愛と欲望の成り上がり夫婦大作戦

 結婚式から数日が経過した。
 カイルはキサット家に婿入りし、私の生家である館に共に住むこととなった。
 伯爵家から子爵家へ、いわば降格と言う形になるのだろうが、カイルに気にする素振りはない。
 思えば彼は、幼いころから我が家に頻繁に出入りしていた。そのため、他家に入ったという感覚が薄いのだろう。


 この日、私たちは居間で作戦会議を開いた。議題は勿論、互いの目標達成に向けてのものだ。
「幸いにも、と言うのははばかられるが」
 カイルは少し声を潜め、テーブル越しにこちらへ身を乗り出した。
「国王陛下はごく最近、最愛の寵姫リューズ夫人を病で失ったところだ」
 リューズ夫人とは、国王陛下の公妾だった女性だ。
 公妾とはただの愛妾ではなく、国の認可を受けた寵姫。陛下が公の場に出るときは供をする、いわばファーストレディのような存在である。
「現時点で公妾のポジションは空席となっている。だが、新たな愛妾がその地位に任命されるまでそう長くはないだろう。お前は短期間でそこを目指せ」
「別に公妾にならなくていいけど?」
「は?」
「だって、めんどいじゃない? 私、国王陛下と恋が出来ればそれで満足だし。公の場でゲストをもてなすとか気の利いたジョークで場を盛り上げるとか面倒くさく……」
 頭上にチョップが落ちて来た。
「痛い! 何すんのよ、カイル!」
「ミューリ、忘れてないだろうな。お前は王の愛妾となる、その見返りとして夫の俺は領地や地位を手に入れる。お前が全力で成り上がらなきゃ、俺も大したもん手に入れられんだろうが」
「うわ、最低」
「うるせぇ、俺らは最初からギブアンドテイクの関係だ」
 私たちはむっつりと黙り込み、互いに睨み合う。

「……で?」
 紅茶でそっと口を湿し、私は彼に問う。
「公妾になれったって、具体的にどうすればいいのよ」
「まずはサロンに参加しろ」
「サロン?」
 私が問い返すと、カイルは呆れたように私を見た。
「お前、まさかサロンを知らないのか? いくら田舎子爵の田舎令嬢だからって」
「田舎田舎うるさい。今やあんたもその田舎子爵の一員でしょうが! 知ってるわよサロンくらい。貴族の妻たちが、お抱えの芸術家を見せびらかしてマウントしあう会でしょう」
「……微妙にトゲのある解釈だが、まぁそんなところだ」
「と言ってもね」
 私は頬杖をつき、ため息をつく。
「私には自慢するような芸術家の知り合いなんていないからなぁ」
「誰も主催しろとは言ってない。まずは開催の決まっているサロンに客として参加するんだ」
「客として?」
「あぁ」
 カイルは、懐から一枚の封書を取り出した。
「これはハネーギル伯爵夫人からお前へ、サロンへの招待状だ」
「なんでそんなものがここに!?」
「俺も元は伯爵家の人間だからな。伯爵家同士それなりの付き合いはある。新妻がサロンへの参加を望んでいると伝えたら、すぐに送ってくれたよ」
「本当に……」
 私は封を開き、中を見る。

『モノース・カッターの新作を披露いたします。ぜひいらしてください』

 その文言は、洗練された文字で開催日と共に記されていた。
「サロンで有名になれば、地位のある御婦人方からも招かれるようになる。そうすればお前の名は、いずれ陛下の元へと届く」
「! 陛下の元へ、私の名が?」
「そうだ、ミューリ」
 カイルは計算高く笑った。
「そのためには、大勢の人間に気に入られる必要がある。招待を受けたら、そのお抱えの芸術家を褒めて褒めて褒めちぎれ。自分の贔屓を褒められれば、誰だって悪い気はしない」
「なるほど」
「もう一度、お前を招待したい。そして自分の贔屓を賛美させたい。そう向こうに思わせるように、頑張って来い!」
「うん、わかった!」
 私たちはがっしりと手を組んだ。
「気合入れていけ、ミューリ!」
「おう!」
 かくして、ハネーギル伯爵夫人のサロンの開催日となったわけだが。
(す、すごい……!)
 その部屋の壁には、一面に絵画が飾られていた。
 今回は、絵画をメインとした催しのようだ。
(一体何枚あるんだろう。どれもこれも女性を描いたものだな)
 よく見ると、同じ女性をモデルにしたものが多い。
(ふくよかでなめらかな白い肌の女性がいっぱい。このタッチが画家さんの特徴かな。それにしても額縁、高そうなのばかり。枚数もすごいし、この額縁だけでいくらするんだろう)

 そんなことを思いながら、一枚一枚絵を眺めて時だった。
「ようこそいらっしゃい、ミューリ嬢」
 背後から声をかけられ、慌てて振り返る。
(あ……!)
 立っていたのは、ふくよかでなめらかな白い肌の、柔和な笑みの女性だった。
(この絵のモデルさん!)
「私のサロンに来ていただけて嬉しいわ」
(私の? じゃあこの方が!)
 私は慌ててカーテシーの姿勢を取る。
「初めまして、ハネーギル夫人。お招きありがとうございます」
「うふふ、可愛らしい方ね」
(優しそうな人……)
 ふと彼女の背後に目をやると、一人の青年が立っていた。立派な服は身に着けているが、どこかあか抜けない印象がある。
(従者かな? その割には高そうな仕立てだよね。女性ばかりの催しに珍しい)

「先ほどから随分と熱心に見ていらっしゃるのね、ミューリ嬢。絵画はお好き?」
「は、はい! えぇと……」

 ――招待を受けたら、そのお抱えの芸術家を褒めて褒めて褒めちぎれ。

 カイルの言葉を思い出す。そうだ、ここで『褒める』だ。
「とても素敵な絵ばかりで、思わず見入ってしまいました」
「まぁ、嬉しい」
「ここに描かれているのは、ハネーギル夫人でいらっしゃいますよね」
「えぇ、そうよ」
 ニコニコと細めた目の下の、陶器のように滑らかな肌がまばゆい。白く豊かなデコルテは、女の私ですら目を引き寄せられてしまう。
「どれも、ハネーギル夫人の美しい肌が見事に表現されていて、素敵だと思いました」
「あら、うふふ」
「やはりモデルがいいと、絵も素晴らしく仕上がるものですね」
「ふふ、ありがとう」
 心なしか、ハネーギル夫人の背後に立つ青年の顔が、微妙に曇った気がする。
(なんだろう?)
「ここに描かれた眼差しもとてもいいですね。ハネーギル夫人ご本人の魅力には到底及びませんが」
「……まぁ」
(ん?)
 ハネーギル夫人は口元に笑顔を浮かべたまま、少し困ったように首をかしげる。
(え? 何か間違った?)
「えぇと……」
 名誉挽回を狙い、私は他に褒めるところがないか探した。
「が、額縁、素敵ですね!」
「額縁……」
「はい、これがあってこそ絵が引き立っているように思えます。これを選ばれたハネーギル夫人のセンスは最高に素晴らしいと思います」
「うふふ」
 夫人は口元に手を添えて笑うと、側に立つ青年の腰に手を添え、私の前から立ち去ろうとした。
「あの……」
「ゆっくり楽しんでいらしてね、ミューリ嬢。行きましょう、モノース」
「はい、マダム」
(モノース?)
 どこかで記憶した名だ。モノース、モノース……。

 ――モノース・カッターの新作を披露いたします

(あーっ!!)
 夫人の側に付き添っていたあの青年こそが、これらの絵を描いた画家だったのだ。

「アーホーかー!」
 帰宅し事の顛末を語ると、カイルは頭を抱えた。
「嘘だろ、ミューリお前……! 画家の目の前で、描いた絵よりもモデルの方がいいとか、それどこか額縁を褒めたって、お前……! 噓だろぉ……」
「だから、しくじったなぁって言ってるじゃない」
「はー……」
 カイルはへなへなとソファへ倒れ込む。
「ハネーギル夫人はお優しい方だから、一気に悪評が広まるとは思わないが」
「……ごめん」
「念のために聞くぞ。帰る時、なんて言われた?」
「え? 『ではごきげんよう』?」
 カイルが遠い目となる。
「駄目だったか……」
「駄目って、何が?」
 カイルは身を起こし、頭痛を起こしたように額を抑えた。
「もう一つ確認するが、『次も必ずいらしてね』と、手を取って言われてないんだな」
「うん」
「サロン主催者は、また招待したいと思った相手にはだいたいそうするんだよ」
「え……」
 すぅ、っと血の気が引いた。
「えっと、つまり……?」
「彼女から招待されることは、今後望めないだろうな」
 あー、聞きたくなかったけど、やっぱり!
「どうしよう」
「どうしようもない」
 素っ気なく言って、カイルは姿勢を正す。
「今回はハネーギル夫人で助かったと思うしかない。気難しい相手なら、お前の悪評はすぐに陛下の元へ届くだろうな。そうなれば陛下の恋のお相手への道は、完全に断たれていたぞ」
「そこまで!?」
「当然だ」
 カイルはテーブルに肘をつき指を組むと、そこへ顎を乗せる。
「陛下の愛妾になりたい人間なんて、腐るほどいるんだ。わずかでも落ち度があれば、すかさず食いつかれる。ライバルは完膚なきまでに蹴落とそうと、みんな虎視眈々と機をうかがっているからな」
 ひぇ。
「それにしてもカイル、色々詳しいのね」
「伯爵家の三男坊だからな。のほほんと口開けて座ってるだけで地位が手に入る奴らとは、違うんだよ。生き抜くためには、それなりの知識や情報が必要なんだ」
 なるほど。
「そう言うわけだ、ミューリ。次は絶対に面白いことをしてこい!」
 面白いこと?
「私、道化師じゃないんだけど」
「そうじゃない。次回も招待したいと思わせる、気の利いた言動を心がけろと言っている。好印象を相手に刻み込め!」
(次……)
そんなチャンスは、来るのだろうか。
「好印象って言われても、どうすれば……」

「リューズ夫人は、芸術に造詣の深い方だった」
「!」
 陛下の寵愛と信頼を一身に集めていた前公妾の名に、軽く息を飲む。
「彼女と同程度の知識をつけろ、センスを磨け、適切に言語化する能力を身に着けろ」
「そんな簡単には……」
「やるんだ、ミューリ。陛下の愛がほしくないのか。陛下と甘い恋がしたいんだろう」
 カイルの言葉に、私はサロンに行くこととなったそもそもの目的を思い出した。
「うん。ガレマ11世様と、私は恋がしたい」
「そうだ、そして俺は地位や金が欲しい。そのためにはここで腑抜けてる場合じゃ」
「ないよね」
 私は姿勢を正し、カイルに向き直る。
「カイル、私に教えて。リューズ夫人をしのぐ存在になるには、どんな知識を身に着ければいい? 私は何を学べばいい?」
「……」
 ふいにカイルの手が伸びて来たかと思うと、私の頭を撫でた。
「ひゃっ、何?」
「いや」
 カイルがくすりと笑う。
「頑張ろうとしている妹分が、ちょいといじらしく見えただけだ」
「何、それ」
 撫でられて乱れた髪を、私は直す。
「明日からお前に色々叩き込む。覚悟しとけ」
「うん!」

――明日からお前に色々叩き込む。覚悟しとけ
 確かにカイルはそう言っていたけど。
(予想以上だった!!)
 翌日、私は書斎で積み上げられた本に囲まれていた。見たことのない本は、カイルが実家から持ってきたものだろう。
「お前は元々一般的なご婦人方より読書量が多い。だから、半分くらいの量で済みそうだ」
 これで半分!?
「さぁ、始めるぞ。けなすのはアホでもできるが、褒めるには知識や語彙力、そしてセンスが必要となるからな」
「そんなもの?」
「そうだ、例えば……」
 カイルがニッと笑った。
「ミューリ、俺を褒めてみろ」
「は? 特にな……」
「い」の文字を言い終える前に、頭上にチョップが落ちて来た。
「何すんのよ!」
「これもレッスンの一つだ。いいからやれ」
(ぐぬぅ)
 私はカイルをじっと見る。
「えぇと、背は高いし、顔はいい」
「それから?」
「足も長いかな」
「他には?」
「えぇ~……。あ、頭よさそう、意外と」
「『意外と』は、いらん。もう終わりか?」
「う~ん、う~ん、面倒見はいい? かな?」
「それで?」
「終わり」
「100点満点で5点ってとこだな」
 うわ、私の成績酷すぎ!?

 カイルはため息をつきながらがしがしと頭を掻く。
「仕方ない、俺が手本を見せてやる」
「手本?」
「ミューリ」
 カイルの手が、私の顎にかかった。軽く持ち上げられると、カイルの青い目がまっすぐに私を見下ろしていた。
「きれいだ」
「!」
 思わず息を飲む。カイルは口元をほころばせ優しく微笑んだ。
「その菫色の瞳、夢見る少女の面影を残しながら、深い知性を感じさせる。好奇心に輝く澄み切ったその瞳に見つめられると、秘めた想いを見透かされてしまいそうで、少し怖いくらいだ」
(え? なに? なんなの?)
 身を反らし逃げようとした私の髪を、カイルの手がひと房そっとすくい上げる。そしてそこへキスを落とした。
「この甘いピンクブロンドの髪。手の中で淡雪のように溶けてしまいそうなほど繊細なのに、つやつやとした光をたたえている。何て愛らしくも美しいのだろう」
(か、カイル?)
「バラ色の唇は艶めき、まるで朝露を含んだ花びらのようだ。わずかに開いた口元から覗く白い歯は真珠のように輝いている」
(ちょ、ちょっと……!)
 私の心臓が、さっきからうるさく高鳴っている。顔も何だか熱い。
「そしてこの、桜色の頬は陶器のようにすべやかで」
「わーっ!」
 熱のこもった頬に触れられそうになり、私は慌てて彼の指先を逃れた。
「わかった! わかりました! 勉強になりました!」
「あん? まだ顔の表面しか褒めてないが? 他にも指先とか仕草とか声とか表情とか」
「いや、もう結構です! 褒める時に何が必要か、何となくわかりました! 比喩大事! 発想大事! 表現力大事! 観察力大事!」
 私の心臓はまだうるさい。音を聞かれたくなくて、カイルから距離を置く。
「おい、逃げんな」
「うるさい、こっち来んな」
 うるさいのは、私の鼓動だが。
 カーテンの陰に隠れる私をカイルは呆れたように見ていたが「何やってんだ」と呟くと、机の上の本を一冊手に取った。
「これには語彙力と表現の幅を広げる例文がたくさん載っている。全部頭に叩き込め」
「うぃす」
「集中したいだろうから、俺は別の部屋にいる」
 そう言い残し、カイルは扉の向こうへ姿を消した。
(なんなのよ……)
 私はカーテンを掴んだまま、ひんやりした窓ガラスに額を当てる。
(カイルにドキドキさせられるなんて)
 幼い頃から、よく家に遊びに来ていた遠い親戚。まるで兄のように接してくれていた人。
(わかってる、さっきのはあくまでも『見本』! これを褒めるときにはこうしろ、っていう指針を示してくれただけ)
 それは分かっているのに、捧げられた言葉の一つ一つが、胸の奥を甘く疼かせる。
(あーっ、もう! カイルのくせに!!)
 私をまっすぐに見つめたラピスラズリのような深い藍色の瞳。それが心から離れない。これまでさんざん見てきたはずなのに。
(ええい、集中集中!!)
 私は頭をブンブン振る。ふぁさ、と髪が頬に触れた。
 ――そしてこの甘いピンクブロンドの髪。手の中で淡雪のように溶けてしまいそうなほど繊細でありながら、つやつやと光を跳ね返している。何て愛らしくも美しいのだろう
「だーまーれー!」
 私は髪をあえて乱暴に後方へ払いのける。
「私の目標は陛下の寵姫! カイルのことはどうでもいい!」
 自分に言い聞かせると、私はどっかと椅子に座り本を開いた。
「へぇ、ステップはなかなか様になってるな」
 また別の日、私はカイルに手を取られダンスの練習をしていた。
「そう? まぁ、踊ることは昔から嫌いじゃないしね」
「あぁ、いい感じだ。動く方向へぴったりついてきているし、もたつきもない。足元や芯がしっかり安定しているから、羽のように軽く感じる」
「そ、そう?」
 そこまで褒められると、むずがゆくなってくる。
「カイルのリードがいいからじゃない?」
「お? 少し褒める力が付いたか?」
「本当のこと言っただけよ」
 音楽に合わせ、足を進め、かかとを引き、そしてターンをする。
(あ……)
 不意に繋ぎ合っている手を意識してしまった。
(カイルの手、おっきいな)
 指が私よりも太くてごつい。体温も高い気がする。
(男の人の手、って感じ)
 意識した瞬間、ほんのわずか足元がぐらついた。
 すかさずカイルの手が私の腰を引き寄せる。私はカイルの胸の中に身を預ける形となってしまった。
「ご、ごめん」
「どうした? つまづいたのか」
「あぁ、うん、そんな感じ」
 飛び込んだ先の胸は、思いの外広くて大きかった。
(子どもの頃から遊んでいた、あの少年のイメージのままだったけど)
 ずしっと逞しいその胸に、私は困惑する。
(私の知ってるカイルじゃない感じ)
「えっと……」
 私は顔を上げる。すぐ目の前にある、青い瞳。一瞬、カイルが驚いたように目をしばたかせた。
「ったく」
 不意にカイルは私を放り出すように、体を離す。
「きゃ」
「相手が俺だったからよかったけど、陛下相手に今のはなしだな」
「と、当然よ」
 私は彼に背を向ける。
「あんたの足は踏みまくっても、陛下の前では完璧なステップを踏んでみせるわ」
「そうしろ」
 言ったかと思うと、カイルは私の腰の後ろをペンッと軽く叩いた。
「何すんのよ!」
「体幹は見事だと思うぞ。俺と子どものころから木剣で遊んでいた甲斐があったな」
 言われてみれば。あれで足腰がかなり鍛えられた気がする。
「それに剣の腕だってその辺のご婦人とは比較にならんだろ。それを生かして陛下を守れるのはお前の強みだ」
「そうなの?」
「あぁ。ひょっとすると、護衛もできる恋人として重宝されるかもな」
 う~ん、そちらばかり頼りにされるのは何だかなぁ。
 私は恋人になりたいのだ。陛下と、甘くロマンティックな恋がしたいのだ。

「ミューリ、招待状だ」
 カイルとのレッスンがすっかり習慣化した頃、その封筒は送られてきた。
(送り主は、アナナ・デイツ……伯爵夫人!?)
 私は封を開き、中を確認する。

『シラーヴ・ティモンの新曲のお披露目をしますので、どうぞいらしてください』

 私は手紙を陽に透かし首をひねる。
「何やってんだ、ミューリ」
「いや、サロンの招待状っぽいのが来てるんだけど。カイル、何だと思う?」
「サロンへの招待状だよ」
「……どうして、私に?」
「来たんだよ、次のチャンスが」
「!」
 二度目のサロンへの招待状。天はまだ私を見捨ててはいなかった!
(陛下の(ベッド)へ繋がる切符に見える!)
 だが、ハネーギル夫人の時のしくじりを思い出し、やや怖気づく。
「賛美下手くそマンの私を招待するなんて。デイツ夫人って、もの好き?」
「お前の失敗を知らないんだろうな。ハネーギル夫人が悪評を広めなかったんだよ。あの人はそう言う方だ」
「そう……」
「けど、ハネーギル夫人と違ってデイツ夫人は普通に悪口言う人だからな? 他人の悪口なんて、暇を持て余した貴族にとっちゃ最高の娯楽だ。今度こそしくじりは許されない」
 ひぇ。
「いいか、芸術家を褒めろ」
 カイルは私の鼻先に人差し指を突きつける。
「彼女らはお抱えの芸術家を見せびらかして気持ちよくなりたいんだ。芸術家のスペックは、パトロンのステータス。全力で芸術家を誉めそやせ。そうすれば相手はいい気分になる。そしてお前のその姿が参加者の目に留まれば、次はその参加者のサロンに招待される。いずれ評判が公爵夫人の耳にまで届けば、陛下の元まであと少しだ」
「わかった、カイル。頭に叩き込んだ美辞麗句を並べ立て、今度こそサロンの皆を満足させてみせる」
「そうじゃない、ミューリ」
 カイルは首を横に振った。
「心にもない言葉を並べ立てても、相手の心には響かない。思ったことを素直に伝えるんだ。ただし、言葉は最上のものを選べ。最も美しく優しい言葉で飾り立てろ」
「素直な気持ちを、最上の言葉で……」
 考え込む私の両肩にカイルの手がかかる。
 顔を上げれば、深い青の瞳が私をまっすぐに見ていた。
「大丈夫だ、ミューリ。お前ならやれる。ここ毎日、たくさん努力してきただろう? 語彙は増えたし言葉のセンスも明らかに磨かれている。胸を張って行って来い」
(カイル……)
 力強い励ましに、私はうなずいて見せる。
カイルは嬉しそうに歯を見せて笑った。
「頼むぞ、ミューリ。お前の両肩に俺の出世がかかっているんだからな!」
 うん、そうだね。
 そう言う約束だった。

 デイツ夫人のサロンでは、音楽家シラーヴの新曲がお披露目されることとなっていた。
「こんにちは、ミューリ嬢。私のサロンへようこそ」
 目力の強い細面の女性が出迎えてくれる。私はつま先まで細心の注意を払いながら、可能な限り優雅な挨拶を返した。
 室内へ足を踏み入れると、一人の男性がピアノの前に腰かけ、静かな旋律を奏でていた。
「あの方がシラーヴさんですか?」
「えぇ、そうよ。きれいな音楽でしょう」
「はい、とても」
 にこやかにやり取りしながら、私は心の中でガッツポーズをしていた。
(よしっ、今回は確認したぞ!)
 ざっと見回しても音楽家らしい人間は部屋に一人しかいないが、前回の失敗がある。念には念を入れて、だ。

 やがて招待客が全て揃い、演奏会が始まった。
(ふぅん、こんな音楽を奏でる人なんだ……)
 部屋に入ってきた時も感じたが、とても繊細な音楽だ。デイツ夫人と客との会話を邪魔しない程度に控えめで、それでいながら華やぎを感じさせる。見事な仕上がりのレース細工のようだ。
(お、前よりも褒める言葉がすらすらと頭に浮かぶ)
 カイルとの勉強の成果を実感する。
 やがて演奏が終わり、私たちは口々に賛美の言葉を奏者へと贈った。私は先ほど頭に浮かんだ言葉をそのまま彼に伝える。
「見事な仕上がりのレース細工、ですか」
 シラーヴは私の言葉を復唱すると、嬉しそうに目を細めた。
「素敵な言葉をありがとうございます、ミューリ嬢。そんな風に言われたのは初めてですよ」
(やりましたぁああ!!)
 再び心の中でガッツポーズを取りながら、私はにっこりと微笑みを返した。

 数曲の演奏の後、ついに今回のメイン、新曲のお披露目となった。
(わぁ……!)
 彼らしい繊細な旋律でありながら、踊り出したくなる軽快なリズムだ。金の糸で小鳥のモチーフを次々と空中に縫い取っているような。
 無意識のうちに、私の足はリズムを取っていた。目を閉じれば、カイルとダンスの練習をした時のことが心に浮かぶ。
(カイル……)
 きっとこのリズムの時、カイルならこう動くだろう。右にこう、そして左へ。私の手を取る彼の手は包み込むように大きくて、少しごつくて。うん、きっとここでターンするだろう。私の腰を抱き、少し振り回すように。悪戯っぽく笑いながら。
「はっ!」
 想像にふけりすぎていた。気が付けば曲は終わり、サロン中の人間が私を見ていた。妄想の中だけではなく、現実でも踊ってしまっていたらしい。
(ま、またやらかした……!)
 アホか、私はアホなのか!?
 今日の主役は音楽家のシラーヴ、その次が開催者のデイツ夫人。さらに言えば子爵家の私などもっと隅にひっそり控えてなければならなかったのに。
(音楽聴いて踊りだしちゃうとか、完全にやらかした~っ!)

 ――ハネーギル夫人と違ってデイツ夫人は普通に悪口言う人だからな?

 怖くてデイツ夫人のいる方向を見ることすらできない。
(なんとか、なんとかこの場を乗り切る方法は……!)

 ――いいか、芸術家を褒めろ。
 ――全力で芸術家を誉めそやせ。そうすれば相手はいい気分になる。

(褒める……)

 ――思ったことを素直に伝えるんだ。

(思ったことを素直に……)

 私は覚悟を決めると、シラーヴに向き直りはにかんで見せた。
「ごめんなさい。曲を聞いているうちに、体が勝手に踊り出してしまいました。お恥ずかしいわ」

 ――最も美しく優しい言葉で飾り立てろ。

「まるで音楽を愛する精霊が私の前に降り立ったような錯覚に陥りました」
 降り立ったのはカイルの姿だったけど。
「その幻想に手を取られ、私の足は自然と踊り出してしまいました。旋律の一つ一つが、私の魂を震わせ、足を操り、この身を音楽に委ねるようにと囁いたのです」
「ミューリ嬢……」
「音に触れて、こんな感動を味わったのは生まれて初めてです。こんなにも素晴らしい音楽家と出会えたことに、心からの感謝を」
「あぁ、マダム!」
 シラーヴは頬を染め、嬉しそうに私の手を取った。
「あなたは、なんて、なんて素敵な言葉を下さるのでしょう」
「シラーヴさん」
「ミューリ嬢、貴女の小鳥のように軽やかなステップは、とても愛らしく美しいものでした。インスピレーションが激しくかきたてられ、たった今、新たな音楽が僕の中で生まれましたよ」
「ま、まぁ」
 予想以上のシラーヴのリアクションに、少し戸惑う。しかしこれは悪い反応ではなさそうだ。
「それでしたら」
 私はもう一度覚悟を決め、ぐいとデイツ夫人と客たちをふり返った。
「次は皆様もご一緒にいかがでしょう? 私、ぜひ皆様の洗練されたステップを勉強させていただきたく存じます」
「あぁ、それは僕も拝見したいものです!」
 シラーヴは、主人であるデイツ夫人へ歩み寄る。
「我が崇高なるレディ。どうか私のために、貴女の女神の舞を見せていただけませんか? 音楽の精霊が貴女を求めているのです」
「あ、あら」
 デイツ夫人は少し困惑した表情を浮かべたものの、頬をうっすら染めて頷く。
「いいでしょう。さぁ、皆様もお立ちになって」
 招待客たちは互いに顔を見合わせながら、ソファから腰を浮かす。
「あぁ、素晴らしい! 今日は何と素晴らしい日でしょう!」
 シラーヴは感嘆の声を上げながら、ピアノへと戻る。
「音楽の精霊と、地上の女神たちのダンスをこの目で見ることができるなんて!」
 シラーヴが鍵盤にそっと触れ、曲を奏で始める。
 デイツ夫人を始めとした貴婦人たちは、明るい笑い声を上げながら、その旋律に身をゆだね始めた。

「ミューリ嬢」
 帰宅しようとする私をデイツ夫人が呼び止めた。
「はいぃ!」
 内心ドキドキしながらも、私は笑顔で彼女をふり返る。彼女はすい、と私の手を取った。
(あっ!)
「今日はとても楽しく過ごせました。また、ぜひいらしてくださいね」
「は、はい!」
(『また』って言ったよね? 聞き間違いじゃないよね?)
 デイツ夫人が目を細め、にっこりと笑うと邸内へと戻っていく。
「や……」
 やったーーー!!
 勝鬨(かちどき)は心の中でひっそり上げた。
「ほぉ、これは……」
 数日後、シラーヴは王宮に招かれガレマ11世の前で新曲を披露した。
 デイツ夫人のサロンで着想を得て作った曲だ。
 演奏が終わると、割れんばかりの拍手が沸き起こる。
 ガレマ11世も満足そうに手を叩いた。
「優雅さの中に愛らしい旋律が重なる、心の浮き立つような作品だな。実に良い」
「ありがたき幸せに存じます」
 シラーヴは椅子から立ち上がり、王に敬意を示す。
「先日デイツ伯爵夫人のサロンがありまして、その時に浮かんだ曲です」
「デイツ夫人か。なるほど、先ほどの曲の優雅さは彼女のイメージなのだな」
「はい。そしてもうお一方、キサット子爵令嬢が来られていまして。この方が小鳥のように愛らしく軽やかなステップを私に見せてくださったのです。その足取りが忘れられなくて、曲の中に織り込みました。まるで詩人のごとく、美しい言葉を紡ぐ方でした」
「ふむ」
 ガレマ11世が僅かに興味を示す。
「キサット子爵令嬢か……」


 ■□■


「ミューリ、招待状だ」
 今日も書斎で勉強をしていた私の元へ、カイルが封筒を持って入って来た。
「これは……!」」
 封書は三通。全て差出人には見覚えがあった。
「全部、デイツ夫人のサロンでお会いした方々からのものだわ」
「やったじゃないか、ミューリ」
 カイルの大きな手が、私の背を軽く叩く。
「お前の言葉でいい気分になりたい、その三人にそう思わせたってことだ」
「はは……」
 微妙な評価に苦笑いが出る。
「それってさ、媚びるのが上手いってことじゃない? 幇間(たいこもち)として必要とされるのもなぁ」
「誉めるのと媚びるのは違うぞ、ミューリ」
 カイルがスッと表情を引き締めた。
「相手の歓心を得るために心にもないことを言うのが媚びだ。そして褒めるというのは……」
「本当に思ったことを伝える、よね」
「そうだ」
「だけど、本心が根っこにあっても大袈裟な言葉で飾り立ててるのは事実よ。それを素直な気持ちなんて言えるのかな」
「なるほど」
 言ったかと思うとカイルは部屋を出ていく。やや経って、彼は包みを手にして戻ってきた。
「何?」
「ミューリ、これをやる」
 そう言ったかと思うと、カイルは剥き出しのネックレスを掴み上げ私に突きつける。
「ぇえ……」
 虹色に輝くオパールのネックレスだ。とても美しく、金の金具にも見事な細工が施されている。高価なものということは一目でわかった。
「でも、プレゼントをくれるならもう少し何かない? 乱暴に手掴みで渡されても、何だか安っぽく感じちゃうよ」
「なら、こちらをやろう」
 次にカイルは透かし模様のある美しい白い箱を差し出してきた。艶やかなシルクのリボンがかかっている。
「今度は何?」
 私はわくわくしながらリボンを引き箱を開ける。中には先ほど手掴みで渡されたネックレスと、同じものが入っていた。
「……何がしたいの?」
「どちらを、より高価だと感じた?」
「それは当然、箱に入っていた方でしょ」
「言葉で飾るというのはそう言うことだ。
 カイルは剥き出しだった方を引き寄せ、自分の首に着ける。
「くれたんじゃないの?」
「こっちは元々俺用だ。そっちの箱に入ったやつがお前用」
「はぁ」
「だがこれでわかっただろう。飾るというのは相手への気づかいだと」
「そうね」
 私も箱からネックレスを取り出し、身に着ける。
「本質が同じでも飾ったものとそうでないもので、受け取る側には価値が違って感じる。そう言いたいんでしょ」
「理解が早くて助かる」
 私は二人の胸元に輝くネックレスを見つめる。
「お揃いなのね」
「夫婦だからな。これくらいいいだろ」
「そうね」
 ほんの少し、胸の奥が甘く疼いた。

 以降、私はサロンへ足しげく通い、そこで言葉を尽くして芸術家をほめたたえた。私の言葉は芸術家とそのパトロンを喜ばせ、それが次のサロンの招待へと繋がる。
「おい、ミューリ」
 ある日、カイルが嬉しそうに封筒を持ってきた。
 差出人を見て、私は息を飲む。
「ハネーギル伯爵夫人……!」
「お前の評判を耳にして、もう一度招待をしたくなったんだ」
 カイルは嬉しそうに目を細め、歯を見せて笑う。
「やったな! 一度見限った相手にもう一度チャンスをくれるなんて、滅多にないことだぞ!」
 カイルは大仰に両手を開くと、私を強く抱きしめた。
「次こそは名誉挽回だ、気合入れていけ!」
「う、うん!」
 私はカイルの温かい胸に抱かれながら、少し戸惑う。
 どうしてこんなに胸が高鳴るのだろう。
 どうして彼の匂いはこんなにも頭の奥を痺れさせるのだろう。
 私が、好きなのは……
「これならきっと、近いうちにお前の名は陛下の元へ届くぞ。愛妾に選ばれた暁には俺の出世の件頼むな、ミューリ!」
(あ……)
 そうだ、私が好きなのは国王陛下。結ばれたいのは陛下ただ一人。
 私たちはそのために結婚したのだ。
 なのになぜ。
(胸の奥に、尖った石が刺さったみたい……)

 サロンに招待される回数が増えるに従い、そこにいる芸術家もより名の知れた人物へとなっていった。
「頃合いだな。ミューリ、今日からこれも読むんだ」
 久しぶりに書斎を訪れたカイルが、私の前に本を積み上げる。
「世界情勢や歴史、それに政治の勉強? なぜこんなものを?」
「必要になる可能性が高まってきたからな」
 その日の晩餐の席、父は上機嫌だった。
「いやぁ、よくやってくれたカイル! まさか、十年以上もごたついていた問題をたった数週間で解決してしまうとは」
 それは父からたびたび聞かされていた、領民同士の土地の境界問題についてだった。
「いえ、それほどでも」
 カイルはにこやかに微笑む。
「双方の主張を直接聞き取り、妥協点を見つけて納得してもらっただけです」
「いや、そこが見事だというのだよ。これまではいくら話し合いの場を設けても平行線だったのだ。酷い時には殴り合いにまで発展する始末で。それをまさか、あれほど穏便に収めてしまうとは」
「義父上のお役に立てて光栄です」
「先日の、思い切った予算案にも驚かされた。しかし、君の説明には納得せざるを得なかった。これほどの逸材が我が家に婿入りしてくれるとは、スネイドル伯爵家には感謝してもしきれないな」
「こちらこそ、キサット家の至宝とも言えるミューリ嬢の夫として認めていただけたこと、心より感謝しております」
 んぶっ!?
「どうした、ミューリ?」
「いえ」
(至宝って!!)
 私はスープをわずかに吹いてしまった口元を、ナプキンでぬぐう。カイルと目が合うと、彼はいたずらっぽくニヤッと笑った。
(ほら、これが本性だよ!)
 とはいえカイルが、お父様を長年悩ませていた問題をさらっと解決してしまったのも事実なのだ。

 自室に戻り、私はベッドに横たわる。
 カイルの部屋は館の東側にあり、私の部屋は西とかなり離れている。これは貴族の家では珍しいことではない。
 カイルとは、未だベッドを共にしたことはなかった。
(振る舞いにそつがないし、弁舌爽やか……)
 子どもの頃から見ていたカイルは、やんちゃな兄のような存在だった。我が家に訪れては、年甲斐もなく木剣を振り回して遊ぶ、自分を飾る必要のないおバカ友だちのような。
 けれど同じ建物の中で過ごすようになり、カイルの様々な面が見えて来た。
 頭がいい、人当たりがいい、機転が利く、行動力もある。
(もう、なんなの……)
 私は起き上がり、机の引き出しからコインを取り出す。ガレマ11世ご成婚記念で配布されたコイン。当時26歳だった若々しく美しい国王陛下の横顔が、そこに彫り込まれていた。
 子どもの頃から、大切に持っていたお守り。
(うん、やっぱり陛下の方が素敵だよ)
 私はコインを両手で捧げ、そっとキスを落とす。
(私がカイルと結婚したのは愛し合うためじゃない。陛下と恋愛する資格を手に入れるためだし、カイルは……)
 胸の奥がチリッと焼ける。
(私を差し出して、見返りとして陛下から土地や地位を受け取るのが目的なんだから)

 サロンへの参加もすっかり慣れ、書斎での勉強も苦痛でなくなったある日のこと。
「ミューリ! 今すぐこっちに来てくれ」
 階下から、カイルの声が聞こえて来た。
 部屋に向かうと、そこには職人らしき女性が立ち並んでいた。
「? 仕立て屋?」
「頼むぞ!」
 カイルの声を皮切りに、仕立て屋たちは一斉に私の採寸を始める。
「ちょ、え!? 何、急に!」
「急ぐんだ。お前の新しいドレスを作らなきゃいけない」
「ドレスならこの間一着仕立てたところだけど!?」
「後で説明する。今は大人しくしていろ」
 本当に何!?

「で? 説明していただきましょうか」
 採寸を終え職人たちが引き上げると、私はカイルに詰め寄った。
 カイルは涼しい顔で口を開く。
「近々、国王陛下御一家がマスミノ湖畔へピクニックにやってくるという情報を掴んだ」
「国王陛下が?」
「マスミノ湖畔の近くには、俺の実家スネイドル家の別荘がある」
「え……!」
「わかるか? これはチャンスだ」
 カイルはニッと悪い笑いを浮かべる。
「偶然を装い、国王陛下とお前の最高の出会いを演出するぞ」
(国王陛下と、私が、出会う……)