図書館への道を早足で歩く。
梨央奈に『これから旧校舎に行ってみる』とメッセージを打ったところ、終業式が終わったらしく、すぐに電話がかかってきた。
体調を心配する言葉のあと、なぜか梨央奈は『その前に図書館に集合』と言ってきた。
梅雨明けの街はすっかり夏の色をしている。熱い風が髪を揺らし、斜め上に真昼の月が夢で見たのと同じくらいの大きさで薄青色に光っている。
あの夏、碧人とふたりでここに来て『青い月の伝説』の絵本を見つけた。その瞬間走りだした恋は、結局碧人に追いつくことなく足を止めようとしている。
もうすぐ碧人は奈良へ行ってしまう。
なんてさみしい夏のはじまりなのだろう。セミの鳴く声まで悲しく聞こえる。
「お待たせ」
なぜか梨央奈が図書館のなかから出てきた。うしろには瞳と葉菜までいる。
「今日は休んでごめんね」
「ぜんぜん。図書館まで来てくれて悪いね」
梨央奈の笑顔がぎこちなく見えるのは気のせい?
「図書館に来るなんて珍しいね。夏休みの課題を調べに来たとか?」
「そういうわけじゃないけど……ちょっとね」
ごにょごにょと言うと、梨央奈は学校へ向かう道を歩きだす。瞳が私の隣に並んだ。
「体調はもういいのですか?」
心配してくれる瞳に、小さくうなずいた。
「ずいぶんラクになったよ。それに、青い月が出てるから」
見たこともないほどの大きさの月に、上空が支配されている。
「すごいですよね」
「こんなに大きな月、初めて見るね」
今にも空から落ちてきそうなほどだ。
「あの、実月……」
「ん?」
「いえ、なんでもないです」
早足で梨央奈のもとへ向かう瞳。梨央奈だけじゃなく、瞳の態度もぎこちない。どんどん違和感が大きくなっていく。
足のスピードを緩め、葉菜の隣に並んだ。
「葉菜も来てくれたんだね」
「あ、うん」
「三井くんはもう帰ったの?」
葉菜は小さく首を縦にふった。
「今日だけは友だちといたいから。実月のことを応援したいから」
碧人のことをあきらめる、という話をしたとき、葉菜はいなかったはず。おそらく、梨央奈から聞いたのだろう。
それから学校につくまでの間、私たちはほとんど会話らしい会話をしなかった。
みんなに遅れて教室に入ると、なぜか教壇に芳賀先生が立っていた。
「お帰り。空野さんは、おはよう」
「あ、どうも……」
さすがに病欠しているのに時間外に登校するのはマズかったのかも……。
気おくれする私にかまわず、梨央奈たちは教壇の近くの席に腰をおろした。私は梨央奈のうしろの席に座る。
「じゃあ」と芳賀先生が私たちを見回した。
「全員集合ってことではじめましょう」
「はじめる、ってなにを……ですか?」
芳賀先生は目が合うと同時に、やさしくほほ笑んでくれた。
「『青い月の伝説』についての授業よ。これから最後の使者になるんだよね? その前に、いろいろ整理しておきたくて借りに行ってもらったの」
梨央奈が芳賀先生に渡したのは、『青い月の伝説』の絵本。図書館に行ったのはこの本を借りるためだったんだ。
「なにを整理するんですか?」
また頭がキリキリと痛みだしている。謎の授業を阻止するように。聞いてはいけないと忠告しているように。
「実月」と、梨央奈が椅子ごとうしろを向いた。
「前に言ってたじゃん。碧人さんのことをあきらめる、って。それって本気で思ってるんだよね?」
こんなに真剣な顔は見たことがなかった。ほかのメンバーも私の口元を注視しているのがわかる。
芳賀先生の前でこういう話をしたくないのにな……。そう思うのと同時に勝手に口が開いていた。
「正直に言うと、まだ迷ってる。あきらめる、って決めても、その場で終わりにはできないから。そんな簡単な気持ちじゃないから」
芳賀先生が、チョークを手にし、黒板に文字を書きはじめた。
最初の数文字でなにを書こうとしているのかがわかった。
『黒猫がふたりを使者のもとへと導く。青い光のなかで手を握り合えば、永遠のしあわせがふたりに訪れる』
あの伝説に書いてあった文章だ。
芳賀先生は粉のついた手をはたいてから、教壇に両手を置いた。
「不思議な話よね。今でも小野田さんに会えたなんて夢での出来事みたい」
――『この世で起きることはぜんぶ夢さ』
ナイトの言葉がざらりと耳に届く。同時に、胸がキュっと痛くなった。
「でも」と、芳賀先生が声のトーンをあげた。
「私はたしかに小野田さんに会った。みんなも証明してくれるはず」
芳賀先生にみんながうなずいた。あれは現実のことだった。たしかに、私たちは佳代さんに会った……はず。
「先生ね、そのときに思ったの。ああ、これまでは小野田さんが亡くなったという事実を、夢だったことにしていたんだろうな、って。小野田さんの家で遺影に手を合わせても、お墓参りに行っても、心のどこかで亡くなったことを認めていなかったのよ」
「わかります」と、葉菜が静かに言った。
「私も姉の死を受け入れられなかった。なかったことにしたいのに、でもやっぱり現実は続いていて、だから……生きていたくなかった」
葉菜はずっと『死にたがり』だった。葵さんに会えたからこそ、『生きたがり』に変わったんだよね……。
「あたしはそういう人がいないからわからないけど、好きな人に会いたい気持ちはわかるよ」
梨央奈がそう言ってから、なぜか私を見た。その瞳はうるんでいて、また心臓がズキンと跳ねた。頭痛もこらえきれないくらいひどくなっている。
違和感がこの教室に満ちている。
なぜそんな目で私を見るの? どうしてここに集まったの?
ふと、ゆうべのナイトが言った言葉が頭に浮かんだ。
――『人間は片目をつむって生きてるんだ』
――『君はもっと現実世界を見る必要がある』
――『この世界の残酷さを知っても、君にはもうそれに耐えうる力があるはずだから』
梨央奈に『これから旧校舎に行ってみる』とメッセージを打ったところ、終業式が終わったらしく、すぐに電話がかかってきた。
体調を心配する言葉のあと、なぜか梨央奈は『その前に図書館に集合』と言ってきた。
梅雨明けの街はすっかり夏の色をしている。熱い風が髪を揺らし、斜め上に真昼の月が夢で見たのと同じくらいの大きさで薄青色に光っている。
あの夏、碧人とふたりでここに来て『青い月の伝説』の絵本を見つけた。その瞬間走りだした恋は、結局碧人に追いつくことなく足を止めようとしている。
もうすぐ碧人は奈良へ行ってしまう。
なんてさみしい夏のはじまりなのだろう。セミの鳴く声まで悲しく聞こえる。
「お待たせ」
なぜか梨央奈が図書館のなかから出てきた。うしろには瞳と葉菜までいる。
「今日は休んでごめんね」
「ぜんぜん。図書館まで来てくれて悪いね」
梨央奈の笑顔がぎこちなく見えるのは気のせい?
「図書館に来るなんて珍しいね。夏休みの課題を調べに来たとか?」
「そういうわけじゃないけど……ちょっとね」
ごにょごにょと言うと、梨央奈は学校へ向かう道を歩きだす。瞳が私の隣に並んだ。
「体調はもういいのですか?」
心配してくれる瞳に、小さくうなずいた。
「ずいぶんラクになったよ。それに、青い月が出てるから」
見たこともないほどの大きさの月に、上空が支配されている。
「すごいですよね」
「こんなに大きな月、初めて見るね」
今にも空から落ちてきそうなほどだ。
「あの、実月……」
「ん?」
「いえ、なんでもないです」
早足で梨央奈のもとへ向かう瞳。梨央奈だけじゃなく、瞳の態度もぎこちない。どんどん違和感が大きくなっていく。
足のスピードを緩め、葉菜の隣に並んだ。
「葉菜も来てくれたんだね」
「あ、うん」
「三井くんはもう帰ったの?」
葉菜は小さく首を縦にふった。
「今日だけは友だちといたいから。実月のことを応援したいから」
碧人のことをあきらめる、という話をしたとき、葉菜はいなかったはず。おそらく、梨央奈から聞いたのだろう。
それから学校につくまでの間、私たちはほとんど会話らしい会話をしなかった。
みんなに遅れて教室に入ると、なぜか教壇に芳賀先生が立っていた。
「お帰り。空野さんは、おはよう」
「あ、どうも……」
さすがに病欠しているのに時間外に登校するのはマズかったのかも……。
気おくれする私にかまわず、梨央奈たちは教壇の近くの席に腰をおろした。私は梨央奈のうしろの席に座る。
「じゃあ」と芳賀先生が私たちを見回した。
「全員集合ってことではじめましょう」
「はじめる、ってなにを……ですか?」
芳賀先生は目が合うと同時に、やさしくほほ笑んでくれた。
「『青い月の伝説』についての授業よ。これから最後の使者になるんだよね? その前に、いろいろ整理しておきたくて借りに行ってもらったの」
梨央奈が芳賀先生に渡したのは、『青い月の伝説』の絵本。図書館に行ったのはこの本を借りるためだったんだ。
「なにを整理するんですか?」
また頭がキリキリと痛みだしている。謎の授業を阻止するように。聞いてはいけないと忠告しているように。
「実月」と、梨央奈が椅子ごとうしろを向いた。
「前に言ってたじゃん。碧人さんのことをあきらめる、って。それって本気で思ってるんだよね?」
こんなに真剣な顔は見たことがなかった。ほかのメンバーも私の口元を注視しているのがわかる。
芳賀先生の前でこういう話をしたくないのにな……。そう思うのと同時に勝手に口が開いていた。
「正直に言うと、まだ迷ってる。あきらめる、って決めても、その場で終わりにはできないから。そんな簡単な気持ちじゃないから」
芳賀先生が、チョークを手にし、黒板に文字を書きはじめた。
最初の数文字でなにを書こうとしているのかがわかった。
『黒猫がふたりを使者のもとへと導く。青い光のなかで手を握り合えば、永遠のしあわせがふたりに訪れる』
あの伝説に書いてあった文章だ。
芳賀先生は粉のついた手をはたいてから、教壇に両手を置いた。
「不思議な話よね。今でも小野田さんに会えたなんて夢での出来事みたい」
――『この世で起きることはぜんぶ夢さ』
ナイトの言葉がざらりと耳に届く。同時に、胸がキュっと痛くなった。
「でも」と、芳賀先生が声のトーンをあげた。
「私はたしかに小野田さんに会った。みんなも証明してくれるはず」
芳賀先生にみんながうなずいた。あれは現実のことだった。たしかに、私たちは佳代さんに会った……はず。
「先生ね、そのときに思ったの。ああ、これまでは小野田さんが亡くなったという事実を、夢だったことにしていたんだろうな、って。小野田さんの家で遺影に手を合わせても、お墓参りに行っても、心のどこかで亡くなったことを認めていなかったのよ」
「わかります」と、葉菜が静かに言った。
「私も姉の死を受け入れられなかった。なかったことにしたいのに、でもやっぱり現実は続いていて、だから……生きていたくなかった」
葉菜はずっと『死にたがり』だった。葵さんに会えたからこそ、『生きたがり』に変わったんだよね……。
「あたしはそういう人がいないからわからないけど、好きな人に会いたい気持ちはわかるよ」
梨央奈がそう言ってから、なぜか私を見た。その瞳はうるんでいて、また心臓がズキンと跳ねた。頭痛もこらえきれないくらいひどくなっている。
違和感がこの教室に満ちている。
なぜそんな目で私を見るの? どうしてここに集まったの?
ふと、ゆうべのナイトが言った言葉が頭に浮かんだ。
――『人間は片目をつむって生きてるんだ』
――『君はもっと現実世界を見る必要がある』
――『この世界の残酷さを知っても、君にはもうそれに耐えうる力があるはずだから』