碧人と話せるとうれしい。しかも、『青い月の伝説』の話をしてくれている。

だけど、私はわざと首をかしげてみせる。

「えっと……なんだっけ? 青色の月が、とかいうやつ?」

「なんだよ、忘れたのかよ。実月のほうこそ忘れっぽいよな」

「碧人ほどじゃないし」

「あの本に書いてたのは、青色の月が輝く日、黒猫がふたりを――」

そこで碧人は、急に口をつぐんでしまった。しばらく時間が止まったかのように動きを止めたあと、

「まあ……昔のことだしな」

声のトーンを落とした。

「あ、うん」

続きを覚えているよ。

『黒猫がふたりを使者のもとへと導く。青い光のなかで手を握り合えば、永遠のしあわせがふたりに訪れる』
 
頭のなかでつぶやいているうちに、碧人は歩きだす。

本当は碧人に気持ちを伝えたい。だけど、告白することはできない。

歩幅を大きくし、もう一度隣に並んだ。

「新校舎、いいよね。新しい建物のにおいがするし」

「クラスのヤツらは、そんなことよりも早くグラウンドをもとの広さに戻してほしいみたい」

新校舎の建設にあたり、ふたつあったグラウンドのひとつが閉鎖された。夏休み期間中に旧校舎を取り壊し、大きなグラウンドを作る計画とのこと。

「スポーツ科の人はそう思うよね。私なんか、今でも広いと思っちゃうし」

「実月は運動が苦手だもんな」

目じりを下げて笑うから、胸がまたドキッと跳ねてしまう。

マンションのエントランスをくぐると、そこでさようなら。私は東棟のエレベーターへ、碧人は西棟へ。

そこでふと気づいた。

「そういえば今日って部活ないの?」

「ないない」

軽い口調で同じ言葉をくり返すのは、碧人がウソをつくときのクセ。自分でも気づいたのだろう、碧人はバツが悪そうな顔になる。

「まあ……ちょっと休んでるんだよ」

「え? ひょっとして夏のケガが原因で?」

去年の夏、碧人は右足をひどく痛めた。それ以来、半分マネージャーみたいなことをしていると聞いている。

「それもあるけど、どうせ秋には引退だし。テニス、もういいかなって」

「ひょっとして……退部するってこと?」

「そういうこと。ほかにやりたいこともできたしさ」

「やりたいことって?」

スポーツ科の生徒は運動部に入ることが前提だったはず。

碧人が「ふ」と声にして笑ったかと思うと、私の顔を(のぞ)きこんだ。

「そんな顔すんなよ。俺にもいろいろあるってこと」

「……うん」

知らないことが増えていく。前ならいちばんに相談してくれていたのに、近ごろはあとになって知ることばかり。

「でもさ、これのおかげでいい成績は残せたと思う」

制服のパンツの左足をめくる碧人。足首に、赤色と青色、黄色に彩られたミサンガがつけてある。

「まだつけてたんだ?」

うれしいクセに、なんでこんなことを言ってしまうのだろう。

高校に入学したときにあげたミサンガは、恋に気づいた日から何度も作っていた。

プレゼントしてしまったら、この気持ちがバレてしまうんじゃないか。ひとつ完成するたびに悩んで、机の引き出しにしまうことのくり返し。

高校の入学祝いだと、碧人がくれた缶ジュースのお礼にミサンガをプレゼントした。()たけびをあげてよろこぶ姿をまだ覚えている。

「これが切れたら願いごとが(かな)うからな」

ホクホクとした笑みを浮かべる碧人に、また胸がキュっと苦しくなった。好きになるほどに、しあわせな気持ちよりもこっちの感情のほうが多くなっている。

「全国大会に出る、っていう願いごとだったよね?」

「前まではそうだったけど、ケガしてから変更した。今の願いごとは内緒、ってことで」

「へえ」

興味がないフリで答えた。

西東棟のエレベーターに乗りこんだ碧人が手をふったので、私も返した。

ドアが閉まると同時に、もう碧人に会いたくなった。