下山後、休憩を挟んだのちに夕食の準備が始まった。宿泊研修2日目の今日は、クラスごとにカレーなどを作るらしい。

私はカレー用野菜の仕込み担当だった。サラダ班のカンナとは離れてしまったが、親睦を深める目的で班分けされているそうなので、こればかりはしょうがない。

「また後でね、カンナ」
「……うん。芙由、元気でね」
「はいはい、カンナもね」

オリーブ色の頭に子犬みたいな垂れ耳が付いていても、構わず洗い場へ移動する。

カンナは大丈夫。私よりも人付き合いが上手いから、きっと10分もすれば、どこからともなくあの陽気な声が聞こえてくるはず。

流し台に水を張ると、私はさっそくジャガイモの処理を始めた。ひと目で業務用品だと分かる巨大なボウルに盛られた山を、ゴロゴロと水に沈めていく。

「これ、ピーラー欲しいわね」

そう呟きながら隣に立ったのは、裏ボスだった。

手から逃げ出そうとするジャガイモを捕まえ、何食わぬ顔を貫く。

「あ、うん。包丁で皮むきはちょっと怖いね」

腕がぶつからないギリギリの距離に並ぶと、ただひたすらにジャガイモを水洗いしていく。至る所から聞こえてくる笑い声は、ここには生まれない。

……というか、この状況にも裏ボスの態度にも、正直釈然としない。

お昼の一件で完全に敵視されたと思っていたのだが、深読みし過ぎだっただろうか。それとも、私は眼中にないだけか。

いや、そんなはずはない――たぶん。

「洗い終わったら春先生に訊いてみる?」
「ん?」
「ピーラーよ」
「あ、そうだね」

全てのジャガイモを洗い終えると、2人で一糸先生を探しに出る。気まずいとまでは思わないが、先生がすぐ見つかる場所に居てくれたのは救いだった。

「春先生、ピーラーありますか? 包丁でジャガイモの皮むきって大変で」
「ピーラーですか。沢村(サワムラ)先生なら分かると思いますが」
「沢村先生……」

私の独り言に、学年主任ですよ、と笑いながら先生が辺りを見回す。

「あー、多分あそこですね。椎名さん、昨日の場所分かります?」

なぜ私を名指しするのか。その答えは、先生のさりげない仕草にあった。

――困ったような表情に紛れて、顎に添えた人差し指がそっと唇に触れる。まるで野球監督のサインだ。

「大丈夫です。行ってみます」

先生のジェスチャーを読み解き、裏ボスへ軽く目配せをしてから再び歩き出す。

……不可解なのは、裏ボスが何一つ尋ねてこないこと。

今のやり取りは何だったのか、どこへ向かっているのか。私が裏ボスの立場なら絶対に気になるが、後ろをついてくる彼女は咳払いすらしない。

裏ボスの存在を認知してから、たったの2日。彼女の人柄を判断する材料はほぼない。ついでに言うと私は、蛇がいると分かっているヤブを突く趣味もないし、先陣を切って蛇に対峙するほどの積極性も備わっていない。

だけど――。


一糸先生と昨夜遭った中庭へと近づいた時、灰皿の隣に佇んでいた中年男性がこちらに気づいた。

「あの……沢村先生?」
「ん、どうした?」

歩み寄りながら半信半疑で名前を呼ぶと、返事とともに白い煙が吐き出される。