「なんつーかさ、虚勢を張ってでも守りたいって、凄いことだよ」

一糸先生の視線が再びこちらへ返ってくる。私がモッさんの前で大泣きしていたときは、こんな風にしっかりと目が合ったことはなかった。

「別れを選べるほどの、その想いの深さとか純粋さとか。そういう真っ直ぐな感情って、意として得られるもんじゃないだろうし、馬鹿にする方がバカだよな」

一糸先生がゆっくりと紡いでいく言葉に、しかと耳を傾ける。
こんな謝罪も感想も欲していない。全てを理解したかのように寄り添って欲しいわけじゃない。それでも――。

堪らず瞼を閉じると、必然的に涙が零れた。

「お前が悪態をついてくるのも、宿泊研修の一件で何も話そうとしなかった理由(わけ)も、今ならなんとなく分かる」
「……すみませんでした」
「いや、悪いのはこっちだし。大事なもんを傷つけておいて、信用しろってのが無理な話だろ」

決して揺らがない、切れ長で鋭い目。横一線に引かれた、薄い唇。
私がぎこちなく笑い返してみても、一糸先生が表情を緩めることはない。

――だからこそ、一歩踏み出せた。

「一糸先生、それは本心ですか?」
「本心だよ。お前が相手だと繕う意味もないしな」

過去の経験は消えない。でもからめ捕られないように、静かに息を吐き切る。

「じゃあ私も。今後はちょっとだけ、一糸先生を信用することにします」
「……好きにして下さい」

たった一言で心が凪ぐ。夏空の下にいても、乾いた温風が髪をさらっても、身体の奥でくすぶっていた熱が引いていく。

相変わらず無愛想な言い方だったが、口元が少しだけ綻んだ瞬間を、私は見逃さなかった。一糸先生が本心だと言ったのだから、きっとこれが、一糸春が初めて見せた“本物の笑顔”だ。


「ちょーっと待った!」

背後から甲高い声が響き渡り、驚いて出入り口を振り返る。
そこには、閉め忘れていたドアの代わりに、両手に飲み物を抱えたカンナが仁王立ちしていた。

「2人共さ、ウチに何か隠してるでしょ。やたら親しげじゃん!」

どこまでも開放的なはずの空間が、一瞬で凍りついた。ぐんぐんと近づいてくるカンナだけは、その限りではないが。

「カンナ……いつから居たの」
「ん? 芙由は春先生を信じるんだよね? そんで、春先生のことは好きにしてイイんだよね?」

なんだかニュアンスが違って聞こえるけど、今は突っ込んでる場合じゃない。

「冗談なしにどこから聞いて――」
「ストップ! 春先生ってさ、もしかして芙由と公園にいた人? 似てるよね、シルエットとか」

カンナが口にした疑問に、体感温度までもが急激に下がっていく気がした。

なんで? いやいや、おかしい。カンナが知るはずな――い、けど、どうやら知っているらしい。得意げにニヤつく顔が、そう言っている。

「卒業パーティーの日ね、実は芙由を探しに行ったんだよ。萩原は『帰った』って言うのに、電話に出ないからさ」

――――え。

「いや、もし家に帰ったんじゃなかったら心配じゃん。萩原の事もあったし。んで公園に入っていく芙由を見つけたの」

カンナは平然と語るが、私は何にどう反応すればいいのか、固まってしまった。

「でも男の人といるしさー、様子見ながら試しにもう一回電話したけど出ないし。ヤバい状況になったらウチ一人じゃムリだから、とりあえず店に戻って。そこでオジチャンから事情を聞いた、ってわけ」