「こんなとこでサボってていいの?」
「練習試合が始まって今は空き。そういえばさ、俺背ぇ伸びたと思わない?」
頭上に手をかざした楓が一歩踏み出し、2人の距離を縮める。
「ほら。芙由がまた小さくなった」
楓の手が私の頭へ移ると、降って湧いた嬉しさは、瞬く間にもどかしさへ変わった。
「またそうやって――」
「楓くーん! そろそろ準備だよー?」
取って付けたような私の牽制を上書きする、可愛らしい声。すぐさま離れていく楓の手を、寂しいと感じる暇すらなかった。
体育館の入り口付近から飛んできた声が誰のものなのか。姿は見えなくても、その愛くるしい顔がありありと浮かぶ。
「呼ばれてるよ」
「だな。んじゃ行くわ、会えて良かったよ」
「私も。バスケがんばっ――誰にも負けんなよ!」
満面の笑顔で頷いた楓が、あの頃より逞しくなった背を向け、体育館へと駆けて行く。
後を追うように、再び私も歩みを進める。
懐かしい感覚、とでも言うのだろうか。付き合う前も付き合ってからも、私は、バスケにひたむきな後ろ姿をずっと追っていた気がする。
――――大丈夫。
何度目かわからない言葉を唱え、イーゼルをひょいと抱え直す。
部室棟を曲がり、体育館の玄関口。ふと楓の名残りを辿るように視線を流すと、さっきまで私に触れていた手は、今度はマネージャーの髪に添えられていた。
――――違う。悲しむことじゃない。
イーゼルを両腕でぎゅっと抱きかかえ、固く目を閉じる。
動かない足を恨めしく思えば思うほど、認めたくない感情が湧いてくる。熱くなる目頭をなんとか堰き止めようと、一縷のプライドで必死に抗う。
楓の恋を心から祝福できない自分が許せない。ダイキラ――。
自己嫌悪に飲み込まれそうになった瞬間、伏せていた瞼を、ひやりと冷たいもので覆われた。
「まだ泣くな」
耳馴染みがいい低音ボイスに呼応して、硬直していた身体へ血が巡り、神経が通う。徐々に生暖かくなっていくこれは、たぶん、一糸先生の手だ。
脳が状況を理解すると、背後から抱くように回された右腕も、背中越しの一糸先生も、その存在がはっきりと伝わってくる。
「いいか、手を離したら屋上まで走れ。泣くのはその後だ」
――――そうだ。
こんな所で泣き崩れるわけにはいかない。
「イーゼルは置いてけよ」
黙って顎を引き、一糸先生の温もりが離れたのを合図に、イーゼルを手放して走り出す。瞼の奥に溜まっていた涙は流れてしまったが、構わず屋上へ向かった。
勢いよく鉄ドアを開き、閉塞感とは無縁の空間へ飛び込む。フェンスの側まで一直線に進むと、重い身体はへたり込み、そのまま寝転んだ。
さっきよりも空に近い場所へ来たはずなのに、目先に浮かぶ薄い雲は変わらず遠くて、私から離れるように流れていく。
頭の中を整理するために目を閉じると、零れた涙は横へと伝った。
肺が痛い。
顔が、熱い。
「練習試合が始まって今は空き。そういえばさ、俺背ぇ伸びたと思わない?」
頭上に手をかざした楓が一歩踏み出し、2人の距離を縮める。
「ほら。芙由がまた小さくなった」
楓の手が私の頭へ移ると、降って湧いた嬉しさは、瞬く間にもどかしさへ変わった。
「またそうやって――」
「楓くーん! そろそろ準備だよー?」
取って付けたような私の牽制を上書きする、可愛らしい声。すぐさま離れていく楓の手を、寂しいと感じる暇すらなかった。
体育館の入り口付近から飛んできた声が誰のものなのか。姿は見えなくても、その愛くるしい顔がありありと浮かぶ。
「呼ばれてるよ」
「だな。んじゃ行くわ、会えて良かったよ」
「私も。バスケがんばっ――誰にも負けんなよ!」
満面の笑顔で頷いた楓が、あの頃より逞しくなった背を向け、体育館へと駆けて行く。
後を追うように、再び私も歩みを進める。
懐かしい感覚、とでも言うのだろうか。付き合う前も付き合ってからも、私は、バスケにひたむきな後ろ姿をずっと追っていた気がする。
――――大丈夫。
何度目かわからない言葉を唱え、イーゼルをひょいと抱え直す。
部室棟を曲がり、体育館の玄関口。ふと楓の名残りを辿るように視線を流すと、さっきまで私に触れていた手は、今度はマネージャーの髪に添えられていた。
――――違う。悲しむことじゃない。
イーゼルを両腕でぎゅっと抱きかかえ、固く目を閉じる。
動かない足を恨めしく思えば思うほど、認めたくない感情が湧いてくる。熱くなる目頭をなんとか堰き止めようと、一縷のプライドで必死に抗う。
楓の恋を心から祝福できない自分が許せない。ダイキラ――。
自己嫌悪に飲み込まれそうになった瞬間、伏せていた瞼を、ひやりと冷たいもので覆われた。
「まだ泣くな」
耳馴染みがいい低音ボイスに呼応して、硬直していた身体へ血が巡り、神経が通う。徐々に生暖かくなっていくこれは、たぶん、一糸先生の手だ。
脳が状況を理解すると、背後から抱くように回された右腕も、背中越しの一糸先生も、その存在がはっきりと伝わってくる。
「いいか、手を離したら屋上まで走れ。泣くのはその後だ」
――――そうだ。
こんな所で泣き崩れるわけにはいかない。
「イーゼルは置いてけよ」
黙って顎を引き、一糸先生の温もりが離れたのを合図に、イーゼルを手放して走り出す。瞼の奥に溜まっていた涙は流れてしまったが、構わず屋上へ向かった。
勢いよく鉄ドアを開き、閉塞感とは無縁の空間へ飛び込む。フェンスの側まで一直線に進むと、重い身体はへたり込み、そのまま寝転んだ。
さっきよりも空に近い場所へ来たはずなのに、目先に浮かぶ薄い雲は変わらず遠くて、私から離れるように流れていく。
頭の中を整理するために目を閉じると、零れた涙は横へと伝った。
肺が痛い。
顔が、熱い。