エピソード26
side東雲唯


 私の名前は東雲唯……らしい。

 というのも、私は記憶を失ってしまったみたいで何も覚えていない。
 
 日常生活を送るのに支障はないものの、自分のことや、過去の出来事については全く覚えていなかった。

 医者によると、私はかなり危険な状態だったらしく、助かったのは奇跡とのことだ。

 記憶障害は残ったものの、再発の可能性はゼロに等しいそうだ。

 「唯、入ってもいいか?」

 「あ、どうぞ……」

 扉が開くと、そこには理央さんが居た。

 彼のことは覚えていないけれど、彼を見ると何故か安心感を覚える。

 きっと、記憶をなくす前の私にとって大切な人だったのだろう。

 理央さんは毎日のように私のお見舞いに来てくれた。

 私と同い歳だという彼は、一足先に二年生になっていた。

 私は手術をしたばかりということもあって、来年度から復学することになっていた。

 そのため、理央さんは私が遅れを取らないように時々勉強を教えてくれる。

 幸いなことに、学んだ内容については記憶が残っていたため、勉強をすること自体は苦ではなかった。

 そんな生活が一年続いた。

 お見舞いには、幼馴染だという樹さんと澪ちゃん、紗奈ちゃんも来てくれた。

 皆のことを覚えていなくて申し訳ない気持ちになったけれど、皆私に優しく接してくれた。

 一緒に過ごす時間は楽しくて、早く学校に行きたいという気持ちが次第に大きくなってきた。

 病院での生活は退屈だったけれど、皆が居てくれたから、一年という時間もあっという間に感じた。

 そして、私は二年生、理央さん達は三年生となった。

 私は理央さんに勉強を教えてもらっていたおかげで、勉強についていけないという心配はなかった。

 記憶がなくても生活に支障がなかったし、問題なく学校生活を送ることができた。

 ただ、進学校だけあって、3年生となった理央さんとはたまにしか話せなかったし、私自身も、医学部を目指していたらしく、ほとんどの時間を勉強の時間に費やしていた。




 「なぁ、唯。今日時間があれば一緒に駅前のカフェに行かないか?」

 そんなある日、理央さんがカフェに誘ってきた。

 「時間は大丈夫なの?」

 「まぁ、ずっと勉強してても疲れるだけだしな」

 確かに。

 理央さんは最近疲れているように見える。

 たまには息抜きも必要だろう。

 「でも、理央さんって甘いもの苦手じゃなかった? 確か駅前のカフェはかなり甘いって聞いてるけど」

 「……俺、甘いもの苦手って言ったことあったか?」

 あ……。

 そういえば、理央さんから甘いものが苦手って話は聞いたことがなかった。

 でも、元々知っていたかのように、自然と私の口からその言葉が出た。

 もしかして、記憶が戻りつつあるのかな。

 「……最近こういうことが増えてるの。私の記憶にはないのに、何故か知っているってこと。もしかしたら、私が忘れている記憶なのかもしれない」

 理央はこちらをじっと見つめ、それから私に質問した。

 「唯は……記憶を取り戻したいって思うのか?」

 「……うん。きっと私は、大切な記憶を忘れているんだと思う。だから私は絶対に思い出したい」

 生活に支障はないといえど、やっぱり記憶がないというのはおかしな感覚だったし、何より大切な記憶なら、絶対に思い出したいと思ったのだ。

 それを聞いた理央さんは静かに答えた。

 「……そうか。でも、焦らなくていいからな。無理して思い出す必要はない。もし思い出せなくても、新しい思い出を作ってやるよ」

 この言葉も聞き覚えがある。

 誰かは分からないけれど、私を励ますためにかけてくれた言葉だ。

 「うん……。そうだね。私今も十分幸せだから、急がなくても良いのかもね」

 理央さんは本当に不思議な人だな。

 一緒に居ると安心するし、私に勇気をくれる。

 「あ、そうだ。今年のクリスマスなんだけどさ、唯さえ良ければ一緒にイルミネーションを観に行かないか?」

 イルミネーション……。

 その言葉はなんだか懐かしい響きだった。

 「行きたい!」

 私は、考えるよりも先に返事をしていた。

 「そうか、良かった。……これで約束は果たせたな」

 ……約束?

 記憶を失う前に、私は理央さんと何か約束をしていたのだろうか。

 そんな疑問が残ったが、理央さんは無理に思い出さないでも良いと言ってくれた。

 だから私は、通り過ぎた過去のことよりも、今を楽しもうと決めた。

 少しずつだけど、私の記憶が戻りつつある。

 だからきっと、いつかは私の記憶を取り戻せるはずだ。

 もしかするとその日はが来るのは、そう遠くないことかもしれない。