翌日ーー。

……あっ、いた!

ふみは河川敷の橋の(たもと)で男子学生の姿を目にするなり、小走りで駆け寄り、声をかけた。

「あ、あのっ……!」
「……?」

土手の斜面に座り、本を読んでいた男子学生がゆっくりと顔を上げた。

「昨日はありがとうございましたっ!」

手にしていた小さな風呂敷を男子学生の目の前へと差し出す。

「こ、れは?」
「お礼です」
「お礼……?」
「はい。自転車を直してもらったことと学生服を貸してくれたことへの……」
「俺が好きでやったことだ。気を使う必要はない」
「で、でも……」
「気にするな」
「気にします!」
「……?」

間髪入れずに力強く放された言葉に男子学生はきょとんとした。

「それでは、私の気がすみません。それにしてもらってばっかりは嫌なんです! だから、受け取って下さいっ!!」
じっ……と、真剣な眼差しで自分のことを見つめるふみの瞳の強さに男子学生は受け取らざるを得ないと悟り、手にしていた本を閉じるとふみの手から小さな風呂敷包みを受け取った。

「ありがとう」
「いえ」

ニコッと柔らかな微笑みを浮かべた。

「……お口にあればいいのだけど……」

少し心配そうな表情で、心なしか声も小さくなっていた。
男子学生はふみから風呂敷包みを受け取った際、少しずしっとくる重みと仄かに香る甘い香りに食べ物だと気がつくが、どんな食べ物が包まれているのか見当がつかず尋ねた。

「……これは?」
「ぼたもちです」
「ぼたもち……」
「はい。うち和菓子屋で杉村って言うんですけど、ご存知ですか?」
「……あぁ」
ここら周辺ではそこそこ名が知れた和菓子屋で男子学生もすぐにピンときた様子だった。
「中でもぼたもちは絶品でうちの看板商品なんです!」
「……それで、か」
「えっ……」
「初めて会った時、叫んでいたのは和菓子についてだったんだろう」
「ーーっ!!」

ふみの頭の中をある1つの記憶が一気に蘇り、ふみは恥ずかしさのあまり顔が真っ赤に染まった……。
その記憶とは今から約1ヶ月と少し前のこと……。
自分の思いを口にするも一向に耳を傾けてくれない父親に腹を立て、その怒りを収めるためにこの河川敷へとやってきて大声で叫んだ際、男子学生に聞かれてしまったことだ。

「あ、の……あの、時……は……」

恥ずかしい気持ちでいっぱいになってはいたが、きちんとあの時のことを説明しないと……と、思い、ふみは口を開くもしろどもどろになってしまった……。

「……親子喧嘩、か」
「えっ、と……」

バツの悪そうな顔を浮かべ、ふみはコクンと小さく頷いた。

「そうか……。親子喧嘩に口を出すつもりはない。ただ、どうして大声で叫んでいたのか気になってはいた。よほどのことがない限りあんなにも取り乱してまで大声で叫ぶことはないだろう……と」
「……っ……」
「悪い。赤の他人の俺が余計なことを言った」
素早く手にしていた本とふみから受け取ったおはぎの入った風呂敷を持ち直し、側においていた鞄を持つと男子学生はすっと立ち上がって、ふみに背を向けた。

一歩……。

歩き始めた男子学生の背中に向かってふみは叫んだ。

「そ、んなことありません! 貴方の言った通り……あの時、私とても腹が立っていたんですっ!!」

男子学生はピタッと足を止め、振り返るとふみの話に耳を傾けた。

「父の作る和菓子……本当にどれもすごーく美味しくてたくさんの人達に食べてもらいたいって、いつも思ってて……でも、中には甘いものが好きじゃない人もいるわけで……そういう人達にも食べてもらえる甘さを控えた和菓子を作ったら……って、言ってみたの。そしたら……」


「何考えてるんだ!!」

バンッ!!

勢いよく机が叩かれると共にお店の厨房に怒号が飛んだ。
それはお店を開ける数分前の出来事だった。
ふみはもっと父親が作る和菓子をたくさんの人達に食べてもらいたい。甘い和菓子が苦手な人でも食べれるように甘さを控えた和菓子も作ってみたらいいんじゃないか……と、前々から思っていたことを父親に話したのだ。
ふみの言葉に父親は激怒し、頭ごなしに怒鳴った。

「先祖代々受け継ぎ、守り続けた味を変えろ……だと……?」
「お父さんっ……」
「そんなこと出来るかっ!! 仮にもそんなことしたらご先祖様達に顔向けできない……」
「私は……」
「お前は店を潰すきかっ!!」
「そ、んな……店を潰すだなんて……。私、そんなこと……」
「そう言っているようなもんだ!!」
そう、言うと父親はふみに背を向けた。
「おとうっ……」
「店を開ける」
話は終わったとばかりに父親はお店の方へと行き、お店を開店させた。

それからもふみは諦めることなく、父親の機嫌を伺っては甘さを抑えた和菓子のことを話し続けると同時にお小遣いを貯めて砂糖と小豆、もち米を買い、自分なりに甘さを控えた和菓子ーぼたもちを作り始めた。
そんなふみに対して父親は到底ふみの考えや行動に納得できず、2人は徐々にまともに話をすることさえなくなりつつあったーー……。


「私は今まで守り続けてきた味を全て変えてほしいって言ったわけじゃないの。ただ甘い和菓子が苦手な人達でも食べれるような甘さを控えた和菓子もあってもいいんじゃないかって思ったから言っただけなのに……」
ふみはぎゅっ……と、胸の前で両手を握りしめた……。
「……その思いがうまくお父さんに伝わらないし、分かってもらえないもどかしさ、不満や悔しさ、腹ただしさが少しずつ大きくなって……とうとうその感情達を抑えきることができずにこの河川敷で叫んでしまった……と、いうわけで……。今、思えば……すごく子どもっぽい振る舞いですよね」
ふみは苦笑いを浮かべた……。
「そんなことない」
「ーーっ……」
男子学生の言葉にふみは驚いた……。
「自分の思いがなかなか相手に上手く伝わらず、理解もえられなかったら……心穏やかにいられるはずがないし、そうしてしまうのも分からなくもない」
淡々とした物言いではあるが、理解を示す男子学生の言葉がふみは嬉しかった……。
「甘さを控えた和菓子……これまでそういう和菓子はなかったから興味深いな」
「えっ……」
自分の思いを理解してくれただけでなく、興味も抱いてもらえるなんて……ふみは驚くと共にさらに嬉しくなった。
「味見してもらえませんか?」
嬉しさのあまり、言葉が口から出ていた。
「えっ?」
「迷惑じゃなかったら……私の作る和菓子……と、言ってもまだ、ぼたもちしか作れないんですけど……ぼたもちの味見をしてもらえませんか?」
「なぜ、俺に?」
「さっき、興味深いって言ってたし……それに私は美味しいと思っても他の人からしてみれば美味しくないかもしれないから……。意見も聞かせてもらえたらな……って、ダメ……ですか?」
突然の申し出に男子学生は溜まり込んでしまった……。
束の間の沈黙が訪れ、ふみはその雰囲気に少しずつ居心地の悪さを感じていく……。
やっぱり、無理よね……。
諦めの気持ちが芽生え始めた時……
「いいのか?」
「ーーっ……!」
「俺でよければ」
「いいんですか!?」
「あぁ……」
「ありがとう……。ありがとうございますっ!!」
ふみは満面の笑みを浮かべて何度も何度もお礼を口にしたーー……。

次の日。
早速、ふみは自分なりにあまり砂糖を使わず甘さを控えたぼたもを男子学生に味見してもらおうと容器にぼたもちを入れ、風呂敷に包むと大事に抱えて、河川敷の橋の(たもと)へと向かった。
すでにそこには本を読んでいる男子学生がいて、足早に駆け寄った。

すぐさま大事に両手で抱えていた風呂敷を差し出すと、男子学生は読んでいた本を閉じて傍らに置いていた鞄の上に置き、受け取った。
スルスル……と、風呂敷の結び目を解き、濃い茶色の曲げわっぱの蓋を開けた。
そこにはちょこんとぼたもちが1つ入っていた。

「お願いしますっ!」
初めて人に食べてもらう嬉しさと緊張感にふみの心臓は忙しなく動き、気持ち後浮足立っていた。
男子学生がゆっくりとふみの作ったぼたもちを口に運ぶ……。
喜びと不安が入り混じる中、ふみはじーっと男子学生を見つめた……。
男子学生はほんの僅かにピクッと眉を動かした。
ふみはそれを見逃さなかった。
「遠慮なく、言って下さいっ!」
ゴクリと、生唾を飲み込み、男子学生の言葉を待ったーー……。

男子学生の感想はあんこの甘さだけでなく、もち米や小豆の状態等事細かなものだった。
最初の頃はこんなにもたくさんのことを事細かに言ってくれてありがたいとふみは思い、言われたことを1つ、1つ良くしていこうと頑張った。
しかし……日にちが経つにつれ、男子学生の感想に心痛め、落ち込んでしまうことが多くなっていった……。
それは男子学生の言い方が厳しいのではなくて、試行錯誤を重ねるもいつまでたっても美味しいぼたもちを作れない自分の情けなさに打ちのめされそうになったからだ。
自分から味見をしてほしいと頼んだ以上、落ち込んだ姿を見せたいと気丈に振る舞うふみの様子は男子学生にはバレバレのようで……。
何度か「大丈夫か?」と、眉を寄せて心配させてしまった……。
その度に「大丈夫。いつもありがとう」と、お礼を伝えるのだった……。
そんなふみの姿を影から見続けていた父親が少しずつふみに小豆の煮方やもち米の炊き方を教えてくれるようになった。
それまで父親からの教えはなく、お手伝いをしながらこっそりと父親の技術を得ようと見るしかなく、分からないことも多かったが、父親の側で教わるようになってからはみるみるうちに腕を上げ、父親とも以前ように話をするようになった。

ぼたもちの味見をしつつ、談笑も交わしていく中で少しずつお互いのことを知り、理解していく中で、2人はお互いに名前を呼び合う仲へとなっていったーー……。


そんなある日ーー。
いつものようにふみは両手で大事にぼたもちが入った小さな風呂敷包みを抱えて河川敷の橋の(たもと)に行くと1人の先客がいた。
優三と同じ学生服を身に纏っていたので同じ学校に通っていることは間違いなかった。
……同級生?
それとも後輩か、先輩?
どうしよう……。
声かけてもいいのかしら……。
2人は土手の斜面に並んで座り、談笑をしていて、ふみが近くにいることには気づいていなかった。
ふみはどうしたらいいのか分からず、2人の様子を伺いつつ橋の(たもと)に身を隠し、躊躇っていると……
「嫌じゃないのか」
「……ん? 嫌……とはどういう意味だ?」
「それだよ、それ」
優三の側に置いた鞄の上にある桃色の風呂敷を指さした。
「お前、甘いもの苦手だろ?」
えっ……。
今、なんて……。
ーーお前、甘いもの苦手だろ?ーー
男性学生が言った言葉がふみの頭の中を巡る……。
「よくもまぁ、毎日毎日嫌いなもんもらって、食べきるなんて律儀な男性(ヤツ)だね〜。こういう場合はさ、多少言いにくいかもしれないけど、嫌なもんは嫌ってきっぱりと言ってやった方が相手のためなんだよ」
ドサッ。
「あっ……」
ふみは大事に抱えていたぼたもちの入った風呂敷を足元へと落としてしまった……。
二人がいる場所からは少し距離があったにもかかわらず、物音に気がついた2人がふみの方へと視線を向けた。
「……ふ、みさん……」
「あっ、あ、の……」
「俺、帰るわ!」
男子学生はバツの悪そうな顔をして、そそくさと土手の斜面を登り、去っていった……。
「ふみっ……」
「ごめんなさいっ!!」
何とか一言、そう叫ぶとふみはくるりと優三に背を向け、その場を後にしようとした。
バシッ。
ふみの腕を優三が掴んだ。
「は、離して……離して下さい!」
「離さない」
「離してってば!!」
優三の手を振り払おうと力一杯腕を動かすも男性の力にはかなわなかった……。
「何故、謝る」
「えっ……」
「謝るのはこっちの方だ」
「ど、うして……」
優三の紡いだ言葉の意味が分からず、ふみはゆっくりと優三の顔を見つめた……。
「級友が失礼なことを言った。すまない……」
「……優三さん……」
「それと……あの時……ぼたもちの味見をしてほしいと頼まれた時、言わなかったが俺は級友がいった通り、甘いものは苦手だ」
「ーーっ!!」
ズキッ……。
心が痛んだ……。
「……し……て?」
「えっ……」
「どうして、そのこと……言ってくれなかったんですか!?」
「……すまない」
素直に謝罪する優三の姿が無性に腹が立った……。
味見をお願いした時に優三の口から「甘いものは苦手だ」と、言ってほしかったこと。
全く知らない級友の口からからそのことを知ってしまったこと。
甘いものが苦手なのに無理やり味見をしてもらっていたこと。
そのこと全てがふみにとっては哀しくて、悔しかったと同時に裏切られたような気持ちをも抱いてしまったからだった……。
あぁ、ダメ。
これ以上……言ってはいけない……。
優三に対して申し訳ないと思いつつも一度、怒りの感情が口をついて出てしまってはもう止めることができなかった……。
「言ってくれれば、そんなこと……頼まなかったのに……っ!! どうして引き受けたりしたんですか!?」
「確かに甘いものは苦手でできれば食べたくないだけで、食べれないわけではないから」
「……それって、無理して味見していたってことに変わりはないですよね」
「無理はしていない」
「嘘っ!」
「嘘ではない」
「だって……今、できれば食べたくないって……」
「あぁ……言った。けれど、それは通常のおはぎの話だ」
「……っ……」
「ふみさんのおはぎは違う。甘いものが苦手な人達も食べれる和菓子を作ると聞いて、本当に甘さ控えめで美味しいおはぎとはどんなものだろうか……と、興味もあった。まだまだだが、日に日に甘いものが苦手な俺でも食べたくなるようなおはぎになってゆくのも楽しみで仕方がない。だから……」
「……優三さん……」
「ふみさんさえ良かったら、納得するおはぎが出来るまで味見をさせてくれないか?」
「……はい」

その後……。
ふみは申し訳ない気持ちでいっぱいになり、優三に何度も「ごめんなさい」と謝罪をし続け、優三は困惑してしまった……。

このことをきっかけにさらにふみは父親の協力も得ながら、優三の感想も参考にしつつ納得のいくの甘さを控えたおはぎ作りに励んだ。

しかし……
どこか遠く感じていた戦争が、いつしかふみ達の日常生活にもゆっくりとだが、確実に歩み寄って来ていた……。
質素倹約と言われ、贅沢は敵とされた。
少しずつ食べ物が手に入らず、いつしか配給制度となり、本土への空襲に備えて火災が燃え広がらないようにと家屋が取り壊される箇所もあり、本土決戦に向けて国民により一層の団結が求められ、意識せざるを得ない状況になっていったーー……。