金を工面するためにあらゆるものを売った。時計、家具、電化製品、自転車、本、CD、DVD、洋服……、1円以上の価値のあるものはすべて売った。高く売れたものもあれば買った時の何分の一にしかならなかったものもあった。二束三文に買い叩かれたものも多かった。でも、そんなことはどうでもよかった。とにかく金を作らなければならないのだ。わたしには時間がなかった。売って売って売りまくった。
 その金でガールフレンドから借りた金を返し、少し手を付けていたカードローンも完済することができた。借金が無くなると、心が少し軽くなった。
 嬉しい誤算もあった。100万円ほどが手元に残ったのだ。作家として順調だった頃、無理して買ったロレックスやオメガ、カルティエなどの高級腕時計が高く売れたことが大きかった。ありがたかった。これからのことを考えると心許ない金額だが、自己破産をしなくても済んだことが、せめてもの救いだった。
 だが……、
 がらんとした部屋を見ると、ため息しか出なかった。スマートフォンと最低限の生活用品しか残っていないのだ。しかし、ため息をついてばかりもいられない。これからの生活設計を立てなければならないのだ。残った100万円でどうやって生活していくか、必死になって考えた。
 
 先ず、住むところを確保しなければならない。物価の高い東京では無理だ。それに屈辱を味わった東京に住み続けることは不可能だ。ガールフレンドの顔も見たくない。悩んだ末に地元に帰ることに決めた。しかし、親に頭は下げられない。どの面下げて実家の門をくぐれるというのか。首を強く振って親の顔を頭から消し、生き残るための策を必死になって考えた。
 収入が無くても最低1年間暮らすためには手元に残った100万円をどう配分すればいいのだろうか?
 1年間暮らすための色々なシミュレーションをして、結論に辿り着いた。三分の一を家賃に、三分の一を食費に、三分の一を雑費にすることにした。ということは、家賃にかけられるのは約33万円ということになるから、敷金礼金がなく家賃3万円以下の物件を探すことにした。
 京都や大阪のネット情報に隅から隅まで目を通していると、京都と大阪の中間にある小さな町の築30年の物件に目が止まった。駅から徒歩20分で、6畳の和室と小さな台所、トイレのある木造のアパートだった。シャワールームはなかったが、近くに銭湯があると書いてあった。そして、即日入居可と赤字で記載されていた。敷金礼金はなく、家賃は丁度3万円。希望に近い物件だった。しかし、保証金が必要だった。入居時に家賃の50パーセントで15,000円。その後毎月1,000円が必要だった。また、1年後に更新料として家賃の1か月分が必要だった。家賃以外に57,000円いるのだ。これはちょっと痛い金額だったが、雑費予算の中でやりくりすればなんとかなるように思えたので、迷いながらも不動産会社に電話して物件を押さえた。
 次は今住んでいるマンションの解約だ。契約では1か月前に通知することになっている。解約後、敷金2か月分は返ってくるが、1か月分の家賃と原状復帰費用が発生する。持ち出しにならないか心配したが、なんとか敷金内で収まりそうだった。手持ちのお金に手を付けずに済みそうなことに安堵した。
 
 すべきことをすべて済ませて、逃げるように東京を飛び出した。文字通り、関西への逃避行だ。しかし、新幹線に乗る余裕はないので安い夜行バスに飛び乗った。片道2,980円。2つの大きな布袋だけが旅の相棒だった。
 1つだけ空いていた窓際の席に座ると、眩く輝く高層ビルが見えた。
 東京落ちか……、
 ため息が出ると、灯りが滲んで見えた。