――明日からお前に色々叩き込む。覚悟しとけ
 確かにカイルはそう言っていたけど。
(予想以上だった!!)
 翌日、私は書斎で積み上げられた本に囲まれていた。見たことのない本は、カイルが実家から持ってきたものだろう。
「お前は元々一般的なご婦人方より読書量が多い。だから、半分くらいの量で済みそうだ」
 これで半分!?
「さぁ、始めるぞ。けなすのはアホでもできるが、褒めるには知識や語彙力、そしてセンスが必要となるからな」
「そんなもの?」
「そうだ、例えば……」
 カイルがニッと笑った。
「ミューリ、俺を褒めてみろ」
「は? 特にな……」
「い」の文字を言い終える前に、頭上にチョップが落ちて来た。
「何すんのよ!」
「これもレッスンの一つだ。いいからやれ」
(ぐぬぅ)
 私はカイルをじっと見る。
「えぇと、背は高いし、顔はいい」
「それから?」
「足も長いかな」
「他には?」
「えぇ~……。あ、頭よさそう、意外と」
「『意外と』は、いらん。もう終わりか?」
「う~ん、う~ん、面倒見はいい? かな?」
「それで?」
「終わり」
「100点満点で5点ってとこだな」
 うわ、私の成績酷すぎ!?

 カイルはため息をつきながらがしがしと頭を掻く。
「仕方ない、俺が手本を見せてやる」
「手本?」
「ミューリ」
 カイルの手が、私の顎にかかった。軽く持ち上げられると、カイルの青い目がまっすぐに私を見下ろしていた。
「きれいだ」
「!」
 思わず息を飲む。カイルは口元をほころばせ優しく微笑んだ。
「その菫色の瞳、夢見る少女の面影を残しながら、深い知性を感じさせる。好奇心に輝く澄み切ったその瞳に見つめられると、秘めた想いを見透かされてしまいそうで、少し怖いくらいだ」
(え? なに? なんなの?)
 身を反らし逃げようとした私の髪を、カイルの手がひと房そっとすくい上げる。そしてそこへキスを落とした。
「この甘いピンクブロンドの髪。手の中で淡雪のように溶けてしまいそうなほど繊細なのに、つやつやとした光をたたえている。何て愛らしくも美しいのだろう」
(か、カイル?)
「バラ色の唇は艶めき、まるで朝露を含んだ花びらのようだ。わずかに開いた口元から覗く白い歯は真珠のように輝いている」
(ちょ、ちょっと……!)
 私の心臓が、さっきからうるさく高鳴っている。顔も何だか熱い。
「そしてこの、桜色の頬は陶器のようにすべやかで」
「わーっ!」
 熱のこもった頬に触れられそうになり、私は慌てて彼の指先を逃れた。
「わかった! わかりました! 勉強になりました!」
「あん? まだ顔の表面しか褒めてないが? 他にも指先とか仕草とか声とか表情とか」
「いや、もう結構です! 褒める時に何が必要か、何となくわかりました! 比喩大事! 発想大事! 表現力大事! 観察力大事!」
 私の心臓はまだうるさい。音を聞かれたくなくて、カイルから距離を置く。
「おい、逃げんな」
「うるさい、こっち来んな」
 うるさいのは、私の鼓動だが。
 カーテンの陰に隠れる私をカイルは呆れたように見ていたが「何やってんだ」と呟くと、机の上の本を一冊手に取った。
「これには語彙力と表現の幅を広げる例文がたくさん載っている。全部頭に叩き込め」
「うぃす」
「集中したいだろうから、俺は別の部屋にいる」
 そう言い残し、カイルは扉の向こうへ姿を消した。
(なんなのよ……)
 私はカーテンを掴んだまま、ひんやりした窓ガラスに額を当てる。
(カイルにドキドキさせられるなんて)
 幼い頃から、よく家に遊びに来ていた遠い親戚。まるで兄のように接してくれていた人。
(わかってる、さっきのはあくまでも『見本』! これを褒めるときにはこうしろ、っていう指針を示してくれただけ)
 それは分かっているのに、捧げられた言葉の一つ一つが、胸の奥を甘く疼かせる。
(あーっ、もう! カイルのくせに!!)
 私をまっすぐに見つめたラピスラズリのような深い藍色の瞳。それが心から離れない。これまでさんざん見てきたはずなのに。
(ええい、集中集中!!)
 私は頭をブンブン振る。ふぁさ、と髪が頬に触れた。
 ――そしてこの甘いピンクブロンドの髪。手の中で淡雪のように溶けてしまいそうなほど繊細でありながら、つやつやと光を跳ね返している。何て愛らしくも美しいのだろう
「だーまーれー!」
 私は髪をあえて乱暴に後方へ払いのける。
「私の目標は陛下の寵姫! カイルのことはどうでもいい!」
 自分に言い聞かせると、私はどっかと椅子に座り本を開いた。