家からこの店までは歩いて約5分。両親や榎本一家と何度も訪れているし、息子の洸太(コウタ)は幼稚園から今日まで一緒だった。というわけで、店主とももちろん顔見知りだ。

「足りない物あったら遠慮なく洸太に言えな」
「ありがとう」
「おう!」

額にじんわりと汗を浮かべたおじちゃんが、また手早く串ものを裏返していく。
私も、他愛ない会話で少し軽くなった足を踏み出す。

――その瞬間だった。

「今日、ガキ多いね」

進行方向、右斜め前。不機嫌そうに鈍く唸った声の主は、カウンター席でジョッキグラスを傾けている“おひとりさま”だった。

この店で男性の一人客は珍しくない。でも、この見た目は違う。

天然パーマなのか、手入れをしていないオシャレパーマなのか。とにかく、櫛を通していないことだけはひと目で分かるモサモサな頭。黒髪なのも相まって、陰湿過ぎる……。

「悪いね、とあちゃん(●●●●●)。今日は息子達が中学の卒業パーティーしてんだよ」

ネギマ2本が乗った平皿を“モサイおじさん”に差し出しながら、おじちゃんが大部屋を顎で指す。

「周りの迷惑お構いなしにギャーギャー騒いで、何がそんなに楽しいんだか」
「ハハハッ! とあちゃんだって学生のころはそんなもんだろ?」
「中坊で友達と酒場になんて行かねぇよ」

タバコを一本取り出した“モサイおじさん”は、呆れた物言いに反して、その箱を力強く握り潰した。

火を点ける一瞬、視線がこちらを向いた気がしたが、メガネに被っている前髪のせいでよくわからない。むしろ、邪魔そうな前髪は燃えないのか、そっちが気になった。

……他人をどうこう言うなら、まずは鏡を見て。話はそれからでしょ、モサイおじさ…………モッさん?

「懐かしいなぁ。とあちゃんが初めて来たのは高校生の時だっけか?」 
「いや、昔話はやめて」

盛り上がりつつある2人を傍目に、ナイスなネーミングを心の内で笑いながらまた歩き出す。

良くも悪くも、モッさんの登場はいい気晴らしになった。
ほんの一瞬だけ、だけど。

男女一つずつしかないお手洗いを待っている間、声をかけてくるクラスメイトは、口々に『楓』を連呼した。

――楓くんと高校別でしょ? 寂しいね。
――楓くんと別れたってホント?
――楓、さっき女子と出ていったぞ?

笑って受け流すたびに現実味を帯びてくる。私と楓は、もう別れたんだ――。



お手洗いから戻ると、カウンターにはわずかに残ったビールジョッキがあるだけで、モッさんの姿は既に消えていた。

私達のことが疎ましいようだったし、帰って当然かもしれない。ある意味では私も同じ。ガキ(●●)な椎名芙由は嫌い。


「先生、私そろそろ帰るね」
「おお! 椎名、高校頑張れよ!」
「ありがとうございます」

大部屋の一番奥に鎮座していた先生へ歩み寄るまで、周りを見渡す時間は十分にあった。

自分の席へ戻っていた楓。その隣には――私の席だった場所には、以前から楓を狙っているとウワサの子が座っていた。