卒業パーティーをしよう、と決まったのは、まだ実感が薄い1月の終わりだった。
卒業式から早10日、焼き鳥屋さんの畳が敷かれた大部屋。4台1組の長テーブルが4セット並び、その上を次から次へと大皿料理が彩っていく。
「わぁ、髪染めたんだ!」
「ちょっとー! ジンジャー頼んだの誰ぇ?」
ざっと部屋を見渡す限り、クラスメイトのほぼ全員が揃っていた。提案者のひとりがこの店の息子自身だったからか、教室さながらに騒がしい。
「芙由はウーロン茶だったよね?」
「あっ、ありがとう」
差し出されたグラスを受け取ると、元クラス委員長は左隣の空席を指差した。
「ああ、たぶんここもウーロン茶かな」
笑顔を向けられたので、私も笑顔で返す。
いざテーブルにグラスが置かれてから、あまりにもスムーズだったやり取りを少し後悔した。本人に確かめもせず、私が決めてよかっただろうか。
はぁ……。30数名の自由気ままな話し声は、BGMとして丁度いい。ついため息が零れてしまっても紛れる。誰の耳にも届かない。
「みんな飲み物渡ったー?」
一際大きく発せられた声に視線を振る。
おそらく大半が同じ動きをした。まさか、声の主と目が合うとは思わなかった。
スクールカーストの上位者、かつクラスの中心人物――萩原楓。
こちらに歩み寄ってきた彼が、会釈程度に微笑み、隣の空席からウーロン茶のグラスを取る。その一瞬、ふわり、と爽やかな香りが鼻を掠めた。
嫌味なく人を惹き付ける、透き通ったブルーを想像させる香り。それはまさに彼そのもので、ほんと、文句なしにピッタリだった。
離れていく後ろ姿に、似合ってるじゃん、と微笑む。
――ウーロン茶でよかったかな?
頭の片隅にあったそんなわずかな心配は、口に出さなくても自然と消えていった。
「それじゃ。えーっと、今日は3年2組の卒業祝いとーっ……と?」
彼が言葉に詰まるだけで、みんなが一斉に笑い出す。
このクラスにおいて、彼の存在は指針であり起爆剤だった。今もそうだが、クラス委員長ですら、大事な場面は彼に託してきた。
「ちょっ笑うな、ストーップ! とりあえず先生、何か一言お願いします」
部屋の端から端へ、全員の頭上を越えてバトンが飛ぶ。
指名されたこの場で唯一の成人男性は、照れくさそうに首元を掻き、グラスを持ってゆっくりと腰を上げた。
「んん、そうだな。……5年後にまたここで、今度は皆とお酒を酌み交わせることを楽しみにしてます。卒業おめでとー」
先生がグラスを掲げたのを合図に、思い思いの言葉と一緒に軽快な音を鳴らし合う。
今日で終わり。そう思うと、ひとりひとりと交わす乾杯が尊く感じた。
――だが、どこか冷めた自分がいるのも事実。
ここに未練はない。
「はい、かんぱい」
隣へ戻ってきた人気者が、至って自然に、こちらの表情を覗くようにグラスを差し出す。
「おつかれ、楓」
「うん」
微笑み合ってグラスを重ねる。ただその音は、既に再開された周囲の会話に紛れるほど小さかった。