「落ち着いた物言いをしておるが、これだけ肌を触れ合わせていれば、速い鼓動が直に伝わってくる。……そなた、怖いのか?」
「……はい」
カイルは言っていた。嘘は言うなと。本当の気持ちを最大限に飾って伝えろと。
(カイル……)
今、私の長年の夢が叶おうとしている。それに、
(私が陛下の恋人になれば、カイルが出世できる)
それが頭に浮かんだ瞬間、言葉は自然と口をついて出た。
「ずっと恋焦がれておりました、陛下。幼き少女の頃から」
「ほぉ」
「幾度も何年も夢想した陛下の甘い腕の中に、今、囚われているのです。これほどの幸せが私ごときの身に訪れるなど、世の全ての女の妬みを買ってしまいそうで」
私は涙を浮かべ、陛下に微笑みかける。
「それがとても、怖いのでございます」
「何、これは月の光と湖の睦み合いよ」
陛下の手が私の衣服にかかる。
「わずらわしき人の世のことなど忘れ、ただ今は楽しもうではないか」
これは私の願いが叶った瞬間。
積み重ねた努力の実った瞬間。
私は幸せだ。
全てはこの瞬間のためだった。
これでカイルも幸せになれる。
私はカイルの役に立てる。
なんて私は幸せ者なんだろう。
頭の中で幾度も自分に言い聞かせる。
冷たく開いた心の空洞を、言葉の奔流で懸命に埋め尽くした。
その後もたびたび陛下の訪れはあった。
言葉遊びを繰り返すごとに、陛下の私への態度は明らかに甘いものへと変わっていく。
そしてやがてついにその時が来た。
「ミューリ」
それは王妃からの呼び出しだった。
「陛下が貴女を公妾にとお望みよ」
「……!」
「勿論、貴女の夫にしてみればあまり愉快な話ではないでしょう。見返りとして、今は断絶したトダーユ侯爵の土地を与え、その名を継ぐことを許します。いくらかのお金と共に」
ミッションコンプリートだ。
この話を受け入れれば、私たちの夢は完全に叶う。
――喜んで
私は微笑んでそう答えようとした。
なのに、なぜか言葉は喉の奥で貼りつく。
舌は強張ったように動かない。
(あ……)
困惑する私に、王妃は静かに言葉を続ける。
「返事は今すぐでなくても構わないわ。ただ公妾と言うのは、いざと言う時に王家の盾となり、民衆の憎悪の矢面に立つ役割」
「……!」
「大切な友人である貴女を、そんな立場にしたくないというのが、私の本音よ。王妃の立場としては、弁舌爽やかで機転の利く貴女が公の場に出てくれることは心強いのだけど」
「王妃、様……」
「あなたが公妾の立場を受け入れるのなら、私も反対はしません。ただ、もしも気乗りしないのであれば私に言いなさい。公妾は、王妃の許可なしには認定されませんから」
私は部屋に戻される。扉を背にしてもたれかかり、天井を仰いだ。
(どうすればいいの……)
そんなことは分かり切っている。
受け入れるのだ。
これまでの全ては、この瞬間のためだったのだから。
(カイル……!)
私は形ばかりの結婚をした夫の名を、心の中で呼ぶ。
(お願い、背中を押して。私ひとりで決めてしまうのは怖い……!)
「……はい」
カイルは言っていた。嘘は言うなと。本当の気持ちを最大限に飾って伝えろと。
(カイル……)
今、私の長年の夢が叶おうとしている。それに、
(私が陛下の恋人になれば、カイルが出世できる)
それが頭に浮かんだ瞬間、言葉は自然と口をついて出た。
「ずっと恋焦がれておりました、陛下。幼き少女の頃から」
「ほぉ」
「幾度も何年も夢想した陛下の甘い腕の中に、今、囚われているのです。これほどの幸せが私ごときの身に訪れるなど、世の全ての女の妬みを買ってしまいそうで」
私は涙を浮かべ、陛下に微笑みかける。
「それがとても、怖いのでございます」
「何、これは月の光と湖の睦み合いよ」
陛下の手が私の衣服にかかる。
「わずらわしき人の世のことなど忘れ、ただ今は楽しもうではないか」
これは私の願いが叶った瞬間。
積み重ねた努力の実った瞬間。
私は幸せだ。
全てはこの瞬間のためだった。
これでカイルも幸せになれる。
私はカイルの役に立てる。
なんて私は幸せ者なんだろう。
頭の中で幾度も自分に言い聞かせる。
冷たく開いた心の空洞を、言葉の奔流で懸命に埋め尽くした。
その後もたびたび陛下の訪れはあった。
言葉遊びを繰り返すごとに、陛下の私への態度は明らかに甘いものへと変わっていく。
そしてやがてついにその時が来た。
「ミューリ」
それは王妃からの呼び出しだった。
「陛下が貴女を公妾にとお望みよ」
「……!」
「勿論、貴女の夫にしてみればあまり愉快な話ではないでしょう。見返りとして、今は断絶したトダーユ侯爵の土地を与え、その名を継ぐことを許します。いくらかのお金と共に」
ミッションコンプリートだ。
この話を受け入れれば、私たちの夢は完全に叶う。
――喜んで
私は微笑んでそう答えようとした。
なのに、なぜか言葉は喉の奥で貼りつく。
舌は強張ったように動かない。
(あ……)
困惑する私に、王妃は静かに言葉を続ける。
「返事は今すぐでなくても構わないわ。ただ公妾と言うのは、いざと言う時に王家の盾となり、民衆の憎悪の矢面に立つ役割」
「……!」
「大切な友人である貴女を、そんな立場にしたくないというのが、私の本音よ。王妃の立場としては、弁舌爽やかで機転の利く貴女が公の場に出てくれることは心強いのだけど」
「王妃、様……」
「あなたが公妾の立場を受け入れるのなら、私も反対はしません。ただ、もしも気乗りしないのであれば私に言いなさい。公妾は、王妃の許可なしには認定されませんから」
私は部屋に戻される。扉を背にしてもたれかかり、天井を仰いだ。
(どうすればいいの……)
そんなことは分かり切っている。
受け入れるのだ。
これまでの全ては、この瞬間のためだったのだから。
(カイル……!)
私は形ばかりの結婚をした夫の名を、心の中で呼ぶ。
(お願い、背中を押して。私ひとりで決めてしまうのは怖い……!)