- 今日は新学期が始まって初めての休日だ。
楓は休みの日でも部活があるため学校に行っているけど、私は
帰宅部のため、休日は自由に過ごせるのだ。
今日は、お母さんから頼まれた買い物を6歳の妹のはなを連れて散歩がてら行くことになっている。
「はな行くよー」
そう言ってはなと手を繋いで玄関のドアを開けた。

最初の頃は、自分に妹ができるだなんて思ってもいなかった。
しかし、小学生の頃、はなに生まれて初めて手をぎゅっと握ってもらえた時、ほんとに生きてるんだ、と感動するような、ふわふわとした気持ちになったのをよく覚えている。
たまに怒らなきゃいけない時もあるけれど、私の自慢の可愛い妹だ。

買い物をしに近くのスーパーまで行ったあと、はながアイスクリームを買っていたので、病院の近くのベンチに2人で腰をかけた。

小さい頃からお世話になっているこの病院は私が住んでいる町の中でもかなり大きい病院なので、他の町からも多くの人が診察に来る。
私も、はなも家族みんなこの病院にはたくさんお世話になっているのだ。
ーそしてここで初めてお兄ちゃんに出会った、ほんとに思い出深い病院だ。

はながアイスクリームを食べてるのを見ながらふと、病院の方へ目を向けると、そこには意外な人物が歩いていた。

するとその人物も私の視線に気づいたのかこちらへと歩いて来た。
当然顔立ちがすざましいので、病院にも関わらず視線を集めている。

「や、すっごい偶然だね。その子は妹さん?」
「そう。妹のはな。…そっちは病院に行ってたの?」
「ああ、うん。ただの検診だよ…ちょっと待ってて」

そういうと翠くんはどこか行ったのかと思うと3本の飲み物を抱き抱えながら戻ってきた。

「少し話したいなって思って、はなちゃんはリンゴジュースでも大丈夫かな?」

私とはなはありがたく飲み物をもらった。

「わざわざありがとう…やっぱ翠くんは大人なんだね…コーヒー…」

大人っぽいのは容姿だけでは無かったようだ。

「ブラックは無理だけどね…苦いの苦手だし」

そう言ってもらったジュースを飲んでしばらく何もすることもなくぼーっとしていた。

「…翠くんはどこが悪くて病院に通ってるの?」
私は、ふと疑問に思ったことを投げかけてみた。

「んー?うーん。生まれつきの病気だよ。もう治りかけてるから、もはや定期的に担当してくれてる医師と世間話しにくる感覚だよ」

そう言っておどける彼はもう見慣れたので、呆れた顔をするだけ。

「翠くんは秘密ばっかりだね」
「だって大したことないんだもん、本当に。」

そう言って遠くを眺めている彼の表情は、心なしか寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「…お兄ちゃんも病気だったの。治療法がない原因不明の病気だって。」

「え…原因不明って?」

「お兄ちゃんも翠くんと一緒であんまり自分のことを話さなかったの。けど一つだけ教えてくれた。五感をこの先失ってしまうかもしれないって。感覚がなくなっていけばもう長くは生きられないって言ってた。」

私は空を見上げてそう言った。

「…でも失わずに生きてるかもしれない。俺は沙羅がその人を見つけるまで、一生探し続けるよ」

「…どうしてそんなにしてくれるの?私はただの隣の席になった人だよ?」

「沙羅はそうかもしれないけど…俺は中学の頃から沙羅を知ってるよ。」

翠くんは遠くを見ながら言葉を続けた。

「俺沙羅の笑う顔が好きだよ。中学の時からずっとその笑顔が印象的で、いつの間にか目で追うようになってた。だから大切な人が大事にしてる人を俺も一緒に探したいし、俺は沙羅の笑ってる顔が見たいからね」

そう言う彼の首筋は心なしか赤くなっている。

「だから、俺にも協力させー」

「お姉ちゃん!トイレっ!」

はなが突然翠くんの言葉を遮るようにそう言った。

「あー…そう言うことだから。」

私は吹き出すように笑ってしまった。

「…なんで笑ってるの」

「いや…ごめん、つい……ふふっ…ありがとう。じゃあ、ごめん行くね。」

「うん。またね沙羅、はなちゃんもまたね」

そう言って彼はベンチから立つと、手を振りながら帰って行った。

「意外と子どもっぽい所もあるんだな…」

私は翠くんの新しい一面を知って、不思議と安心した

いつか、お兄ちゃんに出会ったら、彼の話をしてもいいかもしれないな。

いつも間にか、私の心は弾んでいた。




- 新学期が始まってはや1ヶ月が経った。相変わらず翠くんは謎が多いけれど毎週水曜日は一緒に「お兄ちゃん探し」をしている。
お兄ちゃんと遊んだ場所、食べた物などお兄ちゃんに関するものを記憶の限り遡って翠くんに伝えているけれど、やっぱり本質的な部分にたどり着くにはどう考えても情報が足りず、逆に翠くんに申し訳ないなと思っている。
けれど、当の本人は案外楽しそうにしているので尚更彼の事が分からない。

「今日も広瀬くんとデート?」
そう誤解を生む発言をしたのは新学期が始まって仲良くなった雫だ。
「いやデートじゃないよ…というかどう考えても釣り合うわけないじゃん…」
「いや!そんなことない!沙羅は自分に自信がないないだけだよ!しかも広瀬くん女子とあんまり話さないのに、沙羅とは嬉しそうに話してるし!」

…1ヶ月で気づいたのは雫は恋愛などこの手の話題が大好きだということ。
最初も「広瀬くんと付き合ってるの!?」と詰め寄られ、翠くんの過激派のファンだと思っていたら、ただの恋愛トークが大好きな女の子だった。
ただ、彼女の話は聞いていて面白いし、とても可愛い。仲良くなれたことが奇跡みたいなものだと思っている。

「ほら、早くしないと部活遅れるよ。いっつも話に夢中になっちゃうんだから」
「ほんとだ!じゃあまた明日聞かせてね!」
雫は男子バスケのマネージャーをしている。
楓曰く、部活の時は真剣な顔つきで雑務を行ってるらしいので、意外な一面だな、と思いつつ、さすがだなと思っていた。
いつか見て見たいなー、と思いながら私も帰る準備をしていると私の影ともう一つ黒い影が重なった。
ふと上を見上げると、そこには翠くんが立っていた。
「今日、図書館に行かない?」
「いいけど…どうして?」
「…今日はお兄ちゃんの病気について、調べてみない?」
その瞬間どきり、と心臓の音が鳴った

ーお兄ちゃんは生まれながらに原因不明の病気があった。
私がいつも通り水曜日一緒にアイスクリームを病院の中のベンチで食べている時に一瞬だけお兄ちゃんに聞いたことがあったのだ。

「ねえ、お兄ちゃんの病気ってどんな病気なの?」
「うーん、俺の病気はね、五感ってのが無くなっちゃうかもしれない病気らしいんだ。」
「ごかん?」
当時の私は小学生で稚拙な知識しか持ち合わせていなかったので、聞いただけでは理解できなかった。
「うん。日本ではほとんど稀な病気だから治療法もないし原因も分かんない。けど分かるのは、五感のどれかを失い始めると、大体一年くらいしかもたないんだって」

私はその時ひどくショックを受けて大泣きしていたのをよく覚えている。
けれどその時は、元々持病であった喘息で入院していただけで、実際五感はまだ全然問題ないことを聞いて、すごく安心していたんだけど。
だけど実際小さい頃に聞いただけで、詳しい症状などは知らないし、今まで知ろうとしなかった。
もしかしたらもうこの世に居ないのかもしれないと考えると怖くて、なかなか調べることができなかったのだ。

そう物思いに耽っていると、あっという間に私立図書館に着いた。
学校の図書館では、そんな文献は置いていないだろうとのことで比較的規模の大きいこの図書館に行くことにしたのだ。

「着いたね。でも、そんな稀な病気についてなんて置いてあるかな」
「うーん、どうだろうね。私もお兄ちゃんの病気については今まで触れてこなかったから、全く無知だよ」

まずは医療コーナーから探し始めることにした。
医療コーナーには、医学や病気と治療、病院ガイドや薬に関する資料がずらっと並んでいた。
この中から探し出すには時間がかかるな、と思いつつちらっと横を見ると意外にも翠くんは真剣に、探していた。
しばらくお互いに無言でいろんな場所を探し始めて、ある程度収集が終わると、図書館の端っこにある読書コーナーに集まった。
翠くんは5冊の本を持ってきていて、私は2冊の本を持ってきていた。
「結構持ってきたね。翠くんは」
「集中して探してたら、気になる症例とか沢山あって。この中になんか鍵にあるものがあればいいけど…」
あくまで翠くんからしたらお兄ちゃんは赤の他人なはずなのに、どうしてここまで真摯に向き合えるのだろうか。
そう不思議には思ったけれど一旦お互いに自分の集めた本を読むことにした。
私が持ってきたのは、五感の役割や五感がなくなることで起きる弊害など、あくまでお兄ちゃんから聞いた五感がなくなる、と言う部分にスポットを当てて集めた。

ただ小さい頃に比べたら知識も最低限は備わっているので、読んでいてもあまりはっと目につくような症状は見つからなかった。

30分ほど経過して、2冊しか持ってきてなかった私は早々に手持無沙汰になってしまい、彼が持って来ていた本も目を通してみようと本を手に取ると、そこには驚きの光景が広がっていた。

「………え?」
「ん、どうした?そんなに驚いた顔して」
「いやいやいや、驚くでしょ…英語の本読んでるなんて思わないじゃん…!!」
彼は数百ページにも及ぶ見ただけで眩暈がしそうな英文をまるで読書をするかのように読んでいたのだ。

私が絶句していても当然のようにその英文を読んでいる彼を横目に、私は仕方なく、自分の持ってきた本を改めてもう一度読むことにした。
読めば読むほど五感が失われていくという疾患がどれだけ残酷なことか、私の尺度では測り切れない絶望をお兄ちゃんは体験したのだろうかと背筋がぞっとする感覚に襲われた。
これから五感が失われると聞いてお兄ちゃんは私の前では一切辛そうな素振りなど見せなかったけれど、本当は不安で押しつぶされそうになってたのではないのだろうか。
そうやって悶々と考えているとぱたん、と本を読み終えたらしい翠くんがようやく顔を上げた。
「…読み終わった?」
「うん。まあ大体は」
2時間くらい読んでいたけど、そんな短時間で読み切るなんて常人じゃ考えられない。
「じゃあ、読んだ情報共有していこうか」
私は英文を読んでいた翠くんに共有できるほど有力な情報ではないけれど、私は読んだ情報を整理した。

「ええっと…私は翠くんみたいに本格的なものじゃないけど…五感について調べたよ。五感の働きとか…でもやっぱり大体常識的なことしか書いてなかった」

正体不明の病気だ。そりゃ普通の本なんかに書いてあるわけがない。
だからこそ英文を読んでいた翠くんに少し申し訳なさを感じるが、期待が大きい。

「そっか、じゃあ僕が読んだ情報も整理してみるね」

翠くんは本をパラパラとめくりながら言葉を続けた。

「…似たような症状が出た患者が、海外にいたらしい。最初に鼻が効かなくなって病院に行ったら、治療方法のない病だと診断されたって」

私は心臓がドクドク、と音が高鳴っている中翠くんの言葉に耳を傾けた。

「…はじめは嗅覚がなくなってきて…次に視覚、その約1年後、亡くなった。朝、起きなかったんだって。眠るように息を引き取って行ったって」

「眠るように…」

眠るように息を引き取るとは、もし死に様を自分で選べるなら、と聞かれたらきっと誰しも望む死に方なのかもしれない。
だけど生きている私たちはそんな死に方をされたらやるせない気持ちでいっぱいになるだろう。最後の別れを告げれず、明日また当然会えると思っている人が帰らぬ人となって再会しなくてはならないのだから。

「海外では日本よりかは発症してる人が多いから、少し話題にはないっているみたい。”眠り病”とか言われたりしてるって」

そう言って翠くんパラパラと本を流し読みしながら言葉を続けた


「五感の感覚に違和感が生じ始めてから…個人差はあるけど、大体一年から一年半でゆっくりと身体組織が壊死して最終的に静かに永遠の眠りに落ちていく…そんな病気なんだと思う。」

私は何も考えられなかった。もしかしたらもうほんとにこの世にいないんじゃないかと考えると怖くて仕方なかった。

「大丈夫、一つ核心に近づいたし絶対に見つかるよ」

翠くんはぱたん、と本を閉じると一つ間を置いてそう言った。
しかし今の私にはそんな励ましなど一切耳に入ってこなかった。
私が完全に無反応になってしまっていると翠くんは本を片付けて始めた。

「ちょっと外出ようか」

そう言って私の手を引いて、外へと連れ出した。

外の椅子に2人で座ったけれど私は心の整理ができていなかった
覚悟はしていたけれど、今まで無知だった私に嫌気が差す。
翠くんがいなかったら、お兄ちゃんの本質に迫れなかった。
私1人だと何もできないし、まず探すって言ってちゃんと行動に移しただろうか。
時間が経てば経つほど自責の念に潰されそうになっている中、翠くんをみると私と同じくらい、いやそれ以上に悲しい顔をしていて一気に我に返った。
そうだ。せっかく翠くんが善意で調べようと言ってくれたのに、私が暗くなってるせいでまるで翠くんが悪いみたくなってしまっている。
自分のことばっかで申し訳ない気持ちになり、私が翠くん、と声をかけた時、

「ーお兄ちゃんのこと、忘れちゃえばいいんじゃないかな」

と今までの翠くんとは違う無機質な声でそう言った。

「…え?」

私は何を言ってるのか分からなかった。
理解ができずにいると翠くんが淡々と言葉を続けた。

「お兄ちゃんはおそらく自分の病気をよく分かってる。そして発症していたらおそらく余命も。だったらお兄ちゃんは…自分の事なんか忘れて、幸せになってほしいって思ってるんじゃー」

「なんでそういうこと言うの」

私も翠くんに負けず、いつもより力を込めて翠くんの言葉を遮った。

「翠くんには感謝してる。今日だって翠くんがいなかったら病気のことも知れなかった。ウインターコスモスだって花言葉があるなんて知らなかった。今は確かにショックだったけど…でもまだ生きてる可能性を諦めたわけじゃない。私はお兄ちゃんに死んでも会いたい。なのになんで…翠くんが諦めちゃうの?」

私は頭が真っ白になって理性のタガが外れてしまった。
一気に言葉を続けたせいで少し息切れをしてしまっている私を、翠くんは目を丸くして見上げていた。
だけど今の私には翠くんの目を見てこれ以上言葉を続けられなかった。
翠くんが、まるで余命宣告されている人のように悲しそうな顔をして私の目をじっと見ていたから。

「病院で…一生探し続けるって言ったじゃん。翠くんの嘘つき」

翠くんの目線と沈黙に耐え切れず一言そう呟いて私は図書館を後にした。

ー家に帰る途中、雨が降ってきてしまった。
雨降るって言ってたな、とぼーっと雨宿りをしているとどうしてもさっきの出来事が頭をよぎってしまう。

「翠くんのばか…」

絞り出した一言は雨の音によってかき消されてしまった。
どんどん地面を打ち付ける雨が強くなっている中、私は濡れていることなんて気にせず夜道を歩いた。
制服や髪が張り付いて気持ち悪いけれど、むしろ今はそれが心地よかった。
家に帰ると何もする気力が湧かず、かろうじで着替えを済ませベットに倒れ込むと、夜の闇夜に溶け込むように私の思考は堕ちていった。


ーその日久しぶりにお兄ちゃんの夢を見た。
いつものベンチでお兄ちゃんと動物図鑑を見ている一コマの夢を。
お兄ちゃんは去り際悲しそうな、寂しそうな顔をしていた。

「お兄ちゃん?どうしたの?どっか痛い?」

そう言うとお兄ちゃんは振り返って苦しそうに笑って口を開いた。

「来世沙羅に出会えたら、僕が1番に好きだって伝えに行くよ」

「ー?」

お兄ちゃん、と声を出そうとしているのに出なかった。この世界に干渉できないようになっているような感覚だった。
それでも私は何度も呼び続けた。しかしお兄ちゃんに届くことはなくお兄ちゃんはどこかへ歩いて行ってしまった。

次に目が覚めた時には一番に頭痛でさっきの出来事が夢であることを察した。
昨日の夜、大雨の中歩いていたからだろう、身体は鉛のように重く、起き上がると寒気がした。意識が朦朧とする中、雫には連絡を入れておこうと思いメッセージを送るとすぐに既読がついて、返信が来た。
「ー大丈夫?お大事にね!広瀬くんも休みだから、2人に何かあったのかと思ったけど偶然で安心したよ!」
私は返信を見てえ、と素っ頓狂な声を出してしまった。
そういえば、あの後翠くんは大丈夫だったのか。朦朧とする中思考を巡らせる。
そもそも忘れてしまえばいいなんて私があまりにも落ち込んでいたから気にかけるように言っただけかもしれないのに、ムキになって散々なことを言ってしまった。
せっかく善意で調べてくれたのに返って気を遣わせてしまった事に今更気づき、後悔の念に駆られる。
そしてもう一つ問題が生じていた。
「連絡先…そう言えば知らないな、翠くんの」

今まで放課後、公園に行ったり、思い出の地を巡ったりしたけれど連絡先の話は一切していなかった。
一人で寝ながら悶々と考えていると一つの疑問に辿り着いた。

ーなんで翠くんは思い出の地を一緒に巡ったのか
確かにお兄ちゃん探しを手伝うとは言ったけれど、思い出の場所に行ったところで根本的な解決には一切至らない。
なんで今まで気づかなかったのだろう。
疑問に思ったけれど確信に変わるまでそう時間はかからなかった。
翠くんの隣も居心地がよかったからだ。
いつも疑問に思っていたのかもしれない。だけど翠くんと一緒にお詣の場所を巡っていると、まるでお兄ちゃんと遊んでいた時のように楽しくて、一生今が終わらないでほしいと思えたからだ。それくらい、翠くんも私の中で大切に存在になっていたのだ。

ー学校に行ったら一番に謝ろう。
謝って、今までの感謝を伝えたい。
そう心に誓いながら私の意識は限界に達して抗うことなくそのまま目を閉じた。