エピソード15
side九条理央


 俺は疲れが溜まっていたため、一眠りしようとした。

 だけど、また悪夢を見たらどうしよう。

 そう思うと怖くて寝ることができなかった。

 だから俺は樹が来るのを静かに待った。

 全てを打ち明ける覚悟を決めながら。

 二時間ほど経っただろうか。

 辺りが騒がしくなり、きっと部活が終わったんだろうと思った。

 「理央。待たせたな」

 部活終わりの樹が保健室に入ってきた。

 それにしても、あんなハードな練習の後に疲れひとつ見せないとは。

 「樹、本当に体力ついたね」

 「まぁな。言うてハードな練習ももう二年経つもんな」

 そうか。

 もうそんなに経つんだな。

 俺たちが入学してからもう一年が経つのか……。

 もう一年と言うべきか、まだ一年と言うべきか。

 でも俺にとってのこの一年は、とても充実したものだった。

 だからこそ、俺は後悔のない選択をしたい。

 今、俺が樹にあの事(・・・)を伝えると、俺たちの関係性が崩れてしまうかもしれない。

 でも、それでもしっかり樹には伝えておきたかった。

 樹ならきっと信じてくれるだろうから。

 「なぁ理央。今日ずっと上の空だった事なんだけど……」

 やっぱりその話か。

 「もしかして、悩んでいる原因は唯に関することなのか?」

 「……」

 「理央……唯のこと好きなのか?」

 「あぁ好きだ。俺は唯が好きだ」

 「……!!」

 俺は、自分でも驚くくらい自然とその言葉を口にしていた。

 そうだ、俺は唯が好きなんだ。

 だから唯が悩んでいると心配になる。

 辛そうにしていると、俺も苦しくなる。

 二度と好きになってはいけないと自分に言い聞かせてきたのに、まさか"また"唯を好きになるとはな。

 いや……。

 本当は既に気が付いていたのかもしれない。

 俺が唯を一度たりとも忘れたことがなかったこと。

 ずっと変わらずに好きだったこと。

 だから俺は自分の気持ちに素直になろう。

 「いつからだ? いつから……唯のことが好きだったんだ?」

 あぁ……。

 樹も唯のことが好きだったんだっけ。

 でもこの質問は、ライバルに対するものというより、本気で気になって聞いた質問みたいだ。

 気になって当然だよな。

 今まで樹の前では唯が好きだっていう素振りは見せてこなかったんだから。

 「初めて出会った時からずっと好きだった」

 「初めてって……入学式の時からか?」

 違う。

 俺はもっと前に、唯と出会ってたんだ。

 「いや、それよりも前に会ったことがある」

 「前って、俺の知る限り入学前には会ったことないはずだけど?」

 ふぅ……。

 落ち着け。

 ちゃんと説明するんだ。

 「なぁ、樹。樹は前世って信じるか?」

 「前世? どうして急にそんな話になるんだ? 前世……ってまさか、前世で唯に会ったって言うのか?」

 流石樹。

 こういうところはやっぱり鋭いな。

 「そのまさかだって言ったら?」

 樹は驚いた顔をした。

 「前世は存在するって言いたいのかよ! 仮に存在するとして、どうして前世で会ったことがあるって分かるんだ! 理央は……理央は前世のことを覚えているのかよ!」

 「ちょ……あまり大きな声出さないで」

 「……あ、わりぃ」

 そりゃあ驚くよな。

 前に唯と回帰について話した時もそうだ。

 でもあの時と違うのは、俺が前世は存在すると言っていること。

 でもここまで話して引き下がる訳にはいかない。

 「前世は確かに存在する。それに俺は前世の記憶を覚えている」

 「……」

 樹の表情は暗いままだ。

 「でもそれは半分正解ってとこだ」

 「……どういうことだ?」

 「俺は前世の記憶を覚えている。でもその記憶は、樹や唯たちと過ごしてきた時の記憶だ」

 「それって……まさか!」

 どうやら勘づいたようだな。

 「もう分かったか? 俺は……回帰者だ」

 「……回帰者。そうか、もし本当に回帰したのだとしたら全ての辻褄が合うな」

 「……信じて、くれるのか?」

 「他の人が言ったら信じなかったかもしれないな。でも他でもない理央が言ったことだから。理央はこんな冗談はつかないだろ」

 樹……。

 俺は友達に恵まれたな。

 前世も今世も、樹はこうやって俺を受け入れてくれる。

 唯ともちゃんと向き合えていれば……。

 「でも突然どうしてその事をオレに話したんだ? 別に隠し続けても良かったんじゃないのか?」

 「……前世と同じ未来になりつつある」

 「……それって、どんな未来なんだ?」

 「……」

 「言いづらいことなのか?」

 この言葉はきっと、樹にとっても辛いものだろう。

 だから言おうかどうか迷ったが、樹の心配そうな顔を見た瞬間、彼に嘘をつく事はできないと思った。

 「……唯が、存在しない世界」

 「それはどういう……!」

 大声を出しそうになったところを自分で止めたようだ。

 ここじゃあゆっくり話せないよな。

 「俺のこと……信じてくれるんだよな?」

 「あぁ。だから理央が知っていること、全て話してくれ」

 「分かった。じゃあ場所を変えようか」

 そうして俺たちは公園へと向かった。

 俺は全てを樹に打ち明けよう。

 そう覚悟を決めた。

 その公園は、全てが始まるきっかけとなった場所だった。





 
 この公園は俺にとって忘れられない場所の一つだ。

 「樹、覚えているか?俺たちは小学生の頃にここで出会ったよな」

 「……あぁ、忘れられるわけないよ。オレと歳が変わらないような少年が全てを諦めたような顔をしてたからさ。そりゃあ、心配もするさ」

 樹に俺の話をする前に、ずっと気になっていたことがあったから聞いてみることにした。

 「なぁ、どうして俺に話しかけたんだ? 俺だって分かってる。喧嘩ばかりしていた俺と話す必要はなかったんじゃないか?」

 実際、あの頃の俺と普通に話してくれた人は樹しかいなかった。

 樹と出会って、大分他の人とも話せるようになったが、それもこいつが居てくれたからだ。

 樹は、その質問にどう答えようか悩んでいるみたいだった。

 そして、遂に口を開いた。

 「んー、どうしてだろうな。もう何年も前の話になるし、その時のことはあまり覚えていな」

 ……だよな。

 「ただ……あえて理由をつけるとしたら、サッカーがしたかったから、とか?」

 「なんだそれ」

 樹らしい答えに俺はつい笑ってしまった。

 サッカーか……。

 そうだよな。

 そんなに特別な理由は要らないのかもしれない。

 その時の樹の気まぐれで、今も友人として傍にいてくれる。

 それは変わらない事実じゃないか。

 「……回帰したことなんだけど、実はどうやって俺が回帰したのかはあまり覚えていないんだ」

 「……そうか」

 「ただ……女の人の声が聞こえた気がする。俺の願い事は何? そう聞かれたんだ」

 そういえばあの女性は誰だったんだろうか。

 見覚えがあるはずなのに、よく思い出せない。

 「てことは、その質問に対して時間を戻して欲しい、そう願ったってことか?」

 話が早くて助かる。

 「まぁそういうことだな。それが回帰って形で叶えてくれたって訳だ」

 再び沈黙が流れる。

 きっと樹なりに理解しようとしてくれているんだろうな。

 「さっきの……唯が存在しない世界っていうのは、その……死んだって、ことか?」

 樹にとっても辛い話だろうに、それでもこうして聞ける樹は強い人だなと思った。

 「……あぁ。死因は交通事故だった。俺と喧嘩した時に家を飛び出して、その帰り際に……」

 ダメだ……。

 思い出す度に辛くなる。

 そんな俺を気遣ってか、樹は話を急かしたりはしなかった。

 「車のブレーキが効かなくなってたみたいなんだ。でも唯は、それに気づくことができなかったんだ。音が……俺の声が聞こえていなかったんだ」

 樹は何も言わずに聞き続ける。

 「それが、病気によるものだって分かった時には、唯はもうこの世に存在していなかった」

 樹の表情が変わるのが分かった。

 「脳腫瘍だったんだ。それも悪性の。俺がちゃんと気が付いていれば……」

 唯はそんな素振りを見せていなかった。

 でも今思えば、もっと早くに気付ける瞬間はいくらでもあったじゃないか。

 俺はその事を知った時、自責の念に駆られた。

 「……もしかして、今唯が体調悪そうなのって」

 「……分からない。唯が病気になるのはもう少し先のことだから。でも万が一ってこともあるから。だから俺は樹には本当のことを話したいって思ったんだよ」

 こんな馬鹿げた話でも樹は真剣に聞いてくれた。

 きっと、それくらい樹にとっても唯は大切な存在なのだろう。

 その時、樹がふと俺に質問をしてきた。

 「じゃあ一つ気になることがあるんだけど。なんで唯に冷たい態度を取っていたんだ? 唯、自分が悪いことをしたんじゃないかって心配してたぞ」

 唯がそんなことを思っていたなんて。

 でもそれは俺なりに考えてのことだった。

 「俺が……唯を幸せにしてやることができなかったから。また俺が関わると、唯を不幸にしてしまうんじゃないかと思うと怖くて。だから傍で見守ることしかできなかった」

 「なのにまた唯を好きになったと」

 俺だって分かっている。

 自分が今言っていることが、どんなに身勝手なことなのか。

 「怒ってる……よな」

 「当たり前だろ!!」

 樹が怒って当然だ。

 好きな人が傷つけられた。

 なのに傷つけたヤツはまた彼女に恋をしている。

 そんなの、俺自身でも腹立たしい。

 「理央、お前って本当に自分勝手だな」

 「……ごめん」

 樹の言葉が痛いほど身に染みる。

 「理央は気付いているか? 過去の理央も今の理央も何一つ変わっていないって」

 「それって……」

 「もっと早くに気付けば良かった? 傷付けたくないから見守るだけだった? それって結局、唯と向き合っていないことに変わりないじゃないか。お前は自分のことしか考えていない」

 何も言い返せなかった。

 だって全て本当のことだったから。

 「理央、お前は変化を恐れている。自分の知らない未来になることを怖がるただの臆病者だ」

 ……臆病者。

 そうだよな。

 そんな臆病者は、唯の傍に居る資格なんてないよな。

 そんな負の気持ちを打ち消すように、樹の優しい声が聞こえてきた。

 「唯の傍に居る資格なんてないとか、そんな馬鹿げたこと思ってるんじゃないよな?」

 「……ッ!!」

 やっぱり樹には敵わない。

 「図星……か。理央、俺は別にお前を責めている訳ではない。理央なりに唯に寄り添おうとしていたのは伝わってきたし、実際、理央と話している時の唯は本当に楽しそうだった。あの笑顔は、オレにも見せたことのない笑顔だったからな」

 「樹……」

 「だから今更甘ったれたことを言うな! 悔しいけど、理央はオレ以上に唯のことを知っているようだし。オレじゃあ唯をあんな笑顔にすることはできない。だから……今度こそ唯を幸せにしてやってくれ」

 樹は前世を知っている俺よりも、強い心を持っているようだった。

 いや、今を生きているからこそ、その瞬間を大切にしたいと思えるんだろうな。

 俺ももう……過去のことではなく現在のこととして向き合っていかないといけないな。

 「ありがとな。樹センパイ」

 「お! やっとオレの素晴らしさに気付いたかー?」

 こうやってしんみり終わらせないところも、樹の良いところだ。

 樹に話したことで肩の荷が少し降りた気がする。

 不安が完全になくなったとは言えないけれど、樹に真実を話したことは、俺にとって正しい選択だと思った。