学校を出るころには、雨もあがっていた。
青い月も消え、さっきまで灰色だった空が朱色に塗り替えられていく。
「助けてくれてありがとう」
隣を歩く碧人に言うと、カサをたたみながら「いや」と唇を尖 らせた。
「実月の性格なら、旧校舎に行くかもしれないことを、もっと早くに気づくべきだった」
「行くつもりはなかったんだけど、ナイトが呼びに来たから」
「ナイト? ああ、あの黒猫のことか。たしかに騎士っぽいな」
私の考えていることを、碧人はすぐに理解してくれる。だからこそ、好きな気持ちだけはバレないようにしないと。
「しかし、あの幽霊が……名前、なんだっけ?」
「葵さん。三年前に亡くなったんだって」
「まさか葵さんの妹が、こないだ見かけた菜葉さんだとは」
「葉菜さんだよ」
碧人は昔から、人の名前を覚えるのが苦手だ。
「あれ、そう言ったつもりだけど」
平然とそんなことを言う碧人に、やっと少し笑えた。
「で、どうすんの? 葉菜さんに会いに行くつもり?」
碧人の問いに口をつぐむ。葵さんは、亡くなってからの三年間、ずっと旧校舎にひとり取り残されている。
思い残しについて尋ねたところ、迷わずに『葉菜に会いたい』と涙にむせびながら口にした。
「葉菜さんに話をしに行きたいけど、この格好だし……」
悲しいくらい制服はビショビショで、汚れもひどい。血は止まったけれどケガもしているこの状況で会いに行けば不審がられるだろう。
「一度帰ってから会いに行くよ」
会いに行くことに迷いはなかった。葵さんの願いを叶えてあげたいと思った。
「俺もついて行きたいけど、同性同士のほうがいいんだろ?」
「葉菜さんが話を聞いてくれるとは思えないけど、そのほうがいいかな」
ほとんど話をしたことがないのに、いきなり訪ねて行っても大丈夫だろうか。
少しずつ距離を縮めてから話をしたいのが本音だ。
碧人がもう青くない月を見やった。
「明日も青い月が出る、って言われたんだっけ?」
「葵さんはそう言ってた。そのあと一カ月くらいは出ないんだって」
「幽霊ってそんなことまでわかるんだな」
感心したように碧人はマンションへ入っていく。
ちょうど一カ 月後に研修旅行があるので、明日を逃せばしばらく葵さんには会えない。ううん、夏休みに突入したら旧校舎を取り壊すから、二度と会えないかもしれない。
「しかし、実月は昔のまんまだよな」
エレベーターホールの中央で、碧人は足を止めた。
「どういうこと?」
「昔から困っている人を見たらほっとけなかった。小学校のとき、俺が家のカギを落としたときだって、遅くまで一緒に探してくれたよな」
「ああ、そんなこともあったね。カギをなくしたっていうのに、碧人、ぜんぜん平気な顔してた」
ふわりとあの日の記憶がよみがえる。
碧人が寄った場所をふたりで探し回った。公園や書店、コンビニまで、碧人の行動範囲があまりに広過ぎて絶望したのを覚えている。
「逆に実月は、自分が失くしたみたいに必死で探してくれた」
「碧人が叱られちゃったらかわいそうだから」
前までは取りつくろったウソで乗り切っていた。でも、自分の気持ちをちゃんと言葉にすることを決めたから。
そう考えると、もっと葉菜さんを葵さんに会わせたくなる。大切な人に会えるということは当たり前じゃない。いつ会えなくなるのかわからないのだから、素直な気持ちを言葉にしたい。
「引っ越しの準備は進んでるの?」
もうすぐこんなふうに一緒に帰れなくなる。碧人の住むというアパートは、マンションとは逆の方角だから。
「ほとんど終わってる。テスト明けの土日でやっと引っ越し完了の予定」
うれしそうな碧人に、「そっか」と私も笑う。
普段は素直になれても、自分の気持ちがバレないようなウソは継続している。ううん、そうしないといけない。
エレベーターに乗りこむと、碧人はいつものように右手をあげた。
「おやすみ。このあとがんばって」
「うん、おやすみ」
エレベーターが閉まると同時に、我慢していたさみしさを解放した。
青い月も消え、さっきまで灰色だった空が朱色に塗り替えられていく。
「助けてくれてありがとう」
隣を歩く碧人に言うと、カサをたたみながら「いや」と唇を尖 らせた。
「実月の性格なら、旧校舎に行くかもしれないことを、もっと早くに気づくべきだった」
「行くつもりはなかったんだけど、ナイトが呼びに来たから」
「ナイト? ああ、あの黒猫のことか。たしかに騎士っぽいな」
私の考えていることを、碧人はすぐに理解してくれる。だからこそ、好きな気持ちだけはバレないようにしないと。
「しかし、あの幽霊が……名前、なんだっけ?」
「葵さん。三年前に亡くなったんだって」
「まさか葵さんの妹が、こないだ見かけた菜葉さんだとは」
「葉菜さんだよ」
碧人は昔から、人の名前を覚えるのが苦手だ。
「あれ、そう言ったつもりだけど」
平然とそんなことを言う碧人に、やっと少し笑えた。
「で、どうすんの? 葉菜さんに会いに行くつもり?」
碧人の問いに口をつぐむ。葵さんは、亡くなってからの三年間、ずっと旧校舎にひとり取り残されている。
思い残しについて尋ねたところ、迷わずに『葉菜に会いたい』と涙にむせびながら口にした。
「葉菜さんに話をしに行きたいけど、この格好だし……」
悲しいくらい制服はビショビショで、汚れもひどい。血は止まったけれどケガもしているこの状況で会いに行けば不審がられるだろう。
「一度帰ってから会いに行くよ」
会いに行くことに迷いはなかった。葵さんの願いを叶えてあげたいと思った。
「俺もついて行きたいけど、同性同士のほうがいいんだろ?」
「葉菜さんが話を聞いてくれるとは思えないけど、そのほうがいいかな」
ほとんど話をしたことがないのに、いきなり訪ねて行っても大丈夫だろうか。
少しずつ距離を縮めてから話をしたいのが本音だ。
碧人がもう青くない月を見やった。
「明日も青い月が出る、って言われたんだっけ?」
「葵さんはそう言ってた。そのあと一カ月くらいは出ないんだって」
「幽霊ってそんなことまでわかるんだな」
感心したように碧人はマンションへ入っていく。
ちょうど一カ 月後に研修旅行があるので、明日を逃せばしばらく葵さんには会えない。ううん、夏休みに突入したら旧校舎を取り壊すから、二度と会えないかもしれない。
「しかし、実月は昔のまんまだよな」
エレベーターホールの中央で、碧人は足を止めた。
「どういうこと?」
「昔から困っている人を見たらほっとけなかった。小学校のとき、俺が家のカギを落としたときだって、遅くまで一緒に探してくれたよな」
「ああ、そんなこともあったね。カギをなくしたっていうのに、碧人、ぜんぜん平気な顔してた」
ふわりとあの日の記憶がよみがえる。
碧人が寄った場所をふたりで探し回った。公園や書店、コンビニまで、碧人の行動範囲があまりに広過ぎて絶望したのを覚えている。
「逆に実月は、自分が失くしたみたいに必死で探してくれた」
「碧人が叱られちゃったらかわいそうだから」
前までは取りつくろったウソで乗り切っていた。でも、自分の気持ちをちゃんと言葉にすることを決めたから。
そう考えると、もっと葉菜さんを葵さんに会わせたくなる。大切な人に会えるということは当たり前じゃない。いつ会えなくなるのかわからないのだから、素直な気持ちを言葉にしたい。
「引っ越しの準備は進んでるの?」
もうすぐこんなふうに一緒に帰れなくなる。碧人の住むというアパートは、マンションとは逆の方角だから。
「ほとんど終わってる。テスト明けの土日でやっと引っ越し完了の予定」
うれしそうな碧人に、「そっか」と私も笑う。
普段は素直になれても、自分の気持ちがバレないようなウソは継続している。ううん、そうしないといけない。
エレベーターに乗りこむと、碧人はいつものように右手をあげた。
「おやすみ。このあとがんばって」
「うん、おやすみ」
エレベーターが閉まると同時に、我慢していたさみしさを解放した。