瑞生side
ある日のこと。
学校から家に帰ってきて、リビングでくつろいでいた俺のもとに、1本の電話がかかってきた。
スマホの画面には、「沙耶香さん」と表示されている。
「はい、もしもし」
『あっ、もしもし瑞生くん?ごめんね〜急に電話かけちゃって。先週に続いて今日もなんだけど……澪がまだ家に帰ってなくて。でも私今手が離せなくて、瑞生くん連れ帰ってきてくれないかしら?』
そんなことだろうと思った。
現在夜の7時。
9月だからこの時間帯でもまだ外は明るい方だが、心配になる時刻ではある。
でもまぁ、どうせ“あそこ”にいるんだろうな。
見つからない心配はいらないと、心の中で思う。
「分かりました。多分30分後くらいまでには帰れるので」
「本当にごめんね〜っ。また今度お礼するから、澪のことよろしくね」
「はい、では」
そう言って電話を切る。
じゃ、行ってくるか。
家を出て、ある場所へと迷わず足を進めていく。
今から俺が連れ戻しに行くのは、高校2年生で1つ年上の幼なじみ・花江澪だ。
ちなみに、沙耶香さんとは澪の母親のこと。
澪は明るい性格でフレンドリーだが、メンタルは弱く、何かあったときは必ず“あの場所”へ行く癖がある。
俺のことは万年弟扱いで、異性として見られたことなんて多分1度もない。
でも、俺・橋本瑞生は、そんな澪に恋をしている。
澪に初めて会ったのは4歳の時。
家が近所なため、お互い近くの公園に遊びに向かうと、公園の出入口でばったり会ったのだ。
と言ってもこれは親から聞いた話で、俺は10年以上も前のことなんて覚えてない。
そこから親同士が仲良くなり、今まで遊んだ回数は数え切れないほど。
そして触れていく澪の優しさや愛らしい笑顔に、気づけば好きになっていた。
俺がいることに気づくなり、澪の表情がパッと花開いたように明るくなるのだ。
そんなの好きにならずにはいられないし、その笑顔は俺だけに向けて欲しいという独占欲も出るだろう。
自覚したのは俺が小学校4年生の時だったか。
俺的には今まで何回もアピールしてきたのに、俺のことを弟としか思っていない澪は俺の気持ちに全く気づいてくれない。
おかけで、
どうすればいいんだ……?
なんて考える日々だ。
いっそのこと告白するか悩んでいると、澪がいるであろう場所、近所の橋の下へ着いた。
川のせせらぎが辺りに響いていて、穏やかな気持ちになれる場所。
案の定澪はそこにいて、制服姿のまま小さく縮こまっていた。
今回は何があったんだ?
と気になりながら、澪に声をかける。
「澪」
その声で俺が来たことは分かっているはずなのに、澪は何も言わない。
「………」
「おい、み〜お。沙耶香さん心配してんぞ」
「……れた」
「なんて?」
「……好きな人にフラれた」
「は……」
っと危ない。
声を抑えろ、俺。
好きな人にフラれた?
え、こいつ告白したのか?
てか好きなやついたのか?
澪とその好きな人が付き合わなかったことに安堵する一方、好きな人がいるなんて聞かされていなかったことに腹を立てる。
それにしても、その相手見る目なさすぎ。
こちとらいつから好きなのか分かんねぇくらいずっと前から好きなのに。
世間的に見ても澪は整った容姿をしていて、今まで告白されているのを何回も見た。
なのに振ったということは、その相手には彼女でもいたのだろうか。
じゃないと澪の告白を断るわけ……
と幼なじみバカと片思いバカを発動させていると、澪はこんなことを言ってきた。
「私、ダメだなぁ……メンタル弱くて」
「………」
確かに、澪はメンタルが弱い。
でも、小さい頃引っ込み思案だった俺を変えてくれたのは、そのメンタルが弱い澪なのだ。
困っている人を放っておけなくて、他の友達の誘いを断ってまで、俺と一緒に遊んでくれた。
だから、俺を変えてくれたそんな澪を元気づけるのは、俺でありたい。
「ダメなんかじゃねぇよ。その分澪は人に優しくできるし、十分強い……と思うけど」
かと言っても俺は不器用で、上手く言葉をかけることが出来ない。
でももう、澪を守れるくらいには大きくなった。
だからいい加減、
「俺のこと見ろよ……」
……あ。
言ってしまった。
心拍数がどんどん上がっていく。
フラれるくらいなら今からでも誤魔化すか?
いや、でも……っ
少しパニックを起こしている俺の横で、澪が俺の方を見ているのが分かる。
ついに、その返事が……
と思ったら。
「え、なんて?」
「…………」
とことん運がない。
今までも告白出来そうな雰囲気の時にガヤがうるさかったり、“こういうタイミング”のときだけ邪魔をされることがよくあった。
神は俺と澪が付き合うのが嫌なのか?
だとしたらいい迷惑だ。
はぁ……帰ろ。
もう告白する勇気が失せてしまい、立ち上がって階段を上がろうとする。
「何でもねぇよ。ほら、帰るぞ」
「……まだここにいる」
「はあ?沙耶香さんに30分後には帰るって言ってんだよ。だからもう帰るぞ」
もう少し優しい言い方をするとか、待ってあげるとか出来るだろ、と自分でも思う。
でもどうしても照れくさくて素直になれないのだ。
そんな俺の言葉に、澪は不服そうな顔をしながらも立ち上がった。
やっと帰る気になったか、と階段を上がり切った時。
ふと、右手に温もりを感じた。
「……手、繋ご?」
「なっ……」
上目遣いと同時に手を握られて、俺は思わず赤面する。
この無自覚が……っ
内心凄く嬉しいものの、やっぱり中々表にはその気持ちを出せなくて。
「……ん」
としか返事が出来なかった。
それでも澪は、凄く嬉しそうにして。
「やったっ。手繋ぐの結構久しぶりじゃない?」
春に澪の家族と俺の家族で花見に行った時、双方の母親に言われてやったの以来だから……4ヶ月ぶりくらいか?
でもそんな今だって、俺は弟くらいにしか思われていないんだろうな。
「……ああ」
分かっているのに、俺の右手はすごく熱い。
「明日の数学の小テストめんどくさ〜い」
「そうだな」
もう好きな人のことはいいのかよ……
と内心少し呆れつつ、1つの疑問が思い浮かぶ。
……その相手と手を繋いだら、澪は今の俺みたいになったりするのか?
俺の方がずっと近くで見てきたのに。
普段の澪の話し方からして、好きな人のことを先輩とも後輩とも言わないということは、相手は同級生なのだろう。
つまりその相手と俺の年の差は1歳。
たったそれだけかと思うかもしれないが、でもその1歳の違いで、俺は学校の中で澪の近くにいることが出来ない。
だからこの1歳の差は、
……大きいし、遠いな。
でもいつか必ず、澪が手を繋ぐ相手は俺だけにしてみせる。
そんなことを考えているうちに、澪はすっかり元気になっていて。
「今日の晩御飯何かな〜?ハンバーグに餃子に、あと……」
「そんなに無いだろ、あったとしても食べすぎ」
「あっ、瑞生今私のこと太ってるって言った!?」
「言ってねぇよ!」
「あははっ、冗談じょ〜だんっ」
そして、手を繋ぐ相手だけじゃなくて、この笑顔もいつまでも隣で見ていたい。
そう思った帰り道は、今までより少し、特別な時間が流れていた。