「ねぇ、萩原と別れたってマジっすか?」

ふいに右耳に寄せられた可愛らしい声に、ドクン、と心臓が跳ねる。

私はすぐにおしぼりを手に取り、素っ気なく視線を目の前の料理へ向けた。

「このタイミングで聞く?」
「よーす見てたの」
「どおりで静かだと思った」
「で? ホントは?」

楓と別れたのは、1ヵ月以上も前のこと。なぜバレたのか。いまさら誤魔化す必要はないか。あれやこれやと考えながら、左隣を盗み見る。

楓はこちらへ背を向けるような体勢で、クラスメイト達と賑やかに喋っていた。
これなら、たぶん聞こえないだろう。

「……うん。まあ、そうだね」
「マジで? なんで? クソ仲良かったじゃん!」
「カンナ声でかい」

私が多少凄んでみても、10年以上“斜向いのご近所さん”をやっていると無意味に等しい。仰々しくため息を吐いたところで、カンナのしかめっ面は変わらなかった。

「……言っとくけど、楓とは今でも普通に仲良いからね。隣に座るくらいだし」
「隣に座ってるからデマかと思った。てかいつ? なんで?」

ただでさえ零れ落ちそうなほどに大きな瞳が見開かれ、迫力を増して迫ってくる。

「ねー、なんでウチに話してくれなかったのさ。なんかヤラれた?」

休みなく投げかけられる疑問。さて、何をどうやって打ち返そうか。

「ちょっと待って。とりあえず何か食べよ?」
「メシより話! 理由を聞かなきゃ納得できない!」

カンナが食い気味に距離を縮めると、淡いオリーブ色のウェーブヘアがふわりと揺れた。飲み物を口にする隙すら与えてくれない幼馴染を相手に、次に繰り出すのは――。

「髪、いい感じに馴染んだね」
「うん気に入ってる! で? 萩原の件は?」
「…………」

なんだかムカつく。卒業式を終えたその足で、美容室まで私を強制連行したくせに。緩やかに背中を這う自分の髪を鏡で見ながら、『自由だー!』と満足そうに叫んでいたくせに。

「芙由が教えてくれないなら、萩原に聞くしかないよねー」

わざとらしく声を潜めたカンナが、串盛りの大皿へ手を伸ばす素振りで私の左側を覗く。どうやら、話題を変えよう作戦は通用しないらしい。

「……学校離れるしね。無理かなぁって」
「そんなことで? いつ? 卒業式の時は? 記念日のプレゼントにって買ってた香水は?」
「質問多すぎ」

深く話す気はないので、曖昧な返答と料理に惹かれたフリで凌ぐ。

ふと動いた楓の気配へ目をやると、彼もすぐにこちらに気づき、目尻がキュッと締まった猫目をわかりやすく開いた。
――そんな楓に返す反応は、いつも同じ。

ゆっくりと瞬きしながら、軽く首を振る。

楓の『どうした?』と、私の『なんでもない』。その次は、楓の『そっか』。

例に漏れず、楓は微笑み返してから席を立った。

これは私達の間ではお馴染みの、言葉のない会話。静かな授業中や、賑やかなカラオケ。時にはバスケコートと応援席の距離を埋め、時には、帰り道が二手に分かれる瞬間の寂しさを拭ってくれた。

ただ、ひとつだけ……。

最後の『そっか』はなぜかいつも、眉も目も口角も少しだけ下がって見えて、何か含みを感じる。これは私の考え過ぎだろうか。