ここは謁見の間。
壁に埋め込まれた炎のみが灯りとなる部屋の中で、俺は玉座に腰掛ける魔王と向き合っていた。
「随分と戻ってくるのが早かったが、その様子だと決断を下したみたいであるな。聞かせてもらおうか」
「ああ。魔王、俺をこの城で働かせてほしい」
俺は魔王が持つ獄炎のような真っ赤な瞳を見つめて口にした。
それからしばしの沈黙が訪れると、魔王は一つ咳払いをしてから玉座から立ち上がる。
初めて全身を見たが、かなりの巨体だ。筋骨隆々な肉体は魔法のみならず身体能力にも優れていることがわかる。
「では、本日より其方には魔王城の管理人として働いてもらおう」
「魔王城の管理人?」
復唱してみてもよくわからない言葉の響きだったが、とにかく詳細を聞き出してみることにした。
「実は其方のことはこの水晶を用いて監視していた。無論、食堂で魔王城に関する不満を口にしておったのも筒抜けである」
魔王は亜空間から透明な水晶を取り出すと、にやにやと見透かしたような笑みを浮かべた。
「それ……遠隔視水晶か?」
魔王が手にしているのは遠隔視水晶と呼ばれる魔道具だった。
ぱっと見、何の変哲もない手のひらサイズの透明な球体にしか見えないが、実は魔力を込めることで自身が知見のある場所や人の所在を監視することができる優れた魔道具である。
「うむ。よく知っておるな。人間界にはあまり出回っていない代物だと思っておったが?」
「そうなのか? いやな、俺の父さんが魔族だったのは知ってると思うが、昔は魔道具職人をしていたらしくて、色々な魔道具が家にあったんだよ」
正直、小さな村にずっと暮らしていたので、世間の魔道具への認知度についてはそれほど把握していない。
何度も父さんの工房で一緒に魔道具を作ったことがあるし、きっと父さんと母さんが生きていたら街に行くことなんてなかったと思う。
「ほう。其方の父君の名は何と申すのだ?」
「サイモンだ」
「っ……其方、稀代の天才魔道具職人であるサイモンの息子か!?」
「え? 父さんのことを知っているのか? 下級魔族って聞いたけど……」
俺は驚愕している魔王に続けて尋ねた。
「サイモンはそれはそれは優秀な魔道具職人であった。生まれは魔界の辺境で下級魔族の血統だったのは確かだが、家柄やその生まれとは関係なく、魔道具への探究心と無尽蔵の魔力を武器に数々の魔道具を製作しておったわ。
気がつけば愛を誓いあった人間の女と出会い、人間界へ逃避行したと聞いた時はショックであったが、ヤツの息子と邂逅することになるとは……何が起こるかわからないものだな」
魔王は感慨深い面持ちで何度も首肯しながら言葉を紡ぐ。
まさか父さんと魔王が知り合いだとは思わなかったし、優秀な魔道具職人だったなんて知らなかった。
そんな話は一度も聞いたことがないし、父さんが製作する魔道具はどれもごく当たり前に流通しているものだと勘違いしていた。
「そうだったのか……父さん、凄かったんだな」
「うむ。詳しい話はまた時間がある時に聞かせてやろう。して、ソロモンよ」
魔王が一つ咳払いをすると、壁の中に埋め込まれた炎が僅かにゆらめいた。何をするにも波動のような何かを生じさせる魔王の一つ一つの行動は、確かに部下に怖がられても仕方がない。
「ん?」
「魔王城を回ってみてどう思った?」
「……あー、はっきり言っていいか?」
「構わぬ。口にしておらぬ不満点も多くあるのだろうからな」
「あまり良くない。各所に魔道具の設置はあったが、何もかもが整備されていないのは気になったな。あと、汚すぎる。何もかもが」
俺は魔王に聞かれた通り、はっきりと濁すことなく答えた。
正直、詳細を求められれば、もっと長々と語り尽くすことはできる。それくらい、魔王城はあまりよろしくない状態だった。
「ふむ。実を言うと、魔王城の管理は其方の父が行なっておったのだが、人間界に逃避行してからは後任がおらず困り果てていたのだ」
「じゃあ、俺も似たような感じで魔王城の管理をすればいいのか?」
話を聞けば聞くほど父さんの本当の姿が気になってくる。
「其方に任せる業務は少し異なるが概ね一緒だ。
実は、吾輩を含めて多くの魔族は、人間との友好を深めて争いなき世界を目指しているというのに、その見た目や習慣の違いで数多くの相違が生まれてしまっている。
それを解決するためには、こちらから歩み寄るのが最短の近道と吾輩は考えておる。
だから、其方には人間の暮らしや日々の生活習慣等、多くの事柄を魔族に享受しつつも、魔王城の改善に努めてほしい。いずれは魔界全体に浸透させていくつもりでな。問題ないか?」
長々と魔王は口にしたが、まとめると、ようは魔族側は人間と仲良くなるために人間の暮らしを学びたいってことだ。そしてその役目を俺に任せたい。と。尚且つ魔王城の管理を行いつつも、それらを遂行してほしい……ということか。
まずは魔王城の管理人として魔王城内部の改善をはかり、そのうち魔界全体へ規模を拡大していく感じだな。
「ああ、大丈夫だ。せっかく助けられた命だし、俺なりにできることをやってみるよ。ただ、俺にはそんな願いを叶えられる力はないと思うぞ」
「積極的に人間の暮らしや慣習を布教せずとも、普通に過ごしてくれるだけでよい。自然体で構わぬ」
「了解。そういうことなら俺にもできそうだ」
「頼んだぞ。今日はもう休むといい。魔王城の管理人になったからには、二階の客室は使わずにこの上のフロア一帯を使用するといい。其方の父も使用していた管理室となっておる」
「上のフロアか。キリエさんにもらった地図には書いてなかったと思うが……わかった。色々とありがとな」
俺は魔王城全体の構造が記された地図を再確認したが、謁見の間より上には何も記されていなかった。
「うむ。謁見の間を出て左手側の隠し扉を開けると階段がある。そこから上へ向かうといい。ではな」
魔王はそれだけ教えてくれると、のそのそと歩いて玉座の裏に見える扉の中へと姿を消した。
「……とりあえず、管理室に行ってみるか。えーっと、出て左手側の隠し通路……っと」
俺は謁見の間を出てすぐに左手側に目を向けた。そこには少し長めの道が伸びており、その奥は行き止まりになっている。
きっと、あの一見すると壁に見える部分の一部が隠し扉になっているのだろう。
「やっぱりな」
俺は少し長めの回廊を進み行き止まりとなる地点に到着すると、目の前の壁を軽くノックして音の響き方を確かめた。
案の定というべきか、中は空洞になっていた。
よくよく凝視すると、壁と同化した色合いの扉と窪みが見える。
「初見じゃ分からないし、行き止まりだと思ってわざわざここに来ないよな」
俺はおもむろに扉を開けた。
地図にも載っていなかったので、きっとこの先を知る者は魔王と父さんくらいなものだろう。
そんなことを考えながらも、そこそこ長めの階段を上っていくと、やがて扉も何も設置がない開けた空間に辿り着いていた。
「ここが管理室か。結構広いな」
俺はそのまま部屋の中に入って辺りを見回した。
内装は下階の各部屋と違いかなりシンプルだった。
白と黒を基調とした室内は相当に広い。
部屋の中にある家具は大きめのベッドとクローゼット、そして小さなテーブルと数脚の椅子だけだ。
他には、埃を被った工具セットや、魔道具を製作するための木の台、様々な部品類なんかもある。
そのすぐ側には、鉱石が山のように詰め込まれた木箱が置かれ、多くの魔道具が整然と並べられており、部屋全体が作業や創造に集中するための環境となっている。
「かなり埃っぽいなぁ……まずは適当に掃除を済ませてからキリエさんのところに向かうか」
俺は濁った空気を循環するために、ベッド横の大きな窓を開け放った。
同時に気圧の変化で突風が吹き乱れて、室内にあった悪い空気と埃はあっという間に循環された。
後は簡単に散らかった物の整理をして、ベッドを整えて……今日のところはそれだけでいいか。
幸いと言うべきか魔道具の照明は点灯していたので、最優先してやるべきことは特段なさそうだった。
「……じゃ、キリエさんのところに行くか」
俺は地図を片手に部屋を後にした。
魔王城を回るために拝借していた地図だったので、今日中に返しておこう。
壁に埋め込まれた炎のみが灯りとなる部屋の中で、俺は玉座に腰掛ける魔王と向き合っていた。
「随分と戻ってくるのが早かったが、その様子だと決断を下したみたいであるな。聞かせてもらおうか」
「ああ。魔王、俺をこの城で働かせてほしい」
俺は魔王が持つ獄炎のような真っ赤な瞳を見つめて口にした。
それからしばしの沈黙が訪れると、魔王は一つ咳払いをしてから玉座から立ち上がる。
初めて全身を見たが、かなりの巨体だ。筋骨隆々な肉体は魔法のみならず身体能力にも優れていることがわかる。
「では、本日より其方には魔王城の管理人として働いてもらおう」
「魔王城の管理人?」
復唱してみてもよくわからない言葉の響きだったが、とにかく詳細を聞き出してみることにした。
「実は其方のことはこの水晶を用いて監視していた。無論、食堂で魔王城に関する不満を口にしておったのも筒抜けである」
魔王は亜空間から透明な水晶を取り出すと、にやにやと見透かしたような笑みを浮かべた。
「それ……遠隔視水晶か?」
魔王が手にしているのは遠隔視水晶と呼ばれる魔道具だった。
ぱっと見、何の変哲もない手のひらサイズの透明な球体にしか見えないが、実は魔力を込めることで自身が知見のある場所や人の所在を監視することができる優れた魔道具である。
「うむ。よく知っておるな。人間界にはあまり出回っていない代物だと思っておったが?」
「そうなのか? いやな、俺の父さんが魔族だったのは知ってると思うが、昔は魔道具職人をしていたらしくて、色々な魔道具が家にあったんだよ」
正直、小さな村にずっと暮らしていたので、世間の魔道具への認知度についてはそれほど把握していない。
何度も父さんの工房で一緒に魔道具を作ったことがあるし、きっと父さんと母さんが生きていたら街に行くことなんてなかったと思う。
「ほう。其方の父君の名は何と申すのだ?」
「サイモンだ」
「っ……其方、稀代の天才魔道具職人であるサイモンの息子か!?」
「え? 父さんのことを知っているのか? 下級魔族って聞いたけど……」
俺は驚愕している魔王に続けて尋ねた。
「サイモンはそれはそれは優秀な魔道具職人であった。生まれは魔界の辺境で下級魔族の血統だったのは確かだが、家柄やその生まれとは関係なく、魔道具への探究心と無尽蔵の魔力を武器に数々の魔道具を製作しておったわ。
気がつけば愛を誓いあった人間の女と出会い、人間界へ逃避行したと聞いた時はショックであったが、ヤツの息子と邂逅することになるとは……何が起こるかわからないものだな」
魔王は感慨深い面持ちで何度も首肯しながら言葉を紡ぐ。
まさか父さんと魔王が知り合いだとは思わなかったし、優秀な魔道具職人だったなんて知らなかった。
そんな話は一度も聞いたことがないし、父さんが製作する魔道具はどれもごく当たり前に流通しているものだと勘違いしていた。
「そうだったのか……父さん、凄かったんだな」
「うむ。詳しい話はまた時間がある時に聞かせてやろう。して、ソロモンよ」
魔王が一つ咳払いをすると、壁の中に埋め込まれた炎が僅かにゆらめいた。何をするにも波動のような何かを生じさせる魔王の一つ一つの行動は、確かに部下に怖がられても仕方がない。
「ん?」
「魔王城を回ってみてどう思った?」
「……あー、はっきり言っていいか?」
「構わぬ。口にしておらぬ不満点も多くあるのだろうからな」
「あまり良くない。各所に魔道具の設置はあったが、何もかもが整備されていないのは気になったな。あと、汚すぎる。何もかもが」
俺は魔王に聞かれた通り、はっきりと濁すことなく答えた。
正直、詳細を求められれば、もっと長々と語り尽くすことはできる。それくらい、魔王城はあまりよろしくない状態だった。
「ふむ。実を言うと、魔王城の管理は其方の父が行なっておったのだが、人間界に逃避行してからは後任がおらず困り果てていたのだ」
「じゃあ、俺も似たような感じで魔王城の管理をすればいいのか?」
話を聞けば聞くほど父さんの本当の姿が気になってくる。
「其方に任せる業務は少し異なるが概ね一緒だ。
実は、吾輩を含めて多くの魔族は、人間との友好を深めて争いなき世界を目指しているというのに、その見た目や習慣の違いで数多くの相違が生まれてしまっている。
それを解決するためには、こちらから歩み寄るのが最短の近道と吾輩は考えておる。
だから、其方には人間の暮らしや日々の生活習慣等、多くの事柄を魔族に享受しつつも、魔王城の改善に努めてほしい。いずれは魔界全体に浸透させていくつもりでな。問題ないか?」
長々と魔王は口にしたが、まとめると、ようは魔族側は人間と仲良くなるために人間の暮らしを学びたいってことだ。そしてその役目を俺に任せたい。と。尚且つ魔王城の管理を行いつつも、それらを遂行してほしい……ということか。
まずは魔王城の管理人として魔王城内部の改善をはかり、そのうち魔界全体へ規模を拡大していく感じだな。
「ああ、大丈夫だ。せっかく助けられた命だし、俺なりにできることをやってみるよ。ただ、俺にはそんな願いを叶えられる力はないと思うぞ」
「積極的に人間の暮らしや慣習を布教せずとも、普通に過ごしてくれるだけでよい。自然体で構わぬ」
「了解。そういうことなら俺にもできそうだ」
「頼んだぞ。今日はもう休むといい。魔王城の管理人になったからには、二階の客室は使わずにこの上のフロア一帯を使用するといい。其方の父も使用していた管理室となっておる」
「上のフロアか。キリエさんにもらった地図には書いてなかったと思うが……わかった。色々とありがとな」
俺は魔王城全体の構造が記された地図を再確認したが、謁見の間より上には何も記されていなかった。
「うむ。謁見の間を出て左手側の隠し扉を開けると階段がある。そこから上へ向かうといい。ではな」
魔王はそれだけ教えてくれると、のそのそと歩いて玉座の裏に見える扉の中へと姿を消した。
「……とりあえず、管理室に行ってみるか。えーっと、出て左手側の隠し通路……っと」
俺は謁見の間を出てすぐに左手側に目を向けた。そこには少し長めの道が伸びており、その奥は行き止まりになっている。
きっと、あの一見すると壁に見える部分の一部が隠し扉になっているのだろう。
「やっぱりな」
俺は少し長めの回廊を進み行き止まりとなる地点に到着すると、目の前の壁を軽くノックして音の響き方を確かめた。
案の定というべきか、中は空洞になっていた。
よくよく凝視すると、壁と同化した色合いの扉と窪みが見える。
「初見じゃ分からないし、行き止まりだと思ってわざわざここに来ないよな」
俺はおもむろに扉を開けた。
地図にも載っていなかったので、きっとこの先を知る者は魔王と父さんくらいなものだろう。
そんなことを考えながらも、そこそこ長めの階段を上っていくと、やがて扉も何も設置がない開けた空間に辿り着いていた。
「ここが管理室か。結構広いな」
俺はそのまま部屋の中に入って辺りを見回した。
内装は下階の各部屋と違いかなりシンプルだった。
白と黒を基調とした室内は相当に広い。
部屋の中にある家具は大きめのベッドとクローゼット、そして小さなテーブルと数脚の椅子だけだ。
他には、埃を被った工具セットや、魔道具を製作するための木の台、様々な部品類なんかもある。
そのすぐ側には、鉱石が山のように詰め込まれた木箱が置かれ、多くの魔道具が整然と並べられており、部屋全体が作業や創造に集中するための環境となっている。
「かなり埃っぽいなぁ……まずは適当に掃除を済ませてからキリエさんのところに向かうか」
俺は濁った空気を循環するために、ベッド横の大きな窓を開け放った。
同時に気圧の変化で突風が吹き乱れて、室内にあった悪い空気と埃はあっという間に循環された。
後は簡単に散らかった物の整理をして、ベッドを整えて……今日のところはそれだけでいいか。
幸いと言うべきか魔道具の照明は点灯していたので、最優先してやるべきことは特段なさそうだった。
「……じゃ、キリエさんのところに行くか」
俺は地図を片手に部屋を後にした。
魔王城を回るために拝借していた地図だったので、今日中に返しておこう。