アトリエの一室に設けている休憩室のドアを開けると、スーツのジャケットを脱ぎ捨て、部屋の中央に置かれたコの字ソファへ寝転ぶ。
「はぁ……めんどくせぇ」
そう呟いたところで、『どうした?』と尋ね返す人間なんてここには居ない。
重い身体を起こし、床にずり落ちてしまったジャケットからタバコを出す。
宛もなく宙を仰いでみても、視界を閉ざしてみても、考えることは同じ。今朝からの記憶を辿りつつ、話の内容を反復してはため息と紫煙を吐く。
「とりあえず、生徒の顔と名前だな」
車に置いてきた資料を取りに行こうと渋々腰を上げた時、玄関のインターホンが鳴った。
「はい」
『ああ、やっぱいたー!』
ご機嫌なのか不服なのか、よくわからない声。生憎とモニター越しでは顔が見切れているので、コイツの心境を図るには材料が足りない。
「なに?」
『電話出ないからココかと思って来てみた! 開けてくださーい』
「開いてるけど」
そこまで話すとインターホンを切り、コーヒーを用意するためにシンクへ向かう。
ものの十数秒で部屋のドアを開け放った彼は、何よりも先にネクタイを緩めた。
「あれ? イットがスーツって珍しいね」
「朝から学校に呼び出されて、いま戻ってきたとこ。晴士、コーヒーでいい?」
「うん! てか、え? 先週の“先生になる”って話、マジだったの?」
「先生っていうか、講師から教師になるって話な」
曖昧さを補正すると、視界の端に映っていた黄金色の頭が小刻みに震える。
「アハハッ! マジでクラス担任になるんだ! ウケる」
20年来の付き合いともなると、喧嘩腰な会話はほぼなくなった。というより、わざわざ口に出さなくなった、と言う方が正しいかもしれない。
「で? 何の用?」
手に持ったマグを1つだけ晴士に押し付け、ソファの右端へ腰を下ろす。
「別に急ぎじゃなかったんだけど、近くに用事があったついでにネッ!」
「ね!じゃなくて、用件」
「今やってる作品ってそろそろ終わる? ってか今週末ヒマ?」
斜向いに腰を落ち着けながらの晴士の言葉に、ハッとした。
そうだ。何をやるにしても、まずは手掛けている作品を仕上げないと、今後はあまり時間が取れない。
「聞いてる? 今週ま――」
「無理」
晴士を遮り即答すると、靴下を脱ぎ、スラックスからスウェットへ着替える。
「ねぇちょっと、何で無理なのさ!」
「創作に時間充てたい」
――――シャツは、まあいいか。
「えー。合コンしようよ、俺達まだ23よ?」
「お互い来月には24だろ」
「一緒だよ! 四捨五入すれば20じゃん」
ふて腐れたようにゴネる晴士を放って、作業部屋へと移る。たとえ付き纏われようが、背後から『ご、う、こ、ん!』と恨めしい声がしようが、構っている暇はない。
「あっ晴士、洗面台からゴム持ってきて」
「えーっ……合コン」
「もういい」
「あーうそうそ! 持ってきますよーだ」
ぶつくさと諦めの悪い小言は聞き流し、壁に掛けていた途中段階の作品に合わせて、必要な道具を整える。