適当な相槌の後で、ビールをもう一口。

晴士が詮索するときは、単にからかいたいだけで、答えに興味があるわけではない。たとえビニール製の女の子を彼女として紹介しても、思う存分笑ってから『イットが良いなら、良いと思うよ』と言うタイプだ。

「ラブの予感はなかったの? おっちゃんからはキレイな子だって聞いたけど?」
「綺麗……まぁ大人びてはいたかもな」

一連の出来事を酒の肴にするのは違う気がして、枝豆をつまむ。

「てっきり野生化して遅くなるかと思ったよ」
「送り狼てきな?」
「そうそう。合コンにも参加しないし?」
「相手は中坊だぞ。犯罪に走るほど飢えてねぇよ」

戯言をモラルでかわすと、晴士は感心したように頷いた。どこまで本気なんだか。

「ところでさ、一糸先生はいつからスタート?」
「2週間とか……3週間?」
「イットにとっては地獄の幕開けだね」

ニヤニヤと楽しそうな晴士を横目に、咥えたタバコへ火を点ける。コイツが茶化しにかかっても乗る気はない。既に、そんな間柄ではない。

「でもさ、お気に入りの生徒とか作ったら、ちょっとは楽しくなるんじゃない?」
「無理。ガキと価値観合わせるだけでも一苦労なのに、親しくなろうとか、どうかしてる」

もし何かが起きて、万が一絆されたとしても……。

――――いや、ないな。


帰り際、『お気にちゃんが出来たら報告してね!』と満面の笑みで念押しされたが、あるわけないと一笑した。タラレバすら成り立たないのだから、晴士の期待に添えるわけがない。

一糸先生(●●●●)のキャラを保てば平穏は守られる。不毛な日々に厄介事はゴメンだ。



――そして迎えた入学式当日、新任教師1日目。

仕事を終えてアトリエへ着くと、いつものようにジャケットを脱ぎ捨て、タバコに火を点けながらソファへ腰を下ろす。
呆ける暇もなく今日の光景が頭を過り、鬱積した感情とともに紫煙を限界まで吐き出した。

ギャーギャーと一向に止まない騒音。教壇から見る烏合の衆。その中で目に止まった、赤みがかった長い髪。

意思が強そうな目元に凝視され、思わず視線を外してしまった。
確信はない。あの時は暗がりだったし、生徒一覧の写真は不自然なほどの黒髪だったから気づきもしなかった。

――――椎名芙由。

――――フユ。

もし、公園で喚き散らした女の子と同一人物なら、アイツは“面倒くさい生徒”確定だ。

見てくれに騙される奴や、先生というだけで従順な奴らは扱いやすい。非常勤としてのたかが1年の経験則だが、大半の生徒がこれに該当する。
でも、彼女は違う。

涙ながらに敵意剥き出しで噛み付いてきたあの子は、大人に反感を抱いていた。もし同一人物なら、“扱いやすい”の真逆をいく、“精神的問題児”がうちのクラスにいることになる。

2度目の白く長い嘆息を洩らした瞬間、無音だった空間に着信音が響いた。
スマホ画面に映る【晴士】の文字に、紫煙を吹きかける。ほんと、タイミングのいい奴だ。

「はい」
『やほー。初日はどうだった?』
「なんか面倒な事になりそうな感じ」
『なにそれ!』

ただでさえ陽気な晴士の声が弾む。電話越しでも、目を輝かせながら面白がっている姿を容易に想像できた。