エピソード14
side九条理央


 『ねぇ! 遅くなるなら連絡してって言ったよね!』

 『ほんっとごめん……! 急な案件が入っちゃって……。次からは気をつけるから』

 『……それなら仕方ないね。でも心配になるから、一言だけでも、連絡よこしてね?』

 『分かった』

 これは……何の夢だろうか。

 夢……いや、俺の記憶か?

 これはきっと彼女と結婚してからしばらく経った時の話だな。

 そうだ。

 だんだん思い出してきたぞ。

 彼女との結婚生活は幸せだった。

 ただ、それ以上に些細なことで喧嘩することが増えてきた。

 お互い相手に求めるものが多過ぎたのだろう。

 『……ただいま』

 あ……場面が変わった。

 この記憶は……。

 『お帰り! そろそろご飯作ろうと思ってたんだけど、何食べたい?』

 『ごめんね。今日は……ちょっといいや』

 『……? 分かった』

 突然のことだったのを覚えている。

 いつも明るい彼女が、何故か暗い表情をしていた。

 そういう日もあると思って特に気にしていなかったが、その日を境に、確実に彼女は変わってしまった。

 俺との約束をよく忘れたり、温厚な彼女が怒りっぽくなってしまったのだ。

 たまに機嫌がいいと思ったら、大量の買い物袋を抱えて帰ってきたこともあって驚いた。

 流石におかしいと思い、痺れを切らした俺は、直接聞いてみることにした。

 その日はいつも以上に辛そうな表情をしていた。

 『なぁ……最近体調大丈夫か? 辛そうだけど』

 『……大丈夫だよ!』

 そういう彼女は、笑みを浮かべていたものの、いつもの明るい笑顔ではなかった。

 『そうは言っても本当に辛そうだし』

 『だから大丈夫だって言ってるでしょ!!!』

 俺は驚いた。

 彼女がこんなに声を荒らげるのは初めてだったから。

 『ただ心配しているだけだろ! 俺にも言えないことなのか?』

 『あなただからよ!』

 俺は彼女が理解できなかった。

 『あぁ、そうか分かったよ。俺の事全く信用してないんだな。結局この程度の仲だったってことなんだろ』

 『違っ……!』

 やめろ……。

 その後どうなったか、ハッキリと覚えてるじゃないか。

 これ以上は言うな。

 でも既に起こったことは止める術もなく、ついに俺は、言ってはいけないことを言ってしまった。

 『結婚ってこんなに大変だったんだな……。幸せになれると思ってたのに。こんなことならいっそ……結婚しない方がよかったかもな』

 『……ッ!』

 言ってから俺は我に返った。

 違う……。

 そんなこと全然思ってないのに。

 気がついた時には、もう遅かった。

 彼女は、既に家を飛び出した後だった。



***



 「り……お……りお!」

 「う……うぅ……」

 「理央!」

 !!

 頭が痛い。

 あの時の夢は……俺が一番思い出したくない記憶の一つだ。

 何度か悪夢を見たことがあったから、いつかはこの夢も見ることになると思っていたけど、実際に経験すると想像以上に辛いものだった。

 「理央。あなたうなされていたけど、大丈夫なの? 汗びっしょりじゃない」

 言われてから気が付いた。

 俺はかなりうなされてたようだな。

 お袋は久しぶりに休みみたいなのに、余計な心配かけちゃマズイよな。

 「少し夢見が悪かっただけだよ。早く着替えて準備するな」

 そうは言っても、学校に行ってからも俺の不安が消えることはなかった。

 唯は相変わらず具合が悪そうだ。

 俺と遊びに行った時はそうでもなかったのに、日々辛そうになっていく。

 これはまるであの時と同じじゃないか……。

 でも今日見た夢のせいなのか。

 俺は彼女に余計なことを言ってしまうのでないかと不安で、今日は話しかけることができなかった。





 「理央ー! パスパス!」

 一日中夢のことを考えていると、あっという間に部活の時間になっていた。

 この地域は冬でもあまり雪が降らないため、寒い時期でもグラウンドで練習をしている。

 その時、体育館へと向かう唯を見つけた。

 そうか。

 テニス部は冬になると体育館で練習するんだっけ。

 そんなことを考えていると、

 「理央! 前見ろ!」

 「えっ? 前って……」

 ドンッ

 あ……マズイ。

 寒さも相まって、顔に当たったボールはかなりの威力だった。

 「理央! 大丈夫か? とりあえず保健室に行くか」

 「あ……うん。ごめん」

 どうやら俺は鼻血を流してしまったみたいだ。

 それから俺は樹に連れられて保健室へと向かった。

 「あら、どうしたの……って九条くん! 鼻血が出てるじゃない!」

 そこまで大袈裟に言わなくても……。

 「ボールを顔に当てちゃって」

 「珍しいわね。なにか考え事でもしていたのかしら」

 ……その通りです。

 その時、保健室のドアをノックする音が聞こえた。

 「はい。どうぞ」

 「……理央くん!!」

 入ってきたのは唯だった。

 「唯? どうしたんだ?」

 「どうしたのって、理央くん怪我しちゃったでしょ? 私心配で……」

 ……唯。

 正直今は会いたくなかったが、それでもこうして心配をしてくれるのは嬉しかった。

 「大丈夫だよ。ただの鼻血だし。少しすれば治ると思うから」

 俺は唯がこれ以上不安な気持ちにならないように、優しい声で答えた。

 「それなら良かったけど……。でもゆっくり休んでね!」

 「ありがとう」

 それから唯は、部活があるからと体育館へ戻って行った。

 「それじゃあ……オレもそろそろ部活に戻るけど、理央は保健室に居るよな?」

 「あぁ、申し訳ないけど、今日の部活は休ませてもらうな」

 このまま戻っても、今日は部活に集中できないだろうし。

 「分かった。それと……部活が終わったら聞きたいことがある。迎えに来るから待っててくれ」

 「……分かった」

 何を聞きたいのかは大体察しがついていた。

 そろそろ、樹には話してもいい……。

 いや、話さないといけないのかもしれないな。

 俺が隠している秘密について。