「あ……あのっ!」

焼き鳥屋の引き戸へ手を伸ばしていたモッさんに頭を下げる。

「八つ当たりして、すみませんでした」

大人なんて好きじゃない。モッさんが『くだらねぇ』と嘲ったことも許してない。でも私は、“ガキっぽい椎名(シイナ)芙由(フユ)”はもっとキライ。

「……ひとつだけ」

低い声に顔を上げると、モッさんが振り返っていた。

ドキリと心臓が跳ねる。トキメキとかじゃなく、緊張感という意味で。
モッさんのメガネには前髪が被っているのに、なぜかその視線は、しっかりと私の目を捉えているような気がした。

「ギャンギャン喚き散らしたことを恥じてんだろうけど、こっちからしてみれば年相応ってやつだから。……背伸びは良いけど無理すんな」

温かな光が漏れる店内へと人影が消えるのを待ち、ぼそりと呟く。

「……年相応がイヤなんだっつーの」

まだ夜風の冷たさを感じる瞼へハンカチをあてがうと、どういうわけか、よく知っている(●●●●●●●)香水と同じ匂いがした――。



「ただいまー」

玄関からリビングへ声をかけながら、ブーツにシューキーパーを押し込み、真っ直ぐ自分の部屋へと向かう。

階段を数段登ったところで、背後でドアが開く音がした。

「芙由ぅ、お風呂はー?」
「あとでいい」
「じゃあお土産!」
「あるわけないじゃん、ただの卒業パーティーだよ?」

母親との会話は背中越し。泣いたことを悟られないように、冗談にもちゃんと笑って応える。
でも、ドアを閉めてしまえばここは私の城だ。

ジャケットを脱ぎ捨てると、なだれるようにベッドへ寝転ぶ。着替えはあと。冷え切った部屋を温める代わりに、布団をかぶった。

ベッドから腕だけを伸ばして、ショルダーバッグを手繰り寄せる。

何も言わずに帰ってきてしまったせいだろう。ひんやりと冷たくなったスマホには、カンナからの着信が2件も入っていた。

……あとは(カエデ)からのメッセージが1件、か。

質問攻めにされそうだが、意を決してカンナへ電話を折り返す。

「もしもしカン――」
『芙由っ! だいじょーぶ? 体調悪くて帰ったってオジチャンに聞いたよ!』

ああ、そっか。
私が店先でうずくまっていたとき、心配して店主のおじちゃんが様子を見にきた。そして、一部始終を知っていたモッさんが咄嗟に嘘を――。

「うん。2回も電話貰ってたのにごめん、もう平気だから」
『そかそか。んじゃまた明後日ね! スカートの長さ調整しよーね!』
「了解。じゃーね」

終話ボタンを押すと、メッセージアプリに付いた“1”の赤い数字が際立った。

こんなとき、真っ先に思い浮かべるのは送り主の顔だろう。でも目を閉じると、あの野暮ったいモサモサ頭が邪魔をする。それから、低く無愛想な声も。

――――あれ? そういえば。

カツッ、コツッと夜道に響く靴音。焼き鳥屋から漏れる明かりで黒光りしていたあれは、たぶん革靴だった。それから、ロング丈のモッズコートを羽織る前に見た姿――白のロングTシャツ一枚に、スリムタイプっぽいフォルムのスラックス――。

一体、モッさんは何者だったのか。