いつの間にか、季節は移ろい、街路樹の葉が落ち始めた頃だった。

 碧は独学でありながらも、少しずつ小説を書き始めていた。

 何度も(つまづ)き、何度も挫折しそうになった。

 表現したいことはあるのに、言葉が出てこないことはしょっちゅうあるし、登場人物の一挙手一投足に、碧が振り回される感覚に陥る時もあった。

 それでも、碧は諦めなかった。

 約束したから。

 碧の夢を叶えることは、千乃の夢を叶えることにもなる。

 そう思うことが、原動力になっていることは確かだ。 碧は視線を上げ、教室の中を見回した。

 みんなが受験のことでヒリついている。

 そんな生徒たちに追い打ちをかけるように、先生からも張り詰めた空気を感じ、受験が近づいていることを否が応でも思い知らされる。

 ある席で、碧の視線が止まった。

 そこに座っているはずの生徒は、今はいない。

 今だけじゃない。

 そこは主を失った席となって、もう一月が過ぎようとしていた。

 碧は彼女の笑顔を思い浮かべた。

 みんなを元気にする、可愛らしく優しい笑顔。

 屈託なく笑う様子は、沈みそうになる心を救い上げてくれる。

 クラスの中心にいながら、碧のように隅っこにいる人間にも気付き、手を差し伸べてくれる。 そんな天使のような彼女は、今、孤独な闘いを余儀なくされていた。

 血液の癌だった。

 もともと色白だった千乃の体調が悪くなっているのは、なんとなく気付いていた。

 それでも、寝不足か疲れだろうとしか思っていなかった。

 軽く考えていた。

 まさか、身近な人が、命を脅かされるような病気に罹るなんて、想像もしていなかった。

 先生から告げられた時、教室中が騒然となった。

 詳しい病名は伏せられたが、碧は千乃から直接メッセージを受け取り、重い病気であることを知った。

 碧には難しいことはわからない。

 ただ、千乃のメッセージにあった一言が、碧の心臓を貫いた。『ダメかもしれない』

 何がとか、どうダメだとか、何も書かれていない。

 このたった一言を、千乃はどんな気持ちで打ったのだろう。

 どんな顔をして、碧に送ったのだろう。

 きっと、たくさんの思いと言葉を呑み込み、必死に吐き出した一言だ。

 二人で描いた夢を叶えるんじゃなかったのか。

 約束したじゃないか。

 そう叫びたかった。

 行き場のない怒りで、これまで書いてきたものすべてを破り捨てたくなった。

 千乃がいなくなれば、全部が無駄になる。

 意味のないものになる。

 そんな気がしたから。