笑顔で泣き止んだあと、傘をずっと持っているのは大変だからと橋の下へ行き、私は自己紹介をした。
「私の名前は九条凛律。年は君と同い年だから、お互い下の名前で呼ばない?」
平静を装って言うものの、内心、胸はドキドキで。
「うん、凛律。綺麗な名前だね」
何気ない笑顔で私の名前を呼ぶ心結に、心拍数が上昇する。
私たちは友達。
だけど、私は早くも自分の気持ちに気がついた。
それ以上を望んでしまっていると。
そんな私は傲慢だ。
「あ、ありがとう……え、えと、心結」
「?」
首を傾げる動作にもときめいてしまう。
恋なんて初めて。
そして思う。
私ってもしかしてチョロいのかな……?
心を落ち着かせるために、深い呼吸を一つ。
聞きたかったことを口にする。
「もし違ったらごめんなんだけど、心結さ、一人称“僕”じゃないでしょ」
所々に滲み出る違和感があった。
それに、上手く言葉に表せないけど、心結は、自分を否定してくる人達に慣れてしまったのだと思う。
そして上手くなった“いい子の演技”。
僕という一人称は、そういった人達を前にした時に使うのだろう。
でも、せめて私の前ではありのままの心結でいて欲しい。
どうやら私の違和感は合っていたらしく、心結は気づかれたことに驚いたのか、目を見開いている。
「は、はは……バレたのは初めてだよ。じゃあ凛律の前では“俺”にする。素っ気ない話し方になるけど……大丈夫か?」
わっ、こっちのがやっぱりいい。
それに、私の前では……って、なんか特別みたいじゃん?
「大丈夫。心結が楽な方が、私も嬉しいから」
「ああ、ありがとう。で、凛律は元気取り戻したか?」
「もうっ、からかわないで」
「ははっ、悪い。じゃあ、元気取り戻したってことで……行くか!」
心結は私の手を引いて走り出した。
「えっ、え!?」
階段を駆け上がり、いつもより広く見える世界を走る。
「行くってどこに!?」
「ん?」
心結は、今までの穏やかな笑顔とは違う、無邪気な笑顔を浮かべた。
……あ、この顔、心結だ。
そして、
「最高なところ!」
と言って再び前を向いた。
「それじゃ分からないじゃんっ」
でも、心結の笑顔を見ていると、行き先が分からないままなのも、とても楽しく思える。
もう空は晴れていて、太陽が町一帯を照らしている。
でもきっと、一番輝いているのは私たち。
そう思えるくらい、幸せ。
その一方、小説は「紙切れ」だと思ってしまったことを後悔する。
そう、小説は紙切れなんかじゃない。
1文字1文字に心が込められた言葉の結晶で、私にとって未来を見せてくれる唯一無二の存在。
そんな小説を悲しませようなんて、もうしない。
そう思えたのは、心結が気づかせてくれたから。
心の中で心結に何度もありがとうと呟く。
すると、心結は私にこう言った。
「なんかさ、俺ら迷子みたいじゃね?」
え、迷子?
と思ったけれど、すぐ納得する。
親とはぐれたのではなく、親から逃げるために迷子になってしまったのだ。
「確かに」
「じゃあ、俺ら今日から迷子同盟だな」
「迷子同盟……うん、そうだねっ」
私と心結だけの迷子同盟。
迷子であることをこんなに嬉しく思うのはおかしいけど、今がそれくらい心地いいのだ。
心結の背中はどこまでも温かい。
いつか胸を張ってこの人の隣を歩けるように、自分の幸せを大切にしよう。
そう思いながら、太陽に向かって走り続けた。
────────────
「凛律、ここだ」
「はぁ、はぁ……着いた?」
思っていた以上に走った距離が長く、息が切れる。
「あっ、悪い。夢中で……」
「ううん、大丈夫。私も夢中だったから」
繋いでいた手が離れ、少し残念な気持ちになる。
もうちょっと繋いでいたかったな……
その気持ちを胸に秘めたまま、辺りを見渡す。
「ここって……広場?」
そこには芝生広場があり、屋台やキッチンカーが並んでいる。
「ああ。ここでは毎日屋台とかイベントをやってるんだ」
「そうなんだ。でもなんでここに?」
「ここのソフトクリームを凛律に食べてほしいんだ。あそこのキッチンカーのお店のやつ、めっちゃ美味くてさ」
「えっと……ソフトクリーム?ってなに?」
「……は?」
予想外の返事が返ってきたようで、心結はとても驚いている。
ソフトクリーム……ソフトクリーム?
聞いたことないんだけど、そんなに驚くことなのかな?
「凛律、ソフトクリーム知らねぇの?」
「う、うん」
「マジか……どこのお嬢様なんだよ?」
「えっ、なんで分かるの?」
「いや、ソフトクリーム知らないって……余程の箱入り娘くらいじゃないと有り得ねぇよ」
「そう、なんだ……」
確かに、両親は私を家から中々出してくれない。
今日だって、親に黙って家を出てきた。
もしかして私って、すごい世間知らず?
その事実に気づき、結構なショックを受ける。
「じゃあ買う前に、ソフトクリームの説明からするぞ?」
……あ、家のこと聞かないでくれるんだ……
そういうさり気ない優しさがある所、好きだなぁ。
そう思いながら、私はソフトクリームの説明を一生懸命聞いていた。
「冷たい、甘い、美味しい」
「そ。この3つが合わさった最高峰が、ソフトクリーム」
気になる……!
「ねぇ心結、早く食べたいっ」
「そう焦るな。ソフトクリームは逃げねぇから」
自殺しようとして家を出たのに、財布なんて持っているはずもなく、結局心結にご馳走になってしまった。
「ありがとう心結、それとごめんなさい」
「いいって。ほら、早く食べねぇと溶けるぞ?」
「あっ、そうだった……いただきますっ」
そしてソフトクリームを1口。
次の瞬間、私は衝撃を覚えた。
「ななな何これっ、すごく美味しい……っ」
「だろ!?俺が今まで食べてきた中でここのソフトクリームが1番上手くてさ、凛律にも食べて欲しかったんだ。祝・初ソフトクリーム、だな」
「うんっ」
買い食いなんて初めてで、少し悪いことをしているような感じがたまらなく幸せなことに気がつく。
私はきっと、この味を一生忘れられないと思う。
そして、今日のことも。
私が夢中になってソフトクリームを食べていると、心結が
「凛律、こっち向いて」
と言ってきたので、その通りにすると。
「パシャッ」
という音が辺りに響いた。
え。
「ちょ、ちょっと。今写真撮った?」
「うん」
「今すぐ消してっ、絶対変な顔してたからっ」
「嫌だ。それと……ここ、付いてる」
心結はそう言って、私の口周りに付いていたソフトクリームを指で拭き取った。
「!?」
ち、近い……っ
もしかしなくても、心結って距離感おかしい……!?
それともこれが普通なのかな……少なくとも、私が今までお見合いしてきた人たちはこんなことしてこなかった。
いや、そもそもお見合いの時はこんなに急いで食べたりしないから……う〜ん……
と私が混乱していると、心結は声を真剣なトーンに変えて話し始めた。
「凛律、気がついてる?」
「……何に?」
「今まで1回もちゃんと笑えてないの」
「っ……」
もう、随分昔のことだと思う。
私の気持ちを聞いてくれない両親に失望し、笑えなくなったのは。
「……うん」
なんて言われるのかな、と思っていると、心結は予想外の言葉を口にした。
「俺は、凛律に心の底から笑って欲しい」
「……え?」
「俺の趣味なんだ、写真撮ること。俺がこれからたくさん凛律のことを笑わせてみせる。だから、凛律が心の底から笑えるようになったら、それを写真に収めたい。ダメか?」
「……」
心結、そんなこと思ってたんだ……
どうしよう、すごく嬉しい……
こんなの、断るはずないじゃん。
「ううん、お願いします」
「!ありがとう」
「でもさ、“これから”、って……どうするの?」
私は疑問を口にした。
すると、心結はにっと笑って。
「今日が土曜日だから……そうだな。毎週土曜日、さっきの橋の下で会おう。そしたら、俺が今日みたいに色んなところに凛律のことを連れてく。絶対、楽しませるから」
毎週土曜日……
親や使用人の目があって、今日みたいに抜け出せるか分からないけど……
心結と一緒にいたい。
「うん、じゃあそれで決まり」
「ありがとう。ソフトクリーム食べ終わった?じゃ、今日はもう帰るか」
「あ……うん」
こんなに“今日”を楽しめたのは久しぶりだから、それが終わってしまうのは悲しい。
でも、来週の土曜日にまた会える。
だから、寂しくはない。
「家まで送る。帰ろ」
「えっ、いいよ。1人で大丈夫」
「……怪しい。また自殺なんて考えるんじゃないだろうな?」
「心結のおかげでもうそんなこと考えてないよ。だから大丈夫」
「そっか、なら良かった。俺帰る方向こっちだけど、凛律は?」
空を見上げると、もうだいぶ日が沈んでいた。
もう何年も感じていなかった、綺麗という感情が頭をよぎる。
全部全部、心結と今日出会えたから。
自殺しようと思って川に行ってよかった……なんて。
そう思いながら、私は手を振った。
「私はこっち。じゃあ、またね、心結」
「ああ、またな」
“またね”をこんなに嬉しく思えるのは、生まれて初めて。
今日一日で、心結は私にたくさんのものをくれた。
勇気に希望、幸せな感情まで思い出させてくれて……それに、人を恋愛的に好きになる気持ちも。
私、心結のこと好きになったんだよね……
わっ、どうしよう?
そう顔を赤くしながら足早に家へ帰ったのは、心結の優しさに触れて、恋の味のソフトクリームを食べた、そんな日のこと。