「ちょ……え?」

 謁見の間には気まずい空気が流れる。
 初対面ってだけで嫌なのに、相手は魔王で、こっちは木端魔人(ハーフデーモン)だ。
 はっきり言って格が違いすぎる。
 やっぱりボッコボコにいじめられてから拷問でもされるのだろうか。

 魔人(ハーフデーモン)の数は異様に少ないと言われているし、俺は希少な実験材料なのかもしれないな。
 バリーたちのような人間に殺されずとも、結局はこうして魔族サイドの奴らに殺される運命だったのかもしれない。

 しかし、そんな怯える俺の予想は大きく外れることになる。

「リュミエールに己の魔力を分け与えて命を救ったというのは本当か?」

「……ん? お、俺に聞いてます?」

 顔を上げて聞き返すと同時に、魔王の姿を改めて確認した。

 魔王は漆黒のロングローブを纏い、右手には長い杖を持ち、玉座に腰をかけて足を組んでいる。
 額の中央には大きく太いツノが一本生えており、それは魔族を束ねる存在としての遥かなる威厳を指し示しているようだった。
 ちなみに髪色はかなり暗めなダークパープルで、顔には深い皺が刻まれているからか表情は険しく見える。

 魔族の中でも相当に厳つい部類だということは一目でわかる。

「ここには其方しかおらぬ……して、リュミエールに魔力を分け与えたのは本当なのかと、そう聞いておる」

 魔王は興味ありげな笑みを浮かべていた。
 まるで子供を想う父親の顔のようにも見える。
 さっき見た時は、怖くて怖くて怖くて怖くてたまらない雰囲気と表情だったのに、一体どういう心境の変化だ?

「えーっと……あー、すみません。その、リュミエールさん? というの方のことが分からないのですが……」

 恐縮ながら、俺は魔王の質問に答えられるほどの知識を持っていなかった。

「リュミエールは吾輩の娘ぞ」

「ん……? 待てよ、俺が魔力を分け与えたってことは、頭に小さいツノが二本生えた女性のことですかね?」

 リュミエールという名前は全く聞き覚えがないが、魔力を分け与えた女性のことなら覚えている。
 森の湖畔で自死に失敗した時に、空から降ってきた謎の魔族の女性だ。まさか、魔王の娘だったとは驚きだ。

「うむ」

「確かに、その女性には魔力を分け与えました。ご存知の通り、俺は世にも珍しい魔人(ハーフデーモン)なので、魔族同士とまではいかなくても多少は力になれるかなぁと思いまして……もしかして、まずかったですかね?」

 俺はおずおずと尋ねた。
 もしも助けてはいけない事情でもあったら完全なやらかし案件だ。

「いや、深く感謝している。あの日、リュミエールは次期魔王になるための鍛錬中だったのだが、吾輩の愚かな部下が誤って使用した転移魔法で辺境の遙か上空に飛ばされてしまってな、そこに其方がたまたま居合わせたというわけだ」

 魔王は俺の心配をよそに軽く頭を下げてきた。
 しかし、部下の失態には少し失望しているようで、やれやれと言いながら頭を抱えている。

「……相当な大怪我でしたよ、あれ」

「リュミエールはそう軟弱な体ではない。上空から落ちたとて死なぬ。放っておいても十日もすれば回復したであろう。ただ、たかが十日とはいえ、娘が帰らぬのは父として心配だったのだ。それにあの局面で人間に見つかれば命を奪われていたことだろう。
 其方が治療してくれたことには多大な感謝をしている。しかし、許してはならないのは、愚かな部下の過ちだ。既に罰を命じておるわ」

「罰、ですか?」

 魔王が考える罰とは……末恐ろしいものに違いない。

「ふっふっふっ……知りたいか?」

「え、ええ」

 不敵に笑う魔王の顔つきを見た俺は思わず身構えた。

「城周りの草刈りだ」

「え?」

 思わず素っ頓狂な声を漏らす、俺。

「それも三日連続でな」

「は?」

「ヤツは最近働き詰めだったから丁度良い機会である。空の下で体を動かして頭を休めるべきであろう。魔法を誤射するなど危険すぎるからな。今後は働き方を改革しなければならない。睡眠を取らぬ者も増えていると聞くしな」

「……」

 俺は思わず黙り込んでしまった。

 罰が優しすぎる! 
 話した感じから察するに、実はこの魔王様って娘と部下を想う優しい性格なんじゃないか?
 何なら、今まで出会ったどの人間よりも、人間らしいというか接しやすい感じがする。

 何となくだけど、ある程度フランクに接しても問題ないタイプに見える。ちょっと試してみるか。

「どうかしたか?」

「……いや、なんかその、拍子抜けしちゃいました。見た目は怖いのに、こうして話してみると魔王様って意外とユニークなんだなぁって……あはははっ……すみません、失礼でしたね」

 俺は失礼を承知で少し攻めた発言したが、むしろ魔王は細かく頷きながらニヤニヤと笑っていた。
 何だか楽しそうに見えるな。

「構わん。吾輩は皆から崇め奉られすぎて疲れたのだ。魔族ではなく魔人(ハーフデーモン)であり、尚且つ他所からやってきた其方になら、こうして話をしても違和感は少なかろう?」

「確かにそうですね。でも、ギャップが凄くてびっくりしましたよ。だって人間たちが想像する魔王様ってヤバい化け物ですからね? 一応聞いておきますが、人間を生きたまま食べたり、拷問をして遊んだり、気に入らない部下を手にかけたりしてないですよね?」

 ガンガン攻めた質問をしても全く問題なさそうだったので、俺は気になったことを立て続けに聞いてみることにした。

「フハハハハッ——吾輩は民を思いやる優しき君主を目指しておるのだ。人間界に蔓延る魔界及び魔王、魔族に関する噂は全てデタラメと思った方がよいぞ。出所不明の信ぴょう性のかけらもない酷い噂ばかりである」

 魔王は低い笑い声を部屋に響き渡らせていた。それなりに気分は良いらしい。ただ、瞳を閉じてその笑い声を聞くと、明らかに何かを凌辱しているものだと勘違いされてしまいそうだ。

 外で待つキリエさんが聞いていたら確実に誤解を招く。

「えー、そうなんですか? じゃあ人間界に現れる大量のモンスターについてはどう説明するんですか? モンスターは知能を持たずに襲いかかってきますよ?」

 過激な噂については真っ向から否定していたが、その中にはモンスターというワードが含まれていなかった。
 基本的には人類が最も悩まされているのはモンスターの存在である。
 所構わず出現し、低い知能で猪突猛進してくるあいつらはかなり危険な存在だ。

「ふんっ、空気に含有した魔力が太陽の光に反応することで勝手に湧き出てくる傀儡なぞ知らぬわ。
 あやつらは吾輩が生み出した訳ではないからな。人間界では太古の昔からそこら中に自然発生しておるわ」

 魔王は俺の質問を鼻で笑い飛ばした。
 少々不愉快そうに顔を歪めていて、それだけでモンスターに対する心持ちがわかった気がする。

「え? これは衝撃の事実ですよ……!」

「なんだ? 人間はモンスターの存在まで吾輩の仕業にしておるのか?」

「人間は魔王様を筆頭として、魔族とモンスターを一括りにして恨んでますよ。
 特に冒険者の連中は過激ですね。魔人(ハーフデーモン)の俺だって、酷い目に遭いましたから……通りすがった魔族の女性に助けてもらえてなかったら今頃死んでましたね」

 あの時は本当に危なかった。
 いつもよりも苛烈でハードなリンチは確実に俺のことを殺すつもりでやっていた。
 闇魔法を使って亜空間から大きな戦斧を取り出したあの魔族の女性がいなければ、俺は間違いなく命を落としていた。治療までしてくれて本当に助かった。

 魔王城に連れて来られるのは流石に予想外だったが……

「通りすがりなぞではないのだが……まあ、知らぬのならいい。ところで、これから其方はどうする?」

「……どうするって言われても、人間界に戻っても落ち着いて暮らすことはできなさそうですし……どうすりゃいいんですかね」

 キリエさんに聞いた話だと、領主がバリーを殺した犯人探しをしているらしいから、俺は易々と向こうに戻るわけにはいかない。
 魔人(ハーフデーモン)という理由だけで既に顔は割れているし、正直戻るメリットはゼロに等しい。

「ふむ、これは吾輩の提案なのだが、この魔王城で働いてみるというのはどうだ? キリエからも似たような提案をされなかったか?」

「え? いいんですか? 俺、魔人(ハーフデーモン)ですよ? 見た目もめちゃくちゃ普通の人間ですし、何なら血の半分は人間ですから、魔族の方にやっかまれたりしないですかね?」

「何かトラブルがあれば、いつでも相談に乗ろう。まあ、返答は今でなくても良い。ゆっくりと休んでからまたここへ来い。吾輩が直々にスカウトしたのだ、良い返事を期待しておるぞ」

 魔王からスカウトされるなんて考えても見なかった。
 多くの懸念点がつきまとうので少し考えさせてもらおう。まずは魔王城の雰囲気や魔族の特性なんかを軽く把握するところから始めようかな。

「わかりました。すみません、何から何まで本当にありがとうございます! 魔王様ってすっげぇ優しいですね!」

「ふっ……最近はリュミエールも思春期なのか、少しばかりツンツンしていて中々大変なのだぞ。だから、今度は吾輩の相談に乗ってもらえるか? どうしても皆の前では威厳を出さねばならぬが故、吾輩の話し相手になれる其方は貴重なのだ」

 魔王はスッキリした顔つきのまま瞳を閉じていた。
 本当に俺なんかが話し相手で良いらしい。
 まあ、こちらとしても、久しぶりにまともな会話をした気がするし、かなり心が安らいだ。

「喜んでお受けしますよ」

「うむ、感謝する。ところで申し遅れたが、吾輩の名は魔王ライオネル・ディビル。周囲に誰もおらぬときは、その敬語も崩して構わん。魔王と呼び捨てで呼んでくれ」

「わかりま……わかった。魔王、だな。よろしく! じゃあ、考えがまとまったらまた顔を出すよ。本当に何から何までありがとな」

 わかりま……と敬語を出そうとした時点で悲しげな顔をされたので、俺はすぐに敬語を取っ払った。
 社交的に接した方が喜んでくれるなんて、本当に変わった君主だと思う。

「うむ。またな」

 俺は謁見の間を後にした。

 いやぁ、怖かった。でも、すごい優しいから助かったな。
 呼び捨てしちゃったし……人類から恐れられていた魔王の心持ちがわかってホッとした。

「キリエさん、終わりましたよ」

 部屋から少し離れた位置にキリエさんがいた。
 慌てた様子で辺りをくるくる歩き回っている。

「……お怪我は?」

 キリエさんはぱたぱたと足早に距離を詰めてすると、何の躊躇もなく俺の全身を間近で見ながら両手を使って(まさぐ)ってきた。

「ん? いや、別に何もなかったですよ。本当に。あの……そんなにペタペタと全身を弄らないでも大丈夫ですから」

 会った時からついさっきまで、終始堅苦しい敬語と態度だったというのに、なぜかここにきて俺の身を心配をしてくれている。

「ほ、本当に大丈夫ですか?」

「見ての通りです。安心してください」

「……良かったです。厳格な魔王様の不敵な笑い声が聞こえてきたので、何か機嫌を損なわれるような発言をなさってしまったのかと思いました」

 キリエさんは本当に心配してくれていたのか、両手を胸に当ててホッと一息吐いていた。
 やっぱり、あの魔王の悪どくもある低い笑い声は勘違いさせてしまったようだ。
 
 ただ、魔王自身はその威厳を保つ必要があるので、俺がこの場でどうこう言うことはできない。

「……ちなみに、魔王様とは何を話しておられたのですか?」

「あー、もしかしたら今後はここで働くことになるかもしれません。魔王様からスカウトを受けたので、せっかくなら働いてみようかなって感じです。人間界に戻っても居場所なんてないですしね」

「左様ですか。では、私の方でソロモンさんに関する情報は周知しておきますね。
 ただ、中には人間を忌み嫌う魔族もおりますので、くれぐれもお気をつけください。加えて、ここ魔王城は地下三階から地上十五階まであるので、お一人で回るのは一苦労かと思います。地図を渡しておくのでご参考までに」

 キリエさんは例の如く闇魔法を発動させた。
 亜空間から、やや厚めの紙の束を取り出してこちらに手渡してくる。
 紙の束には地下三階から地上十五階までの地図が記されているようだ。これは助かるな。

「ありがとうございます。では、俺は早速お城の中を散策してみますね」

「はい。何かお困りごとがあれば、お城の隣にあるお屋敷までいらしてください。普段は私そこで回復魔法に関する研究を行なっておりますので……では」

 キリエさんはふわりとボリュームのあるスカート部分を翻すと、ピンと背筋を伸ばしたまま立ち去った。
 上品な貴婦人という感じがする。
 長寿命と噂されるエルフなので詳細な年齢は不明だが、見た目だけで判別するなら二十代前半だろうか。

 とにかく、美しい容姿なのは間違いないし、俺への気遣いを見るに優しい性格なのは間違いない。

「さて……まずは地下三階から順に行ってみるか」