってんだあいつ!
気付けよ!!
まずい……。
この距離じゃ間に合わない。
俺は、精一杯声を振り絞って叫んだ。
「唯! 危ない!!」
彼女が気が付いた時にはもう遅かった。
その時に近くに居た俺も怪我を負ってしまった。
どう……なってるんだ?
視界が歪む。
目の前に倒れている唯が居る。
「ゆ……い……」
ふと、彼女の傍にあった花を見つけた。
……あれは、クリスマスローズ?
彼女は花が好きで、俺によくプレゼントをしてくれた。
クリスマスローズは別名「初雪起こし」とも呼ばれ、雪が好きな彼女が一番好きな花でもあった。
しかし、彼女からクリスマスローズをもらったことはなかった。
その理由を尋ねると、
「綺麗だけど、少し切ない意味が込められてるから」
そんなことを言っていた。
だから俺は気になって花言葉を調べた。
確か意味は……
「私の不安を取り除いてください」
そして、
「私を忘れないで」
唯は何か悩んでいたのか?
だったら何で何も話してくれなかったんだ。
いや、違う。
俺が、この関係を壊したくなくて彼女と向き合おうとしなかっただけなんだ。
俺は事故の影響で一ヶ月も眠っていたという。
後から聞いた話だが、唯は悪性脳腫瘍のため、残された時間は僅かだったそうだ。
それでも……。
生きてさえいれば、彼女を救うことができたかもしれないのに。
後悔してもう遅い。
これはもう過去の話だから。
そう……。
もう過去の話。
「理央くん!」
今世の俺の傍には唯が居る。
俺が望む未来に、本来なら存在しなかった人。
そして、彼女にそっくりな娘も傍に居る。
ずっとあの最後の日のことを後悔していた。
だから、チャンスを与えられた時、
「絶対に唯を救ってみせる」
彼女の未来を守ってやると誓った。
唯を見守って未来を変えれば、それだけで構わないと思っていた。
でも唯も俺と同じ"回帰者"だったとはな。
彼女は自分の記憶を対価に幸せになることを願った。
それが俺たちを再び引き合わせてくれたのだとしたら……。
これからは絶対に同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。
俺は過去の記憶を忘れかけている。
恐らく、あと数年も経てば、前世の幸せな瞬間も、苦しい瞬間も全て忘れてしまうだろう。
でもそれでいい。
俺は……俺たちは現在を生きているのだから。
そんな想いを胸に、俺は今度こそ唯を幸せにすると誓った。
「あなたの願い事は何?」
俺は……
「もう一度、この人生をやり直したい。できることなら、過去に戻って未来を……唯が幸せになれる未来に変えたい」
「そう……。分かったわ」
これが、俺が描きたい未来。
唯と一緒に幸せになる未来。
だから俺は、これから先のミライを君と一緒に描いていきたいと思う。
──もしも神様が存在するのなら、あなたは何を願いますか?
[完]