どれだけ悔いていようと時計の針は戻らない。進み続けることしか出来ない。時間の流れに逆らえない以上、我々人間も前を向かなければならないのだろう。

 私が鬼たちに出来ることと言えば"遺す"ことくらいだ。私が覚えたこの気持ちを決して忘れることがないように。鬼の無念と私の懺悔をこの文に込めて永遠に遺そう。

 この最後の術もそんな一心で編み出したものだ。もしかしたら、私が泰山府君祭を得意としていたのもこのためだったのかもしれない。

 さて、私に出来ることは"遺す"ことだけであるの言ったが、それは私が今世で時間が残されていないからだ。

 私は一生の大半を陰陽師として泰平に尽くしてきた。故に、この懺悔も死期が迫ってようやく可能となった。

 生物は常に選択と隣り合わせである。それは魂やもののけには無いもて悩み種であろう。私と類似した苦悩をする人間も少なくはないはずだ。

 自分の選択、行動を信じられなくなる。それが失敗する結果に終われば尚更のことだ。何度も何度も自分がしたことの軽率さを胸の中で反芻する。

 そんな経験が一生の内でおびただしい数襲いかかってくる。きっとその数は時代の流れと共に増えてゆくのであろう。

 それでも前を向き続ける方法と一生の内に遭遇しなければならない。それが出来なければ向かう道は"上"か"下"だ。

 未来に生きる人々には、私が遭遇出来なかったそれを、失敗の後の"正解"を発見してほしい。

 後悔の末に何を選んで生きて行くのか。私と違って、生きて行くからこそ出来ることも残されているはずだ。

 いつかこの文章を読む誰かが後悔を乗り越えられるように、私が後悔を乗り越えられるようにこれを記す。