「春先生は絵描くんでしょ? どんなの描いてるの?」
「色々描きますよ」
「猫とか森とか?」

カンナの幼稚な質問に思わず笑いそうになり、慌ててカフェラテを手にとる。ふと見た先生も、口元に拳を当てて堪えていた。

個人的には、そもそも仲良くする気がないので、この場に笑いは必要ない。

「そうですねぇ。僕が描くのは、その内面や環境、時間の流れも含めて……ですかね」

抽象的な話題に入ったせいか、今朝と同じようにカンナの整った顔が歪む。たまらずふいと視線を外すと、目に飛び込んできた光景に、可笑しさがものの一秒で消え失せた。

姿が霞むほどに眩しい逆光の中で先生は、その切れ長な目を細め、柔らかい笑みを浮かべていた。

「絵って静止画……手書きの写真みたいな作品もあるでしょう?」

話の傍ら、残り短くなったタバコが携帯灰皿へと押し込まれる。先生は私達の前であぐらをかくと、タバコと灰皿を脇へ置いた。

「僕の場合は、対象が感じてるであろう事や、取り巻く環境も一緒に表現するんです」

解説が進むに連れてカンナの顔は更に険しくなり、反比例するように、先生の表情が徐々に綻んでいく。

「あと時間ね。これは、制作過程で自分の中に生まれた感情を入れてるって感じかな。だから同じ対象物でも、完成品は全くの別物になるんですよね」

実のところ、先生が何を言いたいのか私もわからない。ただ、空気を掴むかのような感覚を抱きつつ、なぜだか妙に惹かれた。

「えっと……さ、イマイチわかんないんだけど、建物に気持ちとかなくない?」

カンナの質問に頷いた先生が、穏やかに微笑む。

「だからこそ想像するんですよ。風が強い日だったら、ちょっと肌寒く感じてるかな?とか、カンカン照りの日なら、熱が内に籠もって暑いかな?とかね。人間同士でも同じじゃないですか?」

私達2人を行き来する先生の瞳には確かに私達が写っていて、何だかそれが異様に落ち着かなくて、突っぱねるように立ち上がって背を向けた。

「ムズいね。やっぱ聞かなきゃ正解なんてわかんないし、春先生の話は聞いててもムズい!」

遠目にグラウンドを眺めつつ、背後のカンナの声へ耳を傾ける。

確かにカンナの言う通りだ。話の内容は元より、他人の感情なんて推して量ったところで正解かはわからない。自分の感情すら、コントロールが難しい。

……あの卒業パーティーが良い例だ。

「1番単純で1番難しいのが人間ですよね」

私の気持ちを代弁するような先生の言葉に、ピクリと心臓が反応する。

振り返ったほんの一瞬、先生と目が合った気がした。だが先生にそんな素振りは微塵もなく、タバコと携帯灰皿を持って立ち上がった。

「春先生! 今度、先生が描いた絵見せてよ」
「選択美術の授業でなら、機会があるかもしれませんね」

そう微笑んでから、先生が身を翻す。

「あ、これいただきますね!」

再び向き直った先生は、クロワッサンを1つだけ持って出て行った。
髪を撫でる程度の風が吹き続けているせいか、もうタバコの匂いはしない。


――脳内辞書のあ行、『一糸春』とは。

程よいフランクさと、相手に緊張感を与えてしまうほどのルックスの持ち主。スマートな対応も魅力的で、少なくとも、女子からの人気を集めるには申し分ない先生。