私たちはその後、屋台をめぐり、農家でミルクをもらい、花の咲く丘へと足を運んだ。
「ふぅ」
 わたしは下草の生い茂る丘に、行儀悪く大の字になって寝ころぶ。マナーを忘れ、パンやチーズや果物をかじり、牛乳でのどを潤して。
「なんだか子どもの頃に戻ったみたい」
「こういうのもたまにはいいだろ」
「うん。……あっ!」
 私はガバッと身を起こす。
「どうした」
「もしかして、今日のこれもレッスンだった? こう、新しいものに触れて感性を磨けとかそう言う? 私、何も考えず満喫しちゃったんだけど」
「それでいいんだよ」
 カイルが私の手を引き、やや強引に隣に寝ころばせる。
「お前、最近ちょっと頑張りすぎてたからな。外の空気吸わせなきゃと思ったんだ」
「カイル……」
 私は空を見上げる。
「青いね、すごくきれい」
「あぁ」
「風も、気持ちいい」
「だな」
「カイル」
 私はそっと手を伸ばし、カイルの指先に触れる。ごく自然な動きでカイルは私の手を取った。
「カイル、領民のみんなに慕われてるんだね。どこに行っても大歓迎だった」
「まぁ、何かを決める際には必ず現場に足を運んでいたからな。直接顔を合わせて何度か話をすれば、親しみも持ってくれるさ」
 私はカイルの指を弄ぶ。
「カイルだって、頑張りすぎじゃない? 私のお父さん、そこまでしてないと思うよ。もう少し手を抜いても……」
「俺は、そのうちもっとでかい領地の主人になるつもりだから」
 カイルの言葉に、胸の奥にすき間風が一筋流れ込んだ。
 それは私を陛下に差し出した後、見返りとして手に入れる土地のことを言っているのだろう。
 私はカイルの掌から、自分の手をそっと抜く。カイルがこちらを見た気がしたが、私は空を見上げたまま言った。
「二人で、それぞれの目標達成して幸せになろうね」
「そうだな」
 カイルは一つ息をつく。
「王宮によく出入りしている兄から聞いたが、最近、お前の名が王宮でもたびたび上がるようになったらしいぞ」
「本当に?」
「あぁ。ダンサーのように軽やかに舞い、詩人のように巧みに言葉を駆使し、女優のように表情を変える。そして数多の芸術家にインスピレーションを与える、女神のようでもあると」
「……ちょっと話が大袈裟に伝わってない? 実物が顔を出しにくいんだけど」
「きっともう少しだ。お前の夢は、もうじき叶う」
 カイルの手が、ふいに私の手をやや強引に掴んだ。引き抜こうとしたものの、しばらくの間カイルはそのまま手を離してくれなかった。


(ついに来た……!)
 ある日私の元へ届いたサロンの招待状、送り主はショーアイ公爵夫人だった。
 公爵、つまり爵位の中でのトップ。

 ――いずれ評判が公爵夫人の耳に届けば、陛下の元まであと少しだ

 かつてカイルはそう言っていた。ついに目標の近くまで手が届いたのだ。
 固唾を飲みつつ、私は招待状に目を通す。
 作家の間で評判になっている私を、ショーアイ夫人お抱えの作家であるコダール・ジャノーメが、会うことを熱望している、とのことだった。
(また、作家のサロンか)
 事前に本を読んでおかなくてはならないのは、少し面倒だが。
(でも、公爵夫人開催のサロンなら断るわけにはいかないよね!)
「コダール・ジャノーメか」
 いつの間に入って来たのか、カイルが私の背後から招待状をのぞき込んだ。
「脅かさないでよ、カイル」
「コダールは超有名作家だ。ショーアイ夫人お抱えの作家でありながら、国王陛下も彼を大いに支援している」
「そうなんだ」
「あぁ。毎年かなりの金額が陛下からコダールに流れてるぞ。それにコダールは庶民出身でありながら、国王陛下とは親友のようにふるまうことを許されている」
「つまり、絶対に敵に回しちゃいけない人ってことね」
「そうだ。ただ……」
 カイルが不快そうに眉をしかめた」
「何よ」
「コダールと言う作家、かなりの毒舌家でな。正直、直接言葉を交わして愉快になったことは一度もない。しかも女性に対しては恨みでもあるかのように辛辣だ」
「えぇ……。そんなのを陛下は支援してるの?」
「作品は素晴らしいからだそうだ」
 サロンに行く前から気が滅入る。
 そんな私の肩を、カイルはポンと叩いた。
「耐えろ、ミューリ」
「うぅ」
「奴に何を言われても笑って聞き流せ。奴に気に入られれば、陛下は必ずお前に強い興味を持つ」
「……わかった」
「コダールの著書はいくつか部屋にあるから持ってこよう。正直、見るたびにやつの言動を思い出して焼き捨てたくなったが、持っていて良かった」
 なんか、そんな人の本を読むのは嫌だなぁ……。