エピソード21
side東雲唯
どこからか私を呼ぶ声が聞こえる。
「目を覚ましなさい」
「あなたは生き続けなければならない」と私に囁く声が聞こえた。
目を……覚まさなければ。
どこか懐かしいその声に導かれるように、私はそっと目を開いた。
***
「……」
目を開けると見慣れない白い天井が視界に入った。
「……ここは?」
少年が私の手を握りながら眠っているのに気が付いた。
この人は……誰だろう。
「あ、あの……」
すると急にその少年はバッと顔を上げた。
「……!!」
「唯! 良かった。目を覚ましたんだな。ちょっと待ってろ。今樹たちにも連絡するからな」
なんだろう。
すごく喜んでくれてるみたい。
でも……。
「あの!」
「どうした?」
「すみません。唯って誰ですか……? それにあなたは……」
「え……」
分からない。
私が誰なのか。
この人は誰なのか。
そもそも、私はどうして病院にいるの?
何よりも分からないのは、彼がとても切なそうな表情をしていたことだった。
どうしてそんなに辛そうな顔をしているの……?
「やっぱキツイな……」
ボソッと何かを呟く声が聞こえた。
「何か言いましたか?」
「あ! いやなんでもない」
それから少年は何かを考えるような表情をした後にこう言った。
「唯、君の名前だよ。君の名前は東雲唯」
「しののめ……ゆい……。いい名前ですね」
「だろ?」
得意げな彼の顔が何故か懐かしく感じられた。
「あなたは……?」
「俺は……九条理央。お前の……」
「友達、だよ」
友達……か。
「そうですか。理央さん。私の傍に居てくれたんですよね? ありがとうございます」
「俺が居たくて傍に居たんだから大丈夫。とにかく、唯が無事で何よりだよ」
「はい……」
この人が誰かは分からないが、私のことをすごく大切に思っていることは伝わってきた。
「それじゃあ……俺は医者を呼んでくるな。詳しいことは主治医が説明してくれると思うから」
「ありがとうございます」
そう言って彼は病室から出ていった。
「九条理央さんか……」
確かに記憶にない名前なのに、心做しかその響きが懐かしく感じられた。
『結婚ってこんなに大変だったんだな……。幸せなものだと思ってたのに。こんなことならいっそ……結婚しない方が良かったのかもな』
『……ッ!』
何……驚いてるのよ。
彼と距離を置こうとしたのは、私の方じゃない。
それでも、耐えられなかった。
気が付いた時には、私は家を飛び出していた。
『ハァ……ハァ……』
どのくらい経っただろうか。
いつの間にか、知らない道に来てしまったみたいだ。
『あ……雪……』
その雪とともに、遠くの方から明るい家族の声が聞こえてきた。
『今年もサンタさん来るかなー?』
『そうねー。ちゃんと早寝していい子にしてたら来るんじゃないかしら?』
『……そう言えば、明日はクリスマスだったな』
クリスマスは私、いや私たちにとって特別な日だった。
『幸せな思い出を消したくなかったのに……』
その時ふと、花屋を見つけた。
『いや……まだ、間に合うよね』
私は家に帰って彼に本当のことを伝えようと決めた。
『すみません。お花を見せてもらえますか?』
『はい! 良いですよ。どんなお花がお好みですか?』
『……クリスマスローズで』
『分かりました! 旦那様へのプレゼントですか?』
『あっ……はい』
旦那様……か。
その響きが妙に照れくさくて、気が付けば私は自然と笑っていた。
私は花束にしてもらい、クリスマスローズを受け取る。
私がこの花を選んだ理由は、この花に込められた意味を伝えたかったからだ。
"私の不安を取り除いてください"
そして……
"私を忘れないで"
切ない花言葉だけれど、今の私の気持ちにはピッタリな言葉だった。
『ちゃんと伝わるかな』
彼、頭がいい割にこういうことには疎いから、もしかしたら気が付かないかもしれないな。
そう思いながら、心が軽くなるのを感じた。
その時だった。
『あれ……。なんかぼやけて見える……』
『危ない!』
理央くん?
何か言ってるみたいだけどよく分からない。
そっか……。
私のことを迎えに来てくれたんだ。
今そっちに向かうから待っててね。
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
え……。
凄く……体が重い。
鈍い音がその場に響いた。
目の前に大勢の人が見える。
『理央……くん?』
私の意識はそこで途切れた。
気がついたら何も無い、ただ真っ白な世界が広がっていた。
『まだ若いのに不運だね』
『だっ……誰!』
『そんなに驚かなくてもいいよ』
『私は神様のような存在だから』
『神様? だったら私を生き返らせてください!』
『残念ながらそれはできないよ。第一このまま生き返っても、貴方余命も僅かでしょ?』
『そっ……それは……』
『彼、かなり後悔してたわよ。どうしてあんなことを言ったのかって』
『理央くんのこと知ってるんですか!?』
『まぁ、神様だからね』
この現状からすると彼女が神であるということを認めるしかなかった。
『あの……私の願いを叶えてくれますか?』
『あぁ、それなら任せて。でもさっきみたいに、生き返らせることはできないからね』
『分かってます……』
『じゃあ……あなたの夢は何?』
『私は……幸せになりたい! 死んじゃったのに幸せになりたいなんておかしな話ですよね』
『そんなことないわ。絶対に叶えてあげる』
そう聞こえた瞬間、辺りは光に包まれた。
『大丈夫。あなたの夢は必ず叶うから』
再び目を開けた時には、まだ幼い頃の私が鏡に映っていた。
夢を見ていた。
私の記憶には無い。
でもどこかリアルな夢だった。
そう……ただの夢のはずなのに、気が付けば私は泣いていた。
「もしかして……これは夢の話じゃなかったの?」
そうじゃなきゃ、どうして私はこんなにも悲しいのだろう。
そう呟くと、ドアをノックする音が聞こえた。
「理央さんかな?」
そう思っていると、入ってきたのは、綺麗な女の人だった。
「こんにちは。唯ちゃん」
この人も私のことを知っている……?
「こ、こんにちは」
そう言うと、彼女はじっとこちらを見つめてくる。
「あの……どうしましたか?」
「あ! ごめんね。つい見すぎちゃったね」
何故だろう。
この人からも理央さんと同じ視線を感じる。
私のことを心配している。
そんな優しい表情だった。
「本当は直接会いに来る予定はなかったんだけど、最後に一度だけ会いたいって思ってね」
「どこかに行くんですか?」
「行くっていうか……本来いるべき場所に戻るって言った方が正しいかな」
どういうことだろう。
「それより、そんな不安そうな顔をしてどうしたの?」
「……何か大切なことを忘れている気がして。思い出さなくちゃいけないのに……。そう考えると不安になってしまって」
初めて会う人に何言ってるんだろう。
そのくらい私にとっては辛いことだったのかな。
「……大丈夫。今はあなたにとって辛い時期かもしれないけど、いつかきっと乗り越えられるから。無理はしなくていい。焦らず、ゆっくりで良いんだよ」
何故か彼女の言葉には妙な説得力を感じた。
「それに、唯ちゃんは独りじゃないでしょ? 家族、友達、そして理央くんだっている」
……そうだ。
私は独りじゃない。
記憶を失っても側にいてくれる大切な人たちがいる。
私が目を覚ましたという知らせを聞くと、家族や友達という人が沢山駆けつけてくれた。
その人達はみんな、
「生きていてくれてありがとう」
そんな言葉をかけてくれた。
焦らなくても、ゆっくりでも大丈夫なんだから。
時間はまだある。
「あの……ありがとうございます」
「いえいえ。お礼を言うのはむしろこっちよ」
「え……?」
「あ! いや、気にしないで!」
「じゃあ私はそろそろ帰るけど、最後にひとつだけ言っておくわね」
「……あなたの夢は叶ったわよ」
「……!!」
夢……?
私は何を願ったの?
「じゃあまたね」
そのことを聞く前に、彼女は部屋を出ていってしまった。
その姿は、まるで今にも消えてしまいそうなくらい透き通って見えた。
「はい……。また」
つい、私はそう応えてしまった。
何故だか分からないが、彼女にまた会える気がしたのだ。
side東雲唯
どこからか私を呼ぶ声が聞こえる。
「目を覚ましなさい」
「あなたは生き続けなければならない」と私に囁く声が聞こえた。
目を……覚まさなければ。
どこか懐かしいその声に導かれるように、私はそっと目を開いた。
***
「……」
目を開けると見慣れない白い天井が視界に入った。
「……ここは?」
少年が私の手を握りながら眠っているのに気が付いた。
この人は……誰だろう。
「あ、あの……」
すると急にその少年はバッと顔を上げた。
「……!!」
「唯! 良かった。目を覚ましたんだな。ちょっと待ってろ。今樹たちにも連絡するからな」
なんだろう。
すごく喜んでくれてるみたい。
でも……。
「あの!」
「どうした?」
「すみません。唯って誰ですか……? それにあなたは……」
「え……」
分からない。
私が誰なのか。
この人は誰なのか。
そもそも、私はどうして病院にいるの?
何よりも分からないのは、彼がとても切なそうな表情をしていたことだった。
どうしてそんなに辛そうな顔をしているの……?
「やっぱキツイな……」
ボソッと何かを呟く声が聞こえた。
「何か言いましたか?」
「あ! いやなんでもない」
それから少年は何かを考えるような表情をした後にこう言った。
「唯、君の名前だよ。君の名前は東雲唯」
「しののめ……ゆい……。いい名前ですね」
「だろ?」
得意げな彼の顔が何故か懐かしく感じられた。
「あなたは……?」
「俺は……九条理央。お前の……」
「友達、だよ」
友達……か。
「そうですか。理央さん。私の傍に居てくれたんですよね? ありがとうございます」
「俺が居たくて傍に居たんだから大丈夫。とにかく、唯が無事で何よりだよ」
「はい……」
この人が誰かは分からないが、私のことをすごく大切に思っていることは伝わってきた。
「それじゃあ……俺は医者を呼んでくるな。詳しいことは主治医が説明してくれると思うから」
「ありがとうございます」
そう言って彼は病室から出ていった。
「九条理央さんか……」
確かに記憶にない名前なのに、心做しかその響きが懐かしく感じられた。
『結婚ってこんなに大変だったんだな……。幸せなものだと思ってたのに。こんなことならいっそ……結婚しない方が良かったのかもな』
『……ッ!』
何……驚いてるのよ。
彼と距離を置こうとしたのは、私の方じゃない。
それでも、耐えられなかった。
気が付いた時には、私は家を飛び出していた。
『ハァ……ハァ……』
どのくらい経っただろうか。
いつの間にか、知らない道に来てしまったみたいだ。
『あ……雪……』
その雪とともに、遠くの方から明るい家族の声が聞こえてきた。
『今年もサンタさん来るかなー?』
『そうねー。ちゃんと早寝していい子にしてたら来るんじゃないかしら?』
『……そう言えば、明日はクリスマスだったな』
クリスマスは私、いや私たちにとって特別な日だった。
『幸せな思い出を消したくなかったのに……』
その時ふと、花屋を見つけた。
『いや……まだ、間に合うよね』
私は家に帰って彼に本当のことを伝えようと決めた。
『すみません。お花を見せてもらえますか?』
『はい! 良いですよ。どんなお花がお好みですか?』
『……クリスマスローズで』
『分かりました! 旦那様へのプレゼントですか?』
『あっ……はい』
旦那様……か。
その響きが妙に照れくさくて、気が付けば私は自然と笑っていた。
私は花束にしてもらい、クリスマスローズを受け取る。
私がこの花を選んだ理由は、この花に込められた意味を伝えたかったからだ。
"私の不安を取り除いてください"
そして……
"私を忘れないで"
切ない花言葉だけれど、今の私の気持ちにはピッタリな言葉だった。
『ちゃんと伝わるかな』
彼、頭がいい割にこういうことには疎いから、もしかしたら気が付かないかもしれないな。
そう思いながら、心が軽くなるのを感じた。
その時だった。
『あれ……。なんかぼやけて見える……』
『危ない!』
理央くん?
何か言ってるみたいだけどよく分からない。
そっか……。
私のことを迎えに来てくれたんだ。
今そっちに向かうから待っててね。
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
え……。
凄く……体が重い。
鈍い音がその場に響いた。
目の前に大勢の人が見える。
『理央……くん?』
私の意識はそこで途切れた。
気がついたら何も無い、ただ真っ白な世界が広がっていた。
『まだ若いのに不運だね』
『だっ……誰!』
『そんなに驚かなくてもいいよ』
『私は神様のような存在だから』
『神様? だったら私を生き返らせてください!』
『残念ながらそれはできないよ。第一このまま生き返っても、貴方余命も僅かでしょ?』
『そっ……それは……』
『彼、かなり後悔してたわよ。どうしてあんなことを言ったのかって』
『理央くんのこと知ってるんですか!?』
『まぁ、神様だからね』
この現状からすると彼女が神であるということを認めるしかなかった。
『あの……私の願いを叶えてくれますか?』
『あぁ、それなら任せて。でもさっきみたいに、生き返らせることはできないからね』
『分かってます……』
『じゃあ……あなたの夢は何?』
『私は……幸せになりたい! 死んじゃったのに幸せになりたいなんておかしな話ですよね』
『そんなことないわ。絶対に叶えてあげる』
そう聞こえた瞬間、辺りは光に包まれた。
『大丈夫。あなたの夢は必ず叶うから』
再び目を開けた時には、まだ幼い頃の私が鏡に映っていた。
夢を見ていた。
私の記憶には無い。
でもどこかリアルな夢だった。
そう……ただの夢のはずなのに、気が付けば私は泣いていた。
「もしかして……これは夢の話じゃなかったの?」
そうじゃなきゃ、どうして私はこんなにも悲しいのだろう。
そう呟くと、ドアをノックする音が聞こえた。
「理央さんかな?」
そう思っていると、入ってきたのは、綺麗な女の人だった。
「こんにちは。唯ちゃん」
この人も私のことを知っている……?
「こ、こんにちは」
そう言うと、彼女はじっとこちらを見つめてくる。
「あの……どうしましたか?」
「あ! ごめんね。つい見すぎちゃったね」
何故だろう。
この人からも理央さんと同じ視線を感じる。
私のことを心配している。
そんな優しい表情だった。
「本当は直接会いに来る予定はなかったんだけど、最後に一度だけ会いたいって思ってね」
「どこかに行くんですか?」
「行くっていうか……本来いるべき場所に戻るって言った方が正しいかな」
どういうことだろう。
「それより、そんな不安そうな顔をしてどうしたの?」
「……何か大切なことを忘れている気がして。思い出さなくちゃいけないのに……。そう考えると不安になってしまって」
初めて会う人に何言ってるんだろう。
そのくらい私にとっては辛いことだったのかな。
「……大丈夫。今はあなたにとって辛い時期かもしれないけど、いつかきっと乗り越えられるから。無理はしなくていい。焦らず、ゆっくりで良いんだよ」
何故か彼女の言葉には妙な説得力を感じた。
「それに、唯ちゃんは独りじゃないでしょ? 家族、友達、そして理央くんだっている」
……そうだ。
私は独りじゃない。
記憶を失っても側にいてくれる大切な人たちがいる。
私が目を覚ましたという知らせを聞くと、家族や友達という人が沢山駆けつけてくれた。
その人達はみんな、
「生きていてくれてありがとう」
そんな言葉をかけてくれた。
焦らなくても、ゆっくりでも大丈夫なんだから。
時間はまだある。
「あの……ありがとうございます」
「いえいえ。お礼を言うのはむしろこっちよ」
「え……?」
「あ! いや、気にしないで!」
「じゃあ私はそろそろ帰るけど、最後にひとつだけ言っておくわね」
「……あなたの夢は叶ったわよ」
「……!!」
夢……?
私は何を願ったの?
「じゃあまたね」
そのことを聞く前に、彼女は部屋を出ていってしまった。
その姿は、まるで今にも消えてしまいそうなくらい透き通って見えた。
「はい……。また」
つい、私はそう応えてしまった。
何故だか分からないが、彼女にまた会える気がしたのだ。