一人の男が広い山の中を歩いていた。
ハァハァと吐く息は浅く、足はふらついている。
この男―――宗一は遭難していた。
 登り続けて数時間が経っているが、未だ目的地には辿り着けていない。
何時になれば辿り着くのか、本人には分からない。
「くそっ、、、何で遭難なんか」
 宗一が山を登っていたのには理由があった。
宮司から「生き神として娘を受け入れらた月峰神様に感謝して、米を奉納して来なさい」と言われたからである。
正直、宗一は乗り気ではなかった。少し前、境内から山の外にいたという不思議な体験をしたからだ。
ひたすら山道を歩いているが、一向に辿り着く気配がしない。そればかりか、何時もの道を歩いているのに山奥に入っていく。
もう辺りは暗い。提灯を持って来れば良かったと後悔した。
何処からか微かに柑橘の香りがする。
「おい、そこで何をしている」
不意に、聞き覚えのある声が聞こえた。
目の前には、面を付けたカタクリが提灯を持ちながら立っていた。その明るさだけで宗一は救われる。
姿は見える。だが、宗一はカタクリに違和感を感じた。
「、、、君は一体、、、」
 表情は分からない。そこに立っているように見えるが、いるのかいないのかも分からない妙な気配だと宗一は思った。、、、声も何処か遠くから響くようだ。
「言葉を話す豺とでも思うんだな」風がカタクリの羽織りと灰色の髪を揺らす。
「神社に行かなければいけないんだ。頼む!案内してくれ!」
宗一がカタクリに助けを求めたが声色ひとつ変えずにカタクリは言い放った。
「何故?」
その声は氷より冷たかった。宗一は何か言い返そうとしたが、カタクリの圧力を受けて黙った。
「お前はマヨイのことも、あの子のことも見捨てたうえ、罪悪感から逃れようと自分の娘を生贄として生き神に崇め祀った。それが罪だ」
その言葉を聞いた瞬間、宗一は何故か唐突に確信してしまった。それは、宗一が一番信じたくなかったことだった。
 この少年は、月峰神だと、、、。
「ちが、、、」
「違うか?」
違う。そう反論したいのに、宗一は口を(つぐ)んだ。
 言えない。言ってはいけない。
「、、、生き神として生まれた娘は、生き神の使命を果たさなければいけない、、、」
ぽつり、ぽつりと話し始める。
「とんだ戯言だな」
「、、、」
「何かを支配しようなどと愚かなことを考え、そして自分が困ったら救いを求める、、、図々しいにも程がある」
 強い風が吹く。
強い柑橘の香りが辺りに充満する。
「この地から去れ」
その言葉を最後にして、宗一は意識を失った。

 宗一が目を覚ました場所は村の医者の所だった。
どうやら山道で倒れているところを発見されたらしい。
奉納品の米はその場になかったと言う。
 それから、宗一は村を去ることに決めた。
村人達は自分の娘が生き神として殺されたのが耐えられなかったのだろうと思ったが、宗一は月峰神から逃げる為に村を去った。
あの時の腕の痛みは覚えている。
まだ消えず、残っている 。
きっと宗一は自分の犯した罪を背負って、これからの人生を過ごすのだろう。