そうだった。梨央奈と瞳の三人で、駅前のファストフード店にいるんだった。

明日は期末テスト最終日。私と梨央奈が苦手な『介護福祉基礎』を、瞳が教えてくれているところ。

無意識に握りしめていた赤色のボールペンをノートの上に置くと、瞳が心配そうに覗きこんできた。

「実月、ひょっとして体調がよくないのですか? 顔色が悪く思えます」

「大丈夫だよ。ちょっと考えごとしちゃってた」

私や梨央奈、葉菜と一緒にいることが増えた瞳。お互いを名前で呼び合うようにはなったけれど、瞳の敬語はあいかわらずだ。

「あたし、わかるよ」

名探偵気取りの梨央奈が人差し指を立てたかと思うと、それをまっすぐ瞳に向けた。

「瞳がかわいくなったな、って思ってたんでしょ」

「ひゃ」と、サッと瞳が前髪を両手で隠した。

「前髪のことは言わないでください。切り過ぎたって後悔しているのですから」

期末テスト初日に、瞳は前髪を切って登校してきた。女子全員が絶賛し、これまで瞳と話さなかった子まで話しかけていた。

「もともと瞳はかわいかったけど、さらにかわいくなったよね」

素直に言うと耳まで真っ赤にしている。

「私の話はいいです。逃げ出したくなっちゃいます」

梨央奈はクスクス笑ってから、「じゃあ」と自分の手元に置いたクーポンの束に目を向けた。

「クーポンのことを考えてたの? 使いたいのがあるならあげるよ」

トランプのように厚いクーポンの束。二枚はさっき使わせてもらった。梨央奈が言うには、デジタルクーポンよりもチラシについている紙のクーポンのほうが割引率は大きい傾向にあるのだそうだ。

「でも、最近はクーポンを使わないよね?」

梨央奈が、ぶうと頬をふくらませた。

「期間限定メニューのクーポンはあるんだけど、よくよく考えたら、好みじゃないバーガーを食べるより、好きなものを食べたほうがいいかなって」

梨央奈も変わった。最近ではスーパーの特売も、たまにしか顔を出さなくなったそうだ。親の経営している不動産業はあいかわらずヤバいみたいだけれど。

「げ」

声のするほうへ目を向ける。三井くんが入店するなり私たちを見て嫌そうな顔をしている。隣に立っているのは、葉菜だ。

「やっぱりここにいると思ってた」

ニコニコやって来る葉菜。三井くんはさっさとレジのほうへ行ってしまう。

「ひでじいとふたりで来たわけ?」

呆れる梨央奈に、葉菜は素直にうなずいた。

「みんなに会いに来たんだよ。一緒に勉強しようかな、って」

「ひでじいはそう思ってないんじゃない? ほら、こっちのことはいいから。早く行ってあげなよ」

まんざらではないらしく、葉菜ははにかんだままレジへ駆けて行った。

ふたりは『つき合ってはいない』と宣言しているけれど、正確には『まだつき合っていない』状態だろう。もう時間の問題だと誰もがウワサしている。

「まさかあのふたりがねぇ」

感慨深げな梨央奈に、瞳は首をかしげた。

「私は前から三井くんの気持ちに気づいていました」

「へ、そうなの?」

「バレバレじゃないですか。三井くん、いつも葉菜のことばかり見てましたから」

ジュースを飲む瞳に、梨央奈が感心したように声をあげた。

「瞳の観察力すごいね。ひでじいも葉菜も、恋愛に興味がないと思ってた」

「私たちの年代で恋に興味がない人はいません。ちなみに私の好きな人は、二次元のアニメキャラなので、どうか深堀りをしないでください」

そっけなく言ったあと、瞳は「あと」と続けた。

「梨央奈の好きな人は、三年生でしょう?」

「……は?」

「二学期からの実習で一緒になるグループの男子です。私は違うグループなので会ったことないのですが、名前はわかります。三年一組の高林(たかばやし)伸由(のぶよし)さん」

「ぐっ」と、ヘンな声をあげた梨央奈が盛大にムセた。

「ち、違う! でも、なんで高林先輩なのよ」

「だって……」

と、瞳が私を見たので、大きくうなずいた。

「気づいてないかもしれないけど、梨央奈、最近ずっと高林さんの話ばっかりしてるよ」

「そ、そんなこと……」

そんなことあると気づいたのだろう、梨央奈はブツブツとつぶやきながらうつむいた。

「実習ではメイクを控えめにしたほうがいい、っていきなり言われて。でも、やさしくて、そっけなくて、やっぱりやさしくて。そんなの、気になっちゃうじゃん……」

顔合わせの日以来、梨央奈は薄いメイクしかしなくなった。高林さんが薦めてくれた介護のテキストを購入したり、これまでやらなかったテスト勉強までしている。

スーパーの特売に興味を持たなくなったのもそのころからだ。

「好きじゃない。ただ、気になるだけだから」

そう言って、奥の席につく三井くんと葉菜を見つめる梨央奈。

わかるよ。恋は突然訪れ、日常の景色をがらりと変えてしまうものだから。

「あたしのことはもういいの。今は、実月のことを話してたんだから」

強引な軌道修正をされ、ふたりの視線がこっちに向いた。 

自分の気持ちを言葉にしたいと思ったのは、初めてのことだった。

「つい考えてしまう気持ち、わかるよ。私も……恋をしてる。ううん、してた」

「してた?」

首をひねる梨央奈に、小さくうなずく。

「スポーツ科にいる清瀬碧人。梨央奈は忘れていると思うけど、瞳は何度か会ってるよね」

場の空気が急に引き締まったように感じた。

そうだろうな。私が碧人のことを好きだということは、ずっと内緒にしてきたことだから。

「碧人とは小さいころから一緒だった。中学二年生のときに、ふたりで青い月を見たの。その日に碧人への気持ちに気づいた。それからずっと好きだった」

「過去形なの? てことは、ついにあきらめることにしたんだ? うん、いいと思うよ」

あきらめることを勧めるような言い方が引っかかったけれど、ちゃんと自分の気持ちを伝えよう。

「人は成長するものだってわかったから。みんなが変わっていくのを見ていると、自分も変わらなくちゃって思えたんだ。同じ場所にいちゃいけない、って」

梨央奈は節約にこだわるのをやめ、メイクも変えた。瞳は前髪を切り、クラスの子となじんでいる。葉菜はちゃんと登校するようになり、恋までしている。

碧人だって同じ。部活を辞め、二学期からは普通科へ変わることを決めた。引っ越してからは、話す機会はどんどん減っている。

「碧人への気持ちをあきらめることにしたの。前向きな気持ちで、そう思えた」

マンガやドラマではハッピーエンドが正しい結末のように描かれることが多い。私の恋愛の正しい結末は、昔のような関係に戻ること。

あと戻りではなく、それが自分の成長につながると思うようになった。

「それってさ――」と梨央奈が声を潜めた。

「ふたりがよく話してる幽霊のことも原因のひとつなの? あ、もちろんあたしは信じてないからね」

「そうかもしれない。これまで会った幽霊が思い残しを解消するのを見てたら、自分も変わりたいって――」

ズキンと頭が痛みを生んだ。

碧人を忘れたくないと心が叫んでいるみたい。

ふたりは戸惑ったように顔を見合わせている。こめかみを押さえ、痛みを我慢していると、瞳が「私は」と口を開いた。

「実月の決心を応援します」

「あたしも。告白することがすべてじゃないと思うから、あきらめることに賛成する」

力強くうなずく梨央奈に、ヘンな間が空いてしまった。

「ちょっと意外。てっきり『あきらめるな』って言われると思ってた」

きっとふたりのことだから、恋を応援してくれるだろう、と。

「そりゃ、応援したいよ。でも、大切な友だちが苦しむのは見たくないし」

梨央奈がそう言い、隣で瞳は深くうなずいてる。

応援できないくらい、ふたりからは私が苦しんでいるように見えていたのかもしれない。

これまでは、あきらめない理由ばかりを探してきた。友だちがそう言ってくれるなら、今度こそ本当に碧人への想いを忘れることができるかもしれない。

「具体的にはなにをするつもりなの?」

梨央奈がそう尋ねた。視線をテーブルに落とすと、紙コップがトレーの上に敷かれた広告に輪染みを作っている。

「なにもしない。今じゃ幽霊に会いに行くときくらいしか顔を合わせないし、それだって、旧校舎が取り壊されたら終わりだし。きっとなにもしなくても、昔の関係に戻れると思う」

「ああ、そっか」と、梨央奈がポンと手を打った。

「最近、業者の人が多いもんね。ついに旧校舎ともお別れか」

「だね」

ナイトの姿もずいぶん見ていない。

旧校舎が取り壊されたら、幽霊やナイトはどこへ行くのだろう。一緒に消えてしまうのだとしたら悲しいな……。

ふたりが私を見つめていることに気づき、意識して笑みを作ってみせる。

「そんな顔しないで。ちゃんと……ちゃんと忘れてみせるから」

頭痛はさっきよりも強くなっている。