吐き捨てるように言った裏ボスは、すぐさま立ち上がり屋上から出ていった。

眉間に深く刻まれたシワ。普段の半分ほどまで細められた目。機敏に動く唇。態度とは一致しない言い分を思い返すと、つい笑いが込み上げてくる。

「なんで嬉しそうに笑ってんの?」

その声は、耳をつんざく爆音のように、(じか)に心臓へ響いた。

誰も居ないはずの空間に湧いて出た、聞き慣れた低音ボイス――。
見たいようで見たくない、恐怖に似た感情を抱きつつ、ドア沿いの死角へ目をやる。そこで壁にもたれて佇んでいたのは、やはり一糸先生だった。

「……なんでいるんですか」
「後から来たのはそっち。こっちは、ホームルーム終わって一服してただけ」

着実に距離を縮めながら、一糸先生がこれ見よがしに煙を吐く。

「いつもタイミング悪く登場するのって偶然ですか」
「お前一人じゃなかったから、帰るのを待ってただけだっつーの。でもまさか、ここで例の詳細が聞けるとはね」

あ然としている内に一糸先生はタバコを消し、目前で立ち塞がった。

10センチ以上の身長差に顔を上げると、攻守逆転がより明白になる。もう何も言い返せない。

「いいよ。もう終わった事だし、お前達の中でも解決してるんだろ。まぁ弁解したいことがあるなら、飲み物でも買いに行くけど?」
「……おごります」
「ブラック、アイスな」

黙って頷き、購買部へ急ぐ。

よくよく考えると、一糸先生を相手に理想の結果を得られた試しがない。毅然と対峙しても、気づけば劣勢になっているし、結局は一糸先生の譲歩で終わる。今だってそうだ。

…………。半年前の私なら、きっとこのまま帰っていただろう。


2人分の飲み物を買って戻ると、一糸先生はフェンスを背に座り込んでいた。

「お前って意外といい奴だったんだな」

缶コーヒーを傾ける一糸先生を横目に、私もカフェラテにストローを挿す。

「さっきの感想がそれですか。変わってますね」
「普通なら許せないだろ」

並んで座っていると、さきほどよりも目線の高さが近づく。それでも一糸先生と目が合うことはほぼない。
おかげで、言葉を紡ぐのが(いささ)かラクだったりする。

「許せないですよ。でも、裏ボスの最後のセリフを聞いて、私の選択は正しかったって安心しました」
「最後のって、南がどうこうってやつ? てか裏ボスってなに?」

……まずった。

「私、楓の応援によく行ってたんです」
「無視かよ」

完璧な突っ込みをきょとんと見返すと、一糸先生は肩を落としながら、ため息を吐いた。

嫌味たっぷりのあだ名は、本来は自分の中だけで楽しむためのものだ。それなのにサラッと口走ってしまうなんて、私だって自分に呆れている。

「裏ボスに関しては触れないでください」
「はいはい」

不服そうに返事をした一糸先生は、陽に透けて灰色じみた髪を左耳へ掛けた。

「あ、楓って元カレの名前なん――」
「説明はいい」

抑揚のない拒絶はとても乾いて聞こえる。でもその横顔をうかがえば、左耳の3つのピアスホールまで見える。教室ではあり得ない光景だ。

私はカフェラテを一口飲むと、深呼吸とともに、不必要な見栄を吐き切った。