♪ 1976年~ ♪

 配属されたのは、東京支社広域量販課だった。東京を起点に全国展開しているスーパーマーケットへ営業活動を行う部署だった。
 自社商品のカテゴリーは主に練物(ねりもの)で、蒲鉾(かまぼこ)、ちくわ、さつま揚げ、はんぺん等、おでんの具材になる商品が多かった。その商品特性から売り上げは冬場に偏重し、尚且つ差別化が難しいため、競合メーカーがひしめいていた。だから、スーパーマーケットではチラシに乗せる目玉として安売りの対象になっており、バイヤーからは常に納入価格を下げるようプレッシャーを受けていた。そんな厳しい状況の中で与えられた仕事はスーパーの各店舗を回って売場を確保することだった。そのためには先ず、店長や売場主任と親しい関係になる必要があった。わたしは競合メーカーの2倍の頻度で訪問し、店長や売場主任との距離を縮めていった。と同時に、売場に立ってお客さんの購買行動をつぶさに調べた。何を買っているのか、何個買っているのか、どのメーカーのものを買っているのか、何と何を一緒に買っているのか、その調査結果を店長や売場主任に報告し、その上で売場提案を行った。
 
 最初はフンフンとしか聞いてもらえなかった。しかし、何度も何度も繰り返すうちに耳を傾けてくれるようになった。そして遂に売場主任の口から「熱心だね」という言葉が飛び出した。感心したようにわたしを見て、「最初は的外れなことばかり言っていたけど、最近は結構役に立ちそうなことを提案してくれるようになったね」と優しい眼差しを向けてくれた。そして、「一度君の言う通りやってみようか。この売場の陳列を君に任すよ」と笑顔で包み込んでくれた。
 わたしは感激した。と同時に責任を感じた。提案を評価してもらったのは嬉しかったが、結果を出さなければ意味がないからだ。この売り場の売り上げが増えなければ主任に報いることはできない。そうなれば次はない。絶対に失敗はできないのだ。とはいえビビっても仕方がない。やるしかないのだ。うまくいくことを信じて主任に提案したプランを実行することにした。
 そのプランとは、自社商品のみならず他社の売れ筋商品を含めた総合的な売場作りだった。翌日の開店前に、各社イチ押しと思われるおでん種を本物の土鍋の中に入れてディスプレーした。視覚的な要素が加わることによって購買意欲が高まることを期待してのことだったが、出来上がった売場を見て、中々の出来栄えと一人で有頂天になった。
 
 開店後はお客様が立ち止まるのをひたすら待った。ドキドキしながら待った。「買ってください。お願いします」と心の中で手を合わせて待った。しかし、チラッと見ただけで通り過ぎる人がほとんどだった。中には立ち止まって手に取ってくれた人もいたが、誰も買わなかった。わたしは居たたまれなくなって〈声かけ〉の衝動にかられたが、すんでのところで思いとどまった。スーパーマーケットではセルフで売れなくては意味がないからだ。
 1時間が経った。
 1個も売れなかった。
 2時間が経った。
 1個も売れなかった。
 夕方のピークになっても動かなかった。有頂天は落胆と自責に変わった。
「申し訳ありません」
 売場主任に謝った。叱責や罵倒を覚悟したが、「そう簡単には売れないよ。相手はプロの主婦だからね。財布を開いてもらうのは簡単じゃないんだ」と優しい声と笑みが返ってきた。その笑みに勇気を貰った。
「明日もう一度やらせて下さい」
 わたしのお願いに彼は頷いた。それだけではなく、アドバイスまでしてくれた。「主婦の気持ちに寄り添って売場を考えてね」と。